電子書籍
自由のかたち
2016/12/07 12:57
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
定久郎は元武士、維新後家族捨て出奔。そして名を変え廓に身を潜めた。女は根津廓に売られてきた。どんなに美しくとも籠の鳥。小野菊花魁という名で生きている。彼女の情人、噺家ポン太。彼もまた名を捨て生きている。名を捨てた3人、カタチは違えど自由を求め行動をする。定久郎は翻弄されすぎて途中自由に負けそうになるが、小野菊とポン太がしかけた謎が明かされ全てに納得できた時、彼も彼なりの自由に出会えたのではないか。話に漂う面妖さは砂のよう。はらはらこぼれ心の片隅に塚を築いていく。塚が大きくなったその時、訪れるか私の自由よ。
紙の本
「こんなはずでは」っていうプライドと、「こんな俺にはこれで充分」っていう絶望のせめぎあい
2023/07/29 09:10
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
元武家の身分を隠して維新直後の遊郭で働く男と、その周りの人々の生き様を描いた時代小説。遊郭を谷底とみなして砂を噛むような毎日を生きる諦観と、ふいに表れる自由への渇望のコントラストが見せ所なんだけど直木賞作品にしてはあまりにも切ない展開。面白いけど重い。「こんなはずでは」っていうプライドと、「こんな俺にはこれで充分」っていう絶望のせめぎあいの中で日々の仕事をなんとなくこなして、安定しない生活を惰性でやり過ごす感じは時代を問わないテーマ性があって読んでいて重い気持ちになってしまった。
電子書籍
水底で跡を刻む砂
2018/01/02 03:57
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投稿者:美佳子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公・定九郎に一時期まとわりつきまわったポン太が「水底で人の目には留まらなくても、砂粒は常に動いて時の跡を刻んでいる」というようなことを定九郎に語るシーンがあり、それがこの作品のタイトルの「漂砂」になっていて、まさにその砂粒のような一般的には取るに足らない人物たちの生きざまを指していると解釈できます。
この時代の新語「自由」がキーワードになっていますが、結局誰もが本当のところ「自由」を持て余し気味のように見受けられました。そうした概念にとらわれずに、限られた可能性の中でどのように生きていくのかを考えて行動するしかないというわけですね。
紙の本
過去には戻れない人生
2016/06/27 10:33
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投稿者:ごっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公が現状に至ってしまった過去の分岐点に戻れない人生、このまま廊で生き続けることを諦めとも言える悟っていく姿が、現代に通ずるものを感じ、切ない。
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■読むまでの経緯
「茗荷谷の猫」で知り、好きになり、その他三作くらい読んでさらに満足し、直木賞受賞というこの本も気になっていた。そして中野翠さんの歌舞伎本か落語本かのどちらかで、「三遊亭圓朝の文化的存在感が(この本を読むと)よくわかる」というような紹介を読んだときには、私はこれは絶対読もう!と心に決めたのだが、どう検索しても単行本しかヒットしない。本屋にいくたび思い出して調べては、まだ文庫化されてない…と落胆。そんなある日、ふと電車で顔をあげたら、集英社文庫の中吊り広告に「漂砂のうたう」の文字が!
■残念な点
時代ものだし、遊郭が舞台の話、聞き慣れない用語が多い。こういうとき、司馬遼太郎は物語の勢いを止めずに物事の説明をしてくれるのがうまいと思う(楽しいだけじゃなく知識が増えた感覚が得られる)。折しも司馬作品を読んだ直後だったので、そこのところの置いてきぼり感が気になり、消化不良な感触が残る。読んでたらなんとなくわかるし、雰囲気でじゅうぶんでもあるのですが。
英雄的な人物を小気味良く書いて惚れさせるような司馬さんのタッチとはそもそも違う、って、わかっちゃいるのだが、読み始めは特に重さに馴染めず、熱中して読み進むことはあまりできなかった。単純に直前の読書との比較の問題かどうかはわからないけど。
つまりはっきりいって、難しくてよくワカンナイ、と思いながら読んだ部分も少なくない。
■良かった点
明治維新という大転換のその直後、西南戦争とか、自由民権運動とか、世は激動なんだが、俺には係わりねえって言っていながら人一倍拘っていたり、自由だ平等だなんて嘘っぱちだと噛みついてみたり、閉塞感、鬱屈、惨め、諦め、そんなこんなの存念がうずまく、そんな雰囲気を、理屈じゃなく、味わった。基本、木内昇さんは「ヒーローじゃない」ものの人だと思います。
最近、幕末~明治初期ものが続いているので、なお楽しい。
圓朝という人が、この時代に、今にも残り歌舞伎にもなったような新作落語をたくさん作ったということ、これは、この本のおかげで忘れないと思う。
■追記メモ
舞台となった根津遊郭は根津神社のあたりにあったが、作中でも語られた通り、近くに東大ができたため移転させられる。その移転後の場所は洲崎。洲崎アイランドの洲崎、現東陽一丁目。縁があるなあ。
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明治維新後、遊女屋で働いている元武士の青年のお話。それまでの生活や考え方、社会の何もかもが覆って、自らの存在価値さえも見失った人々が鬱屈を抱えてもがき苦しむ様を、恐ろしくも哀れにも感じた。突きつけられた厳しい現実から逃げようとしてもどこにも行き着かない閉塞感、諦観。
