紙の本
フリと本当
2022/04/18 14:46
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に好きなのに、好きな人のフリをする設定、女性向けコミックで割とよく見かける。フリなのに、本当という設定がロマンチックなのは、実際の生活では、好きでもない人に好意があるかの如くふるまわなくてはならないことの方が多いからだと思う。好意の受け手は本当であってほしいと(または本当だと)思っているんだよね。「世界はひとつの舞台」のセリフを言わせるためにこの戯曲が書かれたんじゃないかという気がした。
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オーランドーは父亡き後、兄にひどい扱いを受け、家を出てアーデンの森で暮らすことにした。そこには、弟に追放された前公爵もいた。前公爵の娘ロザリンドと現公爵の娘シーリアも兄妹として変装してアーデンの森へと向かう。ロザリンドに恋するオーランドーは、ロザリンドが男装したギャニミートに、本人とは知らないまま、恋の手ほどきを受ける。
大学の講義で蜷川幸雄演出、成宮寛貴 小栗旬主演の演劇DVDを鑑賞。台本となったのが、松岡和子訳。わかりやすい現代語に翻訳されている。脚注も理解を助けてくれる。でも、やっぱり役者の動きがあった方がわかりやすい。
Shakespeareの作品らしく、下ネタも含意するセリフに人生教訓がたくさんつまっている。
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シェイクスピアの喜劇。
お気に召すままというのはエピローグのセリフに由来するものだろうか。
喜劇だけあって、出てくる登場人物はみなすべてどこかおかしい。
いつか舞台で見てみたいものだなぁ。
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久しぶりのシェイクスピア。
やっぱり劇を見たい。
タイトルは登場人物たちと観客におけるダブルミーニングだと思う。
第三幕 第二場でオーランドとロザリンドが再会した場面でのロザリンドの
「時の歩みはそれぞれ人によって違うんですよ。」
という言葉が印象的だった。
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ロザリンドの二役。同じ言葉を繰り返して印象を高める手法、タッチストーンに対するロザリンドの言葉使いが印象的。ただ、から騒ぎなどとストーリーが混ざりがちで、やっぱり4大悲劇と比べるとインパクトは弱い。
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台本形式の書かれ方だったけど、読んでるうちに自然と引き込まれた。すっごいハッピーエンドなお話でビックリ!これはやっぱりお芝居で見てみたいから、来年の公演が楽しみ
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ドタバタの恋愛喜劇。言葉遊びや神話の抜粋が随所に散りばめられていて、教養を深めて原文でスラスラ読めたら絶対もっと楽しめるなぁ…と思ったので原文を読めるように勉強頑張りたいと思います
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お気に召すまま−シェイクスピア全集 15 (15)
(和書)2009年09月28日 15:28
2007 筑摩書房 シェイクスピア, 松岡 和子
「お気に召すまま」は福田恒存翻訳で読んだことがあった。
ロザリンドの男装がなかなか素敵ですね。
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複雑なジェンダーの仕掛け、
有名な台詞、密度の濃くなっていく反復や掛け合い等、
ポイントが多く読み応えがある作品。
訳者あとがきに挙げられた反復や掛け合いの台詞読後全て確認。
ほとんどが読めば思い出せるもので、
舞台映えしそうだと感じた。
この部分だけでも他の訳や原文が読みたいと思った。
追放された兄弟、男装するヒロイン等
おなじみのモチーフの数々は実家のような安心感。
シーリアのお相手は誰になるのだろう?と読み進めていたら
まさかの人物で笑ってしまう。これはずるい(笑)
男装する前からジェンダーの垣根を越えるように
生き生きとしているロザリンドが大好き。
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ちくま文庫版シェイクスピア全集第15巻。それぞれ事情のある男女たちがアーデンの森の中で繰り広げる恋愛喜劇。
