紙の本
真実の書
2003/06/25 05:20
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
エミールは思春期を過ぎた。次に待っている事、それは異性との出会いだ。本書を書くに当たって、ルソーにとって、エミールは架空の理想的子供であったろう。それと同じく、ルソーにとって理想的な架空の女性、ソフィーを登場させる。ソフィーと聞けば、映画好きの私は、「ソフィーの世界」を思い出す。「ソフィーの世界」の監督は、「エミール」を意識していただろうか?
ルソーは、ソフィーを通じて、ルソーにとって理想の女性像を描く。その中で、珍しく私は、ルソーと意見を異にした。「それらの若い女性は、ひとたび結婚すると、もう公衆のまえに姿を見せることは無かった。家に閉じこもって、家事と家族の世話にかかりきっていた。これこそ自然と理性が女性に命じている生き方なのだ」と断言する。私は、この意見に真っ向から反対する。女性は結婚したとしても、社会と係りを持つべきだし、決して家庭に閉じこもるのが女性の姿だとは思わない。ルソーの意見は、ルソーの時代の時代背景があったかも知れない。ルソーが現代に生きていたら決して、このような理想は持たないと確信する。
ルソーが育てたエミールに理想の人間像を描写している。「私のエミールを見ていただきたい。二十歳をすぎたエミールは、申し分なくできあがっている。精神も肉体も申し分なくつくられている。強壮で、健康で、活発で、器用で、頑丈で、豊かな感性、理性、善良さ、人間愛にあふれ、正しい品行、よい趣味をもち、美しいものを好み、よいことを行ない、残酷な情念の支配からまぬがれ、世論の束縛にとらえられないで、知恵の掟を守り、友情の声に従い、あらゆる有益な才能と、いくつかの人を喜ばせる才能をもち、富にはほとんど関心をもたず、自分の腕の末端に生活の手段をもち、どんなことがあっても、パンにことかく心配はない」。この理想の人間像を読んだ時、私は、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を思い出した。正に、宮沢賢治の理想とルソーの理想は一致していると思った。
人生の綾にも言及している。「十歳のときにお菓子に、二十歳のときには愛人に、三十歳のときには快楽に、四十歳のときには野心に、五十歳のときには利欲に引っ張り回される。人間がひたすら知恵をもとめるのはいつのことか」。私が知恵を求めるようになったのは、36歳の夏の悟りを感じた時からだ。
国家論として興味深い記述がある。「一般に民主政は小国に、貴族政は中位の国に、君主政は大国に適当であると結論しよう」。現在における、アメリカは民主政ではあるが、大国である。ルソーの認識は間違っていたのであろうか? ある意味、アメリカは大統領を中心とした君主政と言える面もあると思う。この意味でルソーの認識は間違っていないような気もする。
理想の子供のエミールは、ルソーにとって理想の女性のソフィーと結婚する。そして、「エミール」の結びとして、エミールに報告させる。「先生、あなたの子を祝福して下さい。あなたの子はまもなく父親になろうとしているのです。ああ、わたしたちは、熱意をこめて、重大な仕事をしなければならなくなる」。そうである。一人の人間にとって、一人の人間を教育し、育てる事、それは、唯一、最大の仕事なのである。その意味において、私には、その仕事が与えられなかった。これも私の運命なのだろう。
付録として、ルソーの性格をありのままに描き、一切の行動のほんとうの動機を語った「マルゼルブ院長あての四通の手紙」が掲載されていた。感想として、私の感じる事と意を同じくする記述が多々あった。夜明け前に目を覚まし、夜明けを感謝し、自然の姿に感激する。私の目に飛び込んでくる全ての自然の風景、人間との係り、それらが全て感謝の対象である。
200年前の思想家の考えに触れ、今の自分の幸福の意味の理解を深めたという感想である。
紙の本
小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典の下巻です!
