- 出版社:メディアファクトリー
- サイズ:20cm/268p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-8401-3235-0
冥談 (幽BOOKS)
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- 税込価格:1,449円(41pt)
- 発行年月:2010.3
- 発送可能日:1~3日
- 本
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商品説明- 「冥談」
生と死のあわいをゆく、ほの暝い旅路—これぞ真骨頂!著者の「核心」に迫る、怪しき短篇小説集。【「BOOK」データベースの商品解説】
ふいに日常が崩れてゆく−。生と死の狭間の世界を細やかな筆致と巧みな構成で紡ぎ上げた、怪しき短篇小説集。「庭のある家」「遠野物語より」「予感」など、全8話の冥談を収録。『幽』連載等に書き下ろしを加えて書籍化。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧- 「冥談」
| 庭のある家 | 5−37 | |
|---|---|---|
| 冬 | 39−70 | |
| 凮の橋 | 73−113 |
著者紹介- 「冥談」
京極 夏彦
- 略歴
- 〈京極夏彦〉1963年北海道生まれ。小説家、意匠家、全日本妖怪推進委員会肝煎。「姑獲鳥の夏」でデビュー。「覘き小平次」で山本周五郎賞、「後巷説百物語」で直木賞を受賞。
ユーザーレビュー- 「冥談」
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2010/08/04 19:25
ほんの少し冥く優しい、幽かな物語
投稿者:空蝉(女性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
記憶というのは美化されるものだという。
そして人間の脳はつらいこと苦しいこと、厭なことを消し、精神を正常に保つよう働く。つまり健やかに快適に生き続けられるよう、そういったマイナスの記憶を排除するという保身術に長けている素晴らしい機能を持っており、京極氏の描く物語の「しかけ」にはそうした機能が巧みに取り込まれていることが多い。
そして、本当に怖いのは人間だともよく言われる。
もっと突っ込んで言わせてもらえば、「人間が怖いと思ったこと」その体験の記憶だ。だから人間は恐ろしい記憶を排除し、その記憶は薄れて行く。そうして快適な明日を生きているのだ。
では。
せっかくしまい込んだ「怖い」記憶が何かのきっかけでふと呼び覚まされてしまったら、どうなるか?
「冥談」という題が、冥(くら)く死のイメージを帯びている話と解釈してよいのなら、本書におけるそれはきっと排除されるべくして記憶の奥に押し込まれた昔の「怖い」体験であろう。
「庭のある家」
旧友の家を訪れるとともは三日前に妹が死んだので医者に診断書をもらいに行く間、その隣の部屋で留守を頼みたいという。生気ある紅椿と朽ちた台が共存するこの家で、死んでいるのは誰なのか?
「冬」
右頬を畳に付けばある少女の顔が脳裏に浮かぶ。更にそれは少年期に祖母の家の壁の「穴」に見たモノ、その記憶を呼びおこす。
「風の橋」
かつて関係のあった恩師の依頼で郷土史を整理するうちに、鬼のような祖母に連れ訪れた劫之濱の記憶が蘇る。聞くだけ、答えてはならない、やり過ごして渡りきれば・・・と繰り返されるフレーズとともに。
自殺した父と不仲な祖父母と苛められていた母、そしてその中にいた幼い私が忘れ去りやり過ごしていた真実と「業」に、この劫之濱(業之濱)で再びとらわれる。
「遠野物語より」
水野が語る郷里の山人の話は、昔話でも伝説でもなく、蘇り帰ってきた故人の話も怪談ではない事実だと言う。「生きているとか死んでいるとか、そういうことじゃない---」
「柿」
ふともらった虫食いの柿から 近所の柿の木の記憶がおぼろげに浮かぶ。
祖父が愛人を囲った挙げ句首を吊ったという柿の木、記憶にはあるのに行ったことはないという事実。
化物のような真っ黒い婆と、柿の木の家と、死んだ祖母と後を追った愛人と…私の記憶は虫食いなのか?
「空き地のおんな」
5年も惰性でつきあった男と別れ街を彷徨する女がひとり。
かつて訪れた不動産屋の隣の空き地で 上半身だけの、無表情な女に見つめられ...
