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1Q84 a novel BOOK1 4月−6月
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2009.5
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/554p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-353422-8
  • 国内送料無料

紙の本

1Q84 a novel BOOK1 4月−6月

著者 村上 春樹 (著)

「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。書き下ろし長編小説。【「BOOK」データベースの商品解説...

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1Q84 a novel BOOK1 4月−6月

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商品説明

「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。書き下ろし長編小説。【「BOOK」データベースの商品解説】

【毎日出版文化賞(第63回)】【新風賞(第44回)】「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ−。待望の書き下ろし長編小説。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー1,242件

みんなの評価3.9

評価内訳

『羊をめぐる冒険』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の間

2009/06/20 13:01

19人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

(BOOK1-2通じての書評です)デビュー作の『風の歌を聴け』以来30年間、初版発行とほぼ同じタイミングで少なくとも長編は全て読んできた。その僕が思ったのは、おいおい、これは面白いぞ、ということだった。
 ここのところの村上の小説の中では飛び抜けて面白いし、ここ数年の日本文学の中でも相当面白いほうではないかと思う。もちろん面白いということが小説の評価の全てではない。ただ、言うまでもないが、それはとても大きな要素なのである。
 『海辺のカフカ』あたりから、僕はどうも春樹が面白くなくなってきたという感じを持っていた。年を取って来ていろんなものを意識し過ぎているのではないか、メッセージはもっとぼやけても良いから、昔のような疾走感のあるストーリーはもう書けないのか、などと思ってきた。今回は久しぶりにストーリーが疾走し、うねり、その中で登場人物の血液が脈動しているのが感じられる。読者は引きずりまわされて、その後どうなるのか知りたくて本を置けなくなってしまう。──こういう感覚は『ねじまき鳥クロニクル』以来ではないだろうか。
 天吾を主人公にした章と青豆を主人公にした章が交互に出てくる。当面この2つの章には全く繋がりが見えない。──こういう構成を見て、村上ファンなら誰でも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を思い出すだろう。あの当時、ああいう構成は非常に新しかった。村上春樹が初めて試みた章構成なのか、それとも誰かの真似をしたのかは知らないが、ああいう構成があれほど巧く機能した例はなかったのではないか。特に最後の最後で2つの章立てがああいう風に交錯して来るのか、という驚きがあった。
 もちろん『1Q84』は『世界の終わり』の続編でも、それをなぞったものでもない。そもそも今ではそんな構成は多くの小説で採用されていて珍しいことでも何でもないし、ここでも単に似たような構成を取っているだけで、行きつくところは自ずから違っている。
 でも、久しぶりに村上春樹らしい小説だなあという気がする。
 タイトルの年号に使われているQというアルファベットが何を意味するのかは小説を読んでもらえば良いが、これはジョージ・オーウェルの『1984年』を踏まえているだけではないと僕は感じている。1984年という年は村上春樹が『羊をめぐる冒険』を書き上げて、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を刊行するまでの間に当たる。
 本当にその頃の村上春樹を想起させる作品なのである。ただ、必ずしも昔の村上春樹が帰って来たという感じでもではなくて、ただ村上春樹らしさが全開なのである。
 二日酔いで具合の悪い青豆がベッドで天井を見ながら過ごし、「天井には面白いところはひとつもなかったが、文句は言えない。天井は人を面白がらせるためにそこについているわけではない」と思うところ(BOOK1 p.280)とか、電話口で沈黙した天吾に小松が「おい、そこにいるのか?」と呼びかけるところ(BOOK1 p.358 明らかに Are you there? という英語の和訳である)とか。父親が入っている療養所を訪れた天吾に対して父親は「遠くの丘に蛮族ののろしが上がるのを見逃すまいとしている警備兵のように」何も言わない。「天吾はためしに父親の視線が注がれているあたりに目をやった。しかし、のろしらしきものは見えなかった」(BOOK2 p.202)とか、ふかえりについての描写で「ついさっき作り上げられて、柔らかいブラシで粉を払われたばかりのような、小振りなピンクの一対の耳がそこにあった」(BOOK2 p.255)とか。──長年の読者はどうしてもそういうミニマルなところに喜んでしまう悪癖があるのだが、もっとトータルな部分でももちろん村上春樹らしさは全開である(ただし、これから読む人のために詳しくは書かないことにする)。
 セックスに関する描写がいつもより多いような気がして、はて、村上春樹っていつもこんなに性を描いていたっけ、と考えてみるがよく思い出せない。それよりも、これを読んだフェミニスト団体が「男性にとって都合の良い女性像である」とか「幼児ポルノを助長する描写である」などと怒り出さないか、意地の悪い社会学者や心理学者たちが「これが村上春樹の抑圧された性的嗜好である」などとお門違いの批判を展開しやしないだろうか、と読んでいてひやひやしたりもした。
 さて、今回はわざと取りとめもないことばかりを書いてみたのだが、さすがに散漫になって来たので、僕が読んでいてふと思ったことを書いてみる。それは「権威を無力化すると世界は相対化する。それが良いことであるか悪いことであるかに拘わらず」ということ。
 この小説は今まで村上春樹を読んだことがないどころか、そもそも小説というものを普段読まない人までもが手にしているという。とても良いことだと思う。どうです? 1000ページの大著であっても、面白ければあっと言う間でしょう? そして、何を感じたのか、何が読み取れたのか、自分自身で整理してみてください。村上春樹が何を書きたかったのかなんてことは考える必要がないから。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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混沌とした現代社会の闇と救い

