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魚は痛みや苦しみを感じるのか。様々な実験が行われ、痛みを感じる3つの理由を挙げている。
1つ、魚に意識がある。
2つ、損傷を検知する能力がある。
3つ、情報を伝達する神経繊維がある。
以上の3つより、魚には痛みや苦しみを感知する能力があると結論づけた。そして、これらが分かってから、魚を保護しようとする動きが始まった。
今後、魚の飼育方法を巡る議論は増えるかもしれない。
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表紙には釣り上げられる瞬間の魚の写真があります。この本を読む前と読んだ後では、写真に対して抱く感情が異なるのではないでしょうか?それくらい魚類の福祉について考えさせられる内容でした。
また、動物の福祉について考えることは、結果として人間の利益にも繋がってくるという話も大変興味深かったです。少しでも安い食品を選ぶという消費者全体の傾向を見直す時期にあるのかもしれません。
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<「魚の福祉」を科学する>
「魚の福祉」などと言ってしまうと、いささかアグレッシブに過ぎる動物愛護活動家が思い浮かんでしまうが、本書の筆致は冷静である。
著者は活動家ではなく、魚類の行動を研究する科学者なのだ。
個人的にはあまり考えたことがなかったが、「魚は痛みを感じるのか、もし感じるのであれば、家畜と同様、魚もまた『人道的』に扱うべきなのではないか」という問題提起は、2000年代初頭からなされていたのだという。
ただ一方で、それには「科学的」な裏付けが必要だという意見もあり、それに取り組んだのが著者らのグループである。
レトリカルな議論でも哲学的な議論でもない。科学的に真っ向から挑んだ研究である。
表紙の折り返しにいきなり「パンドラの箱を開ける!」とある。
大げさな、と思ったが、いやいや、読み進めていくとあながち大げさではない。
これはなかなか困難な議論だ。
文字通り、「魚の痛み」について考えるにもおもしろいのだが、それに加えて、よくわかっていない事象・いままであまり人が取り組んだことがない事柄に対して科学的に研究する際に、白紙状態からどのように仮説を組み立て、何を実証していけばよいのかを模索した記録とも読める。
本書の主題の場合、「痛みを感じる」ということは具体的にどういうことなのかを考察することから始まる。それは私たち(=人)が「痛み」を感じるということはどういうことかの考察でもある。
著者らは具体的には「痛み」を以下のように分け、それぞれを実証していく。
・侵害受容(nociception)(=痛覚)をコントロールする受容体と神経線維が存在するかどうか
・損傷を受けた場合に上記が活動状態になるかどうか
・魚の行動が痛みの経験の影響を受けるかどうか。
「痛み」は、それを知覚することとそれによって苦しむ情動の部分に分けられる。後者の情動に関しては科学的な実証は困難である。ただ、著者は、これまでの研究結果から、魚が侵害受容の反応を示すことはほぼ確実であり、哺乳類や鳥類に与えられている福祉を魚に当てはめない論理的な根拠はないと主張している。
この場合の魚の福祉とは、「魚を食べるな」ということではなく、漁獲の際に苦痛を与えないようにすべきであるとか、養殖時の環境を整えるといったことである。鶏を屠殺する際に、簡単だからといって多数をまとめて池に放り込んだりはしないだろう。魚を水揚げする際も同様の配慮が必要ではないか、というわけだ。
意欲的で真摯な著作であるが、一方で、この問題は科学でない部分の議論がどうしても伴ってしまうのだろうという感想も持った。
著者は科学的に取り組んではいるが、基本、「魚の福祉」を考えるべきだというところから出発している。そうでなければそもそもこの研究はしなかっただろうとも思える。
パズルのピースを慎重に慎重にはめ込みつつも、境界がぼんやりしている部分をそっと押し入れた感はある。
魚の福祉を考えることは、人にとってマイナスになるわけではなく、どちらにとっても喜ばしいウィン-ウィンの結果をもたらすことは可能であるという。
共存共栄。その道を探るのに、科学的な議論と倫理的な議論、また経済的な議論が、バランスよく進んでいくのが一番望ましいのだろう。
*著者らの研究は2003年に大きな話題を呼び、イアン・マキューアンの『土曜日』にも取り上げられたんだそうだ。
*魚に関するさまざまな研究も挙げられていて興味深い。ハタとウツボは種を越えて協同作業をして餌を採るんだそうである。へぇぇぇ。
*本文では簡単にしか触れられていないが、乱獲の問題について、訳者あとがきで触れられている。以前読んだ『銀むつクライシス』をちょっと思い出した。
*じゃあ甲殻類はどうなんだ、エビやイカは・・・?という線引きの問題もあったり。
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犬は痛みを感じるな。哺乳類は当然理解が及ぶ。確かに小さい虫やら貝やら魚はどうなんだろう。生きてるのだから痛みはあるだろう。そしてそれらを保護することはどの位必要か?
