紙の本
まだ全体像が見えない
2020/05/17 18:16
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は合田雄一郎シリーズよ「冷血」に合流するらしい。どうなるのか予想もつかない。彰之という登場人物は、これを読み終わってもまだ全体像が見えない不思議な人物だ。「冷血」にいくまでに「新リア王」があるようなので、先にそちらを読みたい。
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何がどう胸を打ったのか説明できないけれど、最後の一文を読み切ったら、涙したくなるような感じでした。
まとまらない感想だけれど、上下巻の壮大な過去の物語を経て、そこにたくさんの人の人生のひとときや、生き死にを見てきても、結局何も終わっていないし何も変わっていないこと。さまざまにつながってときには思いがけず結ばれたり、離れたり、永遠に別れたり、そういう人々のつながりや、そのときどきの人の思いも、結局は晴子や彰之の人生の何をどうするわけでもなく、どうしてくれるわけでもないこと。途中で彰之の半身は彼を産み落とした晴子であるのかとも思ったけれど、結局のところ母子であってもそれは変わらなくて、ふたりともどこまでいってもやはりただひとりであるだけなんだ、ということ、でしょうか。
涙したくなったのは、そういうようなことに、なんとなく孤独を感じたせいかもしれません。
感想をまとめるにはちょっと壮大すぎる・・。
何を置いても、晴子の手紙の語り口がなんともいえず好きでした。上巻の最初で、なにこれよみにくい、と泣きたくなったのは何だったのかと思うくらい、いつのまにやらじっと読み入る自分に驚き・・。
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基本的に上巻と同じ構成。
1人1人の人生がずしりと重い。
それにしても、バタバタしてたので随分と時間がかかってしまったな。
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ページに詰まった活字以上にぎっしり詰まった文章に描かれる風景と心象風景のデータ量の多さに圧倒されつつもその「物語」を堪能しました。書簡内で語られる昭和初期のニシン漁の様子・地の文での北方海域の様子を文字を拾いつつ想い浮かべながら、青森の方言で書かれているセリフをそのリズム毎想像するのが何よりも楽しかった。
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表題にある「情歌」とは何なのかと調べてみると、恋のことを歌った歌とある。だが、筆者はもっと広い意味、人の様々な情という意味で使っているのだろうと思う。
描かれているのは主人公である晴子という女性の人生であるが、読んでいていてワクワクするような波乱万丈の人生、という訳ではない。それなりの紆余曲折はあるけれど、どちらかという地味であり、時代の流れに翻弄されていく、関西弁でいえば「しょうもない」人生だ。
本書の評価は高く、多くの人が傑作にあげている。その理由を考えてみたのだが、それはまさに、人生の多くはしょうもないものであり、リアルであるがゆえに迫力があるからだろう。しょうもない人生を描くことによって、歴史の流れに抗えないということを描いたのではないかと思うのだ。
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母・晴子の手紙から語られる、福澤家の血脈。
そして、奉公人として、嫁として福澤に人生を捧げることになった晴子の想い。
彰之は長大なその手紙を読み、自らの出生と越し方を振り返り、遥かな洋上で揺れ動く‥‥。
否応なく突きつけられる運命に、まっすぐに向かってゆく晴子の生き方の、なんと清々しく美しいことだろう。
息子の彰之を含め、男たちが何かしら魂の彷徨を続けているのに対し、晴子は自分に降りかかる苦境を静かに懐に入れて、歩いてゆける人。
ああ、これが“母”というものなのか、とじわり、じわりと今、心に響いている。
高村薫の作品は、これまで読んだ犯罪小説でも、点として現れたいくつものエピソードを繋げてゆく見事な構成力に驚嘆したものだが、この作品もまた、人物から紡ぎだされた糸が、次第に編み上げられ、複雑で色彩鮮やかな大河小説として仕上がっていて、とても読み応えがあった。