2009/06/03 08:49

17人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹、待望の新作は『ノルウェイの森』を彷彿とさせる1980年代を舞台とした小説なのだけれど、それは単なるノスタルジックな物語というわけではない。これまでの、村上春樹のキャリア(作品)と社会的関心を十全に活かし、それでいて小説としてよく練り上げられた傑作と呼ぶにふさわしい。

入り組んだストーリー/世界(観)をもった本作前半に関しては、いくつかのキーワードをあげることができる。モチーフとしては暴力や性といったこれまでも繰り返されてきたものに加え、宗教といったもがせり出してきたが、特に前半で注目されるのは、「小説」それ自体であるだろう。

この作品の中では、「物語」と「小説」がていねいに腑分けされながら、2人の中心人物が1つの作品を紡いでいく。その全貌は、ついに明らかにされることなく、特徴や概要は示されるだけなのだが、その重要性は疑い得ない。重要だというのは、作中の出来事を示し、かつ、そこに描き出された作中の現実とは、ここ40年に及ぶ日本社会の現実を寓意として描ききったものに他ならないからだ。しかもそれは、単に現代史を再構成したものではなく、小説作者らしい複雑なデフォルメによって、そこに根ざした深い深い「闇」と、その渦中を生き抜く「救い」とが、仄かに、しかし、確かに書き込まれている。その光に導かれるように読み進める、読者の興味はとまることはないだろう。

ディタッチメントからコミットメントへ、1990年代に入ってから、村上春樹についていわれはじめた、「姿勢の変化」は、本作によっていよいよ明らかなものとなりつつある。そして後半(BOOK2)において、本作は新たな村上ワールドを提示することになるだろう。

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図書館では358人待ちの本!

2009/08/01 22:02

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

いわずと知れた村上春樹さんの超話題作!
いつもは図書館派のワタクシ、図書館で予約しようかと思ってネット検索してみたら、358人待ちでした。
これは待てない…。
まわりをリサーチしてみたところ、買った友だちがいたので、
彼女が読んでから、ありがたくもお借りすることにしました。

上下巻ともに、借りるやいなやすぐに読みきりました。
ぽーんと違う世界に連れ去られたような気分…。
実に壮大なストーリーでした。

ある男女が、20年ものあいだ、互いの現状を知らずに、ずっと互いを思い続けた。
その二人の人生がクロスするときは来るのか…。

思い続ける力を、
一歩踏み出すときの力を、
もどかしい気持ちを持ち続けながら、そんな力を感じながら読み続けました。

過酷な事実をつきつけられて、
熟読できなかったところがいくつもありました。
その衝撃をうちやぶるような
静謐な場面もありました。

二人の共通の思い出の場所、
二人が10歳だったときの小学校の教室風景が、
ありありと脳裏に浮かびました。

二人が同じ月を見ていた(互いには気付かずに)シーンが美しいなぁ~と思いました。そして、月という存在はそもそも一つなのか、二つなのか…。
読みすすめながらも、なぜだか急に不安になるほど動揺してしまいました。いまだかつて体験したことのないような不思議な気持ちが、今も忘れられません。

続編、きっとありますよね。
おおいに期待しています。


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「ミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたままに」その1

2009/07/08 08:08

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1968年12月10日。東京都府中市はひどい雨だった。この日支給予定のボーナスのための現金を積んだ現金輸送車が追ってきた白バイ警官に停車を求められる。爆発物が仕掛けられているという警官の指示のもと、行員たちは現金輸送車から遠ざけられた。そして、偽の白バイ警官は現金輸送車ごと現金強奪に成功する。盗まれた現金、2億9434万1500円。いわゆる「三億円事件」である。
 現場には「ニセ白バイ」などの153点もの遺留品が残された。それにもかかわらず、犯人は捕まることなく1975年時効が成立する。
 村上春樹の『1Q84』は、たくさんのヒントがありながら真相にたどりつけない、そんな「三億円事件」によく似ている。
 誰にも「犯人」は見つけられない。

 「三億円事件」発生から11日後、一枚のモンタージュ写真が公開される。白いヘルメットをかぶった、どこか気の弱そうな青年。そして、その「犯人」をさがして、多くの有識者が事件の真相に迫ろうとする。元警視庁OB、犯罪心理学者、大学教授、そして、街の無数の名もなき「探偵」たち。
 村上春樹の『1Q84』もまったく同じだ。多くの有識者が物語の真相について語る。作家、評論家、大学教授、そして、ネットの無数の名前をもたない「読者」たち。
 しかし、誰にも「犯人」を見つけられない。

