- 出版社:中央公論新社
- サイズ:20cm/346p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-12-003816-7
八日目の蟬
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(10件のユーザーレビュー)
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- 税込価格:1,680円(48pt)
- 発行年月:2007.3
- 発送可能日:24時間
- 本
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商品説明- 「八日目の蟬」
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるのだろうか。理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。角田光代が全力で挑む長篇サスペンス。【「BOOK」データベースの商品解説】
【中央公論文芸賞(第2回)】逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか−。誘拐犯と誘拐された子。ふたりの女の心に分け入ることで家族という不可思議な枠組みの意味を探る。心をゆさぶる長編サスペンス。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介- 「八日目の蟬」
角田 光代
- 略歴
- 〈角田光代〉1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞、「空中庭園」で婦人公論文芸賞、「対岸の彼女」で直木賞を受賞。
ユーザーレビュー- 「八日目の蟬」
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/12/04 08:23
七日目と八日目を結ぶ特別な時間、生き方が描かれています。
投稿者:ジーナフウガ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
0章、1章、2章で、構成されている。とにかく、この0章が持つ、切なさに胸を打たれた。
冒頭からして、『ドアノブをつかむ。氷を握ったように冷たい。
その冷たさが、もう後戻りできないと告げているみたいに思えた。』と、こうだ。
「何か分からないけれど、物凄い展開が迫ってくるぞ!」という緊張感を、自然、読み手に、
もたらすではないか!?しかも、この0章に、過去は主人公・希和子の記憶の中にしかないので、
果たして何故、彼女は『がらんどう』と罵られるまでになったか?
理由は、こちらが、推測で補うより他は無い。希和子に平気で酷い言葉を投げつける事の
出来る夫婦は、しかし、電熱ストーブ点けっぱなしの部屋に鍵も掛けず、
その中に我が娘を放ったらかしのまま、平然と出掛けて行く。
どう贔屓目にみてもロクな大人だとは思えない。この人達を的確に描写しているからこそ、
不法侵入という立派な犯罪行為を犯している希和子に、さしたる反発も覚えず、
スーッと彼女の心情や葛藤と、同調出来るまでになっていくのではないかと感じ、
角田光代さんの巧さに舌を巻いた!特に、希和子が、赤ん坊を目の前にしてからの、
内的変化、芽生え始める『絶対的な母性愛』この2点を鬼気迫る筆致で浮かび上がらせ、
圧倒的なリアリティーを持たせるのに成功している。背中に寒気が走りました!!
そして第1章、赤子を連れての逃亡劇が始まる訳ですが…。
母親になるべく、自分が子供を授かったら、男としても女としても、
通じる名前として、名付けようと考えていた『薫』と命名し、許されざる母と娘、
2人は日々を生き抜きます。この0章にせよ、1章にせよ、生き抜く為とは言え、根底に、
嘘や秘密などと呼ばれる負の感情に、加えて悲しい気配や違和感が漂います。
最初に希和子が身を寄せる友人宅でも、『康枝は、やさしくて正しい環境にいつだっているから、
やさしくて正しいんだと思った。』表面上、普通に接している、内面では、
自分が世間との間に覚えているズレや違和感は常に希和子の傍に在ります。
ズレが沸点に達する度、居場所を変え、必死に逃げよう、逃げ延びようとする希和子。
時には、宗教施設にも身を隠します。その度毎に、余計に『薫』に向ける愛情は色濃く、
