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今はもう無い吉原のお話。
可動式の並木とか、街自体が斜に作られているのは北枕を避けて「どこにも真北に向かった部屋ができないよう」にしているから、とか自治と警察の管理の微妙なバランスがあったとか、三業の役割分担とか、街自体の仕組みが面白い。
著者がいうように「夢を売るところだった」という一面はあるにせよ、これも著者がいうように「花魁が長生きしたという話をあまり聞いたことが」ない厳しい世界だったのも事実。
それだけに、地方から売られてきた花魁と兵隊に行かされる(おそらくは)地方の農家の次男や三男との間で心が通じたというエピソードには重みがある。
遊郭がなくなるのは時代の必然かもしれないが、「花魁が匂うような牡丹なら、芸者は、凛とした竹」の芸者や「大臣とでも乞食とでもつきあえる男」の幇間の芸の世界も、遊郭もろとも消えてしまったのは惜しいような気もする。
もっとも、身売りされる子供がいなくなったと同時に、粋に遊ぶお大尽ももういなくなってしまったのだから、それも仕方のないことなのかもしれない。
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伝統が喪われていく様は切ないですねぇ…。
解説で猿若清三郎さんがおっしゃっている通り、杓子定規に善悪を決めてかかるのは本当にどうかと思う。悪所というものを、それをそのまま悪所として置いておけない文化は狭量だと。
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遊郭の外から見た哀れな遊女たちではなく、内部から見た生き生きした女性たちや遊郭、そしてそれが廃れていくさまが著者の実体験や著者が聞いた話をもとに書かれている。
とはいえ、やはり遊郭の女性は長生きできなかったという話は、生々しく、切ない。
著者の体験がメインでありながら、江戸時代の遊郭の制度についてなどデータも多く載せられている。
また、遊里特有のことば(「お職」など)が文学作品中に出てきても、この本を読んでおけば、一通り理解できるのではないかと思う。
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江戸からの引手茶屋から料亭へ、更にはとバスツアーの花魁ショーまで手がけた女将の半生記がそのまま各時代を反映した遊女考になってて面白く読める。
終章はもの哀しくてジャック・フィニィ的ノスタルジアを想起した。
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吉原という一つの街の文化の本。
非常に興味深い史実がしるされている。
吉原にいくこと。母親はつらい目に合わせると涙を流すが、本人は腹いっぱいごはんが食べられ、きれいな着物を着れ、むしろでなく、綿の入った布団に寝られることがありがたく、弟や妹たちにも貢献でき、父親のほっとした顔をみれ嬉しかったりしていた。
山形県から二千人あまりの娘さんが娼妓になり、年頃の娘さんが村から消えるということが実際に起こっていた。
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はあ、なるほどねー、と思う部分と、そうは言ってもねえー、と思う部分と。
良き時代の良きユートピアとばかりも思えないが、吉原の中の日常を綴る気負いのない文章には好感が持てる。
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大正12年、3歳のときに吉原の引手茶屋の養女となってから、戦中、戦後、売春防止法施行など吉原の歴史をずーっとみてきた著者による思い出話。吉原の様子が事細かに描かれていてとても興味深いけど、基本的な立ち位置が”吉原肯定”なので、現代女性の私としては違和感を覚える。
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吉原育ちの著者ならでは、といった本。廓のまちでどんな暮らしをしていたのか、本人の体験として書かれているので情景が浮かびやすかった。
内容は基本的に「吉原肯定」なので、あまり「影」の部分は書かれていないような印象。
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みをつくし料理帖を読んで 野江ちゃんのいる 吉原にとても興味を持ち
読んでみることにした一冊です。
花魁・太夫と呼ばれる女の子たちは、とても大切にされたんですね。
太夫と会う前に 芸者や幇間を呼んで「騒ぎ」をするとか、
太夫と会えても、「初回」「裏を返す」「馴染み」というしきたりがあり、なかなか 仲良くはなれなかったそうですよ。
とても、興味深く読めました。
しかし・・・戦争ってひどいですね。(涙)
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吉原関連本を読み倒したくなった。
引き出茶屋、幇間、耳にしたことがない言葉の意味を知る。
戦後1年間は米兵専用の慰安場所であったことも。
荒井一鬼さん作の「吉原今昔図」を見ながら、この小さい四角の中に今はもうこの世にいない、引き出茶屋の主人、女将さん、女中、芸者、幇間、花魁、貸し屋敷の主人、お内所、番頭らの姿が蘇り、彼らの声が聞こえてくるようだという筆者。
街の地図が生きているように感じる、という一文。
