紙の本
何度でも同じ問いから繰りだされる別の物語を紡ぎ続ける。
2015/03/06 14:14
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投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る
「罪。彼女はほかのことに注意を向けていた。なんとしてでも探し求めようとする注意力を、子供以外のものに向けていたのだ。罪」。グレタは女流詩人だった。夫と子どもがいる女にとっては、あまり誉められる生き方ではない。夫は寛容で干渉しないが、積極的に応援するわけではない。ハリスとは一度会っただけだった。なのに忘れられない。夫が仕事で家を空ける夏、グレタはトロントに住む友人に休暇旅行中留守にする家の番を頼まれる。ハリスに到着日時を知らせる手紙を書く。住所は知らないので、コラムを書いているトロントの新聞社宛てに。瓶に詰めた手紙をバンクーバーから海に投げ、日本に届くことを祈るようなものだった。
マンローは、短篇集を編む時、作品の選択だけでなく順序にも気を配るという。その意味でも、巻頭に置かれた「日本に届く」は、アリス・マンローの短篇の見本のような作品だ。主婦という役割と、書かずにはいられない欲求との葛藤がある。自分を理解してもらえていないという不満の裏返しとしての理解しあえる相手に出会った時の一途な愛情の奔出がある。トラウマのように何度も描かれる我が子の消失事件がある。詩の引用がある。目まぐるしい人物の出入りと錯綜した時系列が駆り立てる焦燥がある。出会いと別れを主題とする話を、その象徴たる「駅」で始まり、「駅」で終わらせる、というため息をつきたくなるような見事な構成がある。
北米大陸を走る大陸横断鉄道を舞台に繰り広げられる、女流詩人の「蹌踉めき」ドラマである。バンクーバーの駅で見送る夫に手を振り、トロントの駅で別の男の腕に抱かれてキスされるまで、たかだか三十ページの短さであるのに、次々と移り変わる車窓の風景同様、一人ひとりの登場人物がくっきりした輪郭を持ち、生き生きと動いて見せるので、回想シーンを含め、主人公の揺れ動く心情がいちいちこちらの胸に迫ってきて、まるで長篇小説、『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』でも読んだような気にさせられる。これが、引退宣言した八十二歳の老作家の筆になるものとは信じがたい。
何度もこれが最後といいながら、出版社の求めもあろうが、次々と出てくるアイデアにも促され、書き続けるマンロー。『小説のように』に次いで2012年に上梓された短篇集である。衰えを微塵も感じさせない十篇の短篇に、「フィナーレ」として括られた『林檎の木の下で』第二部の流れを汲む自伝的な四篇を含む。母親が目を離した隙に子どもに危機が及ぶという「日本に届く」と同じモチーフを、子どもの視点から描くことで、別の罪の物語として見せた「砂利」。徒に帰郷を長びかせる帰還兵の逡巡にも、その一時の居場所である家の女主人の独居にも人には言えぬ理由があった。巧みなプロットに唸らされる「列車」。
人生の危機は、ほんの一瞬の隙を目がけて襲い掛かる。その一瞬の記憶がその後の人生の長きにわたって人を苛む。何故目を離したのか、何故言われた通りしなかったのか、あの時、自分は、相手は何を考えていたのか、いなくなった者は答えを返さないから、残された者はいつまでたっても問い続けるしかない。誰かが自分に代わって罪を引き受けてくれることを信じられるなら救われるのかもしれない。罪を背負ってくれる他者を信じない者にあるのは、何度でも同じ問いから繰りだされる物語を紡ぎ続けることだけだ。凝縮された短篇の中に読む人の数だけ物語がある。迸るような激情から、ほの温かいぬくもり、或はほろ苦さを感じる結末まで、人生の有為転変を緩急自在の筆使いで描き分けるアリス・マンローの熟練の手業に身をゆだねる悦び、これに尽きる。
紙の本
ディア・ライフ
2022/07/16 10:57
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
収録されている作品の一つのタイトルに「日本」とあるので、日本と深く関わる作品なのかと思ったが、そうではなかった。それでもアリス・マンローらしい要素が多く含まれており面白かった。
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「北の大地、普通の人々のさまざまなリアル」この短編集では、そんなリアルが、1ページにいくつも展開するので、短編1つ1つが、それぞれ長編小説1冊分の「味とコク」を持つという不思議さを味わえる。
「短編小説の女王」カナダの女流作家アリス・マンローは、現在82歳。 2013年のノーベル文学賞をカナダ人として初めて受賞したが、 昨夏、引退を表明しているので、この作品集は「最後の短編集」とされている。書名の「ディア・ライフ」は、あえて訳せば「愛しき人生」という感じだろうか?