切なさを増します。すくすくと育って行く薫との、母娘としての1日1日。絆は強く深まります。
読み進める内に、『あぁ、もう良いじゃないか!このまま無事に過ごさせてやれたらよいのに。』
祈りにも似た思いを感じてしまいました。
けれど、やっとの事で違和感が薄まりつつあった暮らしにも終焉の時が…。
何気ない日常の、文字通り何気ないひとこまがきっかけ。逮捕の場面では溜め息が零れました。
2章『薫』から、本名に戻った少女からの視点で物語の謎は少しずつ、少しずつ、
まるで霧が晴れていく時の速度で明らかにされていきます。憎しみも愛情も、全てが、
日の光に照らされ、ゆっくりと溶けていく。
最後の最期、ずっと長い歳月『薫』が忘れていた希和子との別れの(逮捕)の瞬間を
思い出すシーンには涙が出ました。だからと言って、この物語を『産みの親より育ての親』や
『血よりも濃い絆がある』って単純に容認する気はないです。
が、この小説には、『どうすれば自分の力で本物の愛を手に出来るか』記されていると思います。
ご一読の程、お薦め致します。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/08/07 20:50
ひとより多く手に入れた一日をどう過ごすかは…
投稿者:桔梗(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
愛するひとの赤ちゃんをその手に抱くことができなかった希和子は 不倫相手の子どもを連れ去る
この子と一緒にいられるなら他にはなにもいらない
ただ静かに幸せに暮らしたいと
誘拐した子どもを実の子のように慈しみ育てながら ひたすら逃げる
希和子のしたことは許されることではない
それでも彼女の思いが手に取るようにわかるのは やはり女だからなんだろうか
自分の愛しいものを守りたいという抗いようのない強い思い これを単純に母性と言ってしまってよいのかどうか
そして後半はその誘拐された娘の物語
誘拐事件で心にいろんな荷物を抱えたまま生きている彼女の葛藤と自立
蝉は何年も土の中にいるのに地上に出たらたった七日で死んでしまうそうだ
でも まれに次の八日目を生きる蝉もいる
思いがけず手に入れてしまった一日
見たくないものもあるし しなくていいつらい思いだってするだろう
それでも
ほんの一日だけでも長く感じていられる温かな想いや
空や海や緑がより一層綺麗に見えることに感謝しつつ
その一日を過ごせたら幸せだと思う
その一日のおかげで
目に見えるものでも見えないものでも
すごくたくさんのものを貰ってることに気がついたりする
自分が持ってないないものを数えて憂うより
今あるものや 誰かにしてもらったたくさんのことを大事にして
生きていけたらいい
そうできる自分でありたいと思う
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/02/15 13:33
子どもには朝ごはんを食べさせましょう
投稿者:菜摘(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
0章、1章、2章という組立てがいい。0章、1章は誘拐犯である希和子の一人称なのでここだけ読んでいると希和子に感情移入してしまいつい応援してしまう。だがこの小説のすごいところは2章だ。
2章では誘拐され4年後に実の親の元に帰された恵理菜の『誘拐され誘拐犯に育てられた子』 としての苦労がまざまざと書き綴られており気が滅入りそうになる。しかし恵理菜がだんだんと事件のことを振り返っていくと同時に読者も事件の真相を知ることとなるのだ。
いったい誰が悪いのか。恵理菜の父である秋山も、母である秋山の妻も、そして希和子もみな愚かな大人だ。間違いなくその犠牲になったのは恵理菜。ただ3人の愚かな大人達は本当に 『愚かなだけ』、つまり幸せを掴む力が弱かっただけなのだ、それが『愚か』ということなのだろうか?
両親のことも、赤ちゃんの頃誘拐された子どもという自分の運命も、すべて諦めて恵理菜は大学生になっている。そして自分も愚かな大人と同じように愚かな大人と不倫の関係にある。その中で恵理菜は自分自身を見つけようともがき始める。
きっかけはエンジェルホームで出会った千草。このエンジェルホームという設定も上手い。宗教色の濃い団体の共同生活を送るためのこのホームならば、確かに誘拐した子どもを連れた希和子が何年も身を潜めることができたというのも納得できる。そのホームでの出会いが希和子と薫を小豆島へ誘い、描かれる小豆島の人々の優しさと美しい自然がこれまたいい。