2016/08/29 09:27
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ルソーが思索してきた教育論がまとめられています。自然と社会との対立や、自然の優位について彼がその処女論文「学問芸術論」以来、一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作です。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育も加えて、小説形式で述べた教育思想の史上不朽の古典です。ぜひ、最後まで読んでいただきたい作品です。
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自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。
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良き教育のあり方っていうのは時代によって違うってのはわかってるんだけれども、結局は嫉妬なのでしょうか。
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ほぼ3年?越しになった『エミール』下巻(第5編+付録「マルゼルブ」への手紙)。
上巻は、エミールの主題であり、最も有名な部分である自然教育について。幼児期から少年期のエミールへの接し方が事細かに示されていた。
理想状態でしかないとは思いますが、結構感動したような。
中は、社交界の風俗(特に男女間の乱れ)への批判ばかりで、
正直、面白くなかった記憶があります。
中の最後はパリを出て嫁捜しに旅立つところで終っていたはずですが、
下巻は、実際に嫁(ソフィーね。)を見つけに行くには、どのように旅すべきかという心得から始まり、
「理想の女性像」であるソフィーが、どのような家で、いかな性格に育て上げられているべきかが延々延べられるのが前半。
そしてエミールとソフィーの出会いの部分だけ読むと、ハーレクインも真っ青な。。
小説調で、恋愛に関しても理想を述べられるので。
ルソーの女性観×恋愛観が詰め込まれている感じ。
****
余談ですが、エミールはソフィーとの恋愛中、農家でおやつ時の歓待を受けるのですが、
「エミールは御婦人方の好きなほうにまわって、ソフィーのさじがすくった皿のクリームをそっととろうとたえずねらっている。」231P
という一節があるんですね。
(まだ読んでないけど)『告白』のなかで、ルソーはド・ヴァラン夫人との恋を振り返った一節で、
「ある日テーブルについていたときのこと、あのひとが食べ物を一切れ口に運んだとたんに、私は、髪の毛がついていますよと叫んだ。
あのひとがそのひと口をお皿に戻すと、私はそれをつかんで、飲み込んでしまった。」
とういうところがあるんです。
(ちなみに、上の文章は孫引き。ジョナサン・カラーの『文学理論』で、
カラーは、これをデリダの「補遺の論理」の説明に引用します。
現前する夫人だけでは満足できなくて、代用品(記号)が必要になるっていう。
なんのこっちゃ。。。
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あまり巧くまとまらない。
ただ、ルソーの(理想の)女性観に、説得力を感じてしまう・・・
全面的な肯定は、当然のことながらできません。
女性に男性と同等の教育は必要ないとか、自然の観察(自然科学みたいな)に女性は本性として向かないとか。(私は好かなかったけどw)
(あ、あと文学談義する女はダメだ、みたいなのもあったわww)
特にルソーは、エミールに対し自然教育を施すことを望んだ際と同様、
男性/女性本来の「自然」に適した教育を探求する。
だからこそ、「女性本来は・・・」みたいな書き方に、カチンとくるところもあるのだけれど。
女性全般に対し、彼の言うところの女性の本性、自然が当てはまるとは思わない。
でも、自分自身の性格(アイデンティティというの?)に当てはまると感じた部分について、
それへの教育論、その上での男性(つまりエミール)との接し方を述べられると、
すごく説得されてしまうところがある。
つまり真摯なんですね。
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自分の国に負い目を感じない有徳な人間がどこにいるだろう。
それがどんな国だろうと、人間にとってなによりも大切なもの、その公道の道徳性と美徳にたいする愛を、かれはその国からうけているのだ。
どこかの森の奥に生れていたとしたら、かれはもっと幸福に、もっと自由に暮らしていられたかもしれない。
しかし、なにものとも戦う必要を感じずに自分の傾向に従っていられるかれは、よき者であってもなんの功績ももたないことになったろう。
有徳な人間にはなれなかったろう。
ところがいまかれは、自分の情念を克服して、有徳な人間になれるのだ。
秩序の見せ掛けでもかれにその秩序を認識っせ、好ませることになる。
公共の福祉は、ほかのすべての者にとっては口実として役立つだけだが、かれにとっては現実の動機になる。
