紙の本
理学部初年生必読の書
2009/12/27 19:29
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の後半に出てくる数学の理論は、私の数学的素養ではほとんど理解できなかったが、「はじめに」で著者の述べている文化史・文明史的な視点で、数学の大きな流れを知るという試みには参加できたと思う。思想的な側面の掘り下げはやや物足りなくも感じられたが、このような専門分野の歴史を記述することは、専門分野が理解できていて初めてできることであり、歴史家であればよりよく書けるわけではない。
ところどころで、リニアな東洋数学に言及しながら、西洋数学における深層的推移を「計算すること」と「見ること」という二つの側面の相克や統合として丁寧に説明してくれている。特にこれから数学に挑もうとする人にとっては、他の分野同様多岐にわたり細分化された理論にいきなり取り付くのではなく、数学という宇宙の中でその理論や自分の位置を知ることができる。また、興味を持った分野に関しては、推薦図書を示してくれているので参考になる。
そして、何よりも能力の如何にかかわらず数学を楽しむ精神や歓びを感じさせてくれるところが素晴らしい。それはまた、数学に限るものではなく、すべての分野に共通する学問する楽しみである。さらに、数学者を目指す日本の若者は、関孝和、建部賢弘、高木貞治、小平邦彦、谷山豊、志村五郎といった名前に出会い勇気づけられるだろう。
量子力学においてリーマン予想が大きな鍵を握っているのではないかと考えられている現在、数学科に限らず理学部の初年生には必読の書であり、数学好きの早熟な中高生にも勧めたい本である。
※「ユークリッド原論」を傍らに置いて読むといいでしょう。
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古代中国やメソポタミア、ギリシャの高度な文化から始まり、フェルマーの最終定理や現代の集合論に至るまでの、数学の「思想的な」歴史をたどる壮大な物語。数とは何か、数学する(数学を数学的に考える)とはどういうことかを、深く深く考えさせられる本です。
読んでいて最初にぶつかるのが、そもそも数とは何かという、基本的でありながら容易に答えを出せない問いです。海外ではどうか知りませんが、日本語の「数」は音訓2通りの読みによって、数字や具象物に付随する計算などでは「かず」、抽象的に数学する場合には「すう」と読む。と、そんなことを、確か中学の数学で習った気がします。茲で問題になるのは、人間にとって数はいったいいつから「すう」たる存在と成りえたか、ということでしょう。個人の発達では、「すう」のような概念を扱えるのは、形式的操作という認知処理を行えるようになる10歳以降と思われます。個人がその際に体験するコペルニクス的な大変化を考えるとき、歴史の中で人間の思考が具象を離れるのは、とても重大な事件だったように思えるのです。
現在世界を席巻している西洋数学が、古代ギリシャの数学を起源としているということは周知のことですが、筆者は本書で、そのために数学自身が抱えることになった根本的矛盾を何度も指摘しています。それは代数と幾何との間にある、計算することと図を描くこと、もっと言えば、ルーティン化された解決法と直感による解決という2つの間にある齟齬にほかなりません。私たちは教育課程で数学を習う中で、数によって図を表し、図から数を返すという行為を当たり前のことだと考えてしまいがちです。しかし、そこには凡人では分からないような大問題が隠れているようです(数と図との関係ですら、中学生には理解しづらいことだというのに!)。図という連続と数という離散、あるいは、線という連続と点という離散。心理学領域での「スペクトラム仮説」を巡る議論をはじめとして、自然科学的アプローチでは必ず問題になるこの2つの捉え方は、西洋的、あるいはギリシャ的なものの考え方に孕む宿題を、今の私たちに残しているのかもしれません。
本書は初心者向けに書かれたものかと思いきや、要所要所でかなり高度な数学理論が紹介されています。それは限りなく平易に記述されていますが、残念ながら私は、筆者がもっとも取り上げたかったというリーマンの業績を、あまり理解することができませんでした。1+2+3+4+…と、自然数を「無限に」足した解がなぜかマイナスになるという定理でつまずいているようでは、まだまだ数学を理解する道は遠いということでしょうか。
(2009年7月入手・11月読了)
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東洋数学についても論じられているのが新鮮。著者が言うように確かにガロアは群論とか、フィボナッチは数列、とか薄ぼんやりと西洋数学者については知っているけど関孝和については何も知らないな…。和算の本も読もうかなぁ。
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19世紀以降の数学については理論の名前だけ挙げて「難しいから詳細を知りたい人は自分で調べてね」というスタンス。