設定、場面展開、実によく練りこまれた完全な小説だが、その上で琴線に響くシーンがこれまたいい。希和子と薫が別れる時の一言が、ぐあーん。と来る。
母として…子どもには朝ごはんを食べさせましょう。じゃなくて人は愛すべき、守るべき者があれば生きていけるのだと、その守るべき者のために生きるのだと強く訴えてくる小説。角田氏はやはりテーマ【家族】が上手い。必読。
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/04/18 12:56
心が伝わるサスペンス
投稿者:なこ(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は、’05年11月から読売新聞に連載された小説です。
連載前に新聞で紹介されていましたが、不倫相手の子供を誘拐
して逃亡する女の話ということで、さわりからして当時はどうも
暗くて重たそうな気がして、連載中は読みませんでした。
それが、このたびの単行本刊行にあたり、作者が’07年3月27日付
の読売新聞に寄稿されたものを読んで、久々に自ら本屋に足を
運んで購入し、一気に読んでしまいました。
角田さんが新聞に寄稿された中の最後にこう書かれています。
「人はみんな違う〜母になったとしてもならなかったとしても、
何かを持っていたとしても持っていなかったとしても、そんな
ことに左右されない強靭さを、私たちは持っているはずである。この小説を書くことでそういうことを考えたかったのだと、
ずいぶんたってから私は気づいた」と。私にはとても心にずしん
と響いた言葉でした。私も、何があっても根っこにある軸がぶれないような人でありたいと思っていますから。
物語は、作者が「スピード感を落とさないことを自分に課した」
というように、日付ごとに分けられた構成内容で、読むほうも
日付の感覚があいて次に進むと、まだ逃げられているんだ、と
妙に安堵する感覚を持たされ、作者の意図するところに見事に
はめられた感じです。
物語全般は、女性、母性といったことがメインテーマのような
気がします。でも母性には少なからず男性が関わっているし、
家族をはじめとした人と人とのつながりにも関わってくるもの
だと思います。主人公が奪った子の母親のように、子供を産んだ
からといって良き母親になれるわけでもない。父親になったから
といって妻以外の女性に興味が失せるとは限らない。
好きになった人に妻子がいても、相手が来れば拒めずに別れ
られない。主人公のように子供を産んでいなくても母性の
ようなものが生じることもある。
作者が寄稿の中でいうように、私たちはこういう環境ではきっと
こうなるはず、そうでなくては異常だ、という固定観念に
とらわれすぎではないでしょうか。
昨今やたらと叫ばれている格差社会という言葉もそう。
金銭的に平等で裕福であれば誰もが幸せになれるのは確固たる
事実なのか。
世界的にみても日本はかなり平均的に裕福な家庭が大半を占める
ことは周知のことだと思いますが、ならばなぜそういう家庭で
育った人による犯罪やトラブルが起きるのか。
つまるところ、人や物事を枠組みでとらえようとすると、本質
から反れる気がします。あるべきだと思い込んでいた枠組みから解放されたとき、何が見えてくるかは人それぞれでしょうが、「八日目の蝉」というタイトルのように、この本では物語に
おけるその何かがわかって、すがすがしい気持ちになります。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/09/21 17:43
これぞ、傑作。愛憎のレベルが半端じゃない。
投稿者:読み人(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書、爆笑問題の太田光さんが、推奨していたんだけれど、
(ちょっと前は、オルハン・パムクの「雪」を薦めていました。
読みたいと、思っていたので、、、ちょっぴり悔しい感じっす)
実は、ロバート・R・マキャモンがマインというこれまた母親が赤ん坊を連れて逃げる
話が、ありまして、エンタメの設定
(本当は、設定全然違いますが)
としては、二番煎じかなぁなんて
思った時期もあったのですが、なんと、本書、太田光推奨どおりの、めちゃ面白!!。
本書、大きく分けて、二部構成になっています。
一部目は、不倫相手の赤ん坊を奪い、逃げる女性が描かれます。
正に、手のかかる赤ん坊を連れての逃走劇が、サスペンスフルに描かれます。