改めて、そういえばそうだよねーと考えさせられた。
痛みの検証と、魚擁護?問題提起である。
釣りはしないが、命に感謝しつつ、美味しくいただきますよ。
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今まで、魚が痛みを感じるなんて思ったこともなかった。この本を見たとき「エッ」と思い読んでみた。日本の魚なら「ギョギョッ」とでも叫ぶのかな。あとがきで訳者が書いているように「make a fish face 仏頂面」というイディオムがあるくらい、魚のイメージといえば、無表情だ。
著者は、生物学魚類専攻の学者で、実験に当たってマスを実験台にした。蜂の毒素と酢を使ってマスが痛みを感じるかどうか試した。その結果として次の4つのことが分かった。
マスは痛みを検知する侵害受容体を持っている。
それは細胞組織へのダメージを検知する。
それが刺激されると、その情報が三叉神経に伝達される。
それによって魚の行動が変化する。
この研究成果を発表したのは、2003年であった。さまざまなテレビ局やラジオ局が取り上げた。こんな変わった研究には、マスコミの食いつきがいいからなあ。
驚いたのが、一部の環境保護団体が釣りについて、魚に良くない主旨のキャンペーンを展開していることだ。魚とは関係ないが、数年前アメリカで「エコテロリズム」が起きたというニュースを見て頭がくらくらしてきたのを覚えている。環境を保護するために環境を破壊する矛盾に納得がいかなかったからだ。著者は、魚を食べると述べているし、極端な環境保護運動にも賛同していないが、魚の扱いに関して考える必要があるとは指摘している。何とか原理主義者は、どうして頭が固いのか。頭に血液や酸素が循環していないからなのか。頭のマッサージをしてもやわらかくなりそうにもないな。
数十年後には「魚の痛みの分かる人になりなさい」という時代になるのかな。それにしても、いろいろなことを考えている人がいるものだ。地球上に60数億人住んでいるだけのことはある。
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骨に覆われて表情のない魚は釣り上げられた際に痛みを感じているのか。
科学的な検証から水産業の対応までが、感情を排除して淡々と語られる。
巻末に若干ながら索引もついている。
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魚だって、釣り針が刺さったら痛いに決まったるじゃないかと思っていたが、そういう直感を持つのはマイノリティらしい。しかし、著者は、科学的方法により、魚が痛みを感じること、それも、痛みを感じること自体を科学的に論究した上で結論を導いている。
他方、世界では、魚の福祉というものが意識され、実践されつつあるらしく、この点については、そこまでやるか、という気持ち半分、すごく進んだ取組がされているという驚き半分だった。
訳者のあとがきにもあるように、本書は、サイエンスの書であると同時に倫理の書でもあり、そのなかで、著者自身は、科学者としての限界を意識しつつ、冷静な筆致で論が進められており、好感が持てるし、説得力も感じる。前半に置かれた魚が痛みを感じるかの実験について、その手順や比較対照について、非常に深く考えられていて、厳格な科学的態度についても強い印象を受けた。
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第1章 問題提起
第2章 痛みとは何か?なぜ痛むのか?
第3章 ハチの針と酢ー魚が痛みを知覚する証拠
第4章 いったい魚は苦しむのか?
第5章 どこに線を引けるのか?
第6章 なぜこれまで魚の痛みは問われなかったのか?
