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出版業界の常識をことごとく覆していく見城徹さん。
今作は単行本の文庫化ですが、本当にこの方の編集者人生は苛烈の一言です。
尾崎豊、坂本龍一といった名だたるミュージシャンや、高橋三千綱、中上健二といった作家まで様々な人と一冊の本を作り上げてきた見城さん。
その中で失ったもの、犠牲にしたもの、後悔の念ばかりが残った別れと、多くの経験をし、その全てを糧にして今も一編集として行き続けるその姿勢は編集や出版業界といった枠を越えて、己の望んだ人生を生きるという辛さ、痛み、そして喜びを教えてくれます。
長時間労働にサービス残業、仕事人間といったネガティブなイメージばかりが先行する日本人にとっての「仕事」、このイメージが吹き飛ぶほどにこの方の仕事、そして人生に対する生き様は熱い!!
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これは確かに解説者の古池真理子が書いてあるように、分類分けが難しい本だ…(便宜的にエッセィにしました)。
なぜか分厚い本なのに、就活移動中2時間ですいすいと読み終えてしまった。
確かに、「あぁ、見城徹にとって編集者という仕事は病だなぁ」とそのままの感想を抱く作品です。
良い意味でも悪い意味でも、ものすごく、影響力のある本でした。
例えば、100頁に書いてあることなんて、今就活中の私には「おぉ!」と思えるメッセージが書いてあったけど、200頁に書いてあることなんんて…一歩間違えたらこの本を破りたくなるようなことが書いてあるし。
「良い本とは売れる本」というキャッチフレーズだけ聞くと、「勝者の言うことね」と思えるかもしれないけれど、「これほどの努力を、人は運という」という言葉にあるように、行間から作者の努力が、にじみでるような文章でした。
自分にとっては、村上龍と同じで、頑張りたい!という時に読むとガッツが出るけれど、気分的に元気が無い時に読むと余計に力が吸い取られそう…な本でした。
あとこれ読んで思ったこと。
確かに、村上春樹は日本の文壇(と言われる世界)には合わないだろうなぁ…と思えるようなエピソードが書いてった。
(○○○○という作家が芥川賞とった××××という作家を殴って肋骨折らせたとか)どちらが良いとか悪いとか、二元論ではないんだけどね。
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開いたとたんに強烈な個性がむんむんしているというか、読んでるうちにもうたくさんごっそサマという気分になる。男臭いというか見城臭いというか、ヒトクセある作家たちの心を掴む名編集者として一時代を築き、自分の城を造って一山当てるオトコってのは、こんな匂いなのかあという感じ。こういう自分について書いた短文をまとめた本は、絶対同じネタが重なって自慢クサクなるが、やはりそうなってる上にいろんな匂いが混じって、なかなか読みにくかった。
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社会人生活をはじめるにあたり、最初に手をつけた本。
言葉を扱う職業柄か、紡ぎだされた文章がずしりと重みをもっている。
先日テレビで、彼は青森のリンゴ農家を絶賛していたが、
豪雪の中、足を運ぶ姿にも彼のプロ意識を感じずにはいられなかった。
そんな彼の「思い」がつまった一冊。お薦めです
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何といっても尾崎豊との関係についてのエピソードが強烈。これだけが書かれた本では決して無いけれど、これだけを目的に入手しても読み応えはあると思う。
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幻冬舎社長の見城さんの本です。
幻冬舎というと名前は聞いたことがあるのですが、その成り立ちなどはまったく知らなかったのですが、背景には作者とのかかわりなど様々なことがあるというを垣間見れる一冊です。
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不明。文章はともかく、心血を注いで、というのはこういうことなのかと感動した。編集者としてはかなり有名な人なのに「ぶってる」ところがないのもいい。すげーなあ!と素直に思えました。
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若者の活字離れは進んでいない。本が売れなくなったのは出版界が自分たちが文化を作り出しているという特権意識にあぐらをかき続けたから。
人間も小説も宇宙の根本に還っていく。
幻冬舎は設立6年で6冊ものミリオンセラーを出した。
人が食指を動かしてきたときにはその先を行ってなければならない。プロデュースの第一歩は小さな約束を必ず守るということだ。自分ひとりだけで全ては動かない。少なくとも人間は自分が傷つくようなことは他人にしまい、と思う。
