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紙の本
魂の旅地球交響曲第三番 (角川ソフィア文庫)
著者 龍村 仁 (著)
『地球交響曲第三番』撮影開始直前、新しい神話を探す旅に出る約束をした出演予定者、星野道夫の訃報が届く。「見えない星野を撮る」と決め、アラスカ、ハワイ、北海道へとワタリガラ...
魂の旅地球交響曲第三番 (角川ソフィア文庫)
魂の旅 地球交響曲第三番
05/02まで通常616円
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商品説明
『地球交響曲第三番』撮影開始直前、新しい神話を探す旅に出る約束をした出演予定者、星野道夫の訃報が届く。「見えない星野を撮る」と決め、アラスカ、ハワイ、北海道へとワタリガラス神話に導かれて旅をする龍村は、星野の運命的友人達と出会う。神話の語り部ボブ・サム、宇宙物理学の巨星F・ダイソン、古代カヌーで五千キロ航海を成し遂げたN・トンプソン—。数々の“偶然の一致”が告げる「大いなる命の繋がり」とは。【「BOOK」データベースの商品解説】
〔「地球交響曲第三番魂の旅」(角川書店 2003年刊)の改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
ドキュメンタリー映画『地球交響曲第三番』の撮影開始直前、出演予定者の写真家、星野道夫の訃報が届く。「見えない星野を撮る」ことを決意し、アラスカ、ハワイ、北海道へとワタリガラス神話に導かれて旅をする龍村は、星野の運命的友人達と出会う。神話の語り部ボブ・サム、宇宙物理学の巨星F・ダイソン、古代カヌーで5000キロの航海を成し遂げたN・トンプソン──。数々の“偶然の一致”が告げる「大いなる命の繋がり」とは。【商品解説】
目次
- まえがき
- 1
- 火より孵化ぃる
- 死の報せ
- 朝の光の中で
- フリーマン・ダイソンの目
- 死は黄金色をしている
- 男の子宮
- 赤い実を食べる
著者紹介
龍村 仁
- 略歴
- 映画監督。1940年生。京都大学文学部卒業後、NHK入社。同社退職後、ドキュメンタリーなど多くの作品を手がけ、92年、映画『地球交響曲』で絶賛を博す。以来「第一」~「第五」番の自主上映会が全国で続いており、2007年春には『地球交響曲 第六番』が全国各地で公開予定。
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紙の本
「地球はそれ自体が大きな生命体である」
2008/09/27 14:00
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る
9月の初め、『ガイアシンフォニー』の監督龍村仁さんの講演会で龍村仁著『魂の旅 地球交響曲第三番』の本に出合いました。その出合いは本書に書かれている“偶然の一致”のような出合いでした。それは夏の雨さんの書評『星野道夫と見た風景』を読んで、星野道夫さんに興味を持ちました。星野道夫さんの文と写真は自然と融合している静けさがあります。そして偶然に聴いた講演会で第三番の出演者であったはずの星野道夫さんの突然の死によって、第三番は星野道夫の魂と旅を続けて完成された映画であること、魂の旅は続いていて第三番はまだ終わっていないことを龍村さんはお話されました。会場を出たらそこにはカバー写真に星野道夫さんが撮った白熊の親子が写っていた本があったのです。その本を手にして胸が高鳴りました。
本書では星野道夫さんが熊に襲われてロシアのカムチャッカで亡くなったことについて触れています。『「熊」は彼にとって、自分を生かしめている地球の大いなる生命のシンボルだったのだ。「熊」すなわち「地球の大いなる生命」への畏怖を忘れないために、彼は銃を持たなかった。そして、フト気付いた時にはすでに巨大な熊に抱かれてしまっていたのだ』(33頁)本書は星野道夫の見えない“魂”がさまざまなかたちで“偶然の一致”が“必然の一致”となって映画が完成したことが語られています。星野道夫さんの生前最後のエッセイ集『旅をする木』に書かれているワスレナグサの話、クリンギットインディアンの神話の語り部、ボブ・サムの『ワタリガラスの神話』の話、龍村さんとボブ・サムが三内丸山遺跡を訪ねる話のすべては「地球はそれ自体が大きな生命体である」(ガイア理論)に繋がります。
