紙の本
美しい装幀の陰に、物語の深淵。
2020/06/12 22:37
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、美しさのなかに少し暢気なエッセンスをまぶしたような装幀で書店に並び、開いてみれば、そこには(たぶん)架空の島・南九州の遅島の地図。
最初、人文地理学者である主人公・秋野が巡る島を、その冒頭に添えられた地図を見ながら一緒に巡るように読むのが楽しかった。
がしかし、途中、その島が、廃仏毀釈の最前線のような扱いを受けたのだと知るあたりから、徐々に旅の意味が重みを増してくる。
物語は、かつて日本全国で巻き起こったであろう喪失の歴史を描いたものでもあって、それを追体験するかのように島の傷跡を巡る旅は、苦痛。さらに、戦争という国策無策によって多くのモノが失われ、さらに戦後もまた喪失の歴史はつづく...。
実は、戦後の再開発という名の喪失は、廃仏毀釈や戦争よりも、暴力的で、読者はため息。この作家の綴る物語は侮れないと思いつつ本を閉じた。
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
若き研究者が南洋の島に赴き、フィールドワークを行う。その中での出会いと別れ、研究対象の謎めいた存在。そして、南洋の気候をそのまま感じさせる湿気を含んだ描写と自然の姿。
島の若者と巡り、隠居した老人との語り合い、しっかりと記憶に刻まれる。
五十年後、開発が進みつつある島に再び赴いた研究者は何を思うのか。
梨木香歩の世界に圧倒されます。
紙の本
静けさとさびしさをなくしてしまった現代
2016/05/04 13:24
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投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昭和初め、南九州近くの離島での人文地理学のフィールドワーク。
その行程が土地の人との交流を含め、ゆったりと描かれます。
自然、気象、生活、歴史、地理なんでも調べる事になりますが、主人公は急がない。
期限のない、終わりのない調査。
鳥の声に耳を澄ませ、海うそと呼ばれる蜃気楼を見る。
時を経て、なくなってしまったものを丁寧に書き出しますが、それを元に
戻そうという事もしない。淡々と受け入れる。
そんなしんとした心持ちになる物語。
梨木香歩さんの小説はだんだんストーリーはシンプルになっていくけれど
文章は奥深くなっていくようです。
架空の島を舞台に、声高ではなく自然や人との関わり合いを描きながら
ふと、さびしくなるような気がします。
鳥が鳴き、カモシカが音なく近づき、山の中は異界という風に
どんどん異界の中へと入っていく。
昭和の初期から50年後の開発計画真っ最中の時代へ。
昭和初期といっても、明治の時代からすれば変わってしまった離島。
さらに50年、観光地化が進む島。
一時期、気難しくなってしまった梨木香歩さんの小説ですが、
この物語は、気負いなくすんなりとしていて、奥深いけれども
押しつけがましくない。
娯楽性はないかもしれませんが、文学性はある、という物語。
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なかなか読みづらいです。ルビもない難しい漢字の言葉がところどころあったり、進度もゆっくりゆっくりで山場がないのも加えて。
梨木さんの過去作品をうまく融合させたかのような作風。
たくさんの自然が溢れかえっています。
屋久島にいったことがあるのですが、モデルとなってるであろう島とは違うだろうけどなんとなく思い出しながら読みました。
50年後からがとくに秀逸。ずっと鳥肌が止まらなかったし、目頭が熱いままで、最後の一文を読み終えた後しばらくしても小さな興奮が覚めない。幻みたいな過去、確かにあった過去。やがて消えてなくなる自分。
さまざまなことを想う、そんな一冊でした。
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彼と旅をし、そして味わう深い喪失感。
いつかはそうなるとわかっていてもそのままにしてしまう。
色即是空、空即是色。
最近変化についていけない。
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書き下ろしの最新作。
全体の約2/3が昭和の始めを、残り1/3が戦後が舞台。
