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日本辺境論(新潮新書)

  • 発行年月:2009.11
  • 出版社:新潮社
  • レーベル:新潮新書
  • サイズ:18cm/255p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-610336-0

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日本辺境論 (新潮新書)

内田 樹 (著)

紙書籍

799 ポイント:7pt

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電子書籍

648(6pt) 日本辺境論(新潮新書)

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商品説明

【新書大賞(第3回)】常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱...続きを読む

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商品説明

【新書大賞(第3回)】常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

内田 樹

略歴
〈内田樹〉1950年東京都生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想など。「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞受賞。

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わからないなりにわかってしまっている日本

22人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2009/11/16 00:52

評価5 投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

今を生き延びることに必死な人間は、世界観なんて持てない。
首を上に持ち上げるのは、空を見るためではなく、電車の中吊りとか
マックのメニューを見たりするときで、この国では働けども楽に
ならないときは星ではなくじっと手を見ることになっている。
世界観のない人間集団は世界の中心にはなりえず、いつまでも
どこかにありそうな世界の中心をキョロキョロ探している。

内田先生は新著で、世界の辺境でキョロキョロする日本人の習性を探る。
中華思想の遠隔地で生まれた辺境である極東日本は、いつも学びの対象を
探している。いつの間にか日本だった日本は、日本であることにいつまで
経っても自信がなく、「国際社会のために何が出来るのか、自らに真剣に
問うたことが一度もない」。

では今この国で効率的な模倣の学びが機能しているかというと、どうも
そういうわけではないようで、師を設定し師から師以上のものを引き出す
ような学びのダイナミズムもどうやら薄まってきているよう。

ということは、世界の端っこにいて国際貢献を真剣に考えもせずに
学ぶ力さえ弱まっているとしたらそれはかなり危ない状況ではないか。
内田先生曰く、学びとはそれをやってどうなるのかもわからない状況で
始まるもので「わからないけど、わかる」状態に辿り着くことだという。
身体をきめ細かく使い、機を見るに敏な身体が出来ていれば、
「わからなくても、わかる」。その意味は、本当に「わからなくても、
わかる」。

今の日本に生きる人々は、なんとなくこの国の行く末をわからないなりに
わかっているように感じる。世界をキョロキョロすれば、繁栄から下山に
向かった国は日本だけではないし。そんな世界で、いまだかたくなに
日本語で話し続け、書き続ける我々は、わかるヒトにしか伝わってない
かもしれないけれど、すでにこの地球上でエッジな存在感を出せているの
かもしれないし。

中心なんてなくなってしまった世界で、エッジな臨場感を感じつつ
そこそこ楽しく生きていくとしたら、今ここにある星空を眺め田畑を
耕し豊穣な日本語で理想郷を描いた岩手県人のように、どこまでも
開かれていてなおかつすごい謙虚にコウベを垂れて歩くような、
そういうものに私もなりたい。

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言い得て妙の日本人論

9人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2011/05/03 11:19

評価5 投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 話題になった本である。帯によると「新書大賞2010」第1位になった本である(そんな賞があることを初めて知ったが)。そして「養老孟司さん絶賛」とあるが、読んでみると著者である内田樹が自ら「これは養老孟司さんからの受け売りです」と何度か書いているところがあり、なるほど、そりゃそうだろうと笑えてくる。例によってインチキ臭くて正しい内田樹の名文である(こんな書き方するとこの書評の評価は下がってしまうんでしょうけどw)。
 内田樹の面白さはひっくり返したものの見方である。もっとも内田樹にしてみれば従来の見方のほうがひっくり返っているのだろうが…。それを「あんたたち、逆立ちしてるよ」と指摘してくれる町のご隠居が内田樹なのである。
 そして、内田樹の魅力の第二は解りやすさである。論理の明快さもあるが、叙述の巧さもある。時としてかなり前の方に結論を書いてしまう。書いてしまうだけではなく「結論を書いてしまいましたが」と明確に宣言してくれる。このお茶目さが読者の理解を助けるのみならず、読者の気を逸らせない。
 ここでは「辺境性」というキーワードで日本人を輪切りにして行く。大雑把に触っておいて話があちこちに飛ぶ。その繰り返し。本人が言う「ビッグ・ピクチャー」あるいは「大風呂敷」である。
 第1章・2章は非常に分かりやすい。平たく言うと「日本人には自分がない」という、従来から何度も言われている論に近い。しかし、「辺境」という地理的関係から日本人の根源を捉え直したところが内田の独創性である。まさに言い得て妙の日本人論である。そして内田の内田らしさ、かつ確固たる論理性はここからで、彼は第1章の終わりをこういう記述で締める。

