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- カテゴリ:一般
- 発売日:2014/04/04
- 出版社: 東洋経済新報社
- サイズ:19cm/315p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-492-39603-2
紙の本
民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた
いま世界で何が起こっているのか。何が人々を不安にさせているのか。民主主義や選挙、市場などを中心に、現代社会に「カオス」をもたらす問題やテーマを取り上げる。『朝日新聞』連載...
民主主義って本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた
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商品説明
いま世界で何が起こっているのか。何が人々を不安にさせているのか。民主主義や選挙、市場などを中心に、現代社会に「カオス」をもたらす問題やテーマを取り上げる。『朝日新聞』連載「カオスの深淵」をもとに加筆・再構成。【「TRC MARC」の商品解説】
●なぜ「私たちの声」は政治に反映されないのか?●民主主義でグローバル経済と闘えるのか? 民主主義に私たちの将来を託せるかを問い直す。朝日新聞で話題となった連載シリーズ「カオスの深淵」を待望の書籍化。
ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏は「前の時代の解決策として作られたさまざまな仕組みが、今や問題となっている」と話した。トラブルシューターがトラブルメーカーになっているというわけだ。(中略)私たちの社会が築き上げてきた問題解決の仕組みが、次々と力をなくしていく事態をどう考えればいいのか。それが、私たち「カオスの深淵」取材班のテーマだった。 (「おわりに」より)
【目次】
第1章【壊れる民主主義】民主主義は問題を解決できるか
第2章【選挙じゃない、占拠だ】代表に任せていいのか
第3章【借金が民主主義を支配する】借金返済が最優先なのか
第4章【市場の正体】市場はそんなにえらいのか
第5章【立ちすくむ税金】税金は市場に勝ったか
第6章【選挙を疑う】選挙の結果は民意なのか
第7章【さまようエリート】エリートに居場所はあるのか
第8章【民意のトリック】民主主義は空箱か
【商品解説】
著者紹介
朝日新聞「カオスの深淵」取材班
- 略歴
- 朝日新聞「カオスの深淵」取材班(アサヒシンブン カオスノシンエン シュザイハン)
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書店員レビュー
民主主義とは、カオスを引き受ける覚悟を言う
ジュンク堂書店難波店さん
チャーチルの有名な言葉、「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが」は、今日益々至言であると思われてくる。
「民主主義
が、命綱ともいえる民意をうまくすくい取れなくなっているのではないか、そんな問題意識をもって朝日新聞の取材班が日本を含めた世界に取材したシリーズ「カオスの深淵」が一冊にまとめられたのが『民主主義って、本当に最良のルールなのか、世界をまわって考えた』(東洋経済新報社)である。
「民主主義」とは、ある国、ある地域に生きる人々が等しく政治的決定権を持つ、文字通り「民が主
の制度である。ただし、古代ギリシアの都市国家と比べ地域の単位も広がり、人口も増大した今日にあっては、往時の「直接民主制」ではなく、「代表民主制」を取らざるを得ない。その時、一人ひとりの意志と決定権は、選挙によって表明され、実現される……筈だ。だが、実際には、選ばれた政治家や行政に問題を丸投げにする「お任せ民主主義」に陥っていることが多い。
「民意」は、一枚岩ではない。「主」である「民」同士で利害が全く対立、衝突することも珍しくはない。それらの対立、衝突がさらに重なりあい、複雑な様相を示すのが通常である。丁寧に議論すること、一人ひとりの権利は平等ということを前提にして解決を図るのは、余りにまだるっこしい作業で、おそらく不可能であることも多いだろう。挙句、「民主主義」である筈なのに「お上」に丸投げすることになりがちとなる。
選挙が盛り上がることも、ある。ただし、それは多くの場合、ポピュリスト的な候補者が勢いづいた時で、主権者同士の議論が活発化したからではない。むしろ、「丸投げ」が更に進んで「強いリーダー」が待望される、というべきだ。
そうした「代表民主制」への反動もある。「選挙じゃない、占拠だ!」と民衆が動いたエジプトのタハリール広場、ウォール街、マドリード・プエルタ・デル・ソル広場の占拠など・・・、そして日本でも、原発への異議を表明する官邸前を中心とした全国的なデモがある。だが、それらが「代表民主主義」を覆したわけではない。
グローバル化した「新自由主義」経済のもと、マネーは利益を求めて世界中を飛び回り、さまざまな国家財政を食い物にする。「民主主義」の制度は、基本的には国家止まりだから、グローバルな市場を左右、規制することはできない。“市場の速さについて行こうとすれば民主主義は制限される。民主主義を尊重しようとすれば市場が社会を窮地に追い込む。民主主義はわなにはまったように見える。”「借金が民主主義を支配する」と言われる所以である。
「国家破綻」を宣告された国は借金返済を最優先させられるが、そもそもその借金は、誰が誰から何のためにしたものなのか?多くの国民にとって、与り知らぬことだろう。それでも、借金の返済は一人ひとりの国民が納めた税金によってなされる他ない。グローバリゼーションの時代には、税率を上げると企業は国外に逃げていくから、なおさら残った国民一人ひとりの負担は重くなる。
そもそも税金こそが市場を支えているのだと、萱野稔人は言う。国民が税によって国の財政を支えることによって、グローバル化した市場に不可欠な紙幣の流通を担保しているからだ。リーマンショック後、金融機関を救い、市場を守ったのも税金であった。
国が税金をどうつかうかを監視し、間違った場合には異議申し立てして軌道修正するのが、主権者たる「民」の大きな役割である。〇か×かを宣告する方法は主に選挙であるが、その選挙が本来の役割を果たしていない。むしろ、選挙があるから重要な政策が決まらず、TPP、原発放棄など大きな問題が敢えて選挙で正面から争われることはないというのが現状である。「蚊帳の外」に置かれた選挙民は、失態を犯した指導者や政党へのバッシングによって溜飲を下げるだけに終わっている。
ハンガリーでは、子育て中の母親は、選挙で2票もてるようにするということが真剣に検討された。常識的には「ありえない」話だが、高齢化社会が進む日本では、将来世代への責任を考えればむしろ合理的で、少なくとも「先送り」政策には大きな歯止めがかかるだろう。一票の格差をずっと取り沙汰してきた日本でこそ、採用されるべき制度かも知れない。
ヘーゲルは、近代市民社会を「欲望の体系」であると喝破した。市民一人ひとりの欲望には相互の整合性などはなく、社会主義計画経済が失敗せざるを得なかったのはそのためだと言える。「欲望のカオス」というべきか。だとすれば、「民主主義」とは、そのカオスを引き受ける覚悟を言うのではないか。そして、出版とは、カオスの中で諦めることなく続けられる真摯な模索に資する議論を供給する営為ではないだろうか?
だからこそ、問いたい。東洋経済新報社は、何ゆえ本書のタイトルを、朝日新聞連載時の「カオスの深淵」から「民主主義って、本当に……」という冗漫なタイトルに変更したのか?
そもそもこの本の出版元が、どうして朝日新聞出版ではないのか?