シリアスな事情でアーデンの森に逃げ込んでくる若い貴族の男女と、もともと森に住むカップル未満の男女。男装するヒロインが彼らを煙に巻き、冒頭のシリアスさはどこへやら、スラップスティック・コメディ的な楽しさを提供してくれる。会話劇の面白さや、名言・名文句などの魅力が大きく、シェイクスピア作品の中でも原文で読むか舞台で楽しむということの意味合いがより強いタイトルに感じた。とはいえ、本訳はわかりやすい訳注もあるので楽しんで読めた。「この世界すべてが一つの舞台、人はみな男も女も役者にすぎない。……」というジェイクイズの有名な台詞を読むためだけでも手に取る価値がある一冊。
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「この世界すべてが一つの舞台」の名台詞で知られる喜劇。こんな話だったのか。
最初は不穏な感じで始まるけど、ロザリンドとシーリアがアーデンの森に入ってからは、完全に恋愛喜劇だった。
皮肉っぽいジョークや歌が多く、演劇で見たら楽しそうだなあと思った。
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「ド・ボイス家の末弟オーランドーは、長兄オリヴァーから逃がれ、アーデンの森に入る。オーランドーに一目惚れした前公爵の娘ロザリンドも、従姉妹のシーリアとともにアーデンの森へ向かう。男装し、羊飼いとして暮らすロザリンドを本人とは気づかず、オーランドーは恋の告白の練習をするが-。アーデンの森を舞台に数組の男女が繰り広げる恋愛喜劇。」
●『お気に召すまま』には、いろいろな男女が出てきます。森に住むのは、山賊のようなかっこうをした前公爵たちや、男装して羊飼いに身をやつした前公爵の娘ロザリンドなど。人はそれぞれの役割を演じていて、この世界はすべてが一つの舞台だ、と旅人のジェイクイズは意味深なことをいいます。
ーみなさんも、現実のいやなことで頭がいっぱいになったとき、「これは舞台の上の一つの出来事だ。自分は今、子どもという役を演じているんだ」とか「生徒という役を演じているんだ」と思うといいでしょう。そうやって自分を外側から眺めてみると、落ち着くことができます。
☆その発想とてもいい!プレゼンや人の前に立つ時とかも、つらいことがあって乗り切らないといけないときも、周りに合わせてやりたくないことをやっている時も、自分は舞台の上で今この役をこなしていると思えば乗り切れるような気がするし楽しめると思う。いいパフォーマンスもできる。
●古代ギリシャの哲学者ソクラテスも、「自分は何もわかっていないとわかるのが知恵である」と言っています。「無知の知」ですね。自分がまだまだ足りないということを自覚している人こそが賢者である、とこの物語は教えてくれます。
(齋藤孝『こどもシェイクスピア」第9章お気に召すまま より)
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アーデンの森で喜劇的なイベントが起こるこの感じは「夏の夜の夢」と似ているし、女性が男装をして思い人(パートナー)をだますという仕組みは「ヴェニスの商人」に似ている。
これらはすべて私が大好きな作品だ。そして本書「お気に召すまま」もその中に加えられた。シェイクスピアの戯曲なら悲劇より断然喜劇。二人の男女の恋愛がうまくいく過程が幸せすぎて顔がにやけてしまうのだ。
「ハッピーエンドよりもバッドエンドが好き」という人は死ぬほど見かけるが、本当か?もちろん私も余韻があったり、考察の余地が多いモヤモヤさせる作品は好きだが、この発言毎回気になってしまう。確かにバッドエンドものは劇的展開が多く、ストーリー構成が美しかったり、緻密な芸術性があり、「伏線回収がある美しい漫才」を好む人なんかは例外なく好きなジャンルであろう。
しかし、ハッピーエンドものを軽視するのは、単にあなたの読書量がまだまだ足りていなくて、質のいいハッピーエンドものにまだ触れていないだけではないのか?と思わずにはいられない。感性は人それぞれであるから、否定しようとしているわけではないのだが、「シェイクスピアの喜劇を読んでも同じことが言えるのか?一回読んでみろ!」と言いたくなる(笑)
つまり私は「ハッピーエンドもバッドエンドもどっちも好き。序列はつけられない」と答えるということだ。
また、pp.83-84にかけて、「この世界すべてが一つの世界、人はみな男も女も役者にすぎない」という一説があった。個人的にこの一節いいなと思ってフレーズ追加したところ、読み終わってネットの情報を漁ると、このフレーズ、つまり “All the world’s a stage. All men and women merely players”は有名な一説であることがわかって嬉しかった。
「お気に召すまま」が何を指しているのかは是非実際に読んで感じてほしい。よい読書体験だった。