紙の本
実態不明の新装版が発売された
2022/02/19 14:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:どんな名前つけようかな? - この投稿者のレビュー一覧を見る
この翻訳者の「人生の意味の心理学」は本来ならば上下巻で合わせて378ページにもわたる書籍となるはずだった(一冊189ページ)
しかし新装版にいたっては300ページであり残りの78ページ分の情報量が足りない
新装版専用の後書きも書くのだから場合によっては400ページ以上になりかねないはずなのだが計算が合わない
上巻・下巻の後書きを削るにしても78ページ分の情報量を減らして一冊の「人生の意味の心理学」とはなり得ない
出版社専用のホームページで調べようにも存在せず、旧版の購入ページにいたっては上下巻ともに目次が無いため合本しているかどうか確認できない
これらを考えると購入をためらう人が出てきかねない
出版社や販売店は新装版との差が比較できるような情報を提示して欲しい
投稿元:
レビューを見る
人生についての意味づけ(ライフスタイル)を変えれば、世界は驚くほどシンプルになる。心理学の巨匠アドラーが、平易な言葉で雄弁に語る幸福論。上巻では、人生の意味は他者への関心と貢献、協力であることを、夢、早期回想、家族布置の事例を通して明らかにする。
(amazonより抜粋)
感想は下巻も読んでから書きたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
アドラーの著書を岸見氏が翻訳した一冊。
おそらく、心理学者を目指す人向けにもともと書かれた本であろうから、かなり深く掘り下げて書かれている。
「嫌われる勇気」等の下知識が無いと、分かりにくいことこの上ない。文章が同じことを何度も繰り返して書かれていて推敲を重ねた文章と言うより口述を文章に起こしたような感じで、なかなか結論にいかない。
そして、毎回のことながら岸見氏の極限までわかりにくい和訳。直訳だろうが、指示語が多くて読んでてホント疲れる。
内容は分かるのだけど・・・。例題が多い辺りは話が客観的になるので楽しく読めるが、全体的に読むのに疲れた。
あ~あ、まだ下巻もあるのか…。
投稿元:
レビューを見る
読み直したさ:★★☆
人生の意味解釈。
フロイト派と異なり、夢と現実の同意性を説く。
子が人生で初めて経験する協力は、親の協力である。
結婚でもすることがあれば読み直したい。
〈感想〉
割りと自分の人生観と一致した。ポジティブシンキングは人生の意味解釈だと思う。
ただ、自分の行動、ライフスタイルと、それに対応するコンプレックスには常に目を向けていたい。そういう視点を新たに獲得できた。
投稿元:
レビューを見る
子供時代のことを学ぶことなしには、誰も大人を理解することはできない。
子供たちが無視をしたり、他の非行するときは、たいてい、復讐のためである
誕生の瞬間から、赤ちゃんは親との結びつきを求める。これが、赤ちゃんの行動の全ての目的である。何ヶ月も、母親は、赤ちゃんの人生に置いて、最も重要な役割を演じる。協力の能力が最初に発達するのはこの状況においてである。
母親は赤ちゃんに他の人間との最初の接触、自分以外の誰かへの最初の関心を与える。母親は赤ちゃんにとって、社会生活の最初の橋である。
投稿元:
レビューを見る
アドラーが話題になって久しいですが、また聞きばかりでは身にならないと思い読んでみる。
この本はあくまで幸福追求のための人生への向き合い方を著したもので、「嫌われる勇気」とかそのような観点は触れられていません。主に、生きていく上でのひとそれぞれの目的をどのようにもつべきかという点で「共同体感覚」の重要性が触れられています。結婚についてのあり方も、当時の世相を反映した古い感じのものでは、ありますが触れられていて興味深いです。
目的論重視には馴染が薄かったですが、考え方を変えるには良い方法であることも理解しました。
特筆すべきは子供の頃の体験、育てられ方が及ぼす影響を家族、学校それぞれ論じていることです。子育ての始まる前に読んでおけば良かった・・・子供が年頃になったら奨めようかと思います。
投稿元:
レビューを見る
人生の意味の心理学 アドラー アルテ
まるでブッダが示した空と縁起のような内容を
この本は具象的に噛み砕き世にまれな全体観をとらえて
視野の広いシナヤカな生き方を示している
素晴らしい本だと思うが
使う言葉の組み合わせや造語が分かりにくいのと
直訳のためかテニヲハや語順がおかしいのが難点だろうか
