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紙の本
歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ (中公新書)
著者 渡辺 裕 (著)
納税や郵便貯金、梅雨時の衛生などの唱歌が作られた時期がある。近代化をめざす政府が押しつけた音楽だったが、日本人から歌が聞こえなくなることはなかった…。唱歌の時代から、うた...
歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ (中公新書)
歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ
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商品説明
納税や郵便貯金、梅雨時の衛生などの唱歌が作られた時期がある。近代化をめざす政府が押しつけた音楽だったが、日本人から歌が聞こえなくなることはなかった…。唱歌の時代から、うたごえ運動、現在まで、歌でたどる近代史。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
渡辺 裕
- 略歴
- 〈渡辺裕〉1953年千葉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同大学大学院人文社会系研究科教授。「日本文化モダン・ラプソディ」で芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。
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紙の本
読みやすく要点をおさえた一冊
2017/01/27 20:09
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なちゅらる - この投稿者のレビュー一覧を見る
音楽そのもの、というよりもそのコンテクストに焦点を当てた本である。
唱歌や校歌の事例を挙げながら、音楽が「芸術」ではなく近代の国民国家形成の「ツール」として機能していたことを示している。
明治から昭和期の音楽にかんして、時代や文化全体を見渡しながら当時の芸術観に迫る。
日本近代史を見直すことができる書籍で、音楽専門家はいうまでもなく、一般にわかりやすいかたちで書かれている。
紙の本
歌という切り口から見た日本の近現代
2011/04/06 18:00
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、明治から現在に至る過程で歌(に代表される文化)がどのように変容しつつ引き継がれてきたかを書いたもの、もっとざっくり言えば、歌という切り口から書いた日本の近現代史と言っていいだろうか。
読了してまず感じたのは、著者の歴史へのアプローチが多面的ということだ。著者は後書きで近年の「ワンフレーズやワンイシューの乱暴な議論がまかり通る」世の中を批判し、「複雑な話を単純化するのでなく、一見単純に見える事象の奥深く、背後にある様々なコンテクストを見極めることによって、多面的な視点を確保するように心がける」と言う。明治から戦後に至る「変容されてゆくものとしての文化」をそういうまなざしで捉えたいと言う。バランスのとれた考え方だと思う。
冒頭に書かれている、明治政府の唱歌導入が国民国家形成のなかでの「国民づくり」のツールという位置づけは従来から明らかなことだが、本書によって詳しく見せてもらうとこれがなかなかおもしろい。たとえば「夏期衛生唱歌」(明治45年)。
「かにやいかたこえびいわし、あげものかひるい(貝類)ところてん
ささげにかぼちゃ、もち、だんご、いづれもこなれぬものなるぞ」
と消化の悪い食品を並べ、
「すべてのみくひ(飲み食い)したものが あとでわるいと気付いたら
ゆびをさし入れはきだして あとをしほゆ(塩湯)でよくあらへ(洗え)」
と言う調子でことこまかく実利的に20番まで、衛生観念の啓蒙に徹する。
「鉄道唱歌」(明治33年)は東海道線の駅名と沿線の風物を綴った地理教育の唱歌で66番まで。同様に歴史教育では「愛国唱歌」(同年)が神武から歴代の天皇の名を88番まで歌いこむ。歌詞の欄外に鉄道唱歌は駅名が、愛国唱歌は天皇名が記入されている。
「郵便貯金唱歌」(明治38年)も傑作で、貯金制度を人々に理解させるために
「家も衣類も食物も 身の分まもりて奢るなく あまれる金は其土地の 郵便局にあづけおけ」
「いざ貯金せよ貯金せよ 貯金の数の重なりて 通の紙のなくならば 又別帳を請い受けよ」
ときわめて実用的だが、
「貯金は国家のためなるぞ 恤兵其他様々の 益ある事に義捐して 惜しまぬ心ぞ頼もしき」
「貯金は家と身を起し 世をも国をも益すべし 国家富まして大君の 御稜威を四方に輝かせ」
と「国家」と「大君」がちゃんと歌いこまれている。
どれも人々が近代化していく社会のなかで「国民」になっていくことを目的として、作られた歌である。このあたりの著者の記述は生き生きと魅力に溢れる。
また学校で式日に歌われる「天長節」「紀元節」「一月一日」などの「祝日大祭日唱歌」は、当然すべて皇国史観的含意が歌いこまれていた。全国一律に同時に、厳粛な儀式で歌うことによって国民意識を作り出すものでもあった。
こうした明治の「国民づくり」唱歌はその後どう変わっていったのだろうか。
現在も「一月一日」は正月のテレビ番組などでよく歌われる。だが普通2番は歌わないから、だれもこの歌から天皇制を思い起こしはしないだろう。
「我は海の子」も戦後も愛唱されてきた歌だ。だが戦後は「いで大船を乗り出して 我は拾はん海の冨 いで軍艦に乗り組みて 我は護らん海の国」の4番以降を削除して歌ってきたので、元の内容を知る人は少ないだろう。
著者はこうした現象について、歌が社会の変化とともに本来のイデオロギーから離れ、新しい意味を生み出しているのではないかと言う。
校歌、社歌、県民歌といったコミュニティ・ソングも、政府制定や教科書の歌と同じようなことが言える。これらを歌うことで共同体への帰属意識を高めるのだ。校歌について著者は次のように言う。学校があれば当然校歌があると思うのは世界的に見れば決して普通の考え方ではないのに、「日本でそういう考え方が定着していく根底には、近代的国民国家における国民づくりのイデオロギーがあり、天皇中心主義や皇国史観的な要素も不可分な形で絡み合っていました。今やそれとは非常に違った状況に置かれているにもかかわらず、校歌が生き残っていると言うことは、それが社会の変化の中で換骨奪胎され、流用されてきたことを物語っているともいえます」。戦後のうたごえ運動の持つ意味も、分量的にも多く論じられている。特定の政治イデオロギーとの関わりでスタートしたものが、歴史の中で思わぬ展開となり、新たな局面に入っていく。「唱歌の孕んでいた様々な要素は、その後の変化の中で、換骨奪胎されながら、どっこいしぶとく生き延びています。文化というものは、継承と断絶とのはざまの、つながっているようないないような、微妙な空間をさまよいながら形作られてゆくものです」
ここまでの話は、わたしは納得できる。先に書いたバランスのとれた考え方だと思う。しかし、そういう変容する性格をもった歌たとえば校歌についての著者の次のような言葉は、わたしはよく分からない。
「校歌はそれだけの奥行きを持った、日本が誇るべき一つの文化になりえていると言ってもよいかもしれません」
変容し「しぶとく生き延びた」文化は、たしかに奥行きも深みもある一つの独自の文化であると思うが、それを「日本が誇るべき」存在と言われるとわたしは引く。だれに対してだれが誇るのだろうか、そもそも文化を誇るとはどういう意味なのだろうか、文化とは誇る誇らないという性質のものだろうか。他国の文化とは多少違うところのある文化です、というだけではいけないのだろうか。
さらに、著者のコンテクストからは「君が代」の歌われ方の変遷についての言及があるのでは、と思ったが、本書の中にそれはなかった。
なお、著者は本書で、第61回芸術選奨の文部科学大臣賞を受賞している。3月17日に予定されていた贈呈式は東日本大震災の影響で中止となった、と新聞にあった。