逃走途中の立ち寄り場所も、リアルというか、切迫しているというか、、、。
そして、二部目は、時間もかなり経ち視点をがらりと、変えて描かれます。
(どう変わるかは、ネタバレになりそうなので、書きません)
こっちは、犯罪を逃走劇という視点でなく、心情面を中心にして描き、
この誘拐事件をより濃密に描いていきます。
簡単に分けると、疾走感ある一部、より掘り下げて心情を描く二部となるわけですが、
構成の上手さもあるのだけど、一部に比べると展開の遅い二部になっても、
全然ページを繰るスピードが遅くならない。
もっと知りたい、という気持ちにかられてページを捲ってしまいます。
又、心情というか、心理描写も本書の実はキーです。
不倫相手の全く血の繋がっていない子供をうまれてくるはずだった
我が子として誘拐するのもそうですが、この辺の、愛憎の激情の仕方、。
二部で描かれる、被害者夫婦の子供に対する、感情の高まり。
子供にぶつける気持ち、、。
兎に角、これらが、半端じゃありません。
愛憎っていいますが、愛情、憎悪この二つの感情が、絡み合って、
人物が描かれます。
角田さんって、不倫ものか、架空家族もの、また、擬似恋愛みたいな感じを
書いていた割と軽めの中間小説作家だと認識していましたが、
「ロック母」の父親を描いた作品、又「ロック母」自身ももそうだったのですが、
より、掘り下げて、人間を描くということに対してぺちゃぺちゃレベルアップしています。
ミステリ・ランキングに入れてもいいぐらい、面白い作品です。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/06/15 19:42
読後感がいいお話か、っていうと違います。現実を見せつけられたときの、なんとも遣る瀬無い気持ち、とでも言えばいいでしょうか。無論、そうであっても一気に読める面白さを持ってはいます
投稿者:みーちゃん(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
これをサスペンス、といわれると、違うんじゃあないか、って思います。無論、逃亡、っていうところがあって、そこだけ取り出して読めば、ハラハラドキドキしないとはいいません。でも、ここに描かれているのは、追われる女がそのときそのときに下す判断によって生まれる生活と、女、或は周囲の人々の心で、それをミステリ系列の謳い文句に括られると、違和感覚えるんですね。
全体は2章構成で、冒頭にプロローグとして0章がついています。今回は実際に手にされる方が抱くであろう意外性を重んじて、一章のさわりだけを紹介しておきます。
主人公は、私、野々宮希和子です。1955年生まれとありますから、事件が起きた1985年には30歳になっています。T女子大卒で学生時代は優等生で、大手下着メーカーK社に勤務します。そこで彼女は結婚している男に恋してしまいます。ま、恋、というほど熱烈なものかというと、どちらかというと「はずみ」みたいなものではあります。
その不倫の相手というのが四歳年上で高卒の秋山丈博です。勿論、K社勤務。二人の出会いは希和子が社内報で丈博のことを間違って記事にし、それを謝罪したことから始るというのですから、そこにドラマ性はありません。そのとき既に男は結婚していて、その相手というのが1953年生まれの津田恵津子です。
で、二人の間に生まれたのが恵理奈、後に希和子によって薫と名づけられることになる子供です。1985年、赤ん坊が出来て平穏な日々を暮らす丈博の家を窺う希和子の姿をみることができます。夫を送り出した妻の恵津子は、なぜか乳児を家においたまま外出をしてしまい、それが希和子に悪心を起こさせます。
家に忍び込んだ彼女は、生まれて間もない恵理奈を盗み出してしまうのです。未婚の彼女には妊娠の経験こそありますが、結局出産には至らず、当然、育児をしたことはありません。友人の子供の面倒をみたことはありますが、それ以上ではない。そんな女が愛人とはいえ他人の子供を奪って逃げる、ハラハラドキドキの逃避行がはじまります。これが第1章。
で第2章になると、え、って思います。何故かは読んでみてください。そしてラスト、私は思わず祈りました。吉田修一の『悪人』じゃあありませんが、被害者がいつでも正しいわけではありません。くだらない女と男が、本来のあるべき姿を捻じ曲げる。私はヘタレ男が大嫌いですが、丈博はまさにそれでしょう。恵津子だって同罪。
で、私はいま円朝の『真景累ヶ淵』を読んでいる最中なんですが、この話を連想するんです。
装画 水上多摩江(題字共)
