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2009.12.12購入。
学校と社会をいかに関連付けていくか。
普通科教育を受けても、社会に出たときに即適応できるかと言えばそうではないと筆者は指摘したうえで、社会の現実を教える必要があると説く。
社会に出る、そのために専門的な教育と使用者側への抵抗の手段について教育が教えるべきであるとする筆者の論は分かるが、具体的に「どのように」というのがなかったのが残念。それは筆者もあとがきで指摘している通りである。
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2010年最初の読破本。
今の高校生には「教科指導」の他に「現実」を見せることも重要。
ただ、それをどのように行うかが課題。
今の高校生を見ていると、なかなか難しいなぁ。
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課題文献
レポート、ウケ狙って書く。今になってちょっと狙いすぎたなとおもいつつ、提出期限まであと20分という時間を呪う。
「教育の職業的意義」に僕も賛成するところである。職業的意義を教育制度に考慮することで社会に対する知見もより高度なものとなるだろうし、それが昨今の「若者の政治的無関心」という問題の解決糸口にもなるのではないだろうか。
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いわゆる「就職」でなく「就社」であったこれまでの日本における教育と社会の関係の実体がよく分かった。これまでの日本は「何が出来るか(職能)ではなく、「どれだけ優秀か(潜在能力)」で人を採用するため、新卒一括採用、学歴主義が行われてきた。しかし、これこそ高度経済成長期に特有な状況であったのであり、戦後50年の状況こそ特別だったと言うことになる。したがって、いつまでも戦後の良かった時代の習慣にしがみついていることは出来ない。
また、最近大学でやたらと喧伝される「キャリア教育」なるものの怪しさを、本書を読んで再確認できた。「自分のキャリアを自分で作り出せ」「自分探し」「夢を追いかけろ」的なものはナンセンスだと思っていたが、単にプレッシャーを掛けるだけで、その様なことが一体何を生み出すのか。
筆者も最後に述べているが、本書は大学における職業教育において必要な要素を提示しているが、具体的なカリキュラム等を提示しているわけではない点に注意。
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先輩に借りた本第2弾。
はじめタイトルを見たとき、教師の職業倫理の話かと思ったが、中身は職業教育の話。タイトルが悪い。
じっくり読み込んだわけではないが、長い割には要は何、というところがよくわからなかった。特に現在職業教育が求められている背景。格差拡大・派遣労働?だけでは飛躍していないだろうか。
あと専門学校や資格学校がある中、職業教育が不足している背景がよくわからなかった。
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東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀による職業教育論。
【構成】
序章 あらかじめの反論
第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか
第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」
第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性
第4章 「教育の職業的意義」にとっての障害
第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて
職業教育には、労働への<適応>と<抵抗>という2つの側面がある。<適応>とは、実業系の高校・高専・専門学校で担われてきた文字通りの職業訓練である。<抵抗>とは普通科高校、大学等で学ぶ労働法規、職業選択等に関する適切な情報とリテラシーの学習などである。
明治以降、工業の発展とともに中等教育における実業教育が奨励・拡充され、昭和期には軍需拡大とともに職工の育成も重要視された。戦後に入り、旧来の複線的な学制を廃して単線的な6334制度が導入されたが、それは戦前以来変わらぬ中等教育における普通科教育への憧憬と実業教育軽視の現れであった。1948年から翌年にかけて実施された新制高校の誕生すなわち、複数学科を併置する「総合制」高校の誕生により、実業系高校の数は激減した。
1960年代に入り、ベビーブーム生まれの団塊の世代が高校入学年次を迎えると、時の池田内閣の施策により「経済発展における人的能力の開発の課題と対策」として、高校内での普通科と職業学科の生徒数比率維持ないし後者の増大の方針が出され、これに伴って職業学科の増員・細分化が行われていった。
このような1960年代の制度設計の前提には、財界が推奨してきた「職務給」制度があったが、現実に普及した「職能給」制度により、企業内では特定の職務遂行よりも個々人の総合能力に重きを置いた人事制度が敷かれた。そして、年功序列型の職能制度により、教育現場に対する職業訓練教育の養成圧力が弱まり、職業教育の意義は弱まり、いったん細分化し多様化した職業学科の定員は減少していくことになった。
