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学校でここまで詳しく教わらなかったけれど、やはりここまで詳しく教わるべきだよな。資源のない日本は戦争できないということを。
責任という言葉が大好きな割に、責任を取るのが大嫌いな日本人の反省のための本。
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p14 天皇が生き残ったのは
東京裁判で戦争責任を一身に背負おうとした東条元首相の言い分と天皇を戦後の統治に利用できると認識したGHQの思惑の一致による。天皇が生き残ったのは結局、道具として残されたのである。
p18 軍務大臣現役武官制
これは軍が内閣に対して強い圧力を変えられる仕組みであった。当初は2・26事件の皇道派軍人を抑制するための仕組みだったが、米内光政内閣の時には陸軍が陸相を出さないという抵抗をして内閣を総辞職に追い込んだ。陸軍音顔色を窺わないと内閣を維持できないという形になってしまったのである。
p20 陸軍は権力の中心にはならない
あくまで陸軍は内閣に対して圧力をかけて政治を動かした。陸軍出身の総理大臣が出ても、求心力を発揮できなければ軍は見限って陸相の辞職をして抵抗した。
政治の中心に立てば逆に自由が利かなくなることを知っていての態度だったのだろうか。
p23 統帥事項の秘匿
1940年11月から大本営政府連絡懇談会という首相、陸海外相、らで日本の外交方針が決められた。ここでの決定は閣議に提出されるが、その際には軍事作戦関係の情報を削除した文書が出される。統帥事項は閣議にも洩らせないというのである。こういった超法規的な決定がまかり通っていたのだ。
p29 政党政治の腐敗
1930年代の政党政治は腐敗していた。1927年の金融恐慌をはじめ不景気の日本で当時の二大政党の政友会と民政党は足の引っ張り合いをしていた。当時の政権交代も現代と同じく、新しい政治を求めてではなく、前政権の失政への反発で実現していた。それゆえ選挙で勝つにはより良い政権公約ではなく、ネガティヴキャンペーンに力を入れたほうが効果的だった。そういう状態で、当時の政党政治は足の引っ張り合いで思い切った政策はできず、後手後手の対処しかできていなかった。そんな政治に失望した国民の希望は、毅然とした質素倹約のイメージの軍を賛美し、対外進出への夢を膨らませた。
p33 大角人事
ロンドン海軍軍縮条約に際して海軍の運営方針が変わった。軍政系の権限よりも軍令系の権限の方が強くなることが決定された。諸外国との外交交渉による軍事活動よりも、軍事作戦立案・遂行のための軍事活動を優先するという変化である。頭脳で戦争するのではなく、腕っぷしで威嚇するということかな。
これに際して軍縮条約に関係した者を左遷する人事が行われ、当時の海相だった大角岑生にちなんで大角人事という。この人事のおかげで、海軍の優秀な人材が中枢から姿を消した。その結果、軍の中心に残ったのは他人お顔を伺うのが巧いだけの骨抜き野郎だけになってしまった。ここらへんから死への歩調が早まってきている。
p43 天皇の若気の至り
張作霖爆殺事件が起きた当時の田中義一首相は天皇に事件の関係者を厳���く罰すると約したが、陸軍の妨害にあって実行できなかった。それに対して昭和天皇は田中首相を公然と叱責し、内閣を総辞職に追い込み、田中はその三か月後に失意のうちに死んだ。これを天皇が国会に踏み込みすぎた失敗として「若気の至り」と言っている。この後、天皇は内閣の上奏に対して反対意見を持っても裁可するようにしたと述べている。これは天皇制の原則に則っており、あまりに正しい。しかし、それゆえに日本の過ちを止められなかった。
p47 戦争は不可避だから開戦した
これが開戦決定秘話の核心である。開戦が最もましな選択肢だったというのが解せない。
p54 勝つ見込み無くて開戦
1941年7月30日、長野軍令部部長は天皇に即時開戦を上奏し、天皇を驚かせた。その時、正直に勝つ見通し今の所はないことも述べさらに驚かせた。
