紙の本
科学と宗教と死感想
2017/08/08 23:19
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:右ソルデ - この投稿者のレビュー一覧を見る
私は今まで自分のできることをやるということをモットーに常にほぼベストを尽くしてきたつもりである。自分のコントロールできる、あるいはできそうなことだけをやる。とも言い換えられ、他人含め自然現象や遠い世界で起こっていることは私自身のコントロール外の事象とし、厳しい言い方をすると無関心を決め込んでいた。
加賀先生から提案され、それでは駄目だというか、他人含む自然現象や遠い世界で起こっていることへのアプローチ方法があることに気づいた。祈りである。
これからはこれまで通り自分にできることをしつつ、その上に祈りの時間を設けてみようと思う。前述したように、他人含む自然現象に対して、あまり会えない遠く離れた家族、関係は良くない人のことも祈ろう。世界のどこか遠くで苦しんでいる人にも思いを馳せてみよう。誰に祈るか、神か。私の産まれ育った沖縄では先祖崇拝の文化があり、神様みたいな感覚はある。だけど、先祖達に私の課題を言っても先祖達はあの世では自分のことだけで忙しい可能性があり、何代も後の私の課題やましてや自然現象や遠く離れた人達のことまで任せるのは酷な話であるのは分かる。この場合の神は世の中や社会のことを指すことにしよう。
今晩から夜眠る前と起きた時から始めてみる。
投稿元:
レビューを見る
著者の加賀乙彦は、精神科医であり作家でもあります。
そのことと「宣告」という代表作があることとは知っていましたが、著書を読んだことはありませんでした。
阪神大震災のときに65歳だった加賀乙彦は、「東京で小説を書いているよりも医師として被災された方々のために働こうと決心し」、精神科医として避難所の人々の治療に専念したそうです。
そして、今回の大震災、加賀乙彦は81歳であり、自身が心臓病手術後にペースメーカーを装着した障害者となっており、直接的な支援はできない状況の中、今までの様々な経験の中で考えてきた幸福のこと、死のことなどから、「とくに東北の被災者の方々に襲いかかった不幸から希望のある未来を望み見るにはどうしたらいいか」を、精神科医、小説家としての体験から「懸命に書いてみた」そうです。
自身の戦争体験や精神科医としての死刑囚との交流、また若き日のフランス留学時代に断崖から車で転落して奇跡的に助かったこと、さらに奥様の予想もしない突然の死など、死にまつわる自分のさまざまな経験から、加賀乙彦が考えたことがとても読み易い平易な文章で綴られています。
そんな人生を経て、加賀乙彦はクリスチャンになりますが、キリスト教を媒介しながら今の世相や人の生きる道、そして死に至る道を独自の視点で述べている本です。
投稿元:
レビューを見る
加賀乙彦先生がご自身の人生をふりかえり、語りかける。先生はクリスチャンで、宗教的な思想が根底にあり、個人的には相入れない部分もあったが、政府や財界が考える豊かさの定義に疑問を投げかけているのは正しいと思った。
最後は福島原発についても触れているが、生まれてから戦争の中で育ち、陸軍幼年学校在学中に終戦を迎えた戦争体験者が語る生と死は重みが違う。原発、原子爆弾がなくなったのを見てから死にたいど語り、原発を廃炉にして、全部お寺にしたらいいとは、内田先生と通じる考えをお持ちでした。
投稿元:
レビューを見る
精神医学者であり作家の加賀乙彦先生の死についての随筆。
著者は人生を通して死に多く触れてきた人物。少年期は第二次大戦期を生き抜き、精神医学者となって以後殺人など重犯罪者を対象とした犯罪学研究に尽力。留学先フランスでの落下事故、奥様の死、自らの臨死体験。それだけに著者は死に対して考えつくされた不抜の理念を持った方なんだなという印象をもった。
タイトルについて。「科学」は医療と原発があげられる。医学の究極の目標は不老不死なのか。されば死なない人間は幸福か。医療とは治すことだが、本書を読んで直すことなんだなと感じた。つまり寿命を全うするという本来の人間の生き方へ戻してやるということである。また、原発については断固反対の立場であった。その理由も少し書いてあったがせっかくこの時期に出された本ということでもうすこし考えを詳細に聞きたかった(そこまでいくとテーマから離れてしまいますが・・・)。
「宗教」はキリスト教、仏教を通して日本人がもつべき宗教観、それらと死の繋がりについて述べられている。
まとめると、先生の人生の一部を見させていただいたようなそんな本。すごく練られたというか至言のつまった本でした。ただ私にはそれをおぼろげにしか感じ取る事ができなかった気がします。死を目の当たりにした経験もない上、強烈に揺さぶられた体験も少ないからでしょうか。全体的に先生の謙虚さが伝わってくる文章でそれはそれで良かったのですが逆にインパクトがなかったのかな・・・。
投稿元:
レビューを見る
キリスト教徒である加賀さんの、3・11を踏まえた人生観が分かる一冊。
キリストに凝り固まらずに、他の宗派の良いところをきちんと認める加賀さんの姿勢こそが、日本人に合った宗教観なのかなと思ってしまう。
そして変わらない非戦の思い。
「戦争で死ぬ」という言葉のおかしさ、死ぬということは自分の意思で死ぬように捉えられてしまうが、戦争による死は他者に対して殺されることだから、「戦争で殺される」が正しい、にはその通りだと感じる。
また当然ながら原発は反対のスタンスです。
投稿元:
レビューを見る
「死は鴻毛より軽し」
という話から始まり死を見つめ、精神科医として犯罪者を多く見た著者の話で印象に残ったのは死刑囚と無期懲役囚の精神状態の違い。無期懲役の方が緊張が無く抜け殻のようになるのだろうか?