 「多すぎる疑問、少なすぎる回答。毎度のことだ」(「BOOK2」・386 頁)

 「三億円事件」はわずか3分間の出来事ながら、極めて物語をもった事件であった。
 白バイ警官が現金輸送車に近づき「爆弾が仕掛けられている」と行員たちを下車させる。警官が車体の下を調べる。ボンネットから噴出す白煙。逃げる行員。そして、走り去る現金輸送車。雨。雨。雨。まるで映画の一場面のように事件が進行する。
 村上春樹の『1Q84』も物語性の強い作品だ。文芸評論家の斎藤美奈子は「サービス満点の超娯楽大作」と評していた(朝日新聞)が、まったくその通りだと思う。先へ先へと導く強さはみごとというしかない。渋滞の首都高速から非常階段を伝わって別の世界へと入り込んでいく冒頭の場面からスリリングであり、映像的である。
 二人の主人公(「天吾」と「青豆(あおまめ)」)は、一人が作家志望の青年であり、一人がスポーツインストラクターの女性、というまったく違う世界にいる。天吾はカルト集団から抜け出した少女が書いた小説をリライトしていくなかで物語の核心に近づき、青豆は闇の殺人者として物語の核心に吸い寄せられていく。
 しかし、「三億円事件」がその物語から犯人を特定できなかったように、村上春樹の『1Q84』も真相は見えてこない。
 誰にも「犯人」は見つけられない。

 物語はつづく。謎は解けない。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。

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かつて日本語で書かれたもっとも魅力的なロマンのひとつ

2009/06/13 09:38

13人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を読み終わったあと、自転車に乗って涼しい風の吹く外に出てみました。梅雨に入ったばかりの夜空はとっぷりと暮れ深い藍色に染まっています。私は小説に何度も出てくる2つの月、大きな黄色い月と小さな緑の月を探しましたが見つかりませんでした。

白い道だけがほのかに浮かぶ真っ暗な森の道に乗り入れると、今夜もホタルが舞っていました。雌雄2匹が2個所で対になって、銀色の光を点滅させながらお互いに追尾しあって、ふわりふわりと円弧を描きます。私は思わずこの4匹は、小説の主人公ふかえりと天吾、青豆と天吾の2つのカップルの生まれ変わりではないかと思いました。

一瞬行方をくらませたホタルが黒い木陰を抜け出して空の高みに駆け上ると、そこで待ち受けていたのは鈍い銀色の光に輝く北斗七星の7つの星々でした。ホタルは空の星と混ざり合って、「あ、見えなくなった」と思ったら、もうどれがどれだか分らなくなってしまいました。無限大ほどのギャップがあるのに、同じ平面に鏤められた銀色の輝きがフラットに均一化されてしまう。そんな視覚的経験は初めてでしたが、ホタルと星は、この小説で繰り返し説かれている実際の1984年と幻視の中に実在している1Q84年の関係にとてもよく似ているような気がしました。

実際の1984年はすでに私たちが通過してきたはずの歴史的年度ですが、あますところなく経験され、生きつくされたはずの1984年には、しかし同時代の誰も知らなかった時空を超越した異次元の世界1Q84年に通じる幾つもの裂け目があり、そこには人類の平和や心の平安を脅かそうと企んでいる悪意の主リトル・ピープルたちが潜んでいます。

リトル・ピープルが支配する新興宗教団体の魔手から逃げ出してきた17歳の美少女ふかえりの体験をリライトした小説家の卵、天吾は、自らが描いた小説「空気さなぎ」の世界の内部にいつのまにか取り込まれ、天語の永遠の恋人である青豆と同様、「反世界」の地獄の底へと転落してゆきます。

スリルとサスペンス、ホラーとファンタジー、オペレッタとフィルム・ノワールを混淆させた作者の円熟した語り口は、それ自体が音楽性と朗読性に富み、この小説で引用されるヤナーチエックの「シンフォニエッタ」の譜面に勝るとも劣らぬ音楽的な演奏そのものであるといってもよいでしょう。よしやバッハの「マタイ受難曲」の深い思想性に欠けるとしても、この小説がかつて日本語で書かれたもっとも魅力的なロマンのひとつであることは間違いないでしょう。久しぶりに読書の快楽、物語の醍醐味を堪能できた1冊、いや2冊でした。


今宵また新たな呪文をわれに告げ北斗の星と輝く蛍 茫洋

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リトル・ピープル

2009/06/07 18:30

11人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:章 スム - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「地下鉄サリン事件」が、ようやくテーマとして浮かび上がってきたのだな、そう思った。そこでは、アドルフ・ヒトラーさえ、その戦線での使用を厳禁した化学兵器が使用された。理不尽なというよりは、天から降ってきたような暴力。そのような暴力の中にあって、人々は、敢えて言うならば、英雄的であった。そのことを村上の『アンダーグラウンド』は、私たちに示してくれた。それは、村上的表現を使うならば、救いのようなものだった。
 