資源のない日本が戦争するなら、資源がたくさん残っており、アメリカが開戦準備の整っていない今が一番良い機会だというのはわかるが、状態が良いだけで「勝てるかわからない」のに戦争しようとするのは驚きだ。
p55 対ソ戦は浪費
ソ連に戦争を挑もうにも、大陸には資源がほぼない。ソ連領の樺太でわずかに油田があるだけで、戦争を貫徹できるだけの資源量にならず、開戦するメリットはなく、少ない資源の浪費でしかない。だから海軍は陸軍の対ソ戦開戦をなんとしても防ぎたかった。
p66 天皇の反対
天皇は開戦を謳う「国策」に反対した。参謀総長の杉山に対し、南方攻略作戦に5か月かかるという見通しの甘さを問い詰めた。当時陸相であった杉山は支那事変で蒋介石はすぐに屈服するといったが、四年たった今も日中戦は終わらない、太平洋は中国よりもなお広い、ほんとうに作戦通りいくのか、と厳しく問い詰めた。
しかし、杉山の「緊急手術のように、成功の見込みのあるうちに手術せねば、結局死んでしまう」という言い訳に言い含められてしまう。
p94 開戦決まらず
東条陸相は開戦を決定する御前会議を強要し、内閣に圧力をかけた。その結果、内閣はそれを承認せず、内閣解散になった。つまり、東条のゴリ押しも失敗したのである。
結局、勝てない戦争を誰も決定できなかったのである。内閣は当然開戦を決められなかったし、陸軍も自分で決めるのではなく内閣に決めさせようとした。
「非(避)決定」を内閣、海軍、陸軍みんなでやっていたのである。開戦の責任は取りたくないけど、開戦すべきという愚行!
p95 天秤
陸軍のネックは中国撤兵問題である。日米戦争と中国撤兵を天秤にかけたのが、太平洋戦争の開戦問題だが、現代に生きて戦争の結果を知る我々からすれば、考えるまでもない天秤だが、当時、それをきちんと主張できる者がいなかった。それが一番の問題であろう。
p96 陸軍にとっての対米戦争
陸軍にとって太平洋戦争は南方諸国を攻撃する際に兵を割くだけで、対米戦争を実際に戦うのは海軍だとわかっていた。さらに陸軍には米軍の情報が欠如しており、第一次大戦のころの軟弱な米軍兵のイメージしかなく、物資量に劣るだけで、実戦では勝てると思っていたようである。
つまり、対米戦争は陸軍にと���て他人事だったのである。だから本気の情報収集もせず、無茶な作戦立案も平気でできたのである。
p109 ドイツ頼み
ドイツが敗れているのに日本が英米と戦争することは考えられない。というのは当時の軍部でも常考だった。ただ、日本の開戦論にはドイツの不敗楽観論がセットだった。東条は「ドイツは当てにするな」というのが持論だったが、実際はドイツ頼み大前提の作戦志向だった。
p115 輸送力のテキトーな計算
戦争で最も大事なのは補給路の確保である。太平洋戦争では船による輸送が主力であるから、日本の造船力と輸送船の損耗量の見積もりが立てられた。造船に関しては想定以上の成果を発揮した。日本の技術力はすごい。
だが、損耗量の見込みはガバガバだった。見積もりは第一次大戦のドイツの損耗量を元につくられたが、それは日本の現状に合わないデータだった。当時のドイツは潜水艦作戦で大成功し、損耗量をかなり抑えられていた。アメリカの潜水艦の進歩、それに新たな飛行機による損耗を計算に入れていなかったのが大問題だった。
p116 海上護衛艦
今でいうイージス艦。これがすごく大事なんだと。こいつがいるかどうかで主力艦や輸送船の損耗量は激減する。しかし、当時の海軍にはこれに相当する船が4隻しかおらず、開戦時にも10隻しか集められなかったそうだ。
当時の軍人に「艦これ」をさせたくてしょうがない。
p118 開戦の三要素
開戦論は、再度外交交渉に望みをかけるか、臥薪嘗胆(戦争せず世界情勢の変化を待つ)か、戦争に踏み切るか、の間で揺れ動いているはずだったが、俄かに開戦に向かっていった。
それは①臥薪嘗胆への不安 ②対米交渉の困難 ③鈴木企画院総裁の転向と嶋田海軍大臣の海戦決意 の三要素によって動き出した。