西洋数学と東洋数学という対比もお題目として挙げただけで尻切れトンボ。
現代数学につながる大まかな流れはわかるにはわかったが構成については疑問を感じずにいられなかった。
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[ 内容 ]
古代バビロニアで粘土板に二次方程式の解法が刻まれてから四千年、多くの人々の情熱と天才、努力と葛藤によって、人類は壮大な数学の世界を見出した。
通約不可能性、円周率、微積分、非ユークリッド幾何、集合論―それぞれの発見やパラダイムシフトは、数学史全体の中でどのような意味を持ち、どのような発展をもたらしたのか。
歴史の大きなうねりを一望しつつ、和算の成果や19世紀以降の展開についても充実させた数学史決定版。
[ 目次 ]
第1章 数学の芽
第2章 数学の始まり
第3章 西洋数学らしさ
第4章 古代から中世へ
第5章 カメに追いつくとき
第6章 計算する魂
第7章 曲がった彫刻
第8章 見えない対称性
第9章 形に対する悦び
第10章 感性の統合
第11章 フェルマーの最終定理
第12章 空間と構造
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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数学史をある程度テーマ毎にまとめて流れを読ませてくれる。
近代ぐらいまでは何となくイメージできるのだが、リーマンさんが出てくると難解。ここを転換点として、厚く書いているのだがついていけない。
リーマンさん入門書みたいなの探して読んでみよう。
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途中から分からない専門用語が多くなり、終始置いておかれないように食いついていくのがやっとだったが、へー、そういうことだったのかという部分は多々あった。
・ユークリッドの互除法
・中国と日本の数学
・ピタゴラスの三つ組
・ニュートンとライプニッツの微分積分のアプローチの違い
・不足角、ユークリッドの第5公準
・プラトンの三つ組と正多面体
・ガロア理論と対称性と表現論
・射影幾何学
・レム二スケート曲線は楕円関数の一つ
・素数の性質の二段階
・理想数からイデアルヘ
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「古代ギリシャ世界から始まり、中世アラビア世界を経由して、その後ヨーロッパ世界に流入」(p.i)する「西洋数学」の流れ、そして「古代中国に起源を発し、近世以降の日本に和算という独特の数学の伝統をもたらした」(同)「東洋数学」の流れについて概説し、その2つが統合されていきつつある「現代の数学」について述べられている。
数学の門外漢が読むと、ほとんど理解不能な部分もあったが、そのエッセンスというか、ある枠組みが取っ払われてもう1つの枠組みが構築されていく様子が、まるでミステリーのどんでん返しのような感じがして、面白いと思った。
まず数学には「『計算する』という数学の形式的側面と、図形を『見る』という直観的側面」(pp.15-6)の2つの側面があって、いわば縦糸と横糸のような2本がどう織り合わされていくのか、といった面があるということに気付かされた。これに符号するように、本書のサブタイトルである「正しさへの挑戦」に示されている「正しさ」というのが「知性的な精神活動であるという側面と、感性による受け入れという側面」(p.34)があり、長い引用になってしまうが、「数学するという行為においては、直観の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。数学の進化とは、正しさの直観能力の進化である。それは人間の悟性が、より抽象的な世界の中に新たな正しさを見出すことである。そして数学における抽象化とは、対象やパターンに対する意図的な健忘を通して、人間の感性を洗練することに他ならない。」(pp.34-5)という部分は、おそらく数学を研究する上で心得ておくべき大事な部分、というか数学の持つ「美しさ」を発見する上で必要な認識なんだろうなと思った。数学に限らずすべての自然科学、あるいはそれをモデルとした諸分野で、こういった感性を研ぎ澄ます必要があるのではないかと思った。逆に緻密な演繹的作業が行われていても、感覚的に違うと思うような理論は、全人類的な学問にはならないんじゃないかとも思った。
議論からは逸れてしまうが、なぜ古代ギリシャ人が色んなことを思いついたのか、というあたりの説明が面白い(pp.76-8)。要するにヒマだったから、とか計算が苦手だったから、と説明されている。ヒマな人たちがいないと哲学に帰結されるような学問は発展しないのかな、と思ってみたり。