 それは彼女であっても、彼であってもいい。休日明けの月曜日。疲れの抜け切っていない身体を電車に揺らせながら、束の間の眠りに自分を委ねている。気配に目を覚ますと、人々が次々に倒れていく。上手く事態を把握できない。しばらく呆然としている。ともかく助けなくては。そう思い至り、身体を座席から浮かす。救助に当たりながら、自分も頭痛と吐気を感じる。視覚もおかしい。会社に連絡を入れなくてはと思いながら、もう公衆電話を探す体力は奪われている(当時、携帯電話のの普及率は、10%程度だった)。非常停止した駅の壁に背を凭れて座り込む・・・。
 夜毎に、悪夢に起こされる。人々が次々に倒れていく。なんの前触れもなく、とても静かに。寝汗をびっしょりかいて、目を覚ます。暗闇に目を凝らす。なにもそこにはない。親友にそのことについて語る。親友は「大変だったね」とありきたりの言葉を返す代わりに、真剣に耳を傾けてくれる。語られることの意味をなんとか受け止めようとする。しかし、言葉は伝わらない・・・。
 
 村上は『アンダーグラウンド』の後、『約束された場所で』を書き記した。「加害者」から見た「地下鉄サリン事件」。しかし、そこでも暴力は、「天から降ってきた」ものだった。「加害者」の必然性というものは、なかった。分かったのは、「加害者」もまた、「損なわれた者」であり、弱者だったということだ。「加害者」対「被害者」、悪と善、そういうものでは、あの暴力は説明することができない。暗闇に目を凝らしても、そこにはなにもない。
 
 老婦人は、善と悪というもので世界を見ている。青豆は、その老婦人に導かれるようにして、悪の精華と言うべきものと対面する。そして、善でもなく、悪でもない世界に足を踏み入れる。リトル・ピープルの世界へと。そこは「地下鉄サリン事件」の暴力の世界だ。おそらく青豆が、妻に暴力を揮い続けた「ろくでもない、生きている価値もない」男、完全に損なわれてしまった者、弱者のために、涙を流すことができた時はじめて、暗闇の中でリトル・ビープルはゆっくりとその姿を現わすのだろう。しかし、そのような涙は、神のみが流せるものだ。弱者への愛は、神のみに許される。
 
 だが、青豆は、人を愛することができる。そして愛を真っ直ぐに信じている。その愛は、天吾という自我という殻で自分を閉じ込めた「自己完結型」の人間を揺さぶり、その殻を突き崩す。それは始まりなのだろうが、始まりにしか過ぎない。天吾は、暗闇の中で、なにかを見ることができるのだろうか。青豆から天吾へとバトンを渡された「地下鉄サリン事件」という暴力。そのバトンは、天吾と共に私たち読者もまた、受け取るべきバトンなのだ。
 そんなことを、私は思ったのだった。

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気をつけるべきこと

2009/06/07 10:05

10人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ろでむ - この投稿者のレビュー一覧を見る

文章を書くとき、"気をつけること"は何だろう。
話をするとき、"気をつけること"は何だろう。


ひとつに「タイミング」と「実行すること」だと思う。


詳しくは書かないが。

主人公はちょうど僕の年と近い。限りなく近い。
その主人公"たち"は、【あること】を実行しなかった。20年にも渡り。
僕は、20年という月日を回顧したことがあるだろうか。いや、ない。


20年前から胸の内に秘めていた部分、それに気づいているのに気づいていないように過ごし、
でも、20年間ずっと実行してこなかった【あること】。


それが結果的に良かったのか、良くはなかったのかは、未だにわからない。
「もし…だったら」の世界だ。タラレバの世界だ。     ^^^^^^^


この小説を読む事を実行したのも、読む「タイミング」があったからだ。
血液中のヘモグロビンが酸素をからだ中へ送り込むように、
タイミングという脳の中で生み出さられる時間と時間の織り成しが、
次の時間と時間の織り成しを産み出す。



この「1Q84」は、上下巻というタイトル付けではない。
(1)(2)とタイトル付けされている。
そして、(1)は4月から6月、(2)は7月から9月を表現している。


アマゾンのレビューは呼んでいないが、
きっとこの小説を読んでいる人は、続編がある、と思っている。


僕は

 ・case1:(3)(4)巻がある ⇒物語のゴールを想像するに、(1)(2)だと6割くらいの内容だから
 ・case2:(3)巻がある  ⇒(4)巻が「1Q85」になってしまうから。



さて、どうなるだろうか。。。

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村上春樹の存在を確かなものにした小説

2010/02/10 14:59

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私のまわりには本好きな友達が多い。互いに読んだ本について話していると時間を忘れてしまう。彼女の書評を読むたび「小説を書いたらいいのに」と思う。それを口にすると、彼女は「それとこれとは別よ」と、一瞬目を伏せます。

 『1Q84 BOOK3』の発売が待たれる昨今、『1Q84 BOOK1』を読みました。本を開くとメッセージが
 「ここは見世物の世界・・・」
 “It’s Only a Paper Moon”
 次の目次には
 第1章  青豆 見かけにはだまされないように
 第24章  天吾 ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう

 魅惑的で困惑させるセンテンスが続きます。目次を読んだだけで村上春樹の世界にすーっと入っていきました。
 天吾は編集者・小松から17歳の美少女・ふかえりが書いた小説『空気さなぎ』の書き直しの依頼がきます。天吾は背信行為とわかっていながら、その小説を書き直したくてたまらなくなってしまうのです。書き直す場面で
 「いちばんむずかしくて手間がかかるのは、冒頭の部分なのだ。それさえ乗り越えてしまえば、あとは・・・。」(131頁)とあります。
 それは本書の冒頭を示唆しており、青豆を乗せたタクシーのラジオから流れるヤナーチェックの『シンフォニエッタ』のファンファーレは1Q84の始まりとなり、鳴り響きます。
 また「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。」(89頁)と、天吾はふかえりに話します。

 『1Q84 BOOK1』は村上春樹の存在を確かなものにした小説でした。

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プロットがすべて、登場人物の言葉となり、説明となり、文字となり、書き込まれている作品。

2009/08/15 23:33

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

続き物とわかっている場合、最後まで読んで、
「本書は、(私にとっての)~である」と言い切れる形にしてから、
上下巻の感想を1つにまとめて書くのが通常の自分のスタイルである。

本書については、個人的な感覚であるが、
BOOK1を読み終わった段階での思うところを
BOOK2を読む前に書いてみることに意味があるような気がして、
これを書いている。

もう結果がわかっていることのニュースを見ないようにしながら
早く追いつきたくて、今、必死に、ビデオを見ているような
滑稽な状態になっているんだろうなとわかっていながら、
それがやめられないような感じだ。

***

行間がない。

だから深読みする余地がない。

疑問がふっと立ち上がると次の瞬間に
登場人物の言葉や地の文の中に答えが書いてあるような感じだ。

登場人物が説明的にかなり話すし、地の文も説明が多い。

実際は、こんなにみんな説明的なしゃべり方はしないだろうなと思う。

もしこれがドラマで、
この通りにセリフをしゃべったら不自然だろうなとも思う。

副音声部分が要らないのではないかと思うようなほど
全部言葉になっている。

だけど、この作品にはすべてがちょうどいいような気がする。

きっとこういう世界なんだろうなという妙な説得力がある。

これは、なんなのだろう。

途中までは謎がかけられていて、語られないこともあるが、
その謎はわりと早い段階でわかって行き、明かされていく。

謎かけや謎ときが目的ではないのだろうと思う。

ほかには行間がないので、
その説明されていない部分は際立って気になることになる。

まるで、ここが伏線ですよとマークが入っているかのようだ。

ふたりの主人公がいて、交互に編まれる物語。

当然どこかでこのふたりは接触するのだろうと思う。

そして、過去にどこかで接触があったはずだ。

過去の接触は、すぐに明かされる。

そして、これからふたつの物語はどこで絡み合っていくのか。

登場人物の考え方や行動の裏づけに関する答えだけではなくて、
この本がなぜこのように書かれているのかの答えも
編みこまれているところも興味深い。

たとえば、説明が多いことについては、
登場人物の一人にこんなことを言わせている。

  ほとんどの読者がこれまで目にしたことのないものごとを、
  小説の中に持ち込むときには、
  なるたけ細かい的確な描写が必要になる。

  省いてかまわないのは、あるいは省かなくてはならないのは、
  ほとんどの読者が既に目にしたことのあるものごとについての描写だ。

  (p.309)

そして、本書の構成がこのようになっている理由は、たぶんこれだろう。

  『平均律クラヴィーヤ曲集』は数学者にとって、
  まさに天上の音楽である。

  12音階すべてを均等に使って、
  長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。

  全部で24曲。第1巻と第2巻をあわせて48曲。
  完全なサイクルがそこに形成されている。

  (p.368)

ところで、私が本書を手にした最大の理由は、
登場人物の一人がディスレクシアであるという情報を得たからだった。

ディスレクシアがどのよう風に扱われているのか
興味を持って本書を読んだ。

現実の1984年の日本ならば、
「読むのにすごく時間がかかる」ということを聞いただけで
即座に「ディスレクシア」だとわかる人はほとんどいないだろう。

2009年の日本だって一握りだ。

特別支援教育のある今は、
「学習障害」かなと思う人はいるかもしれないけれど。

教職課程でディスレクシアをきちんと講義する大学もあるのかな。

しかも、主人公はそれを大学卒業後もきちんと覚えていて、
1ページ分くらいで
「ディスレクシアについて持っている知識を整理して」みせている。

彼に限らず、ディスレクシアは、
まるで普通によく知られていることのようだ。

この作品のこの時代では・・・。

この登場人物は、ディスレクシアということよりも
特殊な環境に育ったことにおいて
キャラクター付けされている部分が多いので、
なんとも言いがたいのだが、
ディスレクシアという要素の影響については
さらにBOOK2を読むときも引き続き考えてみたい。