岸見さんの文体が説明しすぎだからだろう六法全書のように読みにくい
「人生の意味の心理学」というタイトルを例えにして言うならば
せめて「人生の意味を問う心理学」
~どんな人生設計があなたに生きる意味をもたらすのだろう~
ぐらいにしてほしかったと思う
そしてこの本の13ページにその意味が示されているのだけれども
ここにも私なりの異議がある
全体への貢献という部分であるがそれは結果論であって
底に至る前に本気で自分を大切にすることで
自分が何者なのかを知るために目の前の世界を鏡として
そこに映し出されている我が身を五感で感じ取ることから
人生が始まろのだと思う
そのためにこそ相手とか全体に幸福であってもらうことが大事になる
部分でもあり全体でもある自分の個性を認識した上で
自らの個性と抽象的な集合意識と繋がる自意識を育てることが
全体観を養うことへと結びつき
又全体からのフィードバックと言う相乗効果を得ることにもなる
部分同士が互いに嘘と秘密で競い争うのでなく
互いの信頼によって切磋琢磨し合う関係に至るべく
選んだ体験による知識を客観的に咀嚼することで
全体を理解できるだけのより視野の広い意識を学ばなければならない
また過去をベースとして原因と結果に取り憑かれた依存と搾取で
今現在を選んで出会う冒険を台無しにするよりも
過程としての今に集中してその全体の成り行きを愉しむべきでだろう
岸見さんの声は低くゆっくりと核心を突きながら迷いのない言葉で話す
心理学者として患者と向き合いカウンセリングもしてみえるそうだが
嘘や秘密による掛け引きなどもなく社会的価値観を無視した話法で
相手を呆れさせたり傷付けたりしても次第に信頼関係を
生み出せるようである
社会的価値観に迷い込んでいる読者や患者を
その気にさせる説得力が話の随所にあると言うことなのだろう
それにしてもソクラテスの言葉を後世にわかりやすい文章で伝えたプラトンのような通訳が
アドルフアドラーにも岸見一郎さんにも必要なのだろう
投稿元:
レビューを見る
人生における3つの課題として、人間関係と仕事、そして愛・結婚を挙げる。
そしてそのどれもに共通する大切な要素が共同体感覚だとアドラーは述べる。
共同体感覚とは、人との関わり合い、助け合いの中で生きているという感覚である。
人は、生まれた時から人生が決まっているのではなく、環境が生き方を決める。貧しい家に育ったとしても、愛情を受け、正しい形で教育されれば、素晴らしい人間になる。
一方で、裕福な家に育っても、甘やかされて自分にしか興味がなく、共同体感覚を持たない人は、犯罪者や他人に害のある人間へとなってしまうのだ。
アドラーの本の中では、障害者と甘やかされた人、そして無視され続けた人は、犯罪者や偏った性格になりやすいと説き、共同体感覚を持ってもらうための教育が必要だとしている。
人、いや生物にとって、共同体感覚は欠かせないものなのだと思う。人間においては、なにをするにも人の手を借りている。
たとえ引きこもりをしていても、誰かが建ててくれた部屋に暮らしているし、誰かが育ててくれた食物を食べている。
僕はあまり群れるのが好きでは無いけれど、それでも限られた人たちと仲間でいられているという共同体感覚が、自分の正常な状態にしてくれている。
その人たちが居なくなったら… きっと自分は孤独感に苛まれる事になるだろう。
下巻の第11章の最後に、こんな文章がある。
『自分の課題に直面するとは、人生の3つの課題を協力的な仕方で解決するという責任を持つことを意味する。われわれが人間に要求するすべてのこと、われわれが人間に与えることができる最高の賞賛は、人間が優れた仕事仲間、優れた仲間、愛と結婚における真のパートナーであるべきであるということである。要するに、人は自分が仲間であることを証明すべきである、といえる。』
仲間と思ってもらうには、努力が必要だ。『自分を仲間と思ってくれて無い!』『自分は無視をされている!』『自分は愛されていない!』と思うのは、自分を中心に捉えている考え方であり、先述の3つの人に多い特徴だ。
そういう人たちには適切な形での治療が大事な訳だが、もし自分で気づき、改善できると思うならば、まずは全力で相手に関心を持ち、愛してみるのが良いのだろう。きっと、感謝の気持ちも忘れてはいけない。
これまで、自分だけ成功すれば良い、とか。どうすればもっとお金が手に入るのか、とかの考えが先行していた。しかし、ふと亡くなった祖父から言われた言葉を思い出す。
『お金は後から付いてくるから、まずは全力で頑張れ』
これってそういう事なのかもな。お金は大事なんだけど、それよりともっと大切にしなきゃいけないものがある。