 こういうことを書くと、「なるほど、それが日本人の限界なのですね。では、アメリカや中国のように指南力のあるメッセージを発信している国を見習って、わが国も発信しようではありませんか」というふうについ考えてしまう。私の本がそういうことを主張しているというふうに「誤読」してしまう。あのですね、それが「世界標準準拠主義」であるということを先程から申し上げているんです。(98ページ)

 これが内田樹なのである。で、余談だが、この「あのですね」が如何にも内田樹らしい(笑) そして、彼はこう続ける。

 私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。(100ページ)

 そう言われるとなんだか肩透かしである。ご都合主義のような気もする。しかし、そういう結論にするしか、もう日本人を救い上げる方策はないような気もする。確かに救いの感じられる前向きな提案であるような気がしてくるから不思議である。
 第3章になると少し観念的・抽象的な話も混じってきて難しくなってくる。しかし、それは逆に内田の専門分野の知識によって補強されているということの証左であって、この3章によって論旨はさらに屈強なものとなる。
 ところが、最後にまた眼から鱗の単純明快な結論なり提言なりが書いてあるのかと思ったら、なんだかするりと終わってしまう。大きな風呂敷包みがふわりとほどけるように。
 ま、あとは自分で考えろということか。あるいは一緒に考えて行きましょうということか。ともかく、ここで考え終えてはいけないということなんだろう。
 なんだか煙に巻かれたようないつもの内田樹である。知的ゲームであるように見えて、実は生きるための本質に触れているいつもの内田樹である。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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日本人の「学び」について

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2010/02/07 11:16

評価5 投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者の本を読むのは これで3冊目である。前の2冊同様、大変興味深く読めた。

 本書は「日本論」であるが もっと言いきってしまうと「日本人の学び方」という内容だと判断した。元来 文化を発信する立場ではなく受信する立場(その立ち位置を辺境と著者は呼んでいる)にあった日本人が どのように外来の文化を受けとめ、消化してきたのかという論が本筋である。要は 元来「受け身でしか有り得なかった」という経緯が「日本人」というものを作り上げたという考え方である。

 「受け身」というとネガティブな印象も受けるし かつ著者も ある種の「受け身」部分に関しては 日本人に落胆しながら書いている部分もある。但し「受け身」を続けることのしたたかさについても主張していることも確かだ。

 実際 ラーメンやカレーライスというものを考えても 我々の「受信」と「変更」の強さが分かる。「インド人もびっくり」というコピーが昔あったが 日本のカレーライスを自国の食べ物だと思うインド人はなかなかいないような気がする。それだけ 日本人は自分の好みに作り変えてしまう力に優れているからだ。これは自動車産業などが最も好例だろう。日本車が世界を席巻する時代が来ると想像出来た人が1945年に世界にいたとは思えない。カンバンが 世界で通用する言葉になったことは 日本人の「学んだ結果」が世界的にも評価されたということだ。

 著者は そんな「受け身」が良いとも悪いとも主張していない。「そういうものだから まずそれを理解しましょう」ということなのだと思う。その「理解しましょう」という部分を推進するために いささか蛮勇を奮って本書を書いていることは良く分かる。「哲学」というものを象牙の塔や 難解な専門用語の山から助け出したいということが 著者のいくつかの著作を読んで感じる点である。これは正直 非常に有難い。僕も 少しづつ哲学を学びたいと思っている多くの人の一人だからだ。