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性と宗教という通奏低音

2009/07/17 12:45

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まむ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 村上春樹を読むのは初めてです。今まで食わず嫌いで村上春樹を避けてきましたが、タイトルの『1Q84』に魅かれました。オーウェルの『1984』をモチーフにしているに違いないと思い買ってみました。

 読んでみて、村上春樹は、確かに「おしゃれ」な部分は出てくるのですが、「こんなにも読みやすかったのか」「こんなにも面白いのか」というのが率直な感想です。

 1巻を読んでの感想はmこの物語に流れる二つの人間の本性についてです。性と宗教についてです。「愛」というよりも「性」について書かれているように思いました。思い出したのは社会生物学者のウィルソンが『人間の本性について』の中で、「性」と「宗教」という項目を一章ずつ書いていることです。

 「日本人」は宗教については希薄なところがあり、宗教団体などに属していないと分かりにくいところがあるかもしれませんが、その部分をうまく書きあげているなぁと思いました。性とともに、宗教(カルト、宗教団体、宗教組織)、そういったものを深く見つめようとした作品だなぁと思いました。
 
 もうひとつ、性について。この本には性的な行為、性的事象が多分にでてきますが、これは人間の避けがたいものであることを再確認しました。

 また、面白く読ませるだけでなく、さまざまなことを考えさせる本だなぁと思いました。つまり問題提起の物語であると感じました。

 「性」と「宗教」という重いテーマが、この1巻の通奏低音として流れていますが、物語の細部に至るまで、細かくそして恐ろしいほどの描写力で描かれているように感じました。2巻を読むのがとても楽しみです。

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読まなければ意味がない

2009/07/03 00:00

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:楊耽 - この投稿者のレビュー一覧を見る

先ほどBOOK1<4月-6月>を読み終えました。BOOK2<7月-9月>はまだ読んでいません。
BOOK1を読んでの僕の感想は「読まなければ意味がない」でした。

物語は1984年4月の東京から始まります。それぞれ接点が無い青豆と天吾の物語です。二人の物語が交互に24章まで語られます。巻末に差し掛かったところで二人の物語につながりが見えてくる仕組みです。
BOOK1については、簡単にはこのような説明が出来ます。ですが、この二人の物語に著者が込めた魂は、物語の構成を説明したのでは意味がない。読んで初めて浮かび上がるものだ、と言うのがBOOK1を読んでの僕の感想です。

僕はストーリー展開「命」みたいな読書をするので、この物語を読み進めるときも「要約」のようなものを頭に構築しながら読んでいました。
しかし、読み始めてしばらくすると、ストーリーの要約には含まれない、登場人物が抱える思い、他者への慈しみが、この物語に著者が込めた魂なのでは無いかと思い始めました。
あくまでも、僕が読んで感じたことなのですが、この本に込められた魂の一つは、これまでの著作にも込められてきたテーマ「大切な人を慈しむと言うことはどういうことか。」であると感じました。恋人同士なら当然感じること、子供に対してならば、親が自然と身に付けているものとして、鋳型にはめられたような言葉で語られる「愛」を否定した上での「慈しみ」または「愛しみ」です。
もう一つは、大人が、子供に接する態度は、如何にあるべきなのか。
この二つについて、著者が魂を込めて紡いた物語が「1Q84」なのでは無いか、と思いました。
もちろん、他にも語るべき要素はありますが、僕はこの二つが印象に残りました。
青豆も、天吾も、親が無く、結婚もせず、もちろん子どもも持たない社会的には孤独な存在です。BOOK1では、二人の空白として暗示される”大切な何か”を、感じることが出来たように思いました。
引き続きBOOK2を読み進みます。

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実際には役に立たない、けれども可能性を含んだ物語を予感させる小説

2010/12/24 18:06

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る


 青豆は女性を虐待する男たちを法の埒外で仕留める仕置人的女性。ある日を境に月が二つある世界に紛れ込んでしまったようで、彼女は今の自分がいる時代を1Q84年と密かに名づける。その青豆はある宗教団体内で教祖が少女たちをレイプしているという情報を得た。
 天吾は予備校の数学講師。小説家志望であるがまだ一冊も本を世に送り出したことがない。出版編集者の小松に言われて、17歳の少女が書いた小説を仕立て直すことになる。その作品が見事新人賞を獲得するが、少女の父親はある宗教団体で教祖的な存在であることを知る。

 昨年ベストセラーとなった村上春樹の3部作を今さらながら手にしてみました。
 まずは第1巻の感想ですが、大変読みやすい作品だというのが第一印象です。もちろん物語はまだ緒に就いたばかりなのでしょうが、律儀なほどに交互に語られる青豆と天吾の不思議な日常は、興味がつきることなく、頁を繰る手が休まることがありませんでした。
 
 『アンダーグラウンド』以来、オウム真理教事件に関心をもってきたと思われる村上春樹ですし、オウム教徒の大半と同世代の私にとってこの『1Q84』は身近なものを感じさせる何かが全体を覆っているように感じられました。

