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生きるための経済学というタイトルに惹かれたけど、食っていくための経済学ではなく、病まずに、迷わずに生きていくための経済学という感じの無いようだった。
経済というより、哲学的な。
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なぜ読んだのかww
これってアジア経済史の授業となんの関係があるのか分からなかったけど
なんか色々モラルハザードだったけど面白かったですww
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[ 内容 ]
「消費依存」「ワーカホリック」「バブル現象」「環境破壊」…現代社会の生きづらさはどこからくるのか。
出来るかぎり自由であるために選択肢を増やそうと、私たちは貨幣に殺到し、学歴や地位の獲得に駆り立てられる。
アダム・スミスから現代の市場理論にまで通底する、“選択の自由”という希望こそが現代社会を呪縛しているのだ。
市場(イチバ)で飛び交う創発的コミュニケーションを出発点に、生を希求する人間の無意識下の情動を最大限に生かすことで、時代閉塞を乗り越える道を探究する、著者渾身の市場経済論。
[ 目次 ]
序章 市場の正体-シジョウからイチバへ
第1章 市場経済学の錬金術
第2章 「選択の自由」という牢獄
第3章 近代的自我の神学
第4章 創発とは何か
第5章 生命のダイナミクスを生かす
第6章 「共同体/市場」を超える道
第7章 自己欺瞞の経済的帰結
終章 生きるための経済学-ネクロエコノミーからビオエコノミーへ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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近代というシステムの作り出した「選択の自由」という呪縛は、不安を拡大し、自己欺瞞を全人類に蔓延させている。自己欺瞞によって自動人形と化した人間は、相互作用することで、巨大な協同現象を作り出す。これが自己増殖する経済システムの正体である。このシステムが、地球規模の制約を越えてでも爆発的に膨張を続け、人類のみならず、すべての生態系を破壊しようとしている。そこから生じる不安が、さらに自己欺瞞を強化する。p223
真にこの牢獄から抜け出すためには、私たちは自らの身体の持つ「創発」する力を信じる必要がある。この力は生命を持つ、生きるためのダイナミクスでもある。このダイナミクスを信じ、そのままに生き、望む方向にそれを展開させ、成長させるとき、人間は積極的な意味で「自由」たりうる。
このダイナミクスを信じないで、意識のなかでの合理的計算のみに頼ろうとすると、明示的次元と暗黙の次元とが乖離する。この乖離は、外部から規範や価値を押しつけられ、自分自身の感覚を否定され、さらにそれが攻撃ではないという二重の否定を受けることで生じる。これがハラスメントである。
自分自身の感覚という、世界を生きるための羅針盤を破壊されると、人は不安になる。そしてまた、考えている通りの姿ではない自分に嫌悪感を抱く。この不安と自己嫌悪を覆い隠すべく、人は自己欺瞞に陥るが、それはさらなる乖離を引き起こし、不安を拡大する。p229
自己嫌悪→自己欺瞞→虚栄→利己心→選択の自由→最適化
この思考連鎖を私は「ネクロフィリア・エコノミックス」と呼ぶことにしたい。p232
これに対して生を愛好する志向を「ビオフィリア」という。「ビオフィリア・エコノミックス」は、次のような論理的連鎖を持つ。
自愛→自分自身であること→安楽・喜び→自律・自立→積極的自由→創発
自分自身を嫌悪せず、自らを愛する者は、自分自身であり続ける。そうする者は、虚栄には反応しない。それは死を示唆する気持ちの悪いものだからである。
自分自身であるものは、何をするかは自分で決める。自分自身の内なる声に耳を傾ける者は、独善ではない。なぜなら、内なる声には周囲の状況への対処がすでに含まれているからである。何をするかを自分で決める者は、自律的である。
自律は自立である。自立とは、他者に依存しない、ということではない。自立とは、多数の他者に依存できる状態をいう。いつでも頼れる人が100人ほどいれば、誰にも隷属しないでいられる。そのような豊かなネットワークを持つ人こそ、自立した人である。自愛が溢れ出る人であれば、生命を肯定する人々を惹きつけて、豊かなネットワークを作ることができる。p237
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経済学というより哲学書といった方が適切。選択の自由は一見恵まれたものである。しかし、それは合理的選択=利己的行動=社会的自我=「自己欺瞞」であると著者は論じている。これにより生じる問題を一人の人間から、全体主義、紛争、DV、虐待などの諸問題に帰結させている。そしてこの悪循環を断ち切る「態度」として、フロム、孔子を引用して「自愛」=積極的自由(〜への自由)を対比させている。
「自立とは多数の他者に依存できる状態をいう。いつでも頼れる人が100人ほどいれば、誰にも隷属しないでいられる。そのようなネットワークを持つ人こそが、自立した人である。(p237)」ソーシャルネットワークの可能性を感じた。
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経済学が前提としているものはおかしいという主張はその通りだと思うのだが,その根拠の説明がナンダカナーである。この著者のいう「東大話法」そのものでの論理展開ではないのか?
計算量の爆発,熱力学第2法則,相対性理論など持ち出さなくても,現実を経済学が対象とするのであれば,前提がおかしいのは自明ではないのか? 経済学を科学としてみるのであれば,現実は無視した前提の上での議論を行っているものだと思えばいいのではないのか?