それが仲間という感覚である。社会をより良くしているという感覚、それに対する喜び。結果としての儲け。
そういう事なんだろなと。
難しいと言われているアドラーだけど、面白すぎてすぐに読めた。もっとアドラーの本を読んでみたいと感じた。
投稿元:
レビューを見る
”早期回想、家族布置などに関する理解が深まった。
<キーフレーズ>
・人生の意味は、人類の全体に関心を持つことである
<抜き書き>
・真の「人生の意味」の印は、それが共通の意味を持っているということである。他の人が共有できる意味であり、他の人が受け入れることができる意味である。(p.15)
・貢献が人生の真の意味である、と推定できるヒントが他にもある。(p.17)
・この事実を理解し、人生の意味は、人類の全体に関心を持つことであることを知り、共同体感覚と愛を発達させることを試みた人はいつもいた。
※★私的な意味ではなく共通の意味 = 貢献
・これらの3つの状況、つまり期間劣等性、甘やかし、無視は、人生の意味について誤った結論を引き出す大きな誘引になりうる。(p.26)
★もしも、人生がこのような方法で、即ち、自立した人間の協力としてアプローチされたら、人間の文明の進歩には限界はない。(p.33)
※おー、この見方は明るくって好き!
★・生まれてからの最初の4年か5年で、人は心の統一性を確立し、心と身体の関係を形作る。
この時期の間に、受け継いだ性質と環境から受け取った印象を得て、それらの優越性の追及のために適応させる。5歳の終わりまでにパーソナリティは形作られる。人生に与える意味、追求する目標、課題へのアプローチの仕方、感情的な性質がすべて決定される。それらは後に変えることができるが、子供時代に獲得した間違った方へと導く態度から、自らを自由にすることができるときだけである。(p.40)
※4年か5年で形作られる。変えるのはなかなか難しい、と。
・人の感情は、人が人生に与える意味と、その追求のために置く目標によって形作られる。(p.48)
★感情とそれの身体的表現は、心がいかにそれが有利化不利かを解釈する状況において、活動、反応しているかをわれわれに教える。(p.54)
・個人心理学は、わわれれに教育と治療の展望へのヒントを与えてくれる。1つの兆候や誰かの人格における1つの側面だけを扱ってはならない。(p.60-61)
※全体性。感情とライフスタイルは切り離せない!
・われわれは皆、ある程度は、劣等感を持っている。向上したいと思う状況にいるからである。(p.66)
※勇気を保っている→直接的、現実的、満足の行く手段で、すなわち状況を改善することで、自分から取り除くことを始める
※勇気をくじかれている→障害を克服する代わりに、優れていると<感じる>ように自分を説得し、さらには強いる
・どの人についても、表面の下を見なければならない。(略)それでも、われわれは、根底にある首尾一貫性、人格の統一を探さなければならない。(p.76)
・劣等コンプレックスが、彼〈女〉らにいう。「協力して成功することは、お前のためにならない」。彼〈女〉らは、人生のほんとうの問題から逸れ、自分の力を再確認する絶えのシャドーボクシングをしているのである。(p.88)
・すべての精神的な表現の中で、もっとも隠れたものを明らかにする表現は、回想である。回想は、自分自身の限界や出来事の意味をそれによって思い出させるものである。(略)どれほどぼんやりしていても、自分の問題と関係があると見なす回想だけを選び出すのである。これらの階層が「私の人生の物語」を表す。(p.92)
★夢の目的は、夢を見る人のライフスタイルを支持、強化し、それにもっともふさわしい感情を喚起することである。(p.125)
・夢はライフスタイルと現在の問題の間を橋渡しをし、その際、ライフスタイルにどんな適応も回避させる試みである、とわれわれは結論付ける。(p.127)
・落ちる夢を見たことがない人もほとんどいない。(略)落ちる夢は、人間の心が困難を克服することよりも、自己保存や失敗を怖れることで一杯であることを示している。(p.135)
★もしも女性が家事と家政に本当に興味をもつことができ、それによって、他の人の生活を軽くし豊かにできる芸術だと本当に見ることができれば、女性はそれを世界の他の誰とも比肩しうる仕事にすることができる。(p.152)
※とても共感!
★父親は、自分が妻と子どもと社会に対して優れた仲間であることを証明しなければならない。(略)そして、家族の世話と保護において、妻と対等の視覚で、妻と協力しなければならない。(p.162)
※ここ、大事!