 記憶が確かならば『約束された場所で―underground 2』の中で、ある理科系のオウム教徒が小説に関心をもてないということを語っていたと思います。
 彼らは理数の世界の物事が明快であることを愛でる一方で、フィクションの世界がそうではないということに居心地の悪さを感じているようでした。
 そのことを思い起こすと、この『1Q84』の中の天吾の次の言葉が、大変意味深いものに思えます。
 「物語の森では、どれだけものごとの関連性が明らかになったところで、明快な解答があたえられることはまずない。そこが数学との違いだ。物語の役割はおおまかな言い方をすれば、ひとつの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって、解答のあり方が物語的に示唆される。(中略)
 それは理解できない呪文が書かれた紙片のようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。」(318頁)

 おそらくこの「実際には役には立たない」けれども「可能性を含んだ」呪文としての物語が、第2、第3巻で紡がれていくのだろうなと予感を抱きつつ、とりあえず第1巻の頁を閉じた次第です。

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娘とも話したんですが、どうしても腑に落ちないところがあって、面白いお話だけに気になって仕方がありません。皆さんはどう感じているんでしょう・・・

2009/10/02 20:00

8人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

あっさりしていて、存在感がある。配色もいいし、タイトルの字体がおしゃれ。ちょっと気になると言えば帯のデザインくらい。そんな装幀は新潮社装幀室、装画ともえいないようなそれはNASA/Roger Ressmeyer/CORBIS。

BOOK1は全24章で、青豆と天吾の章が交互にあります。BOOK2も同じ章の数で、青豆の章で始まり天吾の章で終ります。そこだけタイトルを書けば、BOOK1は第1章 青豆 見かけにだまされないように、で始まり、第24章 天吾 ここではない世界であることの意味はどこにあるのだろう、で終わります。 BOOK2は第1章 青豆 あれは世界でいちばん退屈な町だった、で始まり、第24章 天吾 まだ温もりが残っているうちに、で終わります。

新潮社がHPの、特に本の紹介のあり方を変更したのは今年の6月あたりです。試し読みができるのは以前と同じですが、形式が違います。なんていうのか分かりませんが、私の理解ではそれまではテキストデータ(?)だったものが、電子書籍のスタイル(なんていうのか分かりません、AdobeFlashPlayer でしょうか)に変わりました。結果としてコピペや紙に印刷できたものが、毎回ローディングする形式になって保存ができなくなった。

ま、そうやっている大手出版社さんは多いので、それはまた時代だな、で済みます。で、それに従って特設頁も変わりました。同じようなスタイルになった。ま、今のところ珍しくて、他社さんの特設頁はコピペや保存ができる形式をとっています。ま、それもいずれは電子書籍スタイルになるのでしょう。そこまでは時代の流れとして、理解できないわけではありません。

でも、です。それが目指すところが分かりません。著作権の保護?それとも携帯でも簡単にチェックできるようにした? データの形式統一? いいんですよ、どれでも。でもです、新潮社のHPから村上春樹『1Q84』を検索して、特設頁を開いた人は愕然とするんじゃないでしょうか。なにが、ってその内容のプアさに。もしかして、どこかヒットすれば壮大な世界が開く?なんて思ってディスプレイ上を色々クリックしましたが、その底の浅さといったら「ばかにしてんのか、こら!」もんです。

だって、桜庭一樹『青年のための読書クラブ』の特設頁とあまりに違うじゃありませんか。単に本の外観を見せて短いコメントを見せるだけのどこが「特設」なのよ、って思いません? たしかに過去の作品を一望できる、しかもビジュアル的に、は分かります。でも、それだけでしょ。肝心の今回の本について、殆ど触れられていません。以前だったら、書評がついていて、目次を覗くこともできましたが、今はそれも不可能です。改悪、といってはナンですが、これって読者のこと考えていないんじゃないか、そんな気がします。

閑話休題。楽しく読みました。特に前半は、「村上春樹が暗殺者を描く?」なんて驚きをもって読みました。青豆の勇姿に、いいなあ、なんて思いながら。とはいえ、そこで私は躓いてしまいました。この本を読み終わった娘ふたりに、私が引っ掛かった場所についてどう思うか尋ねましたら、同じ箇所で疑問を抱いたそうです。

小説のほうは、相変わらず面白いので、ちょっと路線を替えて、それについて書きましょう。気になったのは、26頁から28頁、61、62頁の高速道路の緊急駐車スペースにある非常階段の描写です。
             *
タイトなミニスカートをはいてその鉄柵を乗り越えるのはいささか面倒だが、人目さえ気にしなければ特に難しいことでもない。彼女は迷わずハイヒールを脱ぎ、ショルダーバッグの中に突っ込んだ。素足で歩けばストッキングはたぶんだめになるだろう。
             *             
非常階段は目の前にある。灰色に塗装された鉄の階段だ。簡素で、事務的で、機能性だけが追求された階段。ストッキングだけの素足に、タイトなミニスカートをはいた女性が昇り降りするように作られてはいない。
             *
がそれです。鉄柵を乗り越えるのに裸足になる、というのが腑に落ちません。だって、鉄柵って使ってある材料、細いですよね。靴脱いだら痛いじゃないですか。それに、今、話題になっているのは鉄柵を「乗り越える」ことでしょ、なんでそれが「素足で歩けば」っていうふうになるんだろう、って。