装幀 坂川栄治+田中久子(坂川事務所)
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009/05/31 15:01
神と人間の戦い
投稿者:kumataro(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
八日目の蝉(せみ) 角田光代 中央公論新社
この作家さんの文章は苦手なのですが、「二十四の瞳」壺井榮著を再読し感動したわたしは、再読したその月に物語の舞台となった小豆島まで行き、その過程で、本作品の舞台に小豆島があることを知って、読んでみることにしました。
単行本のうしろのほうをめくると小豆島で見学した「岬の分教場」の保存会の文字があり安心して読み始めました。
野々宮貴和子さん(30才独身、不倫中)が、不倫相手男性夫婦のあかちゃん(生後6か月女児)を男性夫婦の自宅から連れ去って、その子を育てていく筋書きとなっています。以前同作者の「キッドナップ(誘拐のこと)・ツアー」を読んだことがあります。父親が実の娘を誘拐するものでした。同じく「誘拐」を扱った作品ですが両者の中身は異なります。
作者の体全体からほとばしるようにあふれてくるエネルギーで文章が書かれています。その全力感がわたしは苦手です。120%の力量で文章が続きます。わたしは、読み疲れます。本作品はそれに加えて暗い。野々宮貴和子さんは、怖い犯罪者です。彼女もその周囲にいる人たちも嘘つきばかりです。この素材は重い。最後まで読み終えることができるだろうかと不安になりました。
犯人の野々宮貴和子さんはどうなってもいいが、彼女が薫ちゃんと名づけたあかちゃんが心配だ。作者はこのあとどう展開させていくのか。どうしたら野々宮貴和子さんのような人間ができあがるのか。彼女は友人をだましても何の負い目ももっていない。彼女にはもう両親はいない。家族に恵まれない人に良心はないのか、いや、しかしと、自分のなかにある偏見と戦っている。
舞台は小豆島に移る前に、東京から名古屋に移りました。公園というのは鶴舞公園のことでしょう。そばに名古屋大学付属病院があります。その後、舞台は奈良県生駒市、続いて香川県小豆島と移っていきます。それは、ロード・ストーリーと呼ばれる記述手法で、「海辺のカフカ」村上春樹著で、四国の図書館で暮らすカフカ君と別の筋立てで四国へ向かうナカタさんの姿を思い起こさせてくれます。
野々宮さんの人格設定にアンバランス感があります。幼稚でいいかげんな行動がある面と知的レベルの高い話し方が混在しており、現実には、そのような人間はいません。また、誘拐された薫さんこと秋山恵理菜さんは、5歳までの記憶力が良すぎます。通常5歳ぐらいからの記憶が人には残っていると思います。されどそこは小説と割り切ることにしました。作者は犯人の野々宮さんにたくさんの嘘を喋らせます。オウム真理教とか、その他の宗教団体の共同生活が基礎にあります。読みながら作者の生い立ちを考えてしまいました。母子ふたりの生活は、月日が経つほど、年数が経つほど、不幸という固まりが少しずつ、しかし巨大にふくらんでいきます。恐ろしい。野々宮さんは不倫相手のこどもを誠実に育てていくけれど、それはありえないことです。わたしは、自分のこどものおむつ換えをしていたことがあります。自分のこどものうんちだから触れるけれど、他人のこどものうんちは触れないとそのとき思いました。
あの人に出会わなければ、わたしはこんなに不幸にならなかったということはあります。読み手はだんだんつらくなってくる。登場人物のひとりひとりが秘密をもっています。方言を否定されることは、人間の個性を否定することだと思います。そして、否定された人間は、否定した人間を深く憎み仕返しを企てます。
残りあと100ページぐらい。母子ふたりは最後に瀬戸内海で、入水自殺でもするのではなかろうかという予想が浮かぶ。
第2章に移ると記述方法が、がらりと変わる。何が起こったのだろう。読み手のわたしは、どうしたらいいのだという気持ちになりました。犯人、野々宮さんは幸(さち)薄い人です。作者の自叙伝を読んでいるようでもあります。生まれる場所や親を選択できないものだろうかとか、壊れた家族関係の発端をつくった不倫相手秋山丈博氏34歳に神の罰が下ったとか、男性とほとんど接触することなく大学生になる女性は今も確かに存在するとか、みんなと一緒の行動をすることが日本人の特性とか、親が離婚すれば、子も離婚する。離婚は親から子へ連鎖するとか、さまざまなことがらが頭の中を巡りました。
