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アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ

  • 出版社:河出書房新社
  • サイズ:20cm/339p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-309-62301-6

アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ

ロレンス・ダレル (著), 高松 雄一 (訳)

  • 全体の評価 51件のユーザーレビュー
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  • 税込価格:2,52072pt
  • 発行年月:2007.3
  • 発送可能日:24時間

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商品説明- 「アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ」

このエーゲ海の孤島に、ぼくはぼくたちの心を引き裂いたあの都会から逃れてきた。ぼくをメリッサに会わせ、そしてジュスティーヌに会わせたあの都会—ぼくがメリッサを見出したとき、彼女はアレクサンドリアの淋しい海岸に、性の翼を破られて、溺れかかった鳥のように打ち上げられていた。彼女の明るいやさしい眼差しはぼくを幸せにした。それなのに、やがて出会ったジュスティーヌの仄暗くかげる凝視に、ぼくは抗うことができなかった。メリッサとジュスティーヌの夫を不幸にすることがわかっていても。ジュスティーヌがある日こう言ったのを思い出す。「わたしたちはお互いを斧の代りに使って、本当に愛している人たちを切り倒してしまうんだわ」しかし、ぼくはいま、あの埃にまみれた夏の午後から遠く離れたいまとなって、やっと理解した。裁きを受けるべきはぼくたちではない、あの都会なのだと—。【「BOOK」データベースの商品解説】

熱いライラックの空、砂漠からの乾いた風、埃にしいたげられた無数の街路…。ぼくは記憶の鉄鎖をひとつひとつたぐって、あの都会に戻っていく。愛するアレクサンドリア−。美しい詩的香気に彩られた愛の4部作の第1部。〔「ジュスティーヌ」(1976年刊)の改題改訳〕【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介- 「アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ」

ロレンス・ダレル

略歴
〈ロレンス・ダレル〉1912〜90年。インド生まれ。作家。「にがいレモン」でダフ・クーパー賞を受賞。ほかの著書に「黒い本」など。

ユーザーレビュー- 「アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ」

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3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007/05/08 00:21

女神のような娼婦ジュスティーヌを取り巻く人間たちの性の交錯に託すように、あらゆる人と物が行き交う「都市」という磁場が書かれている。文学史に刻まれる四部作の改訳刊行開始。

投稿者:中村びわ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る

南国の花咲き乱れる温室に閉じ込められたような、濃厚な文学エッセンスが漂う。立ち込める香りを頭で分かろうとするのでは埒が開かず、尻込みすることなく五感の官能を働かせて読むことを余儀なくされる。論理的に分析しようという脳の働きを留め、自分の血流や内臓のひくつきまでを意識するように、そして肌に触れる対流をつかみ、姿かたちなきものまで透視し、沈黙のなかに音を拾うような姿勢で「感じ取る」ことが求められている。
「登場する人物はすべて虚構。ただ都市だけが現実のもの」という主旨の断りが巻頭にある。ここで指されている「都市」とはおそらく、都市一般のことではないかと思える。私たちが知る現代都市では、尊厳が傷つけられ充たされない欲望のはけ口に悩む多くの底辺生活者がもたらす犯罪や暴力を防ぐ手立てとして、管理や規制が強化されている。だが、本来的に都市は「自由」の空気が流れるものであったはず。アレクサンドリアという都市が、古代よりずつとそうであったように……。
 アレクサンダー大王がオリエント遠征の途次で名付けたこの都市は、古代から国際都市であり学芸都市であった。物が流通し知識が交流し、それを担う人びとが自由に集い触れ合った。古代最大の「ディアスポラ」と呼ばれるユダヤ人共同体があったこと、そこから聖書解釈の哲学者フィロンが出たことは、「アレクサンドリアの子」ジュスティーヌが知性あふれるユダヤ人女性であることと関係なくはないだろう。
——五つの種族、五つの言語、十にあまる宗教。港口の砂洲に隠れて油じみた影を映しながら向きを変える五つの艦隊。だがここには五つを越える性がある。そのなかで通俗ギリシア語だけが際立って耳につく。手近にある性の飼葉の多様さ豊富さときたら気も遠くなるばかりだ。ここを快楽の場所だなどと思い違える者はまずあるまい。(12P)
「五つを越える性」は、五つの種族に対応させればよいのか。だが、「男性を求める女性」「女性を求める男性」「男性を求める男性」「女性を求める女性」「自分を求める性」「人ならざるものを求める性」とでも解釈すべきなのか——交錯する複数の性の中心にジュスティーヌが位置する。彼女を取り巻く人間たちの性の交錯に託すように、あらゆる人と物が行き交う「都市」という磁場が書かれようとしている。
——「これが私たちの病気なの」と彼女は言った。「何もかも心理学と哲学の枠に詰めこんでしまおうっていうのが。結局ジュスティーヌを正当化することも弁護することもできはしない。彼女はただ堂々と存在するだけ。わたしたちは、原罪に耐えるように、彼女に耐えるしかない。……」(94P)
 エジプトのコプト人で資産家の夫を持つジュスティーヌは、大戦前夜とおぼしきアレクサンドリアの社交界の有名人であり、圧倒的な魅力で、貧しい英国人教師の「ぼく」を感化する。ちょうど「ぼく」は、キャバレーのダンサーであるギリシア人のメリッサと幸せな同棲生活に入ったばかり。女神的な娼婦性で人と交わるジュスティーヌのスタイルが複数の視点から表現されていく。なかでも特異なのは、「ぼく」がジュスティーヌの前夫の書いた小説を入手すること。彼女がモデルに書かれた小説を読みながら、書かれたことに共感を覚え、「ぼく」はジュスティーヌの存在の特別さをより深く理解していく。
「心理学と哲学の枠」を脱してジュスティーヌを認識すべきように、都市もまた「組織と体制の枠」を脱したところで存在すべきなのである。そして、そういったことと同様「時間軸や構成の枠」を外して、都市もそれを象徴する人物も語られなくてはならなかったのだろう。小説は時間の流れを解体し、「ぼく」が思い出すままの記憶の断片を並べて進められていく。読む者を解体し、自由な風に取り込むように……。

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