主人公はフィールドワークのため島に滞在しており、植生や島の風習、そして廃仏毀釈のため廃墟となった修験道の寺院などを探索する。
時折、『f植物園の巣穴』で見られたような幻想小説的な描写が挿入されるが、基本的に不思議なことは起きず、登場人物が見た(感じた)『何か』についても、あくまで『個人の感覚』の範囲に留められている。
動植物や光の描写が印象的だった。特に主人公が夜中にふと目覚め、1人だけ小屋を抜け出して見る山は素晴らしいものだったろう。
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容赦がない。時が過ぎるという現実。景色も人も(個人も全体も)変化するということ。それでも続いていくということ。
容赦がないからこそ、読み終わって震える。
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遅島という南九州の島にフィールド研究に来た、地理学者。昔は修験道の聖地として大きな寺院があり、多くの僧侶がいたが、明治の廃仏毀釈政策で寺院は破壊され、昭和初期には貧しい漁村が点在するだけの寂れた島になっている、遅島。カモシカやヤギなどの野生動物が我が物顔に暮らし、特有の植生が広がり、独自の文化がまだ日々の生活に残っている…50年後、戦後になって地理学者が再訪すると、島は観光開発等で激変していた。
タイトルの海うそとは、蜃気楼のことだそうで、諸行無常のこの世界を象徴している。
流れゆく時間。積み重なる時間。壊され、失われていくもの。そして、新しく作られるもの。
既に失われたものに対する哀惜の念を痛切に感じたし、この世界に生きるということの真理のようなものを感じた。壮大なテーマ、哲学を感じた。
何十年か後に必ずまた読みたい。
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読み終えて、整理しきれてないけど、今思うこと。
私たちの生活は、かつてあった大切なものを失う日々だ、この悲しみからは逃れられない。
さまざまな歴史や土地の声に耳をすませて、
できるだけ多くのことを知り、考え、美しく生きていきたい。
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繰り返し繰り返しという時の普遍的な流れを感じさせる。
最後に50年後に飛ぶが…。その時、彼が感じた気持ちこそが前半のウネさんが感じていたことなのではないかと思う。伝えたくても伝えきれないたしかにそこにあったはずのもの。言葉にできない大切なもの。
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梨木香歩の独特な世界観がぎゅっと凝縮をされた作品に仕上がっている。方言だろうか、少し特殊な言葉をしゃべる登場人物も居たがそれも雰囲気が出るのであまり気にならず。最終章はすごく衝撃的だった。最後まで読む事により、この作品の深さを感じた気もする。
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西の魔女が死んだ・家守奇談・冬虫夏草とどれも
気に入っている作者の最新の作品ということで読みました。
喪失をテーマにして、主人公の周りにふりかかる
いろいろな喪失とその感覚を絵画的に表されて
いるような感じです。
昔の田舎の景色。むせるような青い感じの空気。
水。湿気。寺。史跡。何かわからないけど人の手に
よってつくられたであろう場所等。日本の原風景
が見えてくるような作品。
それらとそれらを含めて失われていく喪失感。
また、ふとした瞬間に神々しく感じられる風景や空気
いろいろなものを感じる小説でした。
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試すような気持ちで読んだ。
というのは、Amazonの「貴方へのおすすめ商品」で薦められて買って読むといのが初めてだったからだ。
試した結果がどうだったか、結論を最初に言うと、大正解だった。コレはまさしく私が読むべき一冊だった。私の読書傾向を購入歴や検索歴から解析して勝手に貴方が読むべき本はコレですと自動的にお知らせしてくれるような仕組みに拒絶反応と言っていいくらいに嫌悪感を抱いていた私は、言うなれば完敗だった。
読み始めてしばらくは、史実に基づくノンフィクションなのか虚構なのかさえ解らずに読んだ。主人公の秋野が半世紀前に踏査した遅島なる南九州の小島は勿論架空の島であろう。
