紙の本
お経の本来の意味とは
2015/09/29 13:22
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mach1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、法華経や維摩経をサンスクリット語の経典から翻訳した人である。著者は次のように説明する。
日本に到来した経典は、インドから中国にもたらされ漢訳されたものがほとんどであるが、インドの経典が中国で表意文字である漢字に置き換えられたことで、今度は使われた漢字に本来備わる意味から、元々の経典の意味とは異なる新たな解釈が生じることとなった。日本においては、さらに漢文をどのように読むかで、さらに新たな解釈が生じている。
著者はこのような事実から、経典の本来の意味を理解するためにはサンスクリット語の経典から翻訳を行わなければならないことに気づき、それを実践した。
私は浄土真宗の勉強をわずかばかりしたことがある人間であるが、親鸞聖人が自らの考えを伝えるために、経典の漢文を通常とは違う読み方で解釈している部分が著書の所々に見受けられ、考えの深さに感嘆すると同時にまた違和感も感じるところがあった。
この本を読んで、すでに中国に伝えられた時点で、経典の本来の意味から離れる解釈が始まっていることが理解できて、経典の解釈の変遷について、非常に納得できるところが多かった。
仏教を勉強される方には、ぜひご一読を薦めたい。
紙の本
原点(原典?)に還る
2012/02/09 17:25
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:マッツ - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教に関する種々の迷信・誤解を解消できる。
植木先生はもともとは物理学者だが専攻を変更して(いわゆる文転??)仏理を研究?
私の愛読書の中村元先生訳の岩波文庫33-301-1ブッダのことばなど多く引用されている。本来の仏典はサンスクリットで書かれていることを再確認した。
紙の本
インドから中国を経て日本へ
2020/12/25 06:05
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
インドのサンスクリットやパーリ語で書かれた経典が中国で漢文に訳されそれが日本に来たわけだがその過程で中国で生じた誤訳や日本で書き下しを間違えたりして変容していった様がよくわかる
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ジュンク堂池袋本店で購入しました。
2011年12月1日。
読み終えました。2011年12月9日。
お薦めです。
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やっぱりそうなんだ、と思いました。
お釈迦様の教えが、長い年月と、膨大な距離、多くの人々を経て、様々に変化して来たのが、今の仏教なんですね。イスラム教やキリスト教、荘子などの影響を受けた部分もある、ということで、一言仏教といってもいろいろなものになっていて、初期の教えから逸脱したり時には、真逆のものになってたりしてるのですね。
それでも、仏教とひとくくりにできてしまうところが、すごいところかも。
基本の教えとは何かが、はっきりし、
原点を気づかせてくれます
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「法華経」-2004-、「維摩経」-2011-をサンスクリット語の原典から完訳した在野の仏教学徒である著者が、インドと中国そして漢訳による仏教受容をした日本における三様の仏教理解を、その誤解も含め、一般向けに解き明かしてくれる。
第三章「漢訳仏典を通しての日本の仏教受容」における先達者たちの意図的・恣意的ともみえる読替えに関する記述は興味深い。
道元の「有時」に関する-
親鸞の「備施等衆生行也」に関する-
日蓮の「自我偈」や「我実成仏已来無量無辺」に関する-
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おススメ本。古代インドで成立した仏典が、漢訳され、さらに日本の僧侶がそれを解釈するという過程で、いかに誤読や誤解がなされたかを、各テキストを丁寧に比較して検証。形骸化した「葬式仏教」への痛切な批判。
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第一章を読み終えたところであるが、原始仏教での教えが仏教本来の思想であって今の教えねばならない思想ではないか。今の仏教は間違っている。と云うよりも本来の仏教とは似て非なるものではなかろうか。
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まず、タイトルが振るってる。「仏教、本当の教え」。是非知りたいところだ。長いこと、仏教とは何なのか、仏教をどう捉えたらいいのかは興味の対象で、定期的にその手の本を読んでみるが、毎回煙に巻かれる思いだ。この本の場合、タイトルからすると、そのものずばりを教えてくれるのかなと。帯も中々面白い文言が載っている。大きな活字で「壮大な伝言ゲームの果てに」。
しかし、1/3程読み進めた時点で、「ああ、またやられたな」と。僕が知りたいことは書いていない。あるいは、僕が知りたい角度からはこの作者はこの本を書いていない。僕が仏教について知りたいのは(色々あるが)、
(1)仏陀、釈迦、ゴータマ・シッタルダ、色々呼び名はあるが、とにかく彼が一体どういう教えを広げたのか。彼が何を考えていたのか。彼が何を悟ったのか。
(2)仏陀没後、部派仏教、大乗仏教、密教と色々な変化をとげた仏教だが、具体的に、どこで、誰によって、何故、そのような変化が起きたのか。