ふとしたことで大きく変わったことをあとから気づくわたしたち。そして最後の一行「何かについて、とても許せることではないとか、けっして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ——いつだって許すのだ。」
キャンパスでみずからのライフをデザイン中の学生たちに、ぜひ勧めたい。 [ライフデザイン学科 脇田哲志先生]
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アリスマンローを読んで2冊目の本。短編だから気楽に読めそうだから、マンローの場合文の密度が濃いので実際そうはいかず、二ヶ月かかってしまった。人間の日常の断片がこんなに輝くのは素晴らしいと思う。
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ノーベル賞を受賞した短編小説家ということで、気になって読んでみました。
短編小説の真髄とはこういうものか、と理解しました。決してはっきりとストーリーを描かない。人物や情景の描写で何が起きたかを間接的に語り、精緻な描写で文章から絵を紡ぎ出しながら余白を残す。読者にゆだねながら力強いストーリーを展開する技術の高さに驚きました。こんな作家がいるんですね。
もう新作は書かないと宣言されているそうです。「イラクサ」なんかも有名なので、ぜひ読んでみたいです。
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最後に「フィナーレ」として、作家が自身について語る自伝的な4篇が収められている。
「夜」には、口に出せない残酷な思いにとらわれ、それから逃れるように夜の町を彷徨い歩くようになった少女の焦燥感が描かれる。ある日、父親は、そんな娘をさりげなく肯定し、受け入れ、少女は救われる。私も一緒に救われたような気がした。
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登場人物の人生にそっと寄り添い、綴ったような短編集。読むと私もその人生を追体験したような気持ちになる。これが創作だなんて信じられない。
ただし後半の数作品は作者自身が自伝的要素がある作品だと断っている。母親との関係が興味深かった。そのストレートにいかない関係がまさに人生だなと思った。彼女が簡単に納得したりごまかしたりせず、冷静に自分を観察するから小説を書く人になったのだと思った。
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日頃ほとんど意識しない、心の隅にごくうすく存在しているだけの茶色いシミが、ちょっとしたきっかけで、気のせいか黒っぽさが増す感じ。
愛着。
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厳しいというのがまず感じたこと。もちろん現実とは厳しいものなのだから、小説もこうなるのは当然のことなのかもしれない。それから私が言葉に置き換えることのできなかったいくつかの事柄が言葉になっていて、腑に落ちた。ごく一般的にいってそうなのね、と。
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「罪。彼女はほかのことに注意を向けていた。なんとしてでも探し求めようとする注意力を、子供以外のものに向けていたのだ。罪」。グレタは女流詩人だった。夫と子どもがいる女にとっては、あまり誉められる生き方ではない。夫は寛容で干渉しないが、積極的に応援するわけではない。ハリスとは一度会っただけだった。なのに忘れられない。夫が仕事で家を空ける夏、グレタはトロントに住む友人に休暇旅行中留守にする家の番を頼まれる。ハリスに到着日時を知らせる手紙を書く。住所は知らないので、コラムを書いているトロントの新聞社宛てに。瓶に詰めた手紙をバンクーバーから海に投げ、日本に届くことを祈るようなものだった。