時間を経て、また読もうと思う。
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数年前、読了までたどり着けなかった髙村本。今夏再挑戦で祝読了。いろいろ繋がって広がって納得。深淵で広大な髙村世界に埋没して至福のひととき。
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硬質な文章で重厚な世界を描く小説家、髙村薫。
その新作文庫が書店に平積みされていたので、「待ってました!」とばかりに、レジに運びました。
舞台は昭和50年。
漁船で長期間、沖に出ている福澤彰之。
その彼の元に届く、母晴子からの手紙。
この小説は、その手紙と、彰之を第三者視点から見たシーンとが、交互に書かれるという構成で進んでいきます。
その手紙というのが、母が自らの人生を振り返り、洞察を交えて綴ったというもの。
大正の世に東京で生まれ、運命の導きにより青森、北海道に渡る少女。
その数奇な展開に驚くとともに、昭和初期の時代に一市民の視点でどのように、世の中が見られていたかということを、味わえる内容になっています。
そしてこの作家さんらしく、20世紀前半のニシン漁や、昭和40-50年代の北洋漁業の情景などが、細やかかつドライな筆致で、リアルに表現されています。
母晴子の手紙が旧かなづかいで書かれていること、また登場人物の内面描写が多いこともあり、これまでの髙村薫の作品とは一味、違うなと云う印象を受けました。
漁業だけでなく、昭和初期の政治情勢・思想、青森・北海道の街並み、第二次世界大戦での南方戦線などなど、多くの話題が取り上げられていて、作者の膨大な知識と調査があって書かれた作品なのだろうなあと感じました。
上下巻で約850ページほどなのですが、ページ数以上に、「大作だなあ」と感じた作品でした。
主人公の彰之は、この後の作品にも登場するようなので、文庫化を楽しみに待ちたいと思います。
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「太陽を曳く馬」を読んで、福澤一族がちょっと気になり購入。読み終えるのにかなり体力を要した。
先ず、こんな昭和史の書き方があったのかと脱帽。大正から昭和にかけての捻れゆく社会の動きが、晴子という少女の視点で極めて客観的に書かれていく。
手紙と言う手法のせいか、それともそれが晴子の性格なのか、晴子自身の描写もどこか第三者的に思えた。その内面には色々な感情や熱が渦巻いているだろうに、どこか冷めているように見え、だからこそ「歴史」というものは単なる時の流れにしか過ぎないのだと思わされる。
それにしても高村作品の人物は、記憶力が良すぎて、アレコレよく覚えているし、考え過ぎじゃないのかい。そんなこと考えてたら前に進めんだろ・・・とか思っちゃう。
気になったのは晴子の描写。息子に対してさえ「母」ではなく「女」を匂わせる描写に少し嫌悪感を感じた。この作品ではなく晴子という女性への嫌悪感だ。この嫌悪感を感じることも、この大河小説のスパイスになっていると思う。
新書版の表紙が青木繁だったのがドンピシャなイメージ。
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数年前途中で挫折してから、ずっと文庫で読みたかった本。
そのせいでどのあたりが改変されたか分からないのが惜しいです。
旧仮名遣いが読みづらかったですが、晴子さん視点の大正・昭和の生活の描写を楽しみました。
楽しさも苦しみも淡々と受け入れるところが竹のような強さを持った女性でした。
ただ本当に彰之はどれだけ心理描写にページを割かれても、何とも言えない変人としか言いようのない人に思えた。(彰之が好きな人すみません)
イカを解剖して内臓を一つ一つ丹念に取り出して、その色合い、皺まで観察・考察して、なにかしらの理由・意味を追求せずにいられないような。
これでもてるなんて顔が晴子さん似だからか?
なぜ漁師になり僧侶になったのかぐらい理解したかった。
合田がLJでヴァイオリン刑事になったのと同じレベルじゃないの?
晴子さんも巌との淡い初恋を経験した少女が、榮や松田と不倫に走る人妻になる経緯がよく分からないし。
身勝手な福澤の男たちに対する反逆行為?
