「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
- カテゴリ:一般
- 発行年月:2010.7
- 出版社: 人文書院
- サイズ:19cm/338p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-409-13031-5
紙の本
嘔吐 新訳
港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは…。一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。60年ぶり待望の新訳。存在の真実を探る冒険譚。【「BOOK」データベース...
嘔吐 新訳
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは…。一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。60年ぶり待望の新訳。存在の真実を探る冒険譚。【「BOOK」データベースの商品解説】
港町ブーヴィル。孤独な一知識人ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは…。1冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグを通して、人間存在の不条理を描いたサルトルの代表作を全面新訳。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ジャン‐ポール・サルトル
- 略歴
- 〈ジャン‐ポール・サルトル〉1905〜80年。哲学者、小説家、劇作家、伝記作家。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
初のサルトル
2016/04/20 12:20
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kz - この投稿者のレビュー一覧を見る
実存主義を打ち立てる以前の作品だか、サルトルの思考が存分に盛り込まれていた。次は「存在と無」に挑戦したい。
紙の本
実存主義とはなんぞや
2019/01/27 19:42
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「実存主義」の哲学者、サルトルの小説。理解して読むのには骨が折れた。「存在は必然ではない。存在するとは単に、そこにあるということなのだ」と本文にあるように、サルトルは存在になど意味はなく(全く無意味)であり、そこにある(いる)だけだという。ということは、「人生の目的」などまったく意味のないことなのだろう。そのようなものに人生を縛られても、世の中は不条理で無秩序なのだから意味がないと。「実在は本質に先立つ」というサルトルの言葉は、人間は自由だからこそ己の行為に責任をもたなければならないということを意味しているということらしい。と、わかっているように書いているが実存主義とは何ぞやということをまだ私は理解できないでいる
紙の本
何が嘔吐なのかさっぱり分からない
2010/10/13 14:33
15人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔この本を白井健三郎という人の翻訳で読みかけて、途中で放り出したことがありました。なんでも実存主義という哲学が大流行の頃でした。
今度手にとったのは鈴木道彦という人の翻訳ですが、こちらは当世風にこなれた訳語のせいもあってともかく最後まで読みとおすことができました。やれやれ。
しかしなんと評していいのかしらん、まったく訳の分からん変態的な小説です。
サルトル本人が色濃く投影されているロカンタンというやたら神経質な青白いインテリゲンチャンが、図書館のコルシカ人やスープの中の蟹を見ては吐き気を感じ、池に投じようとした小石に触り、公園のマロニエの根っこを見ては、そのガッツリとした存在感に圧倒され、自分自身のみならず外界、世界全体に大いなる違和と不条理(この言葉も大流行したな)を感じ、「われ思う故にわれ絶対的に存す」のデカルト的理解を脱却して、「われ存す、故にたまたまわれ存す」の実存的悟りに超絶的にエラン・ヴィタール(生命的飛躍)を遂げたと、まあ恰好よくいえばそういう哲学的小説なのでしょう。
しかし道行く人や下宿のおばさんやレストランのお姉チャンが己と異質な外部のモノに見えたり、都市や群衆やはたまた図書館の本をアイウエオ順に読んでいる孤独な独学者に吐き気を覚えたりするっていうのは、糞真面目な哲学青年の誰もが一時的に患う麻疹のような病理現象にすぎず、主人公がいったいどうして吐き気を覚えるのか誰にも分かりません。男性なのに、妊娠でもしているのでしょうか?
昔小林秀雄がこんな小説を書いたことがありました。小林を思わせる自意識過剰のインテリ青年が、川を渡るポンポン蒸気船に乗り込んだら、誰か同乗者がいて、自分も彼らも揺れている。それを見ているうちに、自分(小林)は彼らと自分が、同じリズムでポンポン揺れるのに堪えられなくなってきて、ヘドが出そうになる。
確かそういうくだりがありました。これを読んだ中野重治が「なにがヘドだか、全然分からない」と書いていましたが、当時のサルトルも小林とまったく同じ病気に罹っていたのでしょう。
だから私もこう言いましょう。サルトルよ、お前さんのもったいぶって繰り返す嘔吐とは何なのか、私には全然分からないよ、と。
嘔吐とは、高等遊民の唐人の寝言であり、世間知らずのぼんぼんの白昼夢に過ぎなかったことが、有名になってからのサルトルにはすぐに分かったはずです。
それゆえに、親の遺産で食べている30歳の青白きインテリ小僧ロカンタンは、フランスの小都市で大革命時代の貴族ロルボンの伝記を書こうとして果たせず、おまけに恋人アニーに振られて、Some of these days You`ll miss me honeyのレコードを聴きながらブーヴィルに別れを告げる。
というのが、この余りにも有名な実存主義小説のエッセンスなのです。
あにはからんやマロニエのぶっとい根っこに存在の実存を見つけたり 茫洋