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現代の日本を読み解くヒント

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2016/03/25 13:12

評価5 投稿者:よし - この投稿者のレビュー一覧を見る

内田さんの本は,何冊か読みますが,このような講義内容を聞ける学生さんは,幸せですね。日本ならびに日本人のidentity的なもの,目からうろこに感じます。これを読めば,いまの日本が東アジアで置かれている立ち位置,メンタルなものから読みとけて,納得できます。

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「日本語」から日本人性を考えてみる面白さ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2013/03/05 19:08

評価5 投稿者:うーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ぼく」と「私」の差を、外国語に翻訳できない、の一言でとてもうまく日本人性を言い当てる感性の鋭さを感じる。

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新書大賞受賞 内田樹 「日本辺境論」の内容紹介

5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2010/03/09 23:32

評価4 投稿者:トグサ - この投稿者のレビュー一覧を見る

専門はフランス現代思想ですが、専門にとらわれず教育論など多くの著作がある内田樹(たつる)氏であるが、この度、この『日本辺境論』で新書大賞を受賞したようです。

「はじめに」で内田樹(たつる)氏は、この『日本辺境論』は「辺境人の性格論」は丸山真男からの、「辺境人の時間論は澤庵禅師(たくあんぜんじ)からの、「辺境人の言語論」は養老孟司先生からの受け売りであり、ほとんど新味がないとしています。
しかし、僕にとって丸山眞男 は馴染み深いものでありますが、澤庵禅師(たくあんぜんじ)や養老孟司氏 の言語論に疎い僕にとっては十分、新味のある論であった。
そして何故、そんな新味のないと言う日本人論を繰り返すのかというと、内田樹(たつる)氏はごみ掃除に例えています。
また、多くの先人たちが、その骨身を削って築いた日本人論を私たちは、まだ内面化していないのではないかと内田樹(たつる)氏は語っています。

そして中華または世界に対して辺境人である日本人をマイナスとして捕らえるのではなく、とことん辺境で行こうではないかという提案を内田樹(たつる)氏はしています。

<目次>
1 日本人は辺境人である
2 辺境人の「学び」は効率がいい
3 「機(き)」の思想
4 辺境人は日本語と共に

<内容紹介>
1 日本人は辺境人である
内田樹(たつる)氏は、「大きな物語」が失効した事を嘆き、本書『日本辺境論』を執筆した動機も、そんな「大きな物語」を語る知識人が減った事への異議申し立てだという。
そんな「大きな物語」が失効した主因は、内田樹(たつる)氏によるとマルクス主義の凋落だと言う。
僕はマルクス主義の凋落だけが「大きな物語」が失効した原因とは考えないが、日本の現代思想の期待の星である東浩紀などが、『動物化するポストモダン 』などで「おたく」などミニマムな素材にして「小さな物語」を語るのには、それはそれで意味があるだろうが、何だかイライラさせられてしまいます。

梅棹忠夫の『文明の生態史観』を引いて、本書の主張を内田樹(たつる)氏は「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識に」に日本人が取り憑かれているとしています。
ただ、このことを内田樹(たつる)氏はマイナスばかりではなく、日本人のしたたかさも生み出していると主張します。
旧来のマルクス主義者に見られるように、このことを後進性とかいったような捉え方ではなく、古来からの日本人の基本的特性であるとした点に、この内田樹(たつる)氏の『日本辺境論』の新しさというものがあります。
外来思想を受け入れる時の、その変容のパターンには驚くほどある共通した態度がみられるとし、私たちはたえず新しいものを外なる世界に求めていると丸山真男の言葉を借りて表現しています。

また、私たち日本人は他国との比較「よその国はこうこうであるが、わが国はこうこうである。だからわが国のありようはよその国を基準にして正さねばならない。」という文型でしか語れないと内田樹(たつる)氏は指摘します。
最近の保守派の論客が語る「よその国はどうであろうと」とかや日本文化特殊論もやはり他国の比較で自国のことを考えるという点では同じかもしれませんね。
また、我が国のいわゆる現実主義者は既成事実しか見ておらず、自らが「現実」を作り出そうとしないことを、先の第二次世界大戦中の出来事を引いて興味深く語っておられます。

僕は無性にもう一度、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」が収められている『〔新装版〕 現代政治の思想と行動』を読み直したくなりました。
憲法九条と自衛隊の矛盾についても、日本人が採用した「思考停止」についても内田樹(たつる)氏は日本人の狡知の一つだと位置づけます。