明るく子供に優しい母親ぶりは合田雄一郎の母、魔性ぶりは佐野美保子を彷彿とさせられた。
でもそんな優しい母親に不義の子だといわれるのか…。
淳三が晴子さんを初めて自分の絵画に描くシーンが好きです。
この夫婦も何とか形になったなぁと感じたから。
彰之には合田にとっての加納のような存在がいないだけに、最後の一文が切ない。
例えそうでも誰かを思わずにいられない。
追伸…よく考えれば、合田レベルの魔性ぶりだわ。
晴子さんの魅力と合田の魅力は真逆のものだけど。
単行本の時は彰之と遥の関係にときめきましたが、彰之の面影に晴子さんを見ているという描写で「全くもう」という気分になりました。
ホントに彰之が女の子だったらねぇ…って何の解決にもならないや。
私としては家系図だけでなく年表も必要で、頭の整理のために作りました。
ネタバレありでもいい、興味がある方は暇つぶし程度にどうぞ。↓
晴子情歌年表
大正9年(1920)2月22日晴子誕生
昭和7年(1932)母の富子死亡、晴子東京第一高女の陸上部員
昭和8年(1933)一家で筒木坂へ
昭和9年(1934)晴子15歳、哲史11歳、幸生9歳、美也子6歳
昭和10年(1935)土場へ。17歳の谷川巌登場。8月6日に父の康夫死亡。
昭和11年(1936)晴子、野辺地の福澤家へ。
昭和17年(1942)淳三の娘、美奈子誕生。淳三と晴子が結婚。淳三は翌日出征。
昭和20年(1945)美也子は東京大空襲、幸生は特攻で死亡。
昭和21年(1946)晴子の息子、彰之誕生。11月20日淳三復員。
昭和33年(1958)彰之、中学進学と同時に常光寺へ。晴子、東奥女子高に通う美奈子と青森へ移る。
昭和42年(1967)彰之、杉田初江と出会う。暮れに浅虫温泉で別れる。
昭和43年(1968)彰之、北転船で漁に従事。11月に従兄の遙遭難。
昭和50年(1975)晴子、彰之へ手紙を書き始める。11月、巌遭難を聞き晴子は釧路へ。その間に淳三肺炎になり入院。淳三、「青い庭」に晴子を描く。
昭和51年(1976)3月4日淳三死亡。彰之、「あの」姉の手紙を受け取る。晴子子宮がん発覚。
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簡単なあらすじ
遠洋漁業のため長期外洋航海中の福澤彰之。彼の元へ、東北に住む母・晴子から手紙が届く。
数百通にも及ぶ長大な手紙には、大正から昭和へと激動の時代を生きた、彰之の知らない一人の女の姿があった。
感想
高村薫の印象として、物凄く密度の濃い文体を書く人というのがありましたが、
これは今まで読んだ中で一番濃いかもしれない。
読むのに恐ろしく体力を使う小説です。
登場人物の感情の動きを、執拗過ぎるほど丁寧に、徹底的に語る文体。
いつもの高村薫節ではあるんですけど、これに青森の荒々しい自然、息づくような老舗商家の風景、ドキュメンタリーを見ているような漁、果てはルソン島の敗残兵の描写まで、全てに焦点を当てた様な濃密さです。
一行たりとも適当に読むわけにはいかないという気にさせられます。
また今までの高村薫作品はミステリがかなり強い(というかミステリ)でしたが、
今作は事件らしい事件が起こるでもなく、あくまで晴子という女の人生、それを受ける彰之の人生をひたすら描きます。
昭和50年の彰之パートと、大正〜昭和の晴子パートが折り重なるような構成です。
晴子パートは全て、彰之に宛てた旧仮名遣いの手紙となってます。
で、内容についてですが、「そこまで息子に自分を曝け出すか?」と疑問符が付くくらいの晴子の書き込みっぷりと、登場人物の凄まじい記憶力の良さや文学的教養の深さ、東大卒だらけの福澤家などに若干突っ込みたくなったものの、結果としては文章から溢れ出す生の力に圧倒されました。
戦前戦後の様々な事件が劇中で語られるものの、あくまでもそれはオプションであり、時代時代を生きた人々の、喜怒哀楽では区別出来ないような感情が、複雑な織物のように交差していきます。
また背景となる自然や漁の描写の緻密さも上述したように特筆すべきものであり、特にスケトウダラ漁やニシン漁のシーンは、正直何だかよく分からなくても作者の筆力に圧倒されました。