①は結局資源不足への不安である。石油が尽きるまで臥薪嘗胆すれば、戦わずして日本は敗戦国になり三等国へ転がり落ちるという不安である。「やらない後悔より、やって後悔したほうが良い」という道徳心みたいなものがここで出ちゃった…。
②はこれも資源不足。資源不足で外交交渉のイニシアチブが取れない日本が外交で戦争を先延ばしにしても、外交的解決ができるわけがないという見立て。
③は鈴木企画長が開戦はに転向した。日本の造船量が損耗量とのバランスをとれると主張し開戦を後押しした。さらに嶋田海相に海軍OBの伏見宮から早期開戦の圧力が加わり、海軍が開戦に転向した。
この対米戦は陸軍が見たように米軍VS日本海軍の戦争である。その当事者になる海軍がやるとなったら、開戦に進んで行ってしまう。
p126 海軍内の真珠湾作戦の認識のずれ
山本五十六司令長官はアメリカとの長期戦は不可能だから、真珠湾で米海軍戦力を徹底的に削ることが不可欠と見て、日本海軍の総力をこの作戦に当てている。
しかし、作戦を実際に指揮した南雲忠一司令長官はこれを理解していなかった。むしろ南方作戦のための兵力を温存する為に、ある程度の戦果をあげたら早々に帰投してしまった。結果、米海軍は空母を失わず、肉を切らせて骨を断つの作戦に成功しているのだ。
p128 海上決戦より海運護衛戦
第���次大戦でもユトランド沖海戦などの大海戦があったが戦局に大した影響を与えていない。作戦上重要だったのが海上輸送路の確保であった。だからドイツも無制限潜水艦作戦なんてやったんだね。
それなのに、日本の太平洋戦争時の建艦計画は、主力艦ばかり造ろうとしていた。本当に必要なのはイージス艦なのに…。アメリカがすごい建艦計画を出したから、日本も対抗したに過ぎない。大鑑巨砲主義の旧態依然の作戦しか立てられない無能集団に成り下がってしまっていたのである。
p146 開戦に大きな一歩を踏みだした
11月5日にあらたな「国策」が作られ、12月1日までに外交交渉が成立しなければ戦争に踏み切ることが決められた。外交交渉で開戦を持ち越したが、実質不可能な外交交渉である。妥協と見せかけて、開戦へ待ったなしの状況を作り出したと同じ事である。
p150 開戦決定の矛盾
開戦決定要因に①早期に短期決戦を挑めば勝機がある②外交交渉は不可能である という二点があったが矛盾を持っていた。
①は当然資源不足から長期戦になった際には必敗であるという矛盾。②は外交交渉は本当に不可能なのか、アメリカは欧州参戦も控えていて、できることなら日本と戦争したくはなかったはずである。外交交渉の余地はゼロではなかったという矛盾である。
p153 天皇の態度
開戦がほぼ決まった11月5日、天皇は積極的に戦争を回避しようとした態度はとっていない。
天皇は戦争に反対した態度をとったこともあったが、実際は絶対に反対するというわけではなかったようである。陸軍がゴリ押しに不当な手順で開戦することに不快感を覚えていたのであり、正当な手続きの上での開戦だったら認めていたのである。昭和天皇は原理原則にうるさい人だったのだ。
p156 天皇の信頼
天皇は東条英機をひどく信頼していたようだった。勝手放題の陸軍をまとめ、責任ある立場に据えさせ、政府をまとめ上げた東条を天皇は信頼したのである。
戦争が始まっても天皇の東条への信頼は失われず、戦局が怪しくなり東条おろしが画策されても天皇が擁護し、結局1944年7月のサイパン陥落まで東条内閣を解散できなかったのは天皇のせいである。
戦後の東条と天皇のかばい合いもそういう信頼関係から来ている。
p160 計画的過ぎた
東条内閣の陸相秘書官であった西浦進は戦後にこう言っている。「自分たち軍人は、あまり若いうちから戦略とか戦術とかいうことで、物事を計画的にやれと言われいることが、却って人生を誤らせたのではないか」と。
計画を重んじるあまり、待てば必敗になる対米戦予想を受け入れられず、かすかな望みのある早期開戦に踏み切った。