具体的な数学の話としては、やっぱり微分の話が面白い。微分というと、単にグラフ書いて接線の式を求めるとか、そういう作業的なものという意識がおれには強いが、要するに「運動の瞬間速度を求めることと、函数のグラフの接線を求めることは、同じ数学的現象を二通りに言い表したものに過ぎない。どちらも『変化率』、つまり変化の割合が問題となっているからだ。」(p.129)のあたりが、面白い。どんな曲線もある1点から極めて微細な距離を持った点までは直線なんじゃないか、という。そもそも点という概念の難しさや、極めて微細な、というあたりの、限りなくゼロ、無限、という概念が数学の中の大きなトピックになっているように思えた。
また、やっぱり非ユークリッド幾何学の発見、というのはよく分からないけどすごいと思った。平行線は交わる、という考えを積極��に認めようとする理論なんて、凡人には思いが至らない。
というように、よくは分からないけど、数学の発展の歴史を概観しながら、数学とはどういうことをどういう風に考えるものなのかということをそれなりに知ることはできる有益な本だった。よく言うことではあるけど、こういうことを理解していれば高校の数学はもっと面白いと思ったかもしれない、という月並みな感想を持った。(15/01/2-)
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2009年刊行。古代から現代までの数学の史的展開を簡明に解説。この種の本は類書も多いところであるが、数学の議論の発展に及ぼした影響を検討する上で、西洋哲学と全体的美を重視するギリシャ的美的感性とを重視する点は興味深い。
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紀元前のユークリッド「原論」やアルキメデスからフェルマーや現代の研究者までの数学の歴史について記したもの。簡潔にまとめられているが、素人には内容が難しい。特に近代の数学の理論は理解できなかった。印象的な記述を記す。
「ユークリッド「原論」」
「アルキメデス」
「フィボナッチ数列(ウサギの繁殖行動)
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55..
隣り合うフィボナッチ数の比
Φ=1+1/ 1+1/ 1+1/1+...=1+1/Φ
=1+√5/2
=1.618033989...(黄金比)」
「オイラーのゼータ関数
1/1※2 +1/2※2 +1/3※2 +1/4※2 +...+1/n※2 =π※2/6」
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数学するということが、そもそも、どういうものであるかというところから始めているのが素晴らしかった。
割り算が、文明によって、異なる処理のされかたをしているのが興味深い。特に、ユークリッドの互除法が割り算と強い関係にあったことに気づかされた。
ニュートンやライプニッツが微分積分学を発見したとは言い切れないというところに面白さを感じた。
和算がどういうものか気になってきた。ただし、西洋の数学は内に矛盾を貯めているのが特徴のようである。
射影幾何学は長さや角度を無視する幾何学であるということを知り、ためになった。
素人でも理解できるのは、19世紀くらいまでだと思った。20世紀以降は、層や多様体、作用素環やスキーム、トポスは理解しにくいかもしれない。
主軸として、計算する数学と計算しない数学(見る数学)をもとにしているので、読みやすかった。
主題があるので、歴史の順序が右往左往するが、それは、最後の年表をみれば済むことなので、気にすることはないと思う。
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古代からの東西の数学の歴史を、「体型構築」や「感性」の観点で解説する。非ユークリッド幾何学の意義に関する理解が深まったし、リーマンのことを学びたくなる。日本の数学のことも少し知れた。もっと勉強すればさらに意味がわかると思う。
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第一章「数学の芽」、第二章「数学の始まり」、第三章「西洋数学らしさ」、第四章「古代から中世へ」、第五章「カメに追いつくとき」、第六章「計算する魂」、第七章「曲がった彫刻」、第八章「見えない対称性」、第九章「形に対する悦び」、第十章「感性の統合」、第十一章「フェルマーの最終定理」、第十二章「空間と構造」。西洋、東洋を含めて、数学の歴史を物語る。現代に近づくほど、説明される数学の内容が難しい。より抽象度が高くなるからか。
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古代から現代に至るまでの数学の通史を一気に読み通しました。数や図形から始まった数学の始まりから、現代までの捉え方とその間にあった出来事などが簡潔にまとめられていると思います。より詳しいことを知ろうと思えば、個別の数学的事象について学び続けることが必要ですね。それと同時に、この物語を読むと、普段使っている数学が数世紀前の数学だなということを実感します。今の数学を知り、使えるようになればできることも増えてくるのだろうと思います。やはりいろいろなことを知り、手を動かすことは大切だなと考えます。