それと非常階段です。「簡素で、事務的で、機能性だけが追求された階段」は分かります。でもそのどこが「ストッキングだけの素足に、タイトなミニスカートをはいた女性が昇り降りするように作られてはいない。」なんでしょう。実は、この後を読むと、青豆が下りていくのは、階段ではなくてタラップとしか思えないんです。

階段とタラップというのは、構造が全く異なります。タラップは、要するにハシゴです。それであれば確かに、「ストッキングだけの素足に、タイトなミニスカートをはいた女性が昇り降りするように作られてはいない。」。でも、階段であれば、作り方にもよりますが「ミニスカート」には向かなくても、ハイヒールを履いた女性が利用することに不都合はありません。

私は実際に首都高の緊急駐車スペースに車をとめた事がないので、実際にそこにはタラップがついていて、それを公団が「非常階段」と表記しているかどうかは分かりません。もしそうだったとして、村上はそれをありのままに描いただけかも知れない。でも、私は引っ掛かりました。小説家として、どうよ? っていう感じです。

ハイヒールで歩いていて、コケたようなもので、しかも、そこは小説が始ったばかり、といっていいくらいのところ。青豆が自分の真の姿を垣間見せる、かなり格好いい場面です。いくらなんでもなあ、前菜食べている時に石噛んじゃった、そんな感じです。小説は一気に読み終えたものの、この嫌な感触は、いつまでも気になって仕方がありません。

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「1Q84」今夜空には二つの月が見える

2009/10/02 17:18

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る

どんな内容かも分からず、
とりあえずネットで注文、
一日早く書店に並んだことを知り、
思わず届くのを待てずに、書店で
買ってしまおうかとさえ思った。


「村上春樹ブシが帰ってきた、
イミ不明の『空気さなぎ』や
『リトルピープル』という言葉を
記号に置き換えて
とりあえず文章の調子を確かめるように
読み進めた」


本を読むのは主に地下鉄の移動中、
でもこの時期、部屋に戻っても
鞄から本を取りだして
まさに読みふけった。
読み終えてもう一度読み返して
10日あまり、幸せな時間を過ごした。

何を言いたいのか本当のところは
分からないけれど、
何かの象徴としてのキーワードが
頻繁に登場し、
現実と空想の世界の間を
危うい綱渡りをしているような
奇妙な浮遊感を味わった。


それでも文章は平易で読みやすく、
とりあえずあれこれ考えて
思い悩んで立ち止まることもなく、
久しぶりに音楽もかけない、音のない空間で
コーヒーの香りだけを側に
本と向き合う時間を過ごして
本の感想もさることながら
こんな時間の使い方さえ新鮮だった。

ラスト近く、
「この後どうなるんだろう」と
Book3があるのかもと思いながらも
この次ってまた5年とか待たされるのだなと
物語の主人公の様な深いため息をついた、
声をかけても誰も答えてくれない
深い井戸の底の底をのぞきこむように。

発売2週間を待たずに100万部突破という
社会現象となっていながらも
内容について話す人は驚くほど少ない、
感嘆に「こうだ」と感想を言えるような
内容でもないし、
この本を多くの人が読んで
「他の人はこの本をどう読んだのだろう」と
様子を窺っているようで
その雰囲気も面白く思える。

これまでの集大成のように
オウムを思わせるものや、善なるものの
不完全さや、自分の立つ足下がいかに脆いか等々、
様々な部分に自分が引っかかる何かを
見つけられるような
不思議な読書体験だった。

★100店満点で90点★

http://yaplog.jp/sora2001/

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不思議な世界。

2010/07/09 09:19

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:かず吉。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹さんの著書は、今まであまり読んだことが
なかったけれど、あまりに本が騒がれるから、興味が湧いて
読んでみました。

二人の登場人物の視点で交互に描かれる世界。

二人の接点はまったく見えないまま、心のどこかで
「あれ?」と思いつつ読み進めていくと、徐々にだけど
確実に二人の世界はシンクロしていることに気づく。

性的暴力の酷さを考えさせられる部分があるかと思うと、
性的なことを普通に、もしくは過激に楽しんでいる人たちも
いて、なんだかいろんな面でこの小説は考えつくされて
バランスがとれているんだなぁと変なところで感心した。

二つの月の浮かぶ世界と1Q84。
なぜ1984ではなく、1Q84なのか。
本を読む前からずっと疑問に思っていた。
それがあっさり解決したのだけど、
いったい物語がこれからどういう風に進んでいくのか、
そして、Book3の結末はどうなるのか。
とても気になっている。

とても完成された、残酷だけど静かな世界。
そして二つの月にリトルピープル。

今は1Q84の世界の虜です。

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