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紙の本
ジョージ・ベストがいた マンチェスター・ユナイテッドの伝説 (平凡社新書)
著者 川端 康雄 (著)
若者文化が円熟期を迎えた1960年代の英国に、1人のサッカー選手が現れた。彼の名はジョージ・ベスト。卓越した技術と人気から「5人目のビートルズ」と呼ばれ、死してなお愛され...
ジョージ・ベストがいた マンチェスター・ユナイテッドの伝説 (平凡社新書)
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商品説明
若者文化が円熟期を迎えた1960年代の英国に、1人のサッカー選手が現れた。彼の名はジョージ・ベスト。卓越した技術と人気から「5人目のビートルズ」と呼ばれ、死してなお愛され続けるスター選手の栄光と挫折の物語。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
川端 康雄
- 略歴
- 〈川端康雄〉1955年横浜市生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。日本女子大学文学部教授。英文学専攻。著書に「オーウェルのマザー・グース」など。
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紙の本
最初の「スター選手」、ジョージ・ベスト
2010/05/22 02:26
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:木の葉燃朗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
イングランドのサッカーチーム、マンチェスター・ユナイテッドの背番号7というと、チームの中でも特別な選手がつける番号とされている。例えば最近ではクリスティアーノ・ロナウドやデビッド・ベッカム、1990年代ならエリック・カントナといった名前が浮かぶ。
そして、その元祖ともいえるのが、1960年代に活躍したジョージ・ベスト。ワールドカップには、北アイルランドという決して強豪ではない代表チームの選手だったため縁がなかったが、マンチェスター・ユナイテッドではドリブルをはじめとするテクニック、更にスタイルやルックスで、人気を誇った。しかし一方で、飲酒や女性問題などのスキャンダルもあり、30歳を前に選手としての実力は下降線をたどり(30代半ばまでは現役選手として各国のチームでプレーした)、長年の多量の飲酒の影響もあってか、2005年に59歳という若さで亡くなってしまう。
この本では、ジョージ・ベストの栄光と転落、そしてそれと並行するような、当時のマンチェスター・ユナイテッドの隆盛と低迷が時系列で綴られている。
1960年代のチームの躍進を語る上で忘れてはならないのが、1958年、ヨーロッパのクラブチームの頂点を決める欧州カップへの遠征途中で起こった飛行機事故「ミュンヘンの悲劇」。この時、8人の選手をはじめ、スタッフ、記者らの関係者が犠牲となった。事故から生還したマット・ハズビー監督、ボビー・チャールトン、ビル・フォークス、ハリー・グレッグらの選手をはじめ、チームにとって欧州カップ制覇は悲願となった。そのチームに、1961年に15歳でアマチュアとして、その後17歳でプロとして契約したのがジョージ・ベストだった。彼は、チームの勝利とともに、初めはイングランドで、続いてヨーロッパで、さらには世界中に名選手として知られていく。
そしてミュンヘンの悲劇から10年後の1968年。マンチェスター・ユナイテッドはついに欧州カップでの優勝を果たす。その決勝戦、対ベンフィカ戦で、1対1の同点で迎えた延長戦、決勝ゴールを決めたのがベストだった(その後追加点が入り、4対1で勝利する)。
しかし、チームもベスト本人も、その栄光を保ち続ける(勝ち続ける)ことは難しかった。欧州カップ決勝戦後の宴会で、試合に出場したデイヴィッド・サドラーは「『ここからさらに進む道はどこかにあるのだろうか』とふと思ったのだという」(p.188)。
その予感のとおり、チームは1960年代に活躍した選手の移籍や引退もあり、優勝争いではなく降格争いに加わるようになっていく。ベストも、チームの中心選手としての実力は保ちながら、徐々に飲酒、不摂生、私生活まで話題にされ、静かに落ち着くことのできない日々、更に北アイルランド紛争に伴う彼への脅迫など、様々な要因に見舞われ、1974年には約10年在籍したチームを去り、チームもこのシーズン2部に降格してしまう。
こうした生涯を読むと、ベストは良い面でも悪い面でも注目を集める「スター」としての最初のサッカー選手だったのだと思う(著者はこの本の中で「セレブリティ」と表現している)。もちろん、ベスト以前にも、優れたアスリートとして名を残しているサッカー選手はいる。しかし、プレー以外の部分も注目され、サッカーに興味がない人も惹きつけて人気者になったのは、彼が最初だろう。
ただ、彼の名誉のためにも忘れてはいけないのは、サッカー選手としてたしかな実力があり、実績も残した選手であること。そして、多くの人に愛されたこと。それを象徴しているのが、この本の最初に登場する、ベストの死を弔う故郷北アイルランドの様子。「党派、宗派、民族、イデオロギーの相違を超えて、『われらのジョージ』の死を等しく悼んだように思われる」(p.17)とある。そしてカトリックとプロテスタントの対立が続いたベストの現役時代にも、彼に対する多くの人からの愛情は、北アイルランド中から注がれていたという。
光の部分も影の部分もあわせて、ジョージ・ベストがどのような選手で、どのような人物だったのか、丁寧に紹介されている本だと思う。