そうはいっても,経済学者と名乗る人たちが現実に合わない話をするのもなんなので,「学」はなくしてしまった方がいいのでは。
自慢話,愚痴もあったりして,経済学についての本とも思えない。
2012/02/19図書館から借用;2/22の朝から読み始め;2/23読み終わり
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図書館で借りて、イッキに読んだ。
クレイジーすぎる。読み出したらもう止まらない。
フリードマンの文章を引用して、その理論の前提となっている事項のアイマイさから、経済学が科学ではなく錬金術だと言い切るのに共感。
オレも、最近のマネタリストたちの異常な金融緩和を見てると、経済学は錬金術だとしか思えない。財政赤字で首が回らなくなった政府と、経団連のトップが、自分たちの都合の良いように勝手に貨幣の価値を変えたり、為替を操作したりするなんて。そんなイカサマを科学とは呼ばない。
ポラニーとチューリングが同じ大学の同僚だったという話も面白い。二人とも、考え方がまるで違うのに、お互いに、刺激しあっていて仲も良かったって。
そして、途中から、フロムの話とか出てきて、経済学から社会学みたいな話にどんどん脱線していって、最終的には「これ、何の話?」ってカンジの、人生相談みたいになってゆく・・・・・。
経済学の本で、元妻の悪口を言ったりする?
それから、母親の悪口を言ったりする?
とてもヘンなカンジがしたし、母親に対するコンプレックスが強すぎて気持ち悪すぎ。
元妻のモラルハラスメントに追いつめられて、自殺願望が強くなり、鶴見済の『完全自殺マニュアル』を読んでた、とか。
オレも鶴見済は好きだけど。
とにかく、この人は、ADHDだ。
うっかりミスが多い、というのも、この人の脳の特徴だと思う。よく、これで、東大教授とかなれたよね。不思議だ。
ものすごい狂気。おもしろい。
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結構乱暴な本だと思うが、自分が経済学を受け付けない理由のひとつを明らかにしてくれたと思う。経済学というより思想書でした。先入観が邪魔してか、薄い本なのにえらく時間がかかった。安冨歩は2冊目ですが相当屈折した人ですね。女装後の著作も読んでみようかな。
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著者の最近の著作のなかではハードルの高い部類に入るのだろう。『ハラスメントは連鎖する』、『生きる技法』などで展開された話題が、より厳密に展開されている。再読したい。
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経済学、苦手でした。お金の話がまず苦手、円高は数字が低くなる??レベルで逃げ回ってきました。でも、日本国の借金が 1,000 兆円と聞かされると、「それは人間のスケールじゃない」と怒りが沸き、貨幣のくせに人間を殺すのか!と挑む気持ちになった。で、頭のいい人に教えを乞う。日本国の借金への処方箋などではなく、「生きるため」を証明するべく西洋的自我の病根から鮮やかに切り出されエキサイティングです。いわゆる経済学では全然ない…。もう一回読む。面白いです(2019-07-25)
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生きるための経済学 安冨歩 NHKBOOKS
昔のことだけれど
地下鉄の駅で「つきじしじょう」と書かれているのに
いつから「いちば」で無くなったのかと
びっくりした覚えがある
間宮陽介は
イチバとシジョウの違いについて
イチバが目に見える場所を意味すのに対して
シジョウは抽象的で目に見えない概念だとした
アダム・スミスの詭弁によって学問が形成された
日本語の責任は立場から生じるのであり
選択から生じるのではない
自由には責任を伴うと言われても日本人にはしっくりこない
人間から縁を外して自由にするとタガが外れてしまうから
縁という責任をもたせる必要がある
利己心とは虚栄心であり
虚栄心とは他人が見る自分に振り回される姿である
疑うことに依拠せず信じることに依拠して独善に陥らず
心理を探求する道である (ポラニーやフロム)
経済現象という事実はない
利己的な損得感という屁理屈を
合理的な学問に仕立てたのが経済学である
恋愛も最適化で成り立っているという屁理屈で
ノーベル賞を取っている人もいる
人間を集めただけでは群れでしかなく
コミュニケーションの質を上げることで社会が生まれる
手段でしかないお金を目的にしてしまうと
コミュニケーションが壊れる
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安富さんの仕事に興味をもって一冊読んでみた。その論説よりも、所々挿しはさまれる「身近な例え」から感じられる思考の癖みたいなものが面白かった。「論語」や「ハラスメント」という、他の安富さんの著書のテーマになっているものも出てくる。
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追っかけるのがとても大変。テキストの読みもこの人ならではのところも。
フィンガレットの、責任は今の自分の在り方に対するもので過去に対してではない、免責はあり方を反省し将来に向けて踏み出しそこから抜け出す道をふさぐことになる。ひとたび学習しなくなると再学習の道が閉ざされる。ハラスメントの源泉としての他者からのハラスメント。マーケティングとはがいふから何を求められているのかを察知しそれに作動を適応させること。倫理的な恥。間違いを自分があらためられるかどうか。実用主義的な恥。共同体の崩壊は不安の源泉ではない。貨幣は選択権の束。仕事に没頭することが悪ではない。大切な人と自分に害がない限り。怒りを表明できる場と力。
いまだとどんな文章になるのだろうか。
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異色の経済学者によるユニークな経済学書
市場理論は相対性理論、熱力学第二法則、因果律を無視する「錬金術」であると喝破する。
・選択の自由 批判
・創発とは何か
・ハラスメントと生命のダイナミクス
・共同体/市場の虚構
・ネクロエコノミーからビオエコノミーへ
内容は多岐にわたり決してわかりやすいわけではないが、現代の難問/困惑(アポリア)をときほぐすために有益なヒントを得た気がする。
さらに安冨ワールドを探索してみたい。