ノープランで待機して、行き当たりばったりで動く能力がないと、将来の失敗を怖がってより大きな失敗を呼び込むことになるんだな。
p162 甲案と乙案
日本の外交交渉の条件案は二本立てであった。
甲案は太平洋全般に課する包括案で、様々な日本に有利な条件付きで、中国からの撤兵や三国同盟解消、中国の無差別通商を認めるという、舐めた条文だった。
乙案は甲案を受け入れられなかった場合の妥協点をまとめたものである。
端から日本側は甲案は受け入れられず、乙案で勝負になるという作りで臨んでいた。
p186 対日戦を先延ばししたかった西欧国家
南方諸島を植民地にする英、蘭、豪はアメリカが助けてくれると言ってくれない限り、日本とは戦いたくなかった。そりゃあヨーロッパ戦線だって辛いのだから。
しかし、日本は真珠湾攻撃を仕掛けてわざわざアメリカを太平洋戦争に引きずり出してしまった。
p189 援蒋ルート停止がキー
陸軍は開戦に持ち込むための妥協条項を盛り込んだ。つまり、アメリカが受け入れられない条項である。
陸軍は中華民国を倒すために援蒋ルートを断ちたかった。つまり、アメリカとしてはこの乙案条項に妥協しては、日本が中国大陸で覇権を得るから受け入れられないのである。
p195 暫定協定案がうまくいかなかった流れ
アメリカも戦争の準備ができていないから開戦は先延ばししたかった。それゆえハル・ノートと同時に暫定協定案が日本に出される予定だった。日本への資源輸出や南部仏印への軍駐留などを一部認めて、3か月の時間を稼ぐという妥協案である。
しかし、スチムソン陸軍長官がハルに電話で日本の大船団が太平洋を南下していると通報し、それによってハルは日本への不信感を抱き、暫定協定案を取りやめたといわれる。ただ、そのスチムソンの通報は誤報だったらしい。
p199 アメリカは戦争する気になった
実はスチムソンの誤報の前にアメリカは日本と戦争する気になっていたようだ。例の誤報の前日11月25日、ホワイトハウスで、ローズヴェルト大統領、ハル国務長官と軍のトップで会議がされた。「無警告攻撃で悪名高い日本と戦争は避けられないだろう。そうなれば、いかにして日本から攻めてきたという既成事実を作れるか。」これを話し合ったらしい。
p202.203 ハル・ノートは異様な通牒
ハルノートは、非常に不寛容な外交通牒だった。日本に中国からの撤兵などを即時決行せよと、要求の摺合せなどというものではない。これはもう、「戦争するぞ」という挑戦状であった。
そういう意味でハル・ノートは歴史に類を見ない異様な外交文書でもあった。
p209 明治の制度のデメリットが全部でた結果
明治の制度は法的制度外の勢力によって補完・運営されてきたシステムである。これは非常に保守的だが、常識によって守られてきた、民度の高いシステムであった。しかし、昭和戦争においては、この超法規的装置を乱用したことで起きてしまった戦争と言える。
この超法規的しくみは、モラルが維持されていれば高貴なしくみだが、悪用されるという当たり前なデメリットがある。あまりにわかりやすいから悪用されないように思えるが、本当に悪用されることは、やっぱり実際にある。
p210.211 日本の開戦とはなんだったのか
①石油のための戦争 … 実質、石油を確保するための戦争。資源がない国が力を得ると、こういうことになる。
②日中戦争を水の泡にしないための戦争 … 日本は1930年から始まる日中戦争で利益も上げたが、いまだ未完である。もしアメリカの要求を飲んだら、それまでの投資がすべて水の泡にある。また、陸軍から��ればソ連が来るという恐怖もあった。
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本当に建前だけで戦争やっていたんだという事実は驚きを隠せない。
海軍は陸軍の中国への執着を理解せず、中国から撤兵して戦争しなくて済むだろうと思っているし、
陸軍はそれまでの中国戦線を水の泡にしたくないから海軍にアメリカとの戦争をしてもらおうと思っているし、