自分を救ってくれるのは本しかなかった。本の世界にいるときだけ僕の魂は救済され解放されていた。本を読むことで癒されなければ死を考えていたでしょう。本がなくては絶対に生きていられなかった。
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見城徹という人は恐ろしい。
そして、中途半端な人間ではない。
それがまた恐ろしさを増す要因なのだ。
臆病な人が最も恐ろしくなりうるのではないか。
ある方向に振り切れてしまっているように感じる。
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臆病だから不安なんだよね。だからいつも心は凶暴にしておくんです。
混沌の中に 身を浸してしか、物事は進まない。
決定的なものを相手に出させるには、刺激する言葉を吐き、相手と濃密に関係し、裸になって向き合い、七転八倒しなければならない。ここまで追ってくるのだから自分はもう逃げられないと覚悟するところまで相手を追い込むしかない。
踏み込めばリスクがある。しかし踏み込まない限り決定的なものは生み出せない。しかし俺は、リスクの八割は必ず努力で埋められると信じている。実現の可能性が低いと言われるもの以外は仕事じゃないと思っている。そのためにリスクが10あるところに行くしかない。だから常にプロデュースがダメになった最悪を設定している。その上で最高の成功をイメージし、そこへ向かって何をやればいいかを考える。最悪を想定し最高をイメージできるからクリエイティブなところではギャンブルがあり得る。
本質というのは、自分の体重をかけたところからしかあらわれてこない。
編集者は作家に対し、切り札として常に三枚のカードを持ってなきゃ駄目だ。
相手が百やってほしいことが あれば、僕は「わかりました」と言ってそれが当然のように百やりますよ。僕自身がどうしてもやってほしい一つのことのために百をやる。百対一の一を、いつ、どんな言葉で繰り出すか。僕が切った一枚のカードを絶対に捨てさせないための機会とタイミングをどんなときでも窺ってるんです。
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オンリーイエスタディあとがきに代えてを読んで
何でだか泣いてしまった。
最後の小池真理子の解説が納得。
「発狂寸前のような生真面目さ」
こんなに深く深く本を愛することってできるのか。
ロリータの主人公よりも怖い。
奇跡のように素晴らしい作品を産み出せるかもしれない
表現者を愛して愛して時間もお金も精神も捧げて
たった1つのリターンを100万の密度にできることに賭ける。
自分好みのものを得るために血ヘドを吐いて
未墾の土地を開墾し、石を取り除き、種をまき、水をやり、
肥料をまき、草を抜き、あらゆる努力をして、
いいものができる土壌を作る。すべてが過剰。変!くそ忙しいのにボディビルダーを目指したり。
でも一貫性がある。
すごい。
当たり前だけど自分に編集者には無理だ。
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相変わらず熱い言葉の数々。
ただ、どの本でも言ってる事は結構同じなので、
「憂鬱」だけでいい気もする。
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『憂鬱じゃなければ死後じゃない』で語られた内容が詳細に綴られているという感じ。ここまで振り切れば成功もするよなあと思う。
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「無から有を作りだす。人の精神という無形の目に見えないものから本という商品を作りだし、そこから収益を上げる」「表現でしか救えない問題を、この世にたった一人しかいない個体としての人間は背負っている」「売れる本には、必ず白と黒の豊かに混じり合ったグレイが存在する。両極を抱えて混交させ、両極を激しく振幅させて初めて、人を無意識に刺激させるものができる」…
至言の宝庫。幻冬舎の見方が変わる。
石原慎太郎や小林よしのり、郷ひろみ等の芸能人の本は自分は読みたくもない。でも、そういう「俗物」の方がヒリヒリした感覚がある。誰かにとっては救いになる激烈な刺激があるのはそういう本だ。「出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますことなく本を送り出しているのではないか?」問題含みの幻冬舎の実践に、他の出版社はこの20年、反論できただろうか??
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大手が牛耳る出版界で絶対に成功しないと言われた独立、その後五年で五冊のミリオンセラーを叩き出し、上場までさせた幻冬舎社長のインタビュー集。仕事観ではなく、生き様、というか死に様。他者に怯えて、自分に怯えて、死に怯えて、絶望して、這いつくばって、のた打ち回って、死ぬ瞬間、その一瞬の為に生きていると気付いた。100か0に振り切り続け、死に向かう。その過程でこそ”今”と”生”が煌々と輝く。