本書では以上のような第2章で展開されている職業教育軽視の戦後史を辿った後、現状の中等教育・高等教育(大学)における職業教育・キャリア教育の欠陥を第4章で明らかにしている。そして、政策的にキャリア教育充実を図ると名目は立てられているが、実態としてキャリアに必要な技能・知識を賦与することなく、生徒に自己実現のプレッシャーばかりを与えることで、職業教育を受けていない生徒達は「自己実現アノミー」状態に陥っていると指摘する。
「教育と職業」という誰しもが関わり、社会構造の根幹に関わる壮大なテーマに対峙しながら、実証的な論証を試みようとする本書の価値は高い。「労働力実態」を構築する企業が、ホワイトカラー労働者の雇用にあたって、職業的意義を教育に要請していないこの現実をいかに変えていくべきかを考えるのが最も重要な課題であろう。
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[ 内容 ]
一九九〇年代に、若者の仕事は大きく変貌した。
非正規社員の増加、不安定な雇用、劣悪な賃金…。
なぜ若年労働者ばかりが、過酷な就労環境に甘んじなければならないのか。
それは、戦後日本において「教育の職業的意義」が軽視され、学校で職業能力を形成する機会が失われてきたことと密接な関係がある。
本書では、教育学、社会学、運動論のさまざまな議論を整理しながら、“適応”と“抵抗”の両面を備えた「教育の職業的意義」をさぐっていく。
「柔軟な専門性」という原理によって、遮断された教育と社会とにもういちど架橋し、教育という一隅から日本社会の再編に取り組む。
[ 目次 ]
序章 あらかじめの反論
第1章 なぜ今「教育の職業的意義」が求められるのか
第2章 見失われてきた「教育の職業的意義」
第3章 国際的に見た日本の「教育の職業的意義」の特異性
第4章 「教育の職金的意義」にとっての障害
第5章 「教育の職業的意義」の構築に向けて
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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日本の教育には仕事で活かすことが実利に直結する能力の涵養効果がない。現代の若者の失業率の高さ、フリーター・ニート問題。これらは社会の問題ではなくもはや個人の能力の問題である。だからこそ、教育が職業的能力を育む必要が生じるというのがこの本の骨子。
私はこの考え方に反対。というのも、職業的能力を学校が育むとしたらそれは学校ではなくて就職予備校になるからだ。むしろ、学生の勤勉が社会に評価するシステムを作るべきだ。なぜなら、それが学生のインセンティブになるから。
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最近のキャリア教育になんとなく違和感を感じていたが、その理由がこの本を読むとよくわかります。社会問題を個人の問題にすり替え、自己責任で解決しろという立場は問題です。戦後の高度成長時代に、その時代のニーズによって確立された終身雇用や新卒一括採用という制度を温存したままで、若者にキャリアを考えさせるのは若者を余計混乱させるだけです。しかし、どうすればよいのかという部分は結構難しい。まずは、この事実を若者が理解して戦略を考えることが必要。たあとえば、大学卒の男子の56%しか就職できないことを知るべきだ。
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表題から自分がイメージした内容では無くて、読んでて内容が全然入ってきませんでした。
不完全な現状を憂えていて、こういう風に考えられないだろうか、っていう意見ぽいことが書かれているのですが、何かが欠落しているように思います。
現実が色々な事象がからみあっての今なのに、それに対しての意見としては視点が少なすぎます。
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労働環境(日本型雇用慣行)の変化と、そこから表出する現状の教育問題、そして対案。
昨今話題の「キャリア教育」の課題も明確にしており、勉強になった。
高校段階からの専門教育(職業)を意識した学校・学会・コース再編や、就職後を含む柔軟な移動など、賛同するものも多かった。
社会に出ても、十分に職業教育を期待できない現状を知り、また、改善の策を見つけられる一書。
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多くの教育関係者、企業人、そしてふつうのお父さんお母さんに読んでいただきたい本です。
「このままでは、教育も仕事も、若者たちにとって壮大な詐欺でしかない。私はこのような状態を放置している恥に耐えられない(p.214)」
本田先生の主張は熱いです。
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本書を通じて「適応」と「抵抗」という言葉が幾度も出てくる。この2つの言葉を各人の置かれている立場で考えてみてほしいということが、最終的なメッセージと認識した。
・キャリア教育:社会や職場への適応のため。いかなる変化・領域にも対応可能な汎用的・一般的スキルをつけておけばいいという発想。しかし!自己実現アノミー昂進の問題あり!