親しかった死刑囚がキリスト教徒になり、著者も後にキリスト教徒になる。著者はその時目から鱗が落ちたような気分になったらしいが、いかんせん話を読むだけではどのようにその瞬間を感じられるのかがわからないのが少し残念。これは著者の文章に問題があるのではなく、自分自身がその気になって神父から話を聞かねばわからないことだろう。
さて、戦争を経験した著者にとって先の震災は重なるものがあったらしい。それは大勢の人が無残に無くなった情景ももちろんだが、政府の対応に関しても。戦時中の政府は正しい情報を流さずにいた。今回の震災でも政府の発表は後手後手に回っている印象だ。また、広島長崎を思い出させる原発事故。
恐らく戦争を経験された方の中には同じように思われた方が多くおられるのだろう。
投稿元:
レビューを見る
① 今回の厄災が、集団の不幸という戦争中の不幸に似通った面をもつ
② 義は山岳より重く、死は鴻毛より軽し
③ 人間は生きている限り、何かに興味を持つことによって救われると思う。何かに熱中すること、何かを好むこと、何か人と違ったものに向かうこと、それが人間に幸福をもたらします。
④ 死を遠ざけたことによって、逆に生をも遠ざけてしまったと言えるでしょう
⑤ ところが日本人は宗教を忘れてしまいました。宗教の力がないところに、科学の力だけがのさばっている。ここに私は危険を感じるのです。科学や技術を学んだとしても、それをどう生かしていくのか、どのように人間の幸福や豊かさにつなげていくのか。そこには倫理、道徳、思想が必要です。P140
投稿元:
レビューを見る
加賀乙彦先生は最も尊敬する作家の1人です。
「永遠の都」は2度読みました。
沼野先生とのドストエフスキーについての対談もお聞きしました。
本書を読んで初めて知ったこと。
陸軍幼年学校の御卒業であること。
最愛の奥様を亡くされたこと。
心臓ペースメーカーをつけられたこと。
昔、フランスで自動車ごと断崖に転落されたこと。
加賀先生は「死」と真摯に向き合った最高の作家だと思います。
『悪魔のささやき』も感動しました。
まだ81歳。頭脳明晰。本郷に住むなんて羨ましいです。
投稿元:
レビューを見る
著者は東大医学部を卒業したあと、東京拘置所で医務技官を務めるなどした精神科医。囚人を観察していると、死刑囚と無期囚で明らかに違いがあるという。死刑囚は、毎日、「明日殺されるかもしれない」という非情に切迫した濃密な時間を生きているのに対して、無期囚は無限にうすい時間を生きている。無期囚は一つの鋳型にはまって安定し、感情を麻痺させ、無感動となり、刑務所の生活に適応するという。そもそも、モノゴトに関する感心が少ないともいう。
これを自分たちの身辺に置き換えていえば、モノゴトに関する感心が少ない人は、現代社会にという刑務所の中で、無期囚として生きているということなのかもしれない。
「人間は生きている限り、何かに興味を持つことによって救われると思う」という。「現代は死を遠ざけたことによって、逆に生をも遠ざけてしまったと言えるでしょう」ということは、とても説得力があるコトバに感じた。
著者の加賀乙彦さんは、こうした経験を通して洗礼を受け、キリスト教徒になる。そして、本書では「頑張る力」より「祈る力」と説く。それが、本書の題名『科学と宗教と死』ということにつながっていく。
人間の体の中には底知れぬ海があり、宇宙がある。いったい、このような美しいものを誰が作ったのか。何か大きな存在、「神秘」ということばでしか言いあらわせないものを感じる、というのは、著者が医学部出身で人体についてよく知っているだけでなく、囚人と接することで、人の心の奥底に潜むものを見つめてきたからこその言葉だろう。
投稿元:
レビューを見る
加賀さんのものを見るのに立っている位置はとても素敵だ。
すごく好きなのだけど、宗教が大きいなぁと思う。
宗教を押し付けないようにとおっしゃっていたけど、信じるものがない人間にはなんとなくきな臭い。
