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山の音 改版 (新潮文庫)
山の音
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紙の本
若いころ読んでも面白いとは思わなかったろう
2019/01/25 23:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
川端作品の最高峰と評価の高い作品。読めば読むほど、改めて、日本語というのは美しいのだということに気づかされる。信吾とその妻、保子。息子の修一と妻、菊子。そして出戻りの房子の何気ないが、身もふたもない様子が信吾の目を通して語られていく。彼は60歳を過ぎてもなお、保子の早くして亡くなった姉を慕い続けている。その彼女と菊子を重ね合わせている。この歳になると、やはり信吾の気持ちが身に染みてわかってくる。20代のころ、この作品を読まなくてよかったと思える。あのころ、読んでいたら、この余韻には浸れなかった.
紙の本
批評的言説を誘惑する作品
2001/02/11 16:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
16編の、それぞれ印象的な表題(「山の音」「蝉の羽」などいずれも「〇の〇」という型で表記される思わせぶりな、いわば俳句の季語のように凝縮された意味の場を示す記号)を持つ短編から組み立てられた長編小説である。
各編は独自の世界(と言っても、立体的な奥行きや形而上的な存在を織り込み濃密に構造化された世界ではなく、微細な感情や感覚といった表面的な心理の動き、あるいは花や鳥や樹やさかなといった自然物によって繋ぎ止められた平面的な世界)を持ちながら自己完結することはなく、前編や後編、そして全編に対して開かれ相互に依存しあっている。それも有機的にではなく、むしろ無機的に、あたかも静物(死んだ物)の表面を細部にわたって克明に描き出すように。
また、各編は季節の推移に沿って並べられ、その中でいくつかの出来事が同時に進行していくのだが、それらは本編の主人公(と言うより、彼の視聴臭覚を通して読者が小説世界へ参入する特異点)である老人が言うように、時とともに解消されてしまうのである。自らのうちに時間を取り込み劇的な葛藤をもたらすわけでも、互いに錯綜し全体を創発するわけでもない。徹底的に表層で展開される小説なのである。感情の流れ、自然現象、人間関係、社会的事件、これらの素材が相互に浸透しあうことなく表層に並置されるだけなのだ(日本料理のように、あるいは小津安二郎の映画のように?)。主人公の心理は分析されることなく、能面への接吻だとか聞こえるはずのない山の音であるとか、ことごとく外面的な行動や感覚に仮託される。夢や回想でさえ、小説の世界にある深みを与えることなく、ただ表層へと還元され尽くすのである。
この小説の中で唯一、表層が綻び不可視の世界をかいま見させる契機があるとしたら、それは主人公の息子の嫁である菊子、主人公が性的な(と言ってもいいだろう)思いをそれと気付かず寄せている可憐な、まだ成熟しきっていない女性の存在だろう。菊子(花の名が割り当てられていることには、おそらく菊子をも表層の体系のうちにかすめ取ろうとする作者の戦略が潜んでいるに違いない)の心理、生理、そして性的身体は一切記述されることがない。
様々な相での解読が可能な、それでいて不思議な透明な空虚感、崩壊感を漂わせながら再生への希求のような意志が伺えないでもない(それは菊子の妊娠に託されるが、結局成就しない)、すべてが語られているようで多くの語られない不在を抱えた、批評的言説を誘惑する作品だ。