とにかく「戦争せずに負けを認める」責任をとりたくなくて、他人に押し付けたくて、という子供みたいなことを本気でやっていたんだから驚異である。
日本は資源を持たなくていいのかもなと思う。資源を持てば中東のようになりえるし、また戦争しちゃうかもしれない。
メタンハイドレードとか、シェールガスとか、新しい資源が日本にはありそうだけれど、触らぬ神に祟り無しなのかもね。
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共同謀議なんて,なかったんだな…。コンセンサス偏重で決められた「国策」には,多様な選択肢が盛り込まれすぎていて,重要な決定は先送りする矛盾に満ちたものだった。
外務省・大蔵省などの政府と陸海軍,軍部の中でも軍政部門と統帥部とで,国家の政策に関する考え方はかなり異なっていた。それを調整するために大本営政府連絡会議(懇談会)が開かれ,国家の方針「国策」が話し合われてきた。第二次近衛内閣以降,開戦までの一年半で出された「国策」は十にのぼる。
明治憲法下の国家意思決定システムは,強力な指導者を欠く寄合所帯からなるものであった。各メンバーがそれぞれ自分の組織に都合のいい政策根拠を求め,作り上げていった「国策」は,曖昧な玉虫色の内容にならざるを得なかった。本書は具体的に「国策」を検討することで,それを例証していく。
開戦の決定に至ったのは,組織間の対立の回避を重視するあまり,戦争を避ける重要な決定をすることができなかったため。元勲→元老が退場していった後に遺された,明治憲法の不備がその根本にあった。独裁とはまったく正反対の国家指導によって,日本は勝ち目のない戦争に突き進んでしまった。
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大日本帝国憲法下の体制と、意思決定構造と責任の所在を明らかにしながら、局面ごとの意思決定の変遷を追ったもの。単純に軍部が暴走した、というものではなく、開戦回避の努力も重ねられていたことがわかり、自分の理解の幅は広がった。
しかし、どちらとも取れる内容、実質的に何も決めていない内容を、議論の結果として時を過ごした結果、開戦せざるを得なくなったというのは稚拙な話。天皇論は憚れるが、当時の憲法では意思決定者でありながら、通例として発言せずに追認するだけだった、ということ自体がやはりおかしい。
東条氏も陸軍大臣から首相になって、行動を変えたが、開戦に至ってしまった。近衛氏も、色々な策を弄しながらも、職を投げ出してしまった。自分がこの国をこうしたい、という強いリーダーシップがなかったことが、戦争につながった。海軍も陸軍も自責ではなかった。
これは今の日本にも通じることだが、強いリーダー待望論を持っていてもしょうがないので、個々人が自責で考えていくべきことだろう。
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毎年8月に戦争関連の本を読むことにしているが、これは最近評判の書。
戦後60年以上経ち、開戦当事者のメモや独白録がここ10年ほどで様々でていることを知った。かなり正確に分析できる時代になりつつあると思う。
本書では開戦に至った経緯を当事者のメモを元に分析することで、現代の官僚組織論として読むこともできる。
日本では大きな組織になるほど最終決定権者(=総責任者)がいなくなるため、互いの顔を立てて相互の決定的対立を避けるために、事務局が両論併記した玉虫色の素案をつくり、互いに都合のよい解釈をすることで対立を収める「非決定」を繰り返す。これが空気に流されて最悪の結果を招く。
詳細にみてもいつ誰が開戦を決めたのかは不明で、「これでよく開戦の意思決定ができたものだと、逆の意味で感心せざるをえない」(p.212)。日中戦争の資源確保のためにアメリカに戦争を仕掛け、国の存亡を危うくする本末転倒の結果に至った。