(3)現在に残る仏教は、仏陀が説いたそれとは大きく変化していると言われている。では、その変化の振れ方をどう捉えたらいいのか。否定的にみるのか、肯定的に見るのか、それとももっと複眼的な視点が必要なのか。
(4)そもそも仏教は宗教と捉えるべきなのか。哲学に近いものと考えるべきなのか。
(1)~(4)の疑問は相互に関係している。多分、解はないのかもしれない。
さらに、仏教の本を手にする時に、その筆者が上の(1)~(4)のような事柄をどう考えるかによって、どうしても本に「色」がついてしまう。その筆者が思い入れがある宗派・解釈がどうしても前面に出てくるからだ。はっきり言って、仏教を全く信仰の対象としていない人が客観的に書いた本が読みたいのだが、そういったものは、見たことがない。また、実際そういう本があっても、別の意味で全く不完全なものにしかならないのかも知れない。
この筆者の場合、大乗仏教に寛容で、密教にはあまり関心がない。また、道元にはやや辛く、日蓮には、甘い。大まかには大乗仏教は仏陀が教えた精神に則っていると考えているらしく、仏陀が本当に言った言葉かどうかの検証や問題意識は、この本には、ない。インド→中国→日本に経典が伝わる間での翻訳のニュアンスや漢訳経典の日本での読み下し方の話が本のかなりの頁を占める。タイトルは「仏教、本当の教え」というよりは、「仏教経典、翻訳こぼれ話」程度が相応しいように思う。
また、訳し方のニュアンスやこの筆者の問題意識、例えば仏教のジェンダー平等などについて、色々と例示があった後に「このように……なのは明白」的に結んでいることが多かったが、例の挙げ方が本当に公平と言えるのか、また論理展開的にもそのような結論でいいのか、首を傾げることが多かった。まあ、私の理解度と知識の不足によるせいかもしれませんが。
そして二言目には「中村元先生が…」と出てくるので、この人の本を読むより中村元の本を読む方が余程話は早いし本質に近づけるかも知れない。また自身がサンスクリットから訳したという「維摩経」「法華経」をやたら引用するが、何故維��経・法華経が絶対的に仏教の本質を伝えていると言えるのか、その説明はない。さらにその引用も非常に断片的なものなので、少しでも仏教を知りたければ現代語訳されたという維摩経・法華経を読む方がまだ時間を有効に使ったと言えるかも知れない。
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仏教が伝わるうちに変化したんだろうなあということは想像がついていたけど、1つずつ検証されるとがっくりくるくらい変化してる。場合によっては漢字を通ったことで違う意味が一人歩きした言葉もあって、くせ者漢字の本領発揮。なんだかトホホという読後感でした。
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仏教がインドから中国、日本へと東伝する過程でどのように変容したかを検証し、そこから三国の文化的異同を明らかにする「比較文化論」の書である。
仏典受容の経緯を見ると、中国では先ずサンスクリット語から中国語への漢訳が行われ、一旦漢訳されるとサンスクリット語原典はほとんど顧みられなかった。その結果漢訳仏典が独り歩きし、単に音写しただけの漢字が有意なものとして解釈されたり、原意に遡ることなく漢字解釈に終始する不毛な論争が繰り返された。
一方日本では、漢訳仏典をそのまま受容して音読し、これを和訳するという発想が希薄であった。そのため、仏典解釈において中国と同様の問題に直面するとともに、仏典が一部の特権的知識階級に独占される結果を招いた。こうして、日本では仏教が権威主義化し、ほとんどの日本人には仏教教義が理解されていないという。
その裏返しだろうが、日本では仏教用語の茶化しが著しい。「お釈迦になる」「三遍回ってワン」などがそれだ。著者は「哲学的・思想的対決を真剣にやろうという姿勢が見られない」と嘆くが、むしろ問題解決の一手法として「茶化し」を積極的にとらえることも可能だろう。
最近では尖閣諸島問題で日中関係がギクシャクしているが、ここでも日本人は「日本鬼子ネタ」や「実効支配ネタ」という茶化しに狂奔して、事態のクールダウンに貢献している…のかも知れない。
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(資料1)
「今週の本棚:張競・評 『仏教、本当の教え』=植木雅俊・著」、『毎日新聞』2011年11月6日(日)付。
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111108/p1
(資料2)
朝日カルチャーセンター横浜教室・講座。「仏教研究家 植木 雅俊氏」5/14から4回。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=154102&userflg=0
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インド・中国・日本では仏教の受入れられ方、理解の仕方が違うから、もはや別の宗教と言うべき、という印象をうけた。外部からきた宗教が土着のものと融合して、新たな面白い物になる。変化を続けながら、受入れられ続けてきた仏教を、読み解くのは面白い。
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この本きてますね~。
日本の新興宗教ではなく、インドの原始仏典からいろいろ引出しています。中村元先生に師事されていたようです。
サンスクリット語、パーリ語満載です。
仏教=宗教を学ぶと言うよりは、東洋思想の一部を読む感覚です。
面白いです。
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日本における文化的誤解◆インド仏教の基本思想◆中国での漢訳と仏教受容◆漢訳仏典を通しての日本の仏教受容◆日中印の比較文化