しかし、今あやふやになったり近づいた死について考えるのでなく耐える、堪えられる様になるには信仰が必要なのかもしれないと感じた。
生きることは、なんとでもなると思う。生きていることあることを信じるのは割りと容易い。しかし、なくなること、無になることを信じるだけでなく受け入れるのはとても難しいと思う。前者は、科学が裏打ちして支えてくれる。けれど、後者は医学でも怪しい。脳死だとか心臓死だとか曖昧な境界線だと思う。肉体は生なのか?精神が生なのか?科学では計りきれないと思うのだ。
そういう所で、あやふやなものの答えを、宗教という割とふんわりとしたものに求めるのは結構いいのではないかと思った。
投稿元:
レビューを見る
うーん、ちょっとピンと来ない感じでしたね。
死というテーマに深く切り込んでいく哲学的なトーンを期待していたのですが、どちらかというと宗教(キリスト教)が人の死生観にどういう影響を与えるかという感じで、後半は結構雑に読んでしまいました。
ただ、死刑囚の正田昭がキリスト教と出会って人間が変わったという話は興味深かったです。人間、極限のところまで行くと頼るものは信仰しか無いのではないか思う。日本人は極限に接することが無いから、特定の宗教に対する信仰が無いのだろうな。
もともとキリスト教徒で無かった著者は、遠藤周作に批判されたことによりキリスト教徒となるのですが、彼がフランスで初めて聖書を通しで読んだ時の描写が面白かった。
『聖なることがたくさん書かれているのかと思ったら、そうではない。悪のオンパレードです。あの有名なダビデだって、他人の奥さんをとるためにその夫を殺すという悪事を平気でやっている。「聖書」は名場面のある、ドラマチックな物語だったのです。』
ダビデ・・・。
僕は、この人の他の作品より、まず「聖書」を読みたいと思いましたよ。
今年中には読みたい。
投稿元:
レビューを見る
戦争体験や、精神科医としての犯罪者との接触体験、そして自身の老いや死に面した経験から、宗教と原発について語っておられる。
思想的には、僕とは真逆に近い価値観。
著者の言うように、戦争中は命が軽んじられたのだろうか?
ほぼ洗脳されるように天皇や国家のために戦ったのだろうか?
一般論としては飲み込むことができない。
また、原発・原爆を同列にして批判しているところについても、やや感情的なものではないだろうか?
ただ、一人の作家の、精神科医の価値観として読むことはできた。
彼は何も煽動してない。
この本は原子爆弾と原発がなくなるのを見てから死にたいと願う一人の価値感だ。
本書のタイトル「科学と宗教と死」。やや哲学書のように感じるのだが、これは本書の内容を表現していないので残念だ。
本書の内容は、キリスト教徒である著者のキリスト教観と仏教観に関する考察から、原発と原爆を中心とした科学の価値観、そして死に対する思いを綴った随想だ。
投稿元:
レビューを見る
内容的には過去の作品の内容と同じ物が多い。
3.11以降の日本について書かれている、よく戦後と似ているという話を聞くが、戦争を体験した人が語るのはまた重みが違う。
80歳過ぎの人が未だに色々と考えているのには勇気づけられるし、戦後すぐの物の少ないじだいでのモーパッサンのエロさについての述懐はなんだか嬉しい。
投稿元:
レビューを見る
「死」を考えることは「生」を考えること
精神科医でありまたキリスト教の信徒でもある作家が82年の人生で続けてきた死をめぐる思索の軌跡を綴る。自身の病、妻の死と厳しい試練に見舞われながら希望を失わない生き方の秘密が明らかに。
投稿元:
レビューを見る
精神科医で作家でキリスト教徒である著者が、死を見つめて宗教のことや科学のことについて思うところを述べた軽い読み物。死刑囚との接触やキリスト教改宗、第二次世界大戦の記憶なんかから、東日本大震災後の日本に宗教は大事なんじゃないかと。祈りの気持ちや宗教的感動を思い出させてくれた。