先の原発事故調の個人の責任を問わない玉虫色の報告書もしかり。最終決定者を明確にするためにも、日本においては、組織の責任者の責任を追求し、個々けじめをつけていくことが改めて必要だと感じた。
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様々な要因が複雑に絡み合って開戦となったのであろうが、陸軍も海軍も「結局、組織的利害を国家的利害に優先させ、国家的な立場から利害得失を計算することができない体制が、対米戦という危険な選択肢を浮上させたのである。」このように指摘される政策決定の様は、現在の日本の官僚、政治家の間でも垣間見られるのではないだろうか。
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本書は、日米戦争における日本の開戦過程を詳細に検証したものだが、本書のような緻密かつ大胆な検証は読んだことがないと、興奮する思いを持った。
現在では「侵略戦争として断罪」されている昭和の戦争について、なぜ当時の日本はあのような無謀な戦争に踏み切ったのかと常々思っていたが、本書の「日本の政策決定システム」「昭和16年9月の選択」を読むと、当時のリーダーが単に無能だったのではなく、明治憲法にもともとあった政治システムの欠陥によるものであったことがよくわかる。
本書で読んだ「効果的な戦争回避策を決定することができなかったため、最もましな選択肢を選んだところそれが日米戦争だった」ことには、ため息が出る思いがした。
当時の日本が、政治のリーダーシップがないままに、流されるままに「日米開戦」という国家の重大な岐路に至ったとは驚きである。
また、本書では「陸海軍」首脳の動きも詳細に追いかけている。日本は一気に日米開戦になだれ込んだわけではなく「結局、組織的利害を国家的利害に優先させ、国家的な立場から利害得失を計算することができない体制が、対米戦という危険な選択肢を浮上させた」という。
これが「官僚組織の割拠性」というものなのか。陸軍は「中国からの撤兵」を断固拒否しているが、著者は「アメリカと戦って敗れれば、中国大陸の利権を失うというレベルでは済まない・・・最大の問題は、日米戦と中国からの撤兵を天秤にかけて判断する政治的主体が日本のどこにもなかったことである」と語っている。これは日本の政治システムが内包する欠陥だったのだろうか。
しかし、この「日本が開戦に向かう政治過程」を読むと、現在の日本と重なるところも多い。
「省益あって国益なし」「政治のリーダーシップの欠如」「官僚の力の増大」「決定ではなく非決定の構造」等々。みな現在の政治風景と重なる。ということはこの日本の政治システムの欠陥はいまだに是正されていないということなのだろうか。
本書を読んで、日本は戦後60年以上たってもあまり変わっていないのではないのかとも考えてしまった。
本書は、歴史の検証の面白さと凄さを知ることができる良書であると高く評価したい。
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日米開戦という亡国となる重大な決定が、政治家、陸海軍、外務省をはじめとする官僚(陸海軍を指導した軍人たちも官僚といえるだろう)の組織利害を第一とする姿勢によって決められたことを描いたノンフィクション。玉虫色的な両論併記と非(避)決定という要素が現在の日本の組織にも通じる宿痾であることには、皮肉な笑いが漏れる。敗戦の前後を通じて、日本の組織は変わっていないことを証明する一冊ともいえるだろう。
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近現代史を専門にしている先生の著書だけあって、論考は精細かつマニアック。日米戦争直前、当時の政策担当者が、いかに決定を避け、責任から逃れ、希望的観測にすがっていたかが詳しく述べられている。太平洋戦争を、日本人論、日本的組織論から解釈した本は多いが、本書はより具体的。