東北の大商家の話と聞くと、何だかドロドロの愛憎話というイメージが当初ありましたけど、家族一人一人の記述も微に入り細を穿つものであったためか、それぞれに感情移入できるところがあり、テンプレート的な印象は無かったです。
例によって同性愛を匂わせる描写も健在でございました。
あとこの話、『新リア王』『太陽を曳く馬』と続く三部作の第一弾であり、『新リア王』からはこれまでの高村薫作品でお馴染みの合田刑事も登場、実在の政治家も登場する虚実入り混じった話になるようです。
この2作はまだ単行本しか出ていませんが、文庫化にあたり大幅改訂を行う高村薫のこと、気長に文庫版を待とうと思います。
気軽に一読、というわけには到底いかない大作ですが、濃密な物語世界に浸れる一冊です。
高村薫作品デビューには向いてないかもしれないですけど、オススメです。
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再読。
余人を寄せ付けないこの孤独感、静謐さはなんたることか。
それでいて艶っぽい。
母と子の、描写し尽くされた一挙手一投足から目が離せない。
女の一代記のようでいて、戦前、戦後を見事に描出している昭和史でもある。
息子にとって母は遠く、母にとっても息子は遠い。
そして自分すらも遠い。
絶対的な孤高の前には、あらゆる感情が吹きすさぶ陸の砂、飛び散る波濤の一粒のよう。
絶望も。恋も。
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晴子からの手紙は、晴子が福澤家への奉公を始める時期へと移っていく。そして徐々に母と息子の真実が明らかになっていく。
疲れる読書でした(苦笑)。
文章の密度というか、濃度というか、粘度というか、とにもかくにもこんな文章を書けるのは高村さんを置いて他にいないだろうな、という感じでした。
政治、名門家族の相剋、過酷な漁、いずれの描写も濃い、というか濃すぎる……。なんでこんな文章を書けるんだろうな、と思ってしまいます。
晴子と夫の淳三との関係が、個人的に一番時代を感じました。現代のように恋愛結婚をしたわけでもなく、ただ成り行きと、福澤家の思惑で籍を入れた晴子。
その二人の関係性は愛情とか、親愛とかとはどこか違う、晴子は福澤家の血である淳三に憎しみすらもありつつも、それすらも飲み込む時代の流れ、時代のうねり、そんなものを感じました。
余人の理解を排した文章と展開の果てに待つ最後の一文。彰之のように自分も風が吹き荒れ、波が打ち寄せる浜辺に立っているかのような、そんな荒涼とした気持ちで読み終えました。
読み終えた時、説明のしようのない不思議な感情がこみあげてきました。ただ、もう一回読みたいか、ってなるとどうかなあ…
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福澤彰之シリーズ1作目。合田シリーズよりミステリ度弱め文学度強め。旧仮名遣いが読みにくかったが良かった。以下に詳しい感想が有ります。http://takeshi3017.chu.jp/file6/naiyou6706.html
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これはしんどい。
だが読後に、激しく冷たい浜風に吹かれてしびれるような、生きている感覚を味わえる。
これ、最初から最後まで飛ばさずに読む、という真面目な人で途中で挫折している人が多いだろうが、それは勿体ない。
(著者に失礼なのは重々承知で)イカ釣り漁船の描写や地方政治絡みの話や晴子の手紙はささっと飛ばして、彰之と晴子に関する人間関係周辺だけ読んでもいいと思う。
それでも読後にジンとした人はいつか全部読めばいいし、飛ばし読みでもダメだった人はたぶんもう読まなくていい。
自分は飛ばし読みだったが、言葉でちょっと言えない(いい意味での)重さを感じられる、いい読書体験だった。このような文学体験ができる存命中の作家は、あとは丸山健二くらいだと思われる。