・労働の基本的知識・政策・法律:しんどい現実や理不尽な事象に抵抗するため
この2つを各段階の教育機関やらなければならないのだから、かなり周到にカリキュラムを組まねばなるまい。浮ついたスローガンや理念から、地味で着実で堅牢な知識・技術の習得にシフトせよといっている(p.161).。まず仕事の担い手としての足場を固めてから、市民教育を施さないといけないと思う。
加えて、現実に抵抗すらできない層もあることを再認識した。
それは、非正社員であり、正社員の雇用や処遇を守るバッファーの役目を果たしているという。このようなパラドキシカルことは、多くの職場であるだろう。
高校段階の事例として、以下に留意したい。
・アメリカでは日本の12単位に相当する職業科目が提供されている。
・カナダの高校の多くは総合学科
・シンガポールの職業高校(成績下位の者がいくことが多い)ITE生徒は、学校での学習を肯定することが多い。→敗者復活トンネル
柔軟な専門性(Flexpeciality)
ある、専門分野に特化しすぎずに、他の専門分野の学習を端緒・入り口・足場として、隣接する分野、より広い分野に展開できるポテンシャルを組み込んだカリキュラムが必要だという。造語の語源は(Flexibility+Speciality)だそうだ。本書ではp.197にこの事例が紹介されている。
ちなみに、EU/デンマークでは、労働市場政策で「柔軟な安定性(Flexicurity)」(Flexibility+Security)が使われている。
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高校生・大学生の就職率が最悪の状況だ。それよりも、失業率も雇用状況も改善の見込みがない。そもそも中途採用の枠すらないのだから、新卒採用枠なんぞもっとないのが当然の成り行きのはずだが、雇用状況が悪い状況では、それに連動して教育も生活も悪くなるのは当然の帰結だろう。コロンブスの卵ではないが、しっかりした収入がまず無ければ、生活することができず、同時に教育への十分な投資もできるはずがない。
著者は、若年層への過酷すぎる就労環境への風当たりの原因を、社会(国家政府・企業)、学校などが「教育の職業的意義」を軽視し、学校現場で十分な教育をしてこなかったからだと主張する(学校現場といっても、教育政策がまずありきだが)。
「教育の職業的意義」とは、序章で「教育の職業的意義」を教えることへの反論に答えている(=再反論)中から見ることができる。ざっくりまとめると、以下のようにでもなろうか。
①これまで会社が大部分を請け負ってきたもので、今ではそれが不可能であること。
②「専門な柔軟性(flexpecially)」を身につけること。
③学校教育という「保護された段階」で選択の練習が可能であること。
④働く者全員が身につけるべき労働に関する基本的知識(制度など…〈抵抗〉の側面)と個々の職業分野に即した知識(〈適応〉の側面)が求められていて、それらを駆使して自分の働き方をより良くしていくこと。
特に目を惹いたのが、各学校で「総合的な学習の時間」などに行われている「キャリア教育」の効果が実感できてないことについてだ。著者の論に、なぜキャリア教育の実効性が不十分と感じるのかという課題がクリアになった。つまり、著者の論を敷衍すると、自分探しや自己分析、自己PR、面接練習に始まり(特に自己分析などの時間がお喋りの場になりやすい)、職業体験、インターンシップ、ゲストティーチャーという活動でも、「将来のことを考えろ」、「将来の自分の進路は自分の責任で決めろ」と「善きものを持たねばならない」という規範をかざすのだが、「ではどうしたら自分の進路を決められるのか」、「どうすれば善きものを持てるのか」という手段・方法が示されず、目標を持ったとしてもそれが「善きもの」という保証を与えるわけではないというわけだ。ここに息苦しさや空虚さを感じてしまい、実感できなくなるわけだ。
「学校は社会の縮図である」と言われる。ならば、「教育の職業的意義」を社会でも再考し、新たなモデルを提示し実行することが急がれる。
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マクロ的な視点で書かれている本ということでは、けっこうデータの裏付けはあって納得できると思います。ただ、職業的意義を持った教育の推進にはものすごく時間がかかるというか人の考えを根底から覆していかなきゃいけないので大変だと思いますね。あまり現実的ではないと感じます。教育を変えるとなると、働く現場の考えも変えていかなければならない。今、企業で中核を担っている「苦労した世代」が退出していく中で、新たな考えを少しずつ若い世代に広めていく手段を考えるべきかと思います。