第7章 未来を見据えて
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文字通り、魚は痛みを感じるのか、を追った書。そもそも、どういう反応を示せば痛みありとするのか? いろいろ面白かった
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魚は痛みを感じるかについて科学的に考察。個人的には、問題設定からその証明迄の科学的アプローチの仕方に興味を引かれる。その為に科学本を読んでると言っても過言ではない。
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予測以上の情報は無かったし、和訳もつまらなかった。興味が湧いたのは彼女の実績や意見よりも、先行研究や議論の実例。
p.189 進化における成功の度合いは、その生物の登場の時期や複雑さによって測られるべきではなく、適応性、多様性、存続期間によってとらえられるべきであろう。
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本書はそのタイトルが示すとおり,「魚が痛みを感じるのかどうか」という疑問に答えを与えることを目的として書かれた本だ。本書の前半では,答えを得るために問題をより細かく定義しなおして,さらにその問題を解決するために設計された実験を紹介しながら疑問に答えを与えていく。また本書の後半は動物福祉や倫理についての問題を論じている。著者は魚類を専門とするペンシルベニア州立大学の生物学者である。
「魚が痛みを感じるか」という大雑把な疑問を考察するためには,この疑問をいくつかのより細かな問題を定義する必要がある。新しく定義された問題とは次のようなものだ。
1.無意識のうちに損傷やダメージを検知するプロセスである「侵害受容」が魚にも起きているのか
2.ダメージを受けた箇所に痛みを感じる能力を魚も持っているのか
仮に一つ目の問題の答えがイエスであったとしても,二つ目の問題の答えがノーであれば,魚が痛みを感じているとは言えない。そして二つ目の答えがイエスであるためには,魚が高次の意識を持つことを示さなければならない。
本書で展開される論理はさらに続いていく。魚が意識を持つとはどのようなことを指すのか。本書によれば,意識は「アクセス意識」「現象意識」「モニタリングと自己意識」という三つのカテゴリーに分けられる(113頁)。そこで,魚が痛みを感じているかどうかを判断するためには,侵害受容のプロセスが魚に備わっているのかを調べ,もし備わっているとしたならば魚がさらにこれらの三つの意識を持つのかどうかを調べる必要がある。後半のステップを調べるためには,魚がその意識を持つならばどういう行動をとるのか,また意識を持たないならばとらないだろう行動は何かについての予想を確認するための注意深い実験を設計する必要がある。
本書を読むと,ひとつの疑問を科学的に解決するために,用意周到な論理の積み重ねがいかに大切なのかを知ることができる。科学には慎重さが必要なのだ。
しかし,このように慎重に論理を積み重ねていくことは何も科学の専売特許ではないだろう。普段の生活や仕事の中で生じる問題を考える際にもすべからく必要な姿勢と言える。ぜひとも多くのひとに本書を読んでもらいたい。
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話題のV・ブレイスウェイト『魚は痛みを感じるか?』紀伊國屋書店、読了。魚が「痛みを感じない」「低級な動物」であるという認識がある。しかし著者は、科学的方法により、魚が痛みを感じることを科学的に論証する。痛みの認識とは、魚に事実上「意識」が存在することでもある。面白いですよこれ。
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原題の「Do Fish Feel Pain?」の語感がいいなぁ。しかし科学・生物系の本としては格好の入門書でもある。身近な問いにきちんと焦点を当て、どのようにその問いを解決できるか実験の手段を模索し、実際に実験を行える環境を作成していく。実験結果と考察をすり合わせ、他の研究と比較した上で更なる実験で確認してく。そうした科学的手法の流れが難解な語句も用いずに丁寧に記されていき、最終的にわからないことは「わからない」としっかりと態度保留の姿勢を提示する。侵害受容体の検出と意識に基づいたと思われる行動を示したという実験結果以上に、こうした科学的思考のプロセスが興味深かった。
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魚の福祉を考える。
ペットはもちろん動物についての福祉は、色々と考えられるようになってきた。その考え方を魚類にも適用する事が必要なのではないか、という事が書かれた本。
福祉を考えるべき生命体の境界線はどこなのか?