マンローは、短篇集を編む時、作品の選択だけでなく順序にも気を配るという。その意味でも、巻頭に置かれた「日本に届く」は、アリス・マンローの短篇の見本のような作品だ。主婦という役割と、書かずにはいられない欲求との葛藤がある。自分を理解してもらえていないという不満の裏返しとしての理解しあえる相手に出会った時の一途な愛情の奔出がある。トラウマのように何度も描かれる我が子の消失事件がある。詩の引用がある。目まぐるしい人物の出入りと錯綜した時系列が駆り立てる焦燥がある。出会いと別れを主題とする話を、その象徴たる「駅」で始まり、「駅」で終わらせる、というため息をつきたくなるような見事な構成がある。
北米大陸を走る大陸横断鉄道を舞台に繰り広げられる、女流詩人の「蹌踉めき」ドラマである。バンクーバーの駅で見送る夫に手を振り、トロントの駅で別の男の腕に抱かれてキスされるまで、たかだか三十ページの短さであるのに、次々と移り変わる車窓の風景同様、一人ひとりの登場人物がくっきりした輪郭を持ち、生き生きと動いて見せるので、回想シーンを含め、主人公の揺れ動く心情がいちいちこちらの胸に迫ってきて、まるで長篇小説、『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』でも読んだような気にさせられる。これが、引退宣言した八十二歳の老作家の筆になるものとは信じがたい。
何度もこれが最後といいながら、出版社の求めもあろうが、次々と出てくるアイデアにも促され、書き続けるマンロー。『小説のように』に次いで2012年に上梓された短篇集である。衰えを微塵も感じさせない十篇の短篇に、「フィナーレ」として括られた『林檎の木の下で』第二部の流れを汲む自伝的な四篇を含む。母親が目を離した隙に子どもに危機が及ぶという「日本に届く」と同じモチーフを、子どもの視点から描くことで、別の罪の物語として見せた「砂利」。徒に帰りを長びかせる帰還兵の見せる度重なる逡巡にも、その一時の隠れ場所となったあばら屋の女主人の独り居にも人には言えぬ理由があった。巧みなプロットに唸らされる「列車」。
人生の危機は、躊躇や油断といったほんの一瞬の隙を目がけて襲い掛かる。その一瞬の記憶がその後の人生の長きにわたって人を苛む。何故目を離したのか、何故言われた通りしなかったのか、あの時、自分は、相手は何を考えていたのか、いなくなった者は答えを返さないから、残された者はいつまでたっても問い続けるしかない。誰かが自分に代���って罪を引き受けてくれることを信じられるなら救われるのかもしれない。罪を背負ってくれる他者を信じない者にあるのは、何度でも同じ問いから繰りだされる物語を紡ぎ続けることだけだ。凝縮された短篇の中に読む人の数だけ物語がある。迸るような激情から、ほの温かいぬくもり、或はほろ苦さを感じる結末まで、人生の有為転変を緩急自在の筆使いで描き分けるアリス・マンローの熟練の手業に身をゆだねる悦び、これに尽きる。
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図書館の特設場所に置かれていて「どこかで聞いた著者名…。」と
本を手に取って裏表紙を見たら「2013年ノーベル文学賞受賞。」とあったので納得
日本では必ず報道されるノーベル文学賞、季節の風物詩
全作品が淡々とした文章でしっかりと人生が書かれている
カナダの歴史、宗教、政治に詳しくないので
今一歩読みが浅くなってしまった
特に宗教に関する登場人物の設定が細かくて
○○派、と書かれてもなかなか肌で感じることができない...
『砂利』『コリー』『列車』がお気に入り。次は『善き女の愛』を読もう
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1篇1篇がとてつもなく苦く、重たかったので、読み終えるのに半年ほどかかってしまった。時代時代における、市井に生きる人々が日々を生きる中で、ふとのぞき込む偶然・人生の深淵を捉えたどの作品もクオリティが高い。最近の小説によくあるお決まりのストーリーに飽き飽きしている人は是非読んでみてほしい。もしかすると、新たな自分を発見できる…かもしれない。
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読んだけど、不思議なくらい、言葉が頭に入ってこない。
なぜ?
