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いい本です。現首相は右翼でもナショナリストでもなく、哲学も持たない凡庸な人間あることがよくわかりました。
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日本(というか政府・自民党・安倍政権とその仲間。マスコミ。ネットによる)の右傾化を憂いての9名の論考
内田樹「株式会社化する国民国家」
小田嶋隆「気分がつくる美しい国ニッポン」
想田和弘「安倍政権による民主主義の解体が意味するもの」
高橋源一郎「安倍さんとお友だちのことば」
中島岳志「空気と忖度のポリティクス」
中野晃一「国民国家の葬式を誰が出すのか」
平川克美「オレ様化する権力者とアノニマスな消費者」
孫崎享「戦後最も危険な政権」
鷲田清一「フォロワーシップの時代」
内田先生の仲間の人たちの意見ではあるが、安倍首相とその仲間たちをこき下ろす内容が多く。ちょっと大丈夫かと思う部分もあり、これに同意を表現するのが怖い気もしますが、個人的には全く大事なことで、少し世間やマスコミやこの本に描かれているひとたちの右傾化は
ちょっとおかしいのではと思います。
ちょっと安倍さん・橋下・百田・石波・NHK等々
この人たちの顔が悪人顔に見えるのは私だけではないような
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自分でいうのも何ですが、極めてタイムリーな読書だったと思います。
安倍首相が、集団的自衛権の行使を容認したい意向を表明した直後だったからです。
閣議決定で行使容認に道を開きたい考えです。
本書はこの集団的自衛権の行使容認を含め、9人の論者が安倍政権の動きに懸念を表明しています。
安倍首相が集団的自衛権の行使容認を企図する背景には、中国の軍事的台頭、北朝鮮の核による威嚇行動など安全保障環境が厳しさを増している現状があるといいます。
なるほど、日々の報道を見るに、そのような認識を持つにやぶさかではありません。
けれども、ですね。
集団的自衛権の行使を容認する意味はでかいです。
戦後69年間、日本人は戦争で人を殺していないし、死んでいません。
憲法の縛りがありましたし、歴代の内閣も集団的自衛権を保有すれども行使できないと解釈してきたからです。
安倍首相は会見で、現行の憲法解釈では、公海上で並走する米艦船が攻撃された場合に日本は指をくわえてみていなければならないなど、具体的事例を挙げて説明しましたが、それは目くらましと言えましょう。
米国は対テロのために積極的に危険の芽を摘み取る戦略を掲げています。
そこに日本も巻き込まれるということです。
戦地で米軍と一体で軍事行動を取るのです。
自衛隊員には戦死する可能性が出てきます。
戦後69年にもわたって平和を享受してきた日本の自衛隊員が戦死する。
関係ない?
そこで思考停止していい?
私にとっては、それは関係のない日本人の死なんかではない、私の友人、知人かもしれず、もっと言えば私の4歳の息子かもしれない。
もし仮に自国が攻撃されて、いずれ家族にも被害が及ぶというなら、私だって戦死する覚悟で戦いましょう。
でも、なぜ、米国の戦争に巻き込まれて死ななければならないのか。
首相は名誉ある戦死だったというでしょう。
「お国のために立派に戦ってくれた」
と。
私は納得できません。
平和ボケと言うなら言えばいい。
しかし、69年間も戦争で人を殺していないし、死んでもいないという事実はあまりにも大きい。
あまり報道されませんが、実はこのことは国際社会で評価されているとも聞きます。
これまで日本がテロの標的に晒されなかった理由の一端もここらにあるでしょう。
これはもう「国柄」と呼んで差し支えないと思います。
それを国会でまともに議論することもなく、時の内閣総理大臣の一存で、閣議決定で変更してしまっていいものなのでしょうか。
天皇陛下も憲法を遵守する立場を表明しています。
私も陛下の大御心に寄り添いたいと思います。
日本は戦争に負けたんですよね。
どう言いつくろっても敗戦国なんです。
戦後処理が終わっても、戦争に負けた事実をなくすことはできません。
「押し付け憲法」と言われても、仕方ないじゃないですか、戦争に負けたんだもの。
永久に十字架を背負っていかないといかんのです。
もし仮に十字架を取り払うのだとしたら、米国と一戦まみえて勝利してからでしょう。
自国だけ平和でいいのか、と問われれば、私は大いに結構だと答えたい。
普通の国よりも、ユニークな国として世界に固有の地位を占めたい。
観念的平和主義?