・父親は、自分自身の態度によって、子どもたちに仕事の課題に対処する方法についての例を示すのである。(p.166)
・単独子は、独特の問題を持っている。ライバルはいるが、きょうだいがライバルではない。競争しているという感覚は、父親に向けられる。(p.185)
※えーそうなの???
<きっかけ>
2017年2月の人間塾 課題本。”
投稿元:
レビューを見る
先に読んだ「人間知の心理学」よりも本書ははるかに面白かった。下巻も楽しみである。もっと早く出会いたかったと思う一方、今の自分だからこそ身に染みる言葉の数々。少々長くなるが、金言ばかりなので引用する。
「人間は意味の領域に生きている。われわれは状況をそれ自体として経験することはない。いつも人間にとって意味があるものだけを経験するのである。われわれの経験は、その根源において既に、人間的な目的によって規定されている。『木』は『人間との関係における木』という意味であり、『石』は『人間の生活における要素である限りのものとしての石』という意味である。…
もしも誰かに『人生の意味は何か』とたずねても、その人はおそらく答えられないだろう。大抵は、そんな質問のことで頭を悩ますことはないか、はっきり答えようとはしない。…こんな質問をするのは、何かでつまずいた時だけだといっていい。…人がこのようなことを問い、それに答えるのは、行動においてである。言葉に耳を閉ざし、行動を観察することにだけ集中すれば、人が固有の個人的な『人生の意味』を持っていて、意見、態度、動き、表現、癖、野心、習慣、性格特性のすべてが、この意味に一致していることがわかるだろう。」
「個人心理学は、人間のすべての問題は、この三つの問題、即ち、仕事、対人関係、性に分けられるということを見てきた。各人がこの三つの問題にどう反応するかによって、各人はまぎれもなく、人生の意味についての自分自身の個人的な解釈を明らかにする。」
「すべての真の『人生の意味』の印は、それが共通の意味を持っているということである。他の人が共有できる意味であり、他の人が受け入れることができる意味である。人生の妥当な解決は、他社に対しても常に、手本になるだろう。なぜなら、そこにわれわれは共通の問題が成功した仕方で対処されているのを見るからである。」
「貢献が人生の真の意味である、」
「個人心理学が決定論から逸脱するのはここにおいてである。いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック―いわゆるトラウマ―に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。」
「…甘やかされた子どもたちが、大人になると、おそらく、われわれの共同体において、もっとも危険な種類の人になるだろう。…慣れ親しんできた快適な暖かさや黙従を見出せないと、裏切られた、と感じるのである。彼らは、この共同体のすべての人は、自分の敵である、と感じ、復讐する。もしも、共同体が、彼らの生き方に敵意を示せば、この敵意を自分だけがひどい目にあわせられたということの新たな証拠とみなす。これが罰が全く役に立たないことの理由である。罰は『すべての人は敵である』という考えを確かめるだけである。」
「『私たちは自分で人生を作っていかなければならない。それは私たち自身の課題であり、それを行うことができる。私たちは自分自身の行動の主人である。何か新しいことがなされなければならない、あるいは、何か古いことの代わりを見つけなければならないのであれば、私たち自身にしかできない。』もしも、人生がこのような仕方で、即ち、自立した人間の協力としてアプローチされたら、人間の文明の進歩には限界はない。」
「人がライフスタイル、即ち、心が自分の経験を解釈した方法、人が人生に与えた意味、身体と環境から受け取られた印象に反応した行動を選択した際に行った誤った過程を見つけなければならない。これが心理学の本当の仕事である。」
「われわれは皆、ある程度は、劣等感を持っている。向上したいと思う状況にいるからである。もしもわれわれが勇気を持っているのなら、この劣等感を唯一、直接的、現実的、そして満足のいく手段で、即ち状況を改善することで、自分から取り除くことを始めるだろう。…
…しかし、他のすべての人と同じく、優越感を追求することに関わっているが、状況を変える希望を断念していることがわかればすぐに、彼のすることはすべて、意味をなし始める。弱いと感じたら、強いと感じられる状況を創り出す。より強くなるように、より適切になるように、自分を訓練しない。その代わりに、自分で見たところではより強く<見える>ように、自分を訓練する。…このようにして、どれだけ自分を欺いたとしても、彼の本当の劣等感は残るだろう。それは、同じ元の状況によって喚起されたのと同じ劣等感であり、彼の心理的な生活の永続的な底流になる。われわれは、このようなケースにおいて、真に劣等コンプレックスを語ることができる。」