「予感」
廃屋に住む谷崎さんはひたすらその家がいかに「死んでいる」かの講釈をする。
死んだ家で死に囲まれて暮らす彼はふと「ある予感」に狂気するのだという・・・
「先輩の話」
幽かな記憶は「今の幽霊」 本物じゃないけど嘘じゃない。
先輩の語りだす懐かしい過去、息子の戦死を夢で知ったという祖母の話などどれも本当のことだけれど、
今からみればすべて過去のほんもの、今の幽霊であると、彼らは静かにあたためる。
彼らはしまい込んだ過去の記憶を なにがしかのきっかけで ふと、呼び起こしている。
人間は厭なもの怖いものを忘れ去り、快適な明日を生きようと無意識にすら努力する。ならば忘れ去られていればいるほど、それはおそらく最も恐ろしい、忌まわしい過去であり「事実」だといえるだろう。
そして彼らは不幸にも、そうした怖いモノを 不幸にも思い出すはめになった。
思い出した彼らがどうなったのか、どの章も明らかにせず、冥い奥の奥へと追いやられている。
彼らの忘れ去ってきた過去の話は実話という「本当のこと」の、話。ほんとうのことの幽霊。
きっとこの物語はどれも「幽霊の話」でも怪談でもなく、お話そのものが語られた時点で幽霊となって行く。
それが真実であれ嘘であれ錯覚であれ、そんなことは過去になってしまえばどれも いまの「幽霊」。そう考えれば、生きている「今」が、少し優しくならないだろうか?幽かに揺れる幽霊と言う過去を、優しく包むことも出来るのではないだろうか?
ほんの少し、心が冥く優しくなる気がするのである。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2010/04/02 21:47
ウン、ウン、……
投稿者:ぶにゃ(男性|未指定) - この投稿者のレビュー一覧を見る
『幽談』につづいての、『冥談』。
こころざわめく表題である。
帯の文章を見て、思わずニヤリとしてしまった。
< 荒木飛呂彦氏、叫喚
『京極先生ヱヱ――――ッ』
夕暮れの柳の木を見上げて
なぜかそう叫びたい >
そうか、かの漫画家も京極にハマっていたのかと、今更ながら、この作家のファン層の広さに感心する。もっとも、かの漫画家の代表作『ジョジョの奇妙な冒険』で活躍する個性豊かな<スタンド>たちは、皆んな、言うならば守護霊みたいなものだから、妖怪の世界を基調とする京極作品に通ずるところはおおいにある。昨年、たまたま年若い友人に、面白いからと『ジョジョ』シリーズを教えられ、蔵書をそのままお借りし、父に似て漫画好きの娘とともに、1巻からずっと読み始め、ついに第6部まで60冊を読み終えた。友人の言葉通り、なかなかに面白い世界であった。(現在もなお第7部が進行中で、都合80巻まで出ているそうだ。)
それにしても、あらためて二人の経歴を眺めてみると、京極は1963年生まれで、荒木は60年。漫画家のほうが年上である。キャリアにしても、小説と漫画の違いはあるが、『姑獲鳥の夏』による京極のデビューは94年、荒木が『ジョジョ』を発表したのが87年と、やっぱり漫画家のほうがキャリアは長い。にもかかわらず、京極を「先生」と呼ぶのは、荒木先生のおくゆかしさなのか。
いや、でも、
ちがうだろうな……。
荒木先生は、
ちがうだろうな……。
さて、『冥談』である。
あいかわらず京極の職人芸が冴え渡る作品集である。なかには、短編にしてはちょっと饒舌かなと思ってしまう作品もあったが、それはそれで京極らしいとも言えよう。
「冬」という作品を読んで、ニーチェの言葉を思い出した。
「あまり長い間、深淵を覗いていてはいけない。なぜなら、今度は深淵のほうが、君を覗くから。」この言葉にはじめて出会ったとき、僕はゾッとして背筋を凍らせたものだが、京極は、読者に深淵を覗かせ続ける、魔物としか言いようのない作家である。
「庭のある家」が良い。秀逸である。シチュエーションとしてはさほど意外性のあるものではないが、京極の語りがすばらしく、僕にとっては、『幽談』の「手首を拾う」と同じくらい好きな作品となった。
にんげんは、とかくに間違いを犯しやすい生き物のようだ。
来てはいけないところに来てしまい、入ってはならない場所に入ってしまう。
通ってはならぬ道を通り、見るべきではなかったものを見てしまう。
決して捨ててはいけないものを捨て、ひろってはならないものをひろってしまう。
そうして、後悔するときは、いつも遅すぎるのである。
そして、作中人物のように、つぶやくのだ。
「僕は、
帰れるのだろうか……」
たとえ帰ることができたとして、
どこへ帰ればよいのか。
この『冥談』の読者は、すでに、帰るところを、
見失っているのである。