かれは自分と戦い、自分を征服し、自分の利益を共同の利益のために犠牲にすることを学ぶ。かれは法律からなんの利益も得ていないというのは正しくない。
法律は、悪い人間にあいだにあってさえ正しい人としてふるまう勇気をかれにあたえている。
法律はかれを自由にしてはくれなかったというのは正しくない。
法律はかれに自分を支配することを教えたのだ。(334)
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ただ欠陥があるとすれば。
この教育はあまりにも清く正しすぎて。そしてルソー自身が孤独を好みすぎて。
いまの時代にあっては、どこにも行き着かない気がするのです。
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とにかく、わたしの力でできるかぎり、自分のために働きながら、わたしは、自分の能力に応じて、社会のためにできることをすべてしてきました。
わたしは、社会のためにわずかなことしかしなかったにしても、もっとわずかなものしか社会にもとめませんでしたから、わたしがおかれた状態にあって、社会にたいする責任を十分にはたしていると強い自邸増すので・・・」(406『マルゼルブへの手紙』)
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満ち足りている時代は、つまり、彼の理屈の上では、孤独であることの楽しみを許される時代にあるわけですから。
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内容(「BOOK」データベースより)
自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。
目次
第五編
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生涯に一度は読んでおきたい・・・と、読後にこそ思った。
三巻は教育論というより、人生論のような。
部分的には楽しめて、部分的にはくどく感じた。
それでも、ツン読の多いことも理解できる。
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この巻まで進むともう教育論と言うよりは人生論と言った感じに見えてくる。教育と言ってもエミールはもう恋愛を超えて結婚しようかと言ったところまで来ている。しかしながらここまで来ても、やはりエミールは「エミールの子供」に対する教育の指針を教育されることを必要とする。教育と考えると疑問を抱くけれど、人は常に勉強をしなければならないと言う方向から考えれば何となく分かるだろうか。
この巻の前半から中頃にかけて、ソフィーという女性を通して女性論・恋愛論・結婚論が展開されていたが、現代の視点からだからだろうか、非常に疑問に思われるものが多かった。実際に女性がこの本のこの辺りの記述を読んでどう思うのだろうかという疑問も抱いた。
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恋と生活、エミールの結婚までの道のり。この間が一番面白く読めた。でも、ルソーの考え方に違和感もあります。
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烏兎の庭 庭師 1991年1月
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/rousseauy.html
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エミール、上、中、下と改めて纏めたが、
「下」が、賛同という意味ではなく、
ルソーの個性がとても色濃く出ているので、特に楽しめた。
本から
・プラトンは「国家篇」の中で、女にも男と同じ訓練をさせている。
・肉体はいわば魂に先だって生まれるのだから、最初の教養は
肉体についての教養でなければいけない。この順序は男女に
共通である。しかし、その教養の目的は違う。一方においては
その目的は体力を発達させることであり、他方におていは魅力を
育てることである。もっともこの二つの力はそれぞれの性に
排他的にあるわけではなく、ただ順位が逆になっている。
女性は何をするにしても優美に見えるように十分の力を必要と
する。男性は何をするにしてもやすやすと出来るように十分の
器用さを必要とする。
・服従は女性にとって自然の状態。
・女性の基本的な、そして最も大切な美点は、やさしくするという
ことだ。男性という不完全な存在、しばしば多くの不徳をもち、
いつも欠点だらけの存在に服従するように生まれついている
女性は、正しくないことにさえ我慢をし、夫が悪い時でも不平を
言わずに堪え忍ぶことご早くから学ばなければならない。
・男も女も自分の性にふさわしい調子をもち続けなければならない。
やさしすぎる夫は妻をなまいきな女にすることがある。
・男性は話をするには知識を必要とし、女性は趣味を必要と
する。一方は役に立つことを、他方は楽しませることを主な