あとがきに、人生とは、なにかを計画している時に起こってしまう“別の出来事”のことをいう。“予期せぬ出来事”に出会った時、最初に壊れてゆくのは、それまで自分が持っていた“価値観”であること。その“価値観”は“幻”に過ぎないこと。自分が生きていることの本当の意味は、自分が大きな生命体の繋がりの中に生かされていること、そのものの中にあることがわかってくる、と書いています。人類は地球の一部であること、生かされていること、地球に恩恵を受けていることを知りました。人類が地球にできることを考えていかなければならないと思いました。
私はこれからきっとどこかの上映会で「地球交響曲第三番」を観ることになると確信しました。
紙の本
返信 -わたしはあなたを忘れない
2008/10/13 17:34
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
書評とは単にその本や作品を評するだけのものではなく、作者や未知の読み手へのメッセージのような側面ももっている。そして、時にそれは思いもかけない返信となって書き手に届く。先に私が書いた「アイのある風景」という『星野道夫と見た風景』の書評に対して、<サムシングブルー>さんが書いた龍村仁氏の「魂の旅 地球交響曲第三番」という本の書評がそれだったように思っている。
龍村氏の「魂の旅 地球交響曲第三番」は自身が監督された同名の映画ができあがるまでのメイキングストーリーだが、実は<サムシングブルー>さんの書評を読むまで、故星野道夫につながる映画があることは全く知らなかった。もし、あの書評を読まなかったら、龍村氏のこの本にもたどりつくこともなかったし、そうすれば星野道夫が龍村氏と映画を作ろうとした事実も知らなかったし、まして星野が青森の三内丸山遺跡を訪れようとしていたことも知らなかったにちがいない。
本来龍村氏が撮ろうとした「地球交響曲第三番」は星野道夫が核となって描かれるはずの作品だった。しかし、星野の突然の死がすべての撮影計画を白紙にした。「見えない星野道夫を撮る」「聞こえない星野道夫の声を聞く」ことを決意することから撮影が始める。そうしたことすべてを含めて、龍村氏は<偶然の一致>がやがて<必然の一致>となっていく過程を描いていく。それはやや神がかり的であるかもしれないが、人智を超えたそういう感覚を否定しないこともまた、星野道夫がいいたかった世界のような気がする。
そんな<偶然>が私にもある。私はこの春の終わりに仕事を辞めたのだが、その仕事を辞める直前に行ったのが青森の三内丸山遺跡だった。もちろん星野道夫が行きたいと願った場所であることは知らなかった。その日はすこぶる天気のいい日で、あたり一面たんぽぽの綿毛に覆われていた。それはまるで縄文につながる悠久の時間がゆっくりと流れているようだった。そして、今想う。その三内丸山から星野道夫がいたアラスカまでは一本の道が続いているのかと。いや、空間だけでなく、縄文人から現代に続く、時間さえもが一本の糸でつながっているのではないかと。
<偶然>がつづく。本書で龍村氏は星野道夫が追い続けたワタリガラスと神武天皇のヤタガラスの神話の関係性について想像を馳せているのだが、ちょうどこの本を読んでいる時、庄内の出羽三山の導いた霊鳥も同じようにヤタガラスということを知った。
そう、すべてが<偶然>である。私の一篇の書評が<サムシングブルー>さんの書評につながり、星野道夫がめざした三内丸山遺跡の地を訪れ、星野道夫が追い続けたワタリガラスの神話の何かにつながる。<偶然>かもしれないが、大きな意味でそれは<必然>なのかもしれない。
星野道夫の『旅をする木』に収められた「ワスレナグサ」という文章の中にこんな一節がある。「あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかに感じていたい」。私の<偶然>は星野がいう<もうひとつの時間>かもしれないし、その時間はやがて本流とひとつにつながるかもしれない。それを感じることの大切さという星野道夫のメッセージを大事にしたいと思う。「わたしはあなたを忘れない」という返信を書くようにして。