吉原を大事に大事に守ってきた人たちとは、江戸文化を繁栄させた立役者達でもあったのだと思った。
それにしても幇間(太鼓持ち)の方々。
「バカのメッキをかぶった利口者で、大臣とも乞食ともつきあえる男」
「お客様の素性、好み、性格など、たいていのことは初対面で飲み込むという、特別のカンをもっていました。」
自分の心にも留めよう。
桜川忠七「たいこもち」も読んでみたい。
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経営者の視点から吉原の歴史や内情が語られていておもしろい。愛情の上に全てが好意的に語られているので筆者本人以外の気持ちに関してはあまりアテにはならないかもしれないが、吉原の終わりの変遷は自身の体験に基づくものなのでとてもリアルに感じられる。また、ことば遣いが独特で、とても近代的。
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吉原遊郭の終わりごろが良く書かれてて、吉原終了の歴史を知ることが出来る。
吉原遊郭内だけではなく、昭和初期と言う時代や生活環境なども書かれていて、昔を知る事が出来る。
筆者が実際に吉原内で働いていた方で、お茶屋の女将をされてた方だけあって、吉原の実情を正確に伝えてくえれているんだろうと思う。
ただ、少し残念だったのは書き手がお茶屋さんだっただけに、吉原全体の事や昭和初期の時代の全体的な事は良く書かれていると思うのだが…
出来れば、もう少し花魁(遊女)の事に触れてもらいたかった。
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先日読んだ「「ふるあめりかに袖はぬらさじ」なんて、
この本を読んでから読めば良かった!と思える一冊でした。
たとえば「幇間(ほうかん)」とか「遣手(やりて)」とか、小説で出てきて
わからずに、辞書とかネットで調べても、イマイチなんのことだか
わからなかったんです。
そのあたりがこの本ではどういう役割を果たして、
どのような気性だったのか、ということまでが、
説明と文章から読み取ることができました。
また妓夫太郎の説明を読んで、
「とろサーモン久保田は現代の妓夫太郎か」
なんてことを思ったり。
徳川時代から300年、国の制度下に置かれたこの場所は、
確かに今の性産業とは異彩を放っています。
売春防止法施行後の、現代的な街に吉原が変わる中、
300年の伝統を守っていく松葉屋。
この本が書かれたのが1986年。
30年近く経った今、ここで描かれた粋な姐さんたちが
どうなさっているのか、気になるところであります。
これを読んだあと、「驟雨」とか「赤線跡を歩く」を読み返すと、面白さが増すんだろうと思います。
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森光子『吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日』『春駒日記』を読んだ後に、併せてこちらも読了。明治、大正、昭和の初めは、貧しい農家の娘たちが親に身売りされ、ほんとうに大変な境遇に置かれていたのだということがわかる。戦争中には、そういう女性たちが大勢従軍慰安婦として大陸に渡っていったことも記されている。男尊女卑の深い深い深淵を覗く気分だった。
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ちょびちょび、だらだらと、読み続け読了。
大正9年に生まれ、平成17年に85歳で亡くなった福田利子さんという、吉原の料亭「松葉屋」の女将をしていた方が、ご自身の経験や周りの色々な方の昔語りを元に、江戸時代~売春防止法までの吉原の姿をまとめて綴った本。話口調で読みやすい。
松葉屋というのは吉原システムでいうと「引手茶屋」、つまり殿方が花魁のいる貸座敷に行く前に、芸者や幇間を呼んで遊ぶ、お茶屋さんをしていた店で、この本の著者はそこのオーナーの娘として育ち、戦後に女将を継いだ方。子どもの頃から吉原ではたらく人々の暮らしを見てきた。
・江戸時代から続いた吉原の仕組みの解説
・親兄弟のために懸命にはたらく花魁たちの健気さ、遣り手婆や妓夫太郎の優しさ
・幇間、芸者の芸やもてなしの見事さ
・いらっしゃるお客様の粋な遊び方
など、好意的に語られる。歌舞伎や落語を味わうにはこういう雰囲気の理解は欠かせない、だろう。
そして
・公娼制度廃止
・売春防止法成立
などを経て様変わりする吉原。
戦後民主主義の世の中で、吉原も花魁も「売春」という大枠に括られて「悪」にされたけれど、そう簡単に善悪で断じきれる問題ではないのだなあ…。
阿木翁助さんの解説より抜粋↓
「徳川時代に吉原が公認された理由、それから現代になって、戦時中、軍の慰安婦としての吉原女性の徴発、敗戦後アメリカ兵のための進駐軍慰安所の設立。それらの記述のどれをとっても、のがれ得ない人類の大きな問題を感ぜずにはいられない。」
そうこの、進駐軍慰安所のための女性募集なんかは衝撃的で、このときは国が募集したわけなのに、同じ口が今度は売春だから吉原もだめって言うのだから、時勢とか善悪とか正義とか道徳とか常識とか政府の言うこととか…というのは、移ろいゆくものだなあ。
外から善だの悪だの言うのは簡単だけど、実際にその中で懸命に生きていた女性たちがいた。そのことを、悪にされたり、なかったことにされたくない、そういう著者のお母ちゃん的な気持ちがこの本を生んだのかなと思いました。