今の日本の状況(特に大企業など)を見ていると、当時の人を指さして笑えないよなぁと思う。当時の状況は今でも十分教訓になる。今の人は戦争というと耳をふさいで思考停止する場合が大半だが、少しは知っておいて損はないと思うのだけど。
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[暗黙の尻込み]1941年12月8日を迎えるまでに幾度となく決定がなされ、大仰な名称を冠せられながらも幾度となく覆された戦争に関する数々の「国策」。その策定プロセスを眺めながら、当時の日本の中枢が「非(避)決定」の状態に陥っていた様子を紐解いていく作品です。著者は、日米戦、特に情報・インテリジェンス部門の研究を専門とされている森山優。
セクショナリズム極まりない状況にもかかわらず、ボトムアップ型で国運を賭す決定を作り上げようとしていく過程に空恐ろしいものを感じるはず。また、複雑な政策決定のためのプロセスをくぐり抜けていくうちに、当初想定すらされなかった「国策」ができあがってしまう点にも、当時の政府の決定に方式に本質的な過ちがあったのではないかと思いました。曖昧な希望を加味してしまう様子など、公的機関のみならずビジネスの現場でもよく見られる光景かと思いますので、本書は単なる歴史解説にとどまらない実用性もあるかと。
また、明治憲法下における制度的な政策決定のための仕組みがわかりやすく解説されている点も本書の良い点の1つ。特に当初、その仕組みが法的な制度の枠外にある「常識」で補完されていたという指摘には、当時の政治の動きを顧みる上で忘れてはならないことのように感じます。少し学術的で取っつきにくいところはあるかもしれませんが、あの戦争を知らない世代だからこそ書けるあの戦争に関する研究としてオススメできる作品です。
〜政府の方針を文書で決定して、それに拘束力を持たせようという発想そのものが、明治憲法体制における政治的統合力衰退の象徴的表現なのである。そもそも元勲や元老に権威があれば、このような文書は必要とされない。統合力がない故に文章による政策決定が幾度も試みられ、まさに同じような理由で明確な方針を確定することができなかったのである。〜
書かれた言葉のおそろしさを痛感させられました☆5つ
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交渉をまとめるための
ペーパー(書面)の上での戦争。
国内で意見をまとめることだけでも難事。
個人的な意訳。
海軍は、「陸軍が中国から撤兵すればいいじゃん」として
対米交渉を進め
陸軍は、「いざとなったら対米戦争を海軍にやってもらえばいいじゃん」と。
お互いに、「自分の利害のみ」で判断をしていた。
海軍は対米戦争に自信が無かったが
それは言いだせなかった。
なぜなら、「対米戦争準備」を根拠に
予算を確保してきたのであって
それを認めてしまえば、存在意義を失うからだ。
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冷静な現実感覚を持つためにおすすめの二冊。
歴史家が一般向けに書いた日米開戦の政策過程分析本である。開戦は日本全体としては不合理な決定であっても、陸軍と海軍の妥協としては合理的な決定だったという論調。現実はこうやって決まるのだ。消費税増税も日本全体から考えて不合理でも実行される可能性がある。日米開戦のように。
何十万、何百万の死傷者がでようが自分たちの組織的利害が一番大切。これが政策担当者の本音。景気がどうなろうが財務省は知ったこっちゃない。覚悟しておいた方がいい。
一般に、合理性は日本全体を考えてと思われがちだが、合理性の追求は個人、局、省などの利害に基づいて行われる。覚悟を決めて冷静に準備しておく必要がある。
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いくらでも戦争を回避する機会と手段はあったはずなのだが、それがことごとく失われていく過程は、読んでいてかなり空しいものがある。