だが、かつて修験者の霊場があり、立証されていない落人伝説や明治初期の廃仏毀釈の騒動により寺院の多くが破壊されたというような「島」は、じつは西南日本のどこかに存在してもおかしくない。しかし、だれにとってもそう思えるとは言えない。維新期の鹿児島で最も苛烈に寺院の打ちこわしなどが行われた史実や、西南日本に限らず長崎の小島や北関東の湯西川や東北仙台の奥地などに数多く実在する平家の落人伝説などに一定の造詣を保有していれば、「うん、うん、ワカルワカル」なのだが、純然たる謎追いの物語として読んだなら「?」の連続が延々と続くだけであろう。
あえていうならこの物語は一般受けするものではない。通とまではいわないが、幾つかの特殊な分野についての予備知識と興味をあらかじめ持っている限られた人にだけ、「堪えられない魅力のある」物語といえる。
だから、私に対してそうであったのと同様に、その人が何十冊と注文した本のジャンルや検索で探した何百冊かの本の傾向から、「この本はアナタへおすすめです」とメールやら検索画面の片隅の広告やらで推奨されるやり方は、実は誠に理にかなっていたのだ。
むしろ、ひと昔前までの書店の書棚に飾られて偶然奇特な読者がその前を通りがかって出会うという方式だけだったならば、この手の一冊は埋れたままの名著になってしまうリスクが大きい。大体、岩波書店の本が収められている棚はどこの書店でも人通りの最も少ない奥の奥にある。岩波の本など一冊も置いていないという書店だって今は少なくない。
書き手である梨木香歩さんの筆力も並ではない。
人文地理学者である主人公が島での調査の中で得る幾つかの仮説のうちのひとつは、明治初期に苛烈に行われた仏教寺院の破壊の陰に、更に残酷に行われ破壊し尽くし消しさられたのが土俗信仰であり一種の霊媒たるモノミミと呼ばれる霊能力者の抹殺があったということだ。ここでこう私が書いても大抵に人にはピンとは来ないだろう。この物語を読み始めた当初の私もそうだった。
しかし、主人公の秋野が自らが慣れ親しみ敬っていた小学校の校舎が取り壊されるのを目撃した時の自らの心の痛みから、生まれ育った家を破壊され大泣きする大の大人のエピソードを経て、素朴に信じる対象を破壊し抹殺されることの心の痛みへの共鳴に至るくだりにさしかかるころ、私のような読者はもうこの物語の虜になってしまっている。
そうして、(ネタバレ防止のため詳述は避けますが)主人公自身が内奥に抱���る喪失の痛みがまた、主人公が追い求める仮説が内包する人々の心の痛みと共鳴して一大叙事詩を形づくっていく。
私が嵌り入り込んだこの入り込み方以外にも、民俗学や植物学などの極めて多彩な知見への共鳴から絡めとられる読者も居るだろう。あちらからもこちらからも入り込める懐の深い物語でもある。
そもそも「海うそ」ってなんだろう。
その疑問から入るのが一番正攻法かもしれない。真摯に読み込もうとする読者には、読んだ結果きちんとその意味が納得できるばかりではなく、読むものの内面の奥深いところとしずかに共鳴する不思議な物語である。
万人にはお薦めしないですが、今何かを感じてしまったアナタは読んでみるべきかもしれません。
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梨木香歩新刊。屋久島から帰宅した直後だったので、島の深い森を思い出しながら読みました。
両親と許嫁を相次いで亡くし、深い喪失を抱えたまま遅島を訪れた、人文地理学者の秋野。失われた仏を思い、島の人々に触れながら、自分に起こった喪失について思索する…。
島の風俗や森の情景の中で、ふと挟み込まれる秋野の過去が切なくて胸に迫る。
長い長い、うそ越えをしている。
それは彼だけでなく、誰もが辿る人生の軌跡。その涯で、きっと誰もが海うそを見るのだ。
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初読。図書館。植物、動物、歴史、宗教、人・・・丹念な描写を追いかけていくと、南九州の小さな島を主人公と一緒にフィールドワークしている気分になり、臨場感は抜群。梨木ワールドにどっぶりつかり、この島を愛し始めている自分に気づく。なのに最終章で、50年後の観光開発により(しかも次男が開発に携わっている)、跡形もなくなった島の風景を描く容赦なさも、梨木さんならでは。ただ最後の最後に、変化や喪失を自然に飲み込み、自分の中に立体的に折り重ねていく新たな境地に達する結末はキラキラと輝いていた。最終章泣けます。