目的とすべきだ。双方の話は真実性ということの他には
共通の形をもつべきではない。
・それぞれが相手の衝動に従っている。それぞれが服従しながら
両者とも主人なのだ。
・実例を示さなければ子供に対しては絶対なにごとも成功しない。
・あらゆる罠の中で一番危険なのは、理性も避けることの出来ない
ただ一つの罠は、官能のしかける罠だ。
・あらゆることで中庸を望むがいい。美しさということさえ、その
例外ではない。感じがよくて、人好きのする姿、恋を感じさせは
しないが、好意をもたせる姿、そういう姿の人を選ぶべきだ。
・人生は短い、と人々は言っているが、私の見るところでは、
人々は人生を短くしようと努力しているのだ。人生を利用
することを知らないで、彼らは時がたちまち過ぎ去ることを
嘆いているが、私の見るところでは、時は彼らの意に反して、
まりにもゆっくり過ぎていくのだ。めざす目的のことばかり
考えている彼らは、自分達とその目的とをへだてている間隔を
恨めしく思っているある者は明日になればと思い、ある者は
ひと月たてばと思い、またある者は、今から10年たてば、と
思っている。だれひとり今日を生きようとはしない。だれひとり
現在に満足しないで、みんな現在の過ぎ去るのがひどく
遅いと感じている。時はあまりにも速く流れていくと嘆く時、
彼らはうそをついているのだ。彼らは時の流れを早める力を
喜んでもらいたいのだ。彼らの一生を無駄にすることに喜んで
彼らの財産を使いたいのだ。
・人生の無常を考え、特に現在を未来の犠牲にする間違った
思慮を避けることにしよう。それはしばしば現在あるものを
将来もありえないもののために犠牲にすることになる。
全ての時期において、人間を幸福にしてやろうではないか。
・男性よ、君の伴侶を愛するのだ。きみの労苦をいたわるために
きみの苦しみをやわらげるために、神はきみに伴侶を与えて
いるのだ。これが女なのだ。
・人間はその願望のために無数のものに執着しているが、
人間そのものはなにものにも、自分の生命にさえも、固く
結びついているわけではない。人間は一層多くの愛着をもてば、
一層多くの苦しみを招く。全ては地上を過ぎ去るだけだ。
私達が愛しているもの全て、おそかれはやかれ、私達から
遠ざかっていく。ところが私達は、全ては永遠に続くことになる
かのようにそれを執着している。
・有徳な人とはどういう人か。それは自分の愛情を克服出来る
人だ。そうすればその人は自分の理性に、良心に従うことに
なるからだ。その人は自分の義務を果たし、正しい秩序のうちに
とどまって、なにものも彼をそこから逸脱させることは出来ない。
・人間であれ。きみの心をきみに与えられた条件の限界に
閉じ込めるのだ。その限界を研究し、知るがいい。それが
どんなに狭くても、そこに閉じこもっている限り、人は不幸には
ならない。その限界を越えようとする時、初めて不幸になる。
無分別な欲望を起こして不可能なことを可能なことと考える
時に不幸になるのだ。自分の人間の状態を忘れて空想的な
状態を作り上げる時、不幸になるのだ。
・傲慢な心から生まれる錯覚は私達の最も大きな悪の源だ。
一方、人間のみじめさを深く考えることは賢明な人にいつも
つつましい態度を取らせる。
・幸福に、賢明に生きようとするなら、きみの心を失われることの
ない美しさにだけ結びつけるがいい。きみに与えらえている
条件をきみの欲望の限界とし、きみの義務をきみの好みに
先行させるのだ。必然の掟を道徳的なことにまで広げ、きみの
手から奪われるようなものを失うことを学ぶがいい。
・死は悪人の生の終わりだが、正しい人の生の始まりだ。
・自由になるためにはなにもすることはないのだ、と私には
思われる。自由であることをやめようとしなければ、それで
十分なのだ。あなたは必然に従うように教えることによって
私を自由にしてくれた。必然がいつやってきてもいい。私は
なんの拘束も感じないで、それにひっぱられていく。そして
私は必然と戦おうとは思っていないから、自分をひきとめ
ようとしてなにかにしがみつくようなことはしない。
・人間には一生の間、助言と指導が必要だ。
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『エミール』第5編および『マルゼルブへの手紙』を収録している。エミールの教育の締めくくりとして、エミールのみに似つかわしい女性とはいかなる人物であるべきか、という女性論が開陳される。その女性ソフィーと出会ったあとも、「市民の義務」を学ばなければならないと称して、『社会契約論』の思想を規準に諸国を遊覧し、どの国に居住すれば自由を維持することができるかを検討する。最終的には、この地上において自由を維持することのできる国家は存在せず、積極的に国家活動に関わることはないが「執政官」として必要とされた場合にのみ義務を果たせばよい、という『社会契約論』で提示される「市民」像とは真逆の、自然法に従う「人間」像が提示されて終わる。
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カテゴリ:図書館企画展示
2013年度第2回図書館企画展示
「大学生に読んでほしい本」 第2弾!