2 辺境人の「学び」は効率がいい
我々、日本人が「ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるもの」であると太古の昔から無意識下に考えて、その「ほんとうの文化」を学ぼうと考えていたらどういうことが起こるでしょうか?
そうです。聡い人は、もうお気付きですね。我々、辺境人は「学び」の効率がいいのです。
このことは、本書『日本辺境論』で初めて僕は気づかされました。
このことを、内田樹(たつる)氏は「優れた学習装置」である“道”について考察しています。
武士道、茶道などの指定と弟子らが織り成す“道”です。
また、学びへの過剰適応と呼ぶ、我々が「立場が上とされる人」への過剰適応についても。

3 「機(き)」の思想
ここで内田樹(たつる)氏は、「機(き)」という概念を手がかりにして、「時間意識の再編」という哲学的課題に宗教者たちがどう答えたかについて澤庵禅師(たくあんぜんじ)の考え方を引用し、我々、辺境人の主体について考察しています。
そして、そのように研ぎ澄まされてきた主体は、外来から受け入れるべきものとそうでないものについて先駆的に(アプリオリに)知っていると内田樹(たつる)氏は言うのです。

4 辺境人は日本語と共に
そして内田樹(たつる)氏は、日本の辺境性をかたちづくっているのは日本語という言語そのものであるという仮説を、ここで吟味します。
英語のIを日本語では、私、僕、俺とかいうふうに幾つもの人称代名詞が存在することを指摘することから始まり、日本語は、表意文字である漢字と表音文字であるかなを併用する特殊な言語であり、漢字と仮名は日本人の脳内の違う部位で処理されており、そのことが日本において「マンガ」という表現手段が特異的に発展した理由であると、養老孟司氏の指摘を借りて主張されています。
また、教養書において、時々見られる一般読書に解り易いように、難解な欧米等の哲学書の引用とかを噛み砕いて話法も、ここ日本だけに見られるものだそうです。

内田樹(たつる)氏自身が「あとがき」や「はじめに」で何度も繰り返されているように、この『日本辺境論』は大風呂敷で、議論もあちらこちらに飛び火するので、読んでいる時は、「まとまった意見」というようなものが見えず、面白みにかけているように感じたのですけれども、大風呂敷だからこそ、この『日本辺境論』内の議論は、大いに発展させるべきものが沢山あると思います。

僕のブログ記事より。

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とことん辺境で行こうと呼びかけ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2010/01/30 01:19

評価3 投稿者:狸パンチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

内田樹さんの書いたものは、首肯できるものが多く、ブログや中央公論のコラムは愛読しているので、話題になっている本書はかなり期待をもって読み始めました。期待が大きかったせいでしょうか、8割ぐらいは大いに納得し、残りの2割は首をかしげる論だったと思います。

 日本が世界のなかで「辺境」であるということは、これまでに山ほど「日本特殊論」が出ているように、多くの人に共有されている考え方だと思います。内田さんは本書で「辺境」ということをこう定義しています。「『辺境』は『中華』の対概念です。『辺境』は華夷秩序のコスモロジーの中に置いてはじめて意味を持つ概念です。世界の中心に『中華皇帝』が存在する。そこから『王化』の光があまねく四方に広がる。近いところは王化の恩沢に豊かに浴して『王土』と呼ばれ、遠く離れて王化の光が十分に及ばない辺境には中華皇帝に朝貢する蕃国がある。これが『東夷』、『西戎』、『南蛮』、『北狄』と呼ばれます」。

 つまり日本は東夷という辺境になるわけですが、卑弥呼から日本はその地位に同意署名をしました。中国との関係は歴史上いろいろと変化をしましたが、「東夷」つまり「辺境人」であるという概念は、中国との関係という実体性の問題とは関係なく、今日までずっと日本人を規定しているという考え方です。自分は劣っているという意識・無意識があるので、外来のものは異常なほどまでにありがたがり、開放的に取り入れていく。内田さんは、「華夷秩序における『東夷』というポジションを受け容れたことでかえって列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した」と指摘します。朝鮮は中国文化をそっくりまねようとしたのでオリジナルになれなかったけれど、日本はあえて中国から遠いというハンデを逆手にとって、外来のものを工夫して加工できたということです。それは日本優位論というより、辺境人とはそういうものだと中立的に内田さんはみなしています。近代以降も同じことで、今度は西洋のものをありがたくいただき、それを工夫加工していったということです。