この小説の言葉を、脳が、拒んでる。
ギブアップしそうだったんだけど、ムリして、2つの短編を読んだ。
あまりにも、小さな家の中の出来事すぎて、どうでも良いとしか思えなかった。
アリス・マンローは性格が悪い。
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あぁ、読み終わっちゃった。。。
アリス・マンローのノーベル文学賞受賞はほんとうに嬉しかった。
社会的活動などをしなくても、ただ黙々と名作を書いていればもらえる賞だったのね、
上から目線で書かせてもらえれば、見なおした。
なにもいうことはありません。
ただ読んで世界に浸るのみ。
男性はこういう作品どうなのかな?
日本に届く
アムンゼン
メイヴァリーを去る
砂利
安息の場所
プライド
コリー
列車
湖の見えるところで
ドリー
目
夜
声
ディア・ライフ
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去年の終わり、自分へのクリスマスプレゼントを何にしようか考えたすえ、
「そうだ、どれでも好きな海外文学の単行本を一冊、買っていいことにしよう!」
と思い立ち、本屋さんへ。
本当は、いちいち決心しないでも買いたいところですが、私にとっては、単行本、しかも、海外文学ともなれば、ちょっとした贅沢品なのであります。
あれこれ迷ってぐるぐると売り場を歩き回り、最終的にクリスマスリースのあしらわれた美しい表紙にひと目惚れして、こちらの一冊に決定。
本書は、1931年カナダ生まれの作家、アリス・マンローによる短編小説集。
マンローは2013年にノーベル文学賞、2009年に国際ブッカー賞を受賞しています。
ひととおり読み終わった結論としては、本書は、最後に収録されている「訳者のあとがき」を読んでから、読むのがおすすめです。
特に、私みたいに、そんなに海外文学はたくさん読んだことがないんだけど興味がある、とか、マンローという作家さんの作品を読むのが初めて、という方は。
というのも、冒頭の「日本に届く」をはじめとする4編目くらいまでをまず読んで感じたのは、「何だこれは!?」という戸惑いで。
基本的に、描かれているのは夏休みを夫と別に過ごすことになった母娘、児童のためのサナトリウムで教職につくことになった女性教師、小さな街で夜勤巡査として働く男性など、ごく平凡な人々で、文章もとりたてて難しい言葉が並ぶわけではありません。
いっぽう、はっきり言葉にされるわけではありませんが、読み進めていくとそこに、わかりあえない夫婦関係、突然の結婚の破談、配偶者の重い病気と死、家庭内の性的虐待など、非常に厳しい現実があることが浮かび上がってきます。
そして、夫と妻、母と子といったごく身近な人間関係も、決して密なものとしては描かれず、分かり合えなさと孤独を抱えており。
それが作品中で解決されるわけでもなく、彼らは一見淡々と日々を過ごし、話が終わる。
時々、映画や小説で「そして10年の歳月が流れた」という言葉とともに、作中の時間が経過することがありますよね。
本書ではそういった言葉は使わずに、印象として1ページくらいで40年ほど人生が一気に展開する場面があり、ぼーっと読んでいると「え、なになに!? 今のどういうこと??」と慌てて読み返すことになります。
「訳者のあとがき」では、そうしたマンロー作品の特徴がとてもわかりやすく説明されているので、読むことでよりそれぞれの話の面白みが味わえるようになります。
戸惑いに耐えて(?)読み進んでいくと、いつしか短い数十ページの中で、凝縮された人生が静かに、時にダイナミックに展開する味わいが癖になってくるというか。
そして、最初は突き放されたように感じた、それぞれの登場人物の生き様も、やがて、ままならない人生をただ生きるしかない人間を、そのまま受け止めようとする作者の愛情なのかな、と思えてきます。
個人的に特に好きだったのは、「列車」という一編。
ある帰還兵が、目的地に到着する間際の列車から飛びおりる場面からはじまり、めまぐるしく展開する日々の中で、徐���に過去の人生が明らかになる……という話なのですが、短編の中に、長編の人生が浮かび上がって、読書の醍醐味が味わえます。
例えていえば、カカオが濃厚でほろ苦いくらいで、ドライフルーツがぎっしり入っている、ずっしり重いチョコレートパウンドケーキのような本書。
できれば素敵な紅茶と一緒に、ほろ苦さと酸っぱさをかみしめて読みたい一冊だと思います。