本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。
仲居宏二教授(歴史社会学科/国際交流)からのおすすめ図書を展示しました。
開催期間:2013年6月18日(火) ~2013年9月30日(月)【終了しました】
開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース
『万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。』という有名な書き出しで始まるルソーのエミール、教育哲学書、児童教育書などとして読まれていますが、学生時代にはむしろ世界や自然を考えるガイダンスのように読みました。
書棚からすっかりセピア色に変色した文庫本を取り出しました。鉛筆で線を引きながら読んだ形跡があり懐かしく思い出しました。
僕の学生時代は政治的にも、経済的にも社会が大きく変化している時、何か指針となるものを欲し、確固とした考え方を持ちたいと思っていた時に出会った本です。まるで小説を読むように夢中でページをめくったことを記憶しています。
“自然に帰れ”などのフレーズは今でも使われています。200年前に書かれたものですが、逆説的な言い方の奥の意味を考える良いテキストでした。
さまざまなヒントが沢山含まれています。自信を持って推薦いたします。
第一巻だけでも読んでみてください。
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一人の人間を育て上げる仕事(子育て)がこの世で一番難しい仕事だと思うことを思い知らされる。子供を持つ親あるいはこれから子供を持つ人が読むべき本。
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「エミール(下)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1964.07.16
324p ¥300 (2021.03.05読了)(2021.02.21借入)(1973.08.20/14刷)
ジャン・ジャック・ルソーの子育て論、最終巻です。何とか最後までたどり着きました。
エミールが青年期に入ってきましたので、エミールの伴侶となる女性に眼を転じて、女性の子育て論が始まります。時代を反映した論になっています。男性も女性も社会に出て働き続ける現代にはこの本とは別の子育て論が必要そうです。
結婚年齢については、女性が10代で結婚するのは、体が未成熟のため妊娠による負担が大きくなるので、20代に入ってからのほうが良いと言っています。(206頁)
身分違いの結婚についてもあれこれと述べています。
エミールが22歳、ソフィーが18歳で相思相愛の状態になったけれど、結婚はあと二年は待ったほうがいいということで、エミールは旅に出されます。
旅について、あれこれと論じています。
「十人のフランス人をくらべてみたものはフランス人というものを知っていることになるが、同様に、十カ国の国民を見たものは人間というものを知っていることになる。」(214頁)
その後、社会契約について論じています。『社会契約論』で論じたところです。
【目次】
第五編
(ソフィー ――女性について) 5頁
(旅について) 211頁
原注
訳注
付録 マルゼルブへの手紙
◇今後読む本(予定)
『教育論』ラッセル
『宗教は必要か』ラッセル
『一般意志2.0』東浩紀
☆関連図書(既読)
「エミール(上)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1962.05.16
「エミール(中)」ルソー著・今野一雄訳、岩波文庫、1963.07.16
「社会契約論」ルソー著・桑原武夫訳、岩波文庫、1954.12.25
「孤独な散歩者の夢想」ルソー著・今野一雄訳、ワイド版岩波文庫、1991.01.24
「ルソー」桑原武夫編、岩波新書、1962.12.20
「ルソー『エミール』」西研著、NHK出版、2016.06.01
「読書の学校・ルソー『社会契約論』」苫野一徳著、NHK出版、2020.12.30
(2021年3月7日・記)
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自然と社会との対立や、自然の優位についてルソーがその処女論文「学問芸術論」以来一貫して主張してきた考えを教育論において全面的に展開した著作。エミールなる人間の教育方法とともに、その妻たるべき少女ソフィーの教育をも加えて、小説形式で述べた教育思想史上不朽の古典。巻末にルソーがスケッチ風に自画像を描いた「マルゼルブへの手紙」を収録。