私には「美しい日本」や「日本を取り戻す」というスローガンこそ観念的に過ぎると思います。
蛇足ですが、私の感覚からすれば、日本の美というのは言揚げすればするほど毀損される繊細な性質を持つものと理解しています。
「日本はこんなに素晴らしい」という趣旨の主張をしばしば耳にしますが、私はそのたびに一抹の恥ずかしさが込み上げます。
そう言いたいのを我慢し、胸に秘してかみ締める奥床しさの中に、日本の美は宿るのではないでしょうか。
話が逸れました。
それはいいとして、これほど重大な論憲を閣議決定で決めてしまうことにはやはり激しい抵抗を覚えます。
憲法改正は確かにハードルが高いのかもしれません。
でも、再三言うように戦争に負けたのです。
足かせの重さは、まさにあの戦争に負けたという事実の重みと等価なのです。
国民の一人として、集団的自衛権の行使容認の動きに大変懸念を深めています。
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9人の論客による、現政権批判の論考集。さまざまな視点から書かれた文章は、なんの申し合わせもなかっただろうに、多くの共通するキーワードを持っている。個人的に気になったのは「ねじれの不在」「株式会社(資本主義)的国家運営」「国民の無関心」といったもの。
硬軟取り混ぜた文章のなかでも、想田和弘のドキュメンタリー映画監督らしいデータの積み上げによる説得と、高橋源一郎の文学者ならではのケレン味たっぷりな批判には心ひかれた。他の論客のものも難解なものはなく、平易と思える文章で現政権の異形っぷりを指摘しており、我々は相当厄介な政権をいただいているのだという実感を持たざるを得ない。
以下雑感。
多くの人がさまざまな観点からひとつのものを同じ地平に描出しようとした場合、その軌跡は独創的な点をプロットしつつも共通の点を通り、実に立体的な像を描き出す。なにかに似ていると思ったら、まるで3D プリンタのようだ。
もちろんこの論考集はある共通の思想的スタンスを持った人々が書いたものであり、そのことを斟酌しなければならないが(内田樹先生は読者がこの本の内容を相対化することを織り込み済みで寄稿者を募ったものだと個人的には考える)、それでも現政権の異形性をこれだけ立体的にリアルタイムで書き出したものは少ないと思う。我々は「現政権の振舞いへの対策を考えよう」という問題意識を、広く共有する方法を考えなければならない。
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内田樹、小田嶋隆、高橋源一郎、平川克美が面白かった。安倍さん大丈夫?安倍さんさんとニコニコ握手してるの大丈夫??と心配になった。
国民国家の株式会社化、なるほど。教育医療もそれではダメとなると、崩壊の原因はここか…。成長が第一義ではない!
高橋源一郎のねじれの話で東浩紀の誤配の大切さが少し分かった気がした。
でも、鷲田清一が言うようなフォロワーシップの時代、誰もが責任を持てるしゅうだんっていうのは可能なのかな。
2014/05/29読了。
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元々保守中道やや右寄りを自負していた自分だが、ここのところの政府及びネット世論の右傾化にはかなりの違和感を感じている。安倍政権はいったい何をしようとしているのか。勝算のある喧嘩をしようとしているようには見えない。中韓に強硬な態度を示すことで支持率を上げる手法は、その中韓と全く同じであり、やるかやられるかの絶望的なスパイラルに国家を陥れることになる。そんな危惧を抱く論客たちの言論は、今最も必要なものだと思う。
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昨年末の特定秘密保護法の成立を民主制の危機と受け止めた9名による評論集。
九人九色で、様々な角度から論じられていて、日本がかなり危険な状況に入りつつあることを否が応でも思い知らされる。
編者の内田樹は、「株式会社化する国民国家」と題して、自分が負うべきリスクを他の誰かに押しつける構造になりつつある国家のあり方にNOを突きつけている。(株式会社の原型は東インド会社にまで遡り、きっかけは船を仕立てた商人たちが航海ごとに出資者を募って、「航海が成功すると配当を行い、船が沈んだらそれっきり」という仕組みだったという)
映画作家の想田和弘は、「自民党憲法改革草案」を読み込むことで、阿倍政権が民主主義の解体を目論んでいることを焙り出す、。
作家の高橋源一郎の文章が出色だ。「阿倍さん、(とお友だち)のことば」を引用しつつ、文学の言葉で、<褒め殺し>の技を繰り出している。『カラマーゾフの兄弟』や『トム・ソーヤーの冒険』が飛び出してくるのは痛快。「ねじれ」に対しては「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試み」を勧め、「教育」に対しては「教室から脱走しようとした深い理由」について言及している。わずか26ページの文章ではあるが、政治を根底的に批判するためには文学の言葉しかないと思わせる見事な文体であり、味わい深い。
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歴史教科書問題について、高橋源一郎の「子どもは教師の話なんか聞いていない」という論に目からウロコ。たしかに子どもの学校生活における「授業」の影響力を過大視してるよな。
以下引用