作者は何かの事件を取材したのだろうか。奈良県生駒ケーブル駅にはわたしも行ったことがあります。この本に登場するいくつかの舞台に行ったことがあるので、読みながら現地の風景が目に浮かび、物語なのに実体験のような気がしてきて、話に引き込まれていきます
岡山港から小豆島へ。この部分は、全体を読み終えたあと、再び読み直しました。瀬戸内海の風景記述は秀逸です。そのままの様子が現実です。わたしがフェリーからながめた瀬戸内海は、ものを映さない鏡でした。
ラストに近づくにつれて、心が痛くなり、感涙(かんるい)で目がにじみました。「回帰」でしょうか。生後6ヶ月で誘拐された薫こと秋山恵理菜さんは、誘拐犯人が付けた名前である宮田薫に戻った。読み終えて出たわたしの言葉は、「よかった」というものでした。
八日目の蝉(せみ)とは、蝉は長い年数を地中で過ごすが、地上に出ると7日目に死んでしまう。しかし、なかには8日目以降も生き延びる蝉もいる。本来なら死んでいたはずなのに、そのあとも生きていることは、幸か不幸かという問いに答えることが本書の主題です。偶然ですが、薫さんが誘拐された直後、薫さんの自宅で火災が発生しています。本来、薫さんは生後6か月で焼死していた人間です。それが誘拐されたことによって、8日目以降を生き延びることになった蝉にたとえてあるのです。
不倫で周囲のひとたちに迷惑をかけた男に神が火災でこどもを失うという罰を与えようとしたところ、不倫相手の女が誘拐という手段でこどもの命を救った。神は怒って、誘拐した女と誘拐されたこどもに罰を与えた。人間が人間に罰を与える必要はない。神が与える。だから犯罪を起こしてはいけないし、起こす必要もない、というところまで読み込みました
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2012/05/17 18:08
生きていくことに正しいということはないかもしれない
投稿者:夏の雨(男性|50代) - この投稿者のレビュー一覧を見る
不倫相手に生まれた生後間もない赤ん坊を誘拐し、実の母として4歳まで育て上げた希和子の姿を通して、母性とはいかなるものかを問うた問題作。
2005年秋から2006年夏にかけて新聞に連載され、その後単行本化ののち、TVドラマ化映画化と歳月を重ねる毎に読まれつづけている作品である。
何故、それほどまでにこの作品が人気を集めたのか。
それは、単に母性の問題ではなく、生きていく意味を問いかけたものだったからのような気がする。
そのことは題名の「八日目の蝉」によくあらわされている。
作品の中で「八日目の蝉」は、ほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから、見たくないって思うかもしれないけど、でも、ぎゅっと目を閉じてなくちゃいけないほどにひどいものばかりでもないと思う」という文章があるが、警察に追い詰めれもさらに誘拐した子供と逃げたいと願う希和子は娘薫に「見られなかったもの」を見せようとしたのだ。
また、薫(本名は恵理菜で、本作の2章は成長した彼女が主人公となっている)が希和子と同じように不倫相手の子供を産むことを決める時にも、自分がみたものや見ないものも含めて「おなかにいるだれかに見せる義務がある」と感じるのも、まるで希和子の感情と同じだろう。
それは単に母性ではない。人には等しく「きれいなものぜんぶ」を見る権利がある。まさに生き方の問題だ。
常に前に前にと歩く生き方の問題だろう。
もちろん見方によっては希和子のした行為は肯定できない。彼女が罪を犯さなければ、恵理菜たち家族もまた違った生活を送っただろう。希和子は幼い子供にまったく違う世界を見せたが、ある意味、家族という世界を奪ったのも事実だ。
あるいは、成長した薫が父親のいない子供を産もうという決意も、実は正しくない選択なのかもしれない。
生きていくことに、これが正しいということはない。
生きていくということは常に何かをつかみながら、何かを捨て去っているということだ。
希和子という人生、薫のこれからの生き方がそれをしめしているような気がする。
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2007/05/05 11:56
どうしようもなく角田光代的でありながら、遥かに進化した作品
投稿者:katu(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