 だから日本は自分たちの文化や思想を「世界標準」にするという意思や行動はまったくもっていませんでした。いいものは「外」からやってくると考えているのですから、当然でしょう。内田さんは「とことん辺境で行こう」と言います。先の戦争も、日本がたとえ間違ったものであっても何がしかの思想をもって行ったのではなくて、西欧列強という世界標準に「追いつこう」としたことがエスカレートした結果であると、内田さんはみます。

 日本人の心性については、丸山真男が指摘した「きょろきょろ見る」ということだと定義します。「きょろきょろ」することが日本人だと、それはその通りだと思います。内田さんは、さらに「辺境人は学びの効率がいい」、日本人の時間論、日本語論へと論を進めていくのですが、文章は平易なのですが、私にはよく分からない、なっとくできないことが多かったです。「学ぶ」ということには、どんな師についても「学びを起動」することができるといいます。時間論は武道の考え方に沿いながら、「先駆的に知る力」があり、「自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力」だと述べます。つまり、日本人はなんにでも「飛び込む」ことができる。飛び込んで、効率よく学ぶことができる「辺境人」というのですが、私にはよく理解ができませんでした。

 日本語論は比較的、明快です。文字のは表意文字(漢字)と表音文字(仮名、アルファベットなど)がありますが、日本だけが両方の混じり書きを続けています。朝鮮は漢字を捨ててハングルだけにしましたし、ベトナムもアルファベットにしてしまった。西洋ははじめから表音文字です。混じり書きの強みは、いろいろ言語学的、身体論的な要因によって識字率が上がるといい、さらに日本だけが漫画という文化で一人勝ちができたというのですが、本書を読んでもその筋道が納得できませんでした。

 文章は平易なのですが、新書ということで、内容を詰め込みすぎて、失礼ながら飛躍が多かったのでしょうか。そんな印象を持ちました。「とことん辺境人で行こう」という提唱には大賛成です。日本は小国という自覚をもったほうが日本人は幸福に生きられますし、政治や経済での国際的な力の低下のなかでは、日本が進むべき道として正しいと思います。論理が飛躍しているところを自分なりに生めながら、再読しなければいけないかな?という読後感でした。

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評価4 投稿元:ブクログ

2012/05/10 11:21

日本人とは辺境人である―すなわち、常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民であるとする日本人論。

いつもどおりの内田節で、印象的なところが多い。とくに「恫喝の語法」(p218)は、最近ぼんやりと考えていたことをびしっと説明してくれたので、特に印象深い。

とはいえ、気になったことがひとつ。内田は「辺境人の宗教的アポリアを解く道筋」として「「機」の概念」を持ち出す。「「機」の概念」について、内田は「啐啄之機」という言葉で説明をする。すなわち「母鳥も雛鳥も、卵が割れたことによって、その瞬間に母として子として形成された」「卵が割れる以前には母鳥も雛鳥も存在しない」(p182)考え方(理屈)だとする。

一方で、「学ぶ力」について内田は次のように述べている。

「「学ぶ力」とは「先駆的に知る力」のことです。自分にとってそれが死活的に重要であることをいかなる論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力のことです」(p197)

そこで、「学ぶ力」が以上のようなものだとしたら、「死活的に重要であること」かどうかもまた、「「機」の概念」を応用させて、その瞬間にはじめて「形成」されるものとは言えないのだろうか。言い換えれば、「死活的に重要である」と考える「主体」もまた、その瞬間に形成されるのではないだろうか。

評価0 投稿元:ブクログ

2013/06/20 21:50

華夷思想から宗教、武道、日本語の特性などなど、ウチダ先生らしくいろんなジャンルを網羅しつつ展開する日本辺境論。うなずくところも多々あり。鈴木大拙を引用した「機」の話などは昨今サッカー日本代表の試合を観て感じていたことそのものでニヤリとしてしまった。