「今日に至るまで、問題には、通常、症状を除去するという対処がなされてきた。個人心理学は、医学においても、教育においても、このアプローチには全く反対である。子どもが算数で遅れていれば、あるいは、学校の成績が悪ければ、われわれの注意をこれらの特別の点に集中し、この特別の表現において改善しようと試みることは無意味である。おそらく、彼は、教師を困らせたい、あるいは、学校から追放されることで、学校から逃げたいとさえ思っている。一つの方法を使うことを妨げることができても、目標を達成するための新しい方法を見つけるだろう。」
「われわれが常に探さなければならないことは、症状が採用される目的であり、この目的が優越性の全般的目標と一致していることである。
例えば、私が教師ではしごを持ってこさせて、それに登って、黒板の上にすわったと仮定しよう。私を見る人は誰もがおそらく『アドラー先生は気が狂った』と思うだろう。彼らはそのはしごが何のためのものなのか、なぜ私がそれに昇ったのか、あるいは、なぜこんな不快な場所にすわっているのかわからない。しかし、もしも『彼が黒板にすわりたいのは、他の人よりも物理的に高いところにいなければ、劣っていると感じるからだ。クラスを見下ろすことができれば、安全だと感じる』ということを知っていれば、私がそんなに変だとは思わないだろう。…
一つの点においてだけ、私はおかしいのだ。つまり、私の優越性の解���である。もしも私が具体的な目標の選択がよくないと確信できたら、私の行動を変えることができるだろう。しかし、目標が変わらず、私のはしごが取り去られたら、私は、今度は椅子で同じことをするだろう。…あらゆる神経症者も同じである。」
「われわれ人間の分業においては、多様な具体的目標の余地がある。おそらく、既に見たように、あらゆる目標が、わずかであっても誤りを含んでいる。…人間の協力は、多くの異なった種類の優秀さが必要である。…消化機能が弱い子どもは、自分が直面している問題は、もっぱら栄養の問題だとおもうようになるかもしれない。彼の関心は食物へ向かうかもしれない。なぜなら、このようにして、状況をよりよくできると信じているからである。その結果、優秀な料理人になるか、栄養学の教授になるかもしれない。われわれが見ることができるこれらのあらゆる特別な目標において、困難を真に補償することも見られるが、可能性の排除、自分に限界を設ける訓練がされることも見られる。例えば、われわれは、哲学者が思索し本を書くためには、時々、社会から逃避しなければならないことを理解できる。しかし、それぞれの目標に含まれる不可避の誤りは、もしも高い程度の共同体感覚が優位性の追求に伴えば、決して大きなものにはならない。」
投稿元:
レビューを見る
「人生についての意味づけ(ライフスタイル)を変えれば、世界は驚くほどシンプルになる。心理学の巨匠アドラーが、平易な言葉で雄弁に語る幸福論。上巻では、人生の意味は他者への関心と貢献、協力であることを、夢、早期回想、家族布置の事例を通して明らかにする。」
・アドラーの思想:過去の原因ではなく未来の目的を重視し、人間は自分自身の力で人生を意味づけ変えていくことができるという、ポジティブな人間観に貫かれている。
・難解な専門用語を極力使わず、「どうすれば幸福になれるのか」「いかにして生きていけばいいのか」についての明確なイメージをシンプルに掲示していることが人気!そして、自らの劣等感への向き合い方や複雑な対人関係のしがらみから解放される方法が実践的に書かれている。
目次
第1章 人生の意味
第2章 心と身体
第3章 劣等コンプレックスと優越コンプレックス
第4章 早期回想
第5章 夢
第6章 家族の影響
著者等紹介
アドラー,アルフレッド[アドラー,アルフレッド][Adler,Alfred]
1870年‐1937年。オーストリアの精神科医。1902年からフロイトのウィーン精神分析協会の中核的メンバーとして活躍したが、1911年に学説上の対立から脱退した。フロイトと訣別後、自らの理論を個人心理学と呼び、全体論、目的論などを特色とする独自の理論を構築した。ナチズムの台頭に伴い、活動の拠点をアメリカに移し、精力的な講演、執筆活動を行ったが、講演旅行の途次、アヴァディーンで客死した
投稿元:
レビューを見る
正直言ってすごく読みにくい。
ただ、共同体感覚とはどういうことかを理解しておくと、人との関わりや自分自身の人生が豊かになる気がする。