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紙の本
「学び」の復権 模倣と習熟 (岩波現代文庫 学術)
著者 辻本 雅史 (著)
近代に学校が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか? 手習塾(寺子屋)や藩校、徒弟制の江戸期の学びの実態を具体的に描き出し、歴史の側から近代学校を透視する。【「T...
「学び」の復権 模倣と習熟 (岩波現代文庫 学術)
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商品説明
近代に学校が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか? 手習塾(寺子屋)や藩校、徒弟制の江戸期の学びの実態を具体的に描き出し、歴史の側から近代学校を透視する。【「TRC MARC」の商品解説】
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著者/著名人のレビュー
知識を、「わざ」や「術」として、あるいは「礼」として身につける...
ジュンク堂
知識を、「わざ」や「術」として、あるいは「礼」として身につける学習、自学自習を原則とする「滲み込み型」の「学び」が、江戸時代の手習い塾の基本であった。そこで行われていたのは、儒学の古典を繰り返し「素読」することによって「身体化」することである。一斉授業とは違い一対一の対面型であるそうした「学び」は、見よう見真似を重視しする伝統芸能の稽古(=「真似ぶ」→「学ぶ」)や職人の「見習い」にも通じる。そこではそれぞれの学習者の生活時間が優先され、生活のなかに学習が主体的に組み込まれる形となっていた。
そうした「学び」の場で求められるのは、「教え込み型」の教師ではなく、よき「手本」として学習者の前を進む、いわば先行者というべき教師であった。そして学ぶ側に不可欠なのは、なぜ学ぶのか、自らが学ぶことの意味を生きていくことのなかでとらえる「立志」の自覚である。
本来教育の場において、ことさら「個性」を意識する必要など、ない。『和俗童子訓』を書いた貝原益軒をはじめ、近世の思想家たちは、そのことを十分わかっていた。
揺れ動きながら混迷を深める一方の現代の教育へのヒントが、ここにある。
紙の本
お寺に限らなかったので、寺子屋ではなく手習い塾と呼んだ方がいいらしい
2021/11/13 00:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
学習者はテクストを暗唱できるまで覚えてから
解釈を習うという、現代の公教育のそれとは
概ね逆の学習法が新鮮に感じられました。
学びの身体化や滲み込み型の学習を、
如何にして情報通信機器の利用と
組み合わせることができるか、が鍵となる
ように思います。