そんななかで自分というものを見定めて、置かれた場所で生き抜こうとしたり、居場所を探して一旦逃げた場所に戻ったりする強さを持った男女もいる。
昏く、不思議な味わいの小説。最後に少し光が見えて、救われた気がした。
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明治維新後の下町の遊廓に吹き溜まる人々。歴史の教科書で習うような維新後の出来事、大学の設置、自由民権運動、西南戦争だのを吹き溜まりから斜めに見上げるやさぐれた主人公の中途半端な荒みっぷりにゲンナリし、読んでいて楽しくはない。でも、このような視点もきっと当時あったのだと思えるリアルさ。籠の鳥は籠を開けても、必ず喜んですぐに飛び立つとは限らない。
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主人公と年が近いせいか、とてもリアルな物語と感じました。焦燥感を抱えながらも廓で生きて行くしかない現状。廓で働く人は皆人間臭く、ああ、こういう人いる!と何度も頷きながら読みました。そんな中で小野菊だけが異様に強い。その強さはある人との絆が故だと。絆が人を強くするという教訓でしょうか…小野菊という人がとても好きですが、非現実的な完璧なヒロイン像という印象も受けました。最後、龍造に武士の子であることを見抜かれていたときの涙など、人の感情がとてもリアルで繊細に描写されており、すごい小説だと思います。
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時代が軋みながら変化し、永く続くと思っていた居場所が唐突に消えるとき、自分は身を委ねられる側なんだろうか…などと思ってみたり。傑出の人物ではなく、渦に飲み込まれる凡庸な人々の側から見た維新に、この時代に生きたら吸っただろう空気を感じた。
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明治維新後の東京、根津の遊郭が舞台。
主人公の定九郎は妓楼の立番として働き、そんな己を嘲るように空しく日々を過ごしていた。
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先を思えば不安ばかりが立ち籠めるのに、確かな手立てを探ることは面倒であり無駄にも思え、結局、どうとでもなるさと思考を投げ出すのもまた、定九郎の常だった。(p.35)
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大きな時代の変動から取り残されたような町と人々。
華々しい出来事や有名な人物が描かれがちな明治初期の、谷底のような町に息づく人々の姿は、フィクションなのにリアルな存在感を持っています。
定九郎のどんづまり感がもたらすやるせなさをひしひしと感じつつ、どうなるのかな、と頁をめくっていくと――。
私はこういう終わり方、嘘っぽくなくて結構いいと思います。
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144回 2010年(平成22)下直木賞受賞作。世が江戸から明治へ移った頃、遊郭で働く元武士の男と彼と絡む人々の話。明治維新により侍や遊女、廓の人々、博徒たちはそれまでの生業を変えることを強いられた。あくまでも現状にしがみつくもの、羽ばたこうとするもの、その足を引っ張るもの。そんな輩に囲まれるなかで、主人公だけがどこにも踏み出せずにグズグズともがくさまがおもしろい。おすすめ。
しかし、松井今朝子の『吉原手引草』やなかにし礼の『長崎ぶらぶら節』など遊郭を舞台とした直木賞作品は多いですね。そこには華やかさ、せつなさ、男女のかけひき、女どおしの争い、裏切り、廓システムの非日常性など小説をおもしろくする題材が全て揃っているからだと思います。
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人物設定は地蟲を思いおこさせるが、心情描写を主人公に絞り込んだため登場人物の個性がひとりひとり際立っているように感じられる。傑作。
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直木賞らしいが、あんまり良さがわからなかった。
明治時代の遊郭の、なんとも奇妙なストーリー。
途中でオチがわかってしまったせいで、
最後まで心躍ることなく終わった。
『小さなおうち』みたいな一発を期待してたのに・・・
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始めの数十頁は、気が入らずなかなか読み進めなくて、何度か本を置いた。しかし、後半は興に乗り、明治初期の、根津遊郭の雰囲気に浸りながら、たちまち読み終えた。
さすが、直木賞受賞作。
幕府互壊により、武士の身分を失い、空虚な日々を送る定九郎、遊郭に身を置きながら凛とした佇まいの花魁小野菊、等々、人物造型が見事。
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最初の100ページあたりは正直言って退屈だった。
この作者の本は、別の短編集でもスロースターターだったなあ…
途中から伝奇物の様相を呈するけれど、夢が覚めてみれば、明るい空の下であった…ような。
途中、世相を映して、西南の役の様子が語られる。
西郷の最後の言葉「もうここらでよか」
明治の時代に乗りきれなかった人の象徴なのだろう。
ここを乗り切ったからといって、決していい時代には進まないことを、後の世を生きる私たちは知っているけれど、主人公にはこの先、地に足をつけて生きて欲しいと願うのだ。
巻末に紹介されていて初めてわかったけれど、表紙の絵は、小村雪岱でした。
この絵ではないけれど、埼玉県立近代美術館で絵を見て、気に入って絵葉書を買った画家でした。