陸軍参謀本部の好戦的雰囲気にも嫌気が差すが、終始煮え切らない態度を取り続けた海軍にも腹立たしさを感じる。
詰まるところは、明治憲法下での国の政策決定のあり方が決定的であったということか。
膨大な資料にあたって、精密に論を進めようとしたことはわかるが、もう少し焦点を絞って、筆者の考える「なぜ開戦に踏み切ったか」ということを論じた方がよかったのではないか。いささか論述に煩雑な感を禁じ得なかった。
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本書は、1941年、まさに開戦の年の陸海軍、外務省三つ巴のすさまじい「文書と権限の戦い」を、公式記録を徹底的に検討して再現した一冊。
著者は序盤で、一般に言い習わされている「軍部の台頭」という表現にまず着眼する。「軍部」という抽象的な悪玉を具体的に見ていけば、陸軍省、海軍省という巨大な官僚組織の一部門、一部署に行きつく。そこでの意思決定はステレオタイプな「独裁」では決してない。むしろ、今の我々にとってなじみ深い「関係各部との摺りあわせ」の連続なのだ。対米戦争は厳しい、と陸軍も含めすべての関係者が認識しながら合意はなされない。
明治憲法の下では、内閣総理大臣は内閣の「全会一致」なしには何も決めることができなかった。誰か一人が抵抗すれば非決定に進むしかないのだ。
このような制度上の欠陥は、それまでは維新の元勲たちが密室で議論することで補われてきた。が、ある意味制度が成熟したからこそ、この戦争は初めて形式的な仕組のみにゆだねられてしまった、との趣旨の著者の指摘には考えさせられた。
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当時の日本の選択を政策決定の状況に焦点を当てて考察している本。
なぜ戦争突入したのかと考察する本はいろいろあるけれど、この本は白眉だと思う。
当時を考える際、考慮するものがたくさんありすべてを見て考えるのはあまり現実的でないので、「誰」によって、「どのような政治過程」を経てああなったのかに焦点を当ててみることでとても明瞭な話になっていてとても分かりやすい。
この手の話は陸軍が諸悪の根源とされがちで、この本でもそれは変わらないのだけれど、天皇の責任、海軍の責任も重要だとしてるところが興味深かった。
とくに海軍が戦争を容認しなければ絶対にアメリカと戦争をすることなどなかったとする話はそれほど重視する人が居ない気がするが、とても重要な指摘だと思う。
なぜそういう話になったのかと言うのが副題にも書かれている「両論併記」と「非決定」だという話は、現代においても同じような話にあふれているように思う。
政治にかかわっていた人間が無能だとか悪意を持っていたという話ではなく、みなが自組織の利益のためにと合理的に行動した結果が、だれも得をしない破滅への道だった――しかもその決定がもっとも自分達の利益にかなうと信じていた――となると笑うに笑えない。
現代でも総論賛成各論反対と言った話は無くなってないし、反対勢力を納得さえるためとはいえ論理が一貫してない話を用いたり、超絶と頭につけたくなるくらいに楽観的な見通しを基に計画を立てて話を進める。それでいて決定をひたすらに先送りにする。そんな組織にまともな決定ができるわけもなく。
示唆に富む話が多く、当時の政治における大変さや緊張感がとてもよく伝わる本でした。
特に御前会議を開催して天皇の前で審議、採決された「国策」が何度も何度も、時には依然とは相反する話が間を置かずに新たな「国策」として採用されてた話などは、義務教育できちんと教えておく必要がある気がする。
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>「どの選択肢が自分の組織を守れるか」そう考えて話し合っていると、戦争が選択肢になっていた
というレビューが絶妙。
リーダーも国民も決定できない、リーダーが責任取ることも許さず、国を動かすエリートたちによる保身圧力が現代の日本と重なる