『対岸の彼女』を読んだ時に、もうしばらく角田光代の本を読むのはよそうと思った。どの本を読んでも内容が似たり寄ったりだからだ。直木賞受賞後、次から次へと新作が発表されたが、触手が動かされることなく2年が過ぎた。そして本作の「不倫相手の夫婦の赤ちゃんを誘拐して逃亡する話」というあらすじを知って、ようやく読む気が起きた。
あらすじを知った時に思い出したのは桐野夏生だ。ちょうど今『メタボラ』も刊行されているが、どちらも新聞小説で、どちらも名前を変えて逃げながら転々とする話である。海が近い土地が主舞台になっているのも似ている。もっとも『メタボラ』の方は主人公が記憶喪失であるという点が違っているけれども。
「逃亡劇」というのは新聞小説にはうってつけだっただろう。単行本で読んでも、主人公の野々宮希和子が薫と名づけた子供とともに首尾よく逃げおおせることが出来るのかハラハラした。そして、子を持つ親としては読んでいて胸が苦しくて苦しくて仕方なかった。それは子供を誘拐されてしまった親の気持ちになったからではなく、希和子の「どうか一日でも長く薫と一緒にいさせて」という祈りにも似た願いに胸が苦しくなったのだ。
ラストで希和子が逃亡中の小さな出来事を思い返すシーンがある。その時に、希和子と薫との日々が本の中のエピソードなのにまるで自分の記憶の断片のように頭に焼き付いていることに気付いて愕然とした。そしてそのエピソードの1つ1つを思い出していくと涙がこぼれそうになった。
私は『対岸の彼女』を読んだ時に、今後は「自分の体験とは遠く離れた、まったくの作り話としての小説を書けるようになって欲しい」と願った。角田光代はそれを見事に具現して見せてくれた。しかし、この本は桐野夏生の書くようなサスペンスではない。角田光代が主戦場とする「家族」の話である。逃亡先である、名古屋でも奈良でも小豆島でもかたちを変えて家族とは何なのかを問い掛けてくる。
どうしようもなく角田光代的でありながら、『対岸の彼女』からは遥かに進化した作品がここにはある。
k@tu hatena blog
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2008/05/08 16:15
「事件の後」も、人は生きてゆく。
投稿者:YO-SHI(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
人気作家の長編サスペンスで、2008年の本屋大賞の第6位。本屋大賞と私とは相性が良いらしく、読んでみた受賞作にハズレがほとんどない。だから期待して読んだ。
グイグイと引っ張っていく展開はさすが。構成が巧みだし、何より着眼点がとても斬新だと思う。
しかし、この物語が投げかけるテーマというか、私に問いかけてくる問題にうまく答えられない。「う~ん」と考え込んでしまった。
物語は、主人公の女性、希和子が不倫相手の6か月の子供を、思わず連れ去る場面から唐突に始まる。そして、友人の家などを転々として、恐らくは自分に迫っているであろう捜査の手から逃れる。連れてきた赤ん坊を自分の子供として育てながらの、この逃亡生活は3年半にも及ぶ。
この逃亡記だけでも、十分に小説として成り立つ。様々な場所で様々な人々と出会い、やっと落ち着けると思ったころに、そこでの生活をいきなり断ち切って逃げる。犯罪者には安寧な生活はない。しかし、連れ去った子どもとの絆は確実に深まっていく。どうでしょう?テレビドラマの原作にぴったりではないでしょうか?
読んでいて、「あぁ、逃げて逃げて逃げる話ね」「(自分の子ではない)子どもを愛情を注いで育てる所が、犯罪者なのに共感を得るんだな」なんて思っていた。元は新聞小説だというから、毎日少しずづ読み進める新聞の読者は、逃亡生活の行方が気になりながら読んでいたと思う。
ところが、逃亡生活に終わりの時が来たのに、本書は140ページも残っている。どうも後日談らしい。ちょっと長すぎるんじゃないの?そう思った。
でも、そうではありませんでした。この140ページが本書の核心なんです。私が斬新な着眼点だと思ったところであり、「子どもにとって、幸せな家族とは何なのでしょう?」という、答えられない問題を問いかけてきた部分でした。
「事件」ばかりが架空の世界では物語になり、現実の世界ではニュースになります。しかし人々は「事件の後」も、生きている限り生活をしているのです。他の仲間が7日間で地上での命を全うした後に、1匹だけ8日目を生きて迎えてしまった蝉のように、孤独で不安定な生を過ごしているのかもしれないのです。