評価3 投稿元:ブクログ

2010/05/15 17:25

後輩のSに薦められたので読んでみたのだけど、珍しく中身のある興味深い新書だった。新書に価値があるものなんて、一握りなだけに、これは貴重。だと思う。日本人のものの考え方、学び方がどれだけ独特なものなのか、に気付かされた。そうだなぁ、確かに、と。頷きっぱなしで読んでいた。日本は本当に辺境だ。そして、辺境だからこそ独特なものの考え方を持っていて、学び方を持っている。それをどううまく転換できれば、もしくは英米などの思想と混ぜ合わせられれば、次の展開が見えてくるのか。とかを考えながら読んでいた。(10/3/14)

評価2 投稿元:ブクログ

2011/11/06 14:32

 本書は「大きな物語」の喪失という現代の状況に対する異議申し立てとして、過去の日本論・日本文化論を紐解き、日本人の思考様式の立脚点を再確認しようとする試みである。ただし、著者がまえがきで書いているように、本書では新しい視点を提示するわけではなく、ことさらに日本の思考形式を美化・賛美する視点にも立たない。あくまで日本人の思考形式は、自ら主体的に作り出すよりも、日本人ではない外・他の文化思考をメインに据え、その対比として「辺境としての日本」を据えて自己規定することを、梅棹忠夫『文明の生態史観』の内容を取り上げながら説明する。日本人は過去に一度も自らの責任で主体的に思想を作り出したことがなく、外の思想を取り入れ、それを日本人の思考形式に適合するように驚異的にカスタマイズしてきた民族であることが過去の歴史から分かることだとする。だからこそ日本人は常に自らの外にある(とされる)中心を必要とし、それに「学ぶ」民族なのだとするのである。
 だから、本書の意義があるとすれば、過去の日本論を再提示したことに意義があり、著者が新たな視点を提起したことに意義があるのではない。ともすれば、もう少し精緻な内容を読んでみたかった。図書館で借りて読めば十分。

評価4 投稿元:ブクログ

2011/01/08 01:06

話題になっただけあって面白かった。
日本を辺境としてとらえての展開は新しい視点。
こういうのを蓄積していって面白い話ができるようになれば…

評価3 投稿元:ブクログ

2010/04/15 03:05

著者自身が巻頭で宣言している通り、本書で論じられる日本人論には特に目新しさはない。「日本人とは何か?」という問いを発する時の、ある種の道しるべにはなるだろう。白眉は「学び」の哲学の考察だろうか。欧米と日本の「学び」を比較し、日本人の「学び」の特殊性を解き明かすくだり、それなりに読み応えがある。ただ、欧米の思想の流れを云々するには、余りにもキリスト教の教義に無頓着すぎる。そして、その無頓着さは、おそらく意識的なものだろう。日本の辺境性を議論するのにわざわざユダヤ教を引き合いに出すことまでするくせに、どうしてキリスト教の話題には触れもしないのか。ちょっと不誠実な本だとも思いました。

評価3 投稿元:ブクログ

2010/01/24 21:39

決してつまらなくは無いけど、『街場の中国論』を裏から書きました感が否めない。
個人的には、内田さんの作品は『レヴィナスと愛の現象学』と『ためらいの倫理学』と『死と身体』がぶっちぎりと思っている。面白い本が三冊も書けるだけで十分ではあるが。

評価5 投稿元:ブクログ

2010/03/16 00:01

うん。
これは文句なく面白い、知的快楽の本。

ベストセラーになるのも納得。

日本人が、正しいもの、正当なものを常に自分たちの外に置いてきた、ということを見事に解説つくしている。

あくまでもエッセイである、ということを強調しながら、読みやすい口語で縦横に関連する事象を取り上げているのは気持ちがいい。

- 敵をつくらなければ、負けようがない、という下り
- 日本人にとって仕事は"道"であり、"道"であるが故に
その過程で何が得られるか、は問うてはならない、
という考え方をする、ということ

は非常に感嘆したのでメモっておくこととする。

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