(内田)失政のもたらす災厄は、売上の増減や株価の高下とはスケールもレベルも違う。なぜなら、誤った政策決定がいつどのような形でその結果を示すことになるかがr予測不能だからである。(中略)株式会社のような制度をモデルとする政治家たちは、自分の採用した政策が国益に適ってかどうかは「次の選挙」での議席占有率で判定できると考える。(中略)しかしある政策が正しかったかどうかは、場合によっては数年後、数十年後にならないとわからない(例えば教育政策の適否は、その制度で教育された子供たちが大人になったときにならないと判定できない)。政策の適否は「ゲマインシャフトが健全に維持できているか」という長期的な物差しに基いて回顧的にしか判定できない。「次の選挙」でどちらが勝つかというような政局レベルでは尽くせない。(P.38)
(想田)共産主義という強大な敵がいた時代には、資本主義は民主主義を味方にして手を組みました。しかし、共産主義が弱体化し敵でなくなったいま、資本主義にとって、今度は民主主義がが邪魔になりつつあります。そして安倍政権は「資本主義への対立軸としての民主主義」を破壊しようとしているのかもしれない。(P.120)
(高橋)日教組を中心とする「自虐史観」の持ち主たちが、子どもたちを洗脳した結果が、現在の日本なのだ、というのである。安倍さんは「教育問題」を重視している。その際の拠り所になるのが、このような考え方である、と思って間違いない(中略)わたしは「自虐史観」が子どもたちの心を蝕んだというのは明らかな事実誤認だと考えている。なぜなら、「子どもたちは教師の話なんか聞いていないから」である。(P.143)
(内田)失政のもたらす災厄は、売上の増減や株価の高下とはスケールもレベルも違う。なぜなら、誤った政策決定がいつどのような形でその結果を示すことになるかがr予測不能だからである。(中略)株式会社のような制度をモデルとする政治家たちは、自分の採用した政策が国益に適ってかどうかは「次の選挙」での議席占有率で判定できると考える。(中略)しかしある政策が正しかったかどうかは、場合によっては数年後、数十年後にならないとわからない(例えば教育政策の適否は、その制度で教育された子供たちが大人になったときにならないと判定できない)。政策の適否は「ゲマインシャフトが健全に維持できているか」という長期的な物差しに基いて回顧的にしか判定できない。「次の選挙」でどちらが勝つかというような政局レベルでは尽くせない。(P.38)
(想田)共産主義という強大な敵がいた時代には、資本主義は民主主義を味方にして手を組みました。しかし、共産主義が弱体化し敵でなくなったいま、資本主義にとって、今度は民主主義がが邪魔になりつつあります。そして安倍政権は「資本主義への対立軸としての民主主義」を破壊しようとしているのかもしれない。(P.120)
(高橋)日教組を中心とする「自虐史観」の持ち主たちが、子どもたちを洗脳した結果が、現在の日本なのだ、というのである。安倍さんは「教育問題」を重視している。その際の拠り所になるのが、このような考え方である、と思って間違いない(中略)わたしは「自虐史観」が子どもたちの心を蝕んだというのは明らかな事実誤認だと考えている。なぜなら、「子どもたちは教師の話なんか聞いていないから」である。(P.143)
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面白かったけど、読むと憂鬱になる本でもありました。内田樹が依頼をした8人と内田さんが「日本のこれから」について極めて冷静に各々語った本です。
内田樹の「株式会社化する国民国家」は「アメリカで起こってることは数年後に日本で起こる」という言葉を実感出来る内容でした。堤未果が「貧困大国アメリカ」シリーズに書いたことはもはや対岸の火事ではないんだなあと。合わせて読むと将来に夢も希望もなくなります。
個人的にツボだったのは高橋源一郎の「 安部さん(とお友だち) のことば」。
「子どもたちが日本に誇り(と愛国心)を持てないのは南京大虐殺とか従軍慰安婦がのことを学校で教えるからだ」という安部さんのお友だちに高橋さんは「いやいや、子どもたちは教師の話なんか聞いてないから」と主張する。
なるほど、その視点は目から鱗だったわ。
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内田樹監修による論客による、日本の現代政治を巡る状況についての論考集。会議とあるが、直接対話しているわけではない。
内容に共通するのは、安倍政権への懸念なのだが、高橋源一郎のように極右もその反対派も丸め込んでしまうような脱力系文章もあれば、徹底的に安倍首相や橋下市長への当てこすりめいた批判もある。
とくに現在をこうしたらいい、という積極的方向性を示しているのではないのだが、一読の価値はあり(一部読み飛ばしてもいいような文章(たとえば小田嶋氏のそれ)もあるが)
編者の内田の冴え渡る思考力はいつもながらさすがだと思う。
強いリーダーシップを望む国民性が、安倍政権のような独裁者を生み、民主的でなくても利益さえあげれば良いという「国民国家の総株式会社化」を期待している。政治はけっきょくわれわれがそれを望んだ結果なのだから他責的に経営者や政治家ばかりを詰ることは許されないし、民主制はしばしば政策を誤るが、「誤った政策によって社会が破壊されることだけは防ぐ制度」というのは、言い得て妙である。
最初の編者の論考が素晴らしいのだが、他が玉石混淆のため☆ひとつ落とした。
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そうそうたるメンバーと思って読んでみたけど、予想以上に政治の話が多くてちょっと読みづらかった。特に、中野さん、孫崎さんの章は、ぜんぶ読めず飛ばしてしまったのが心残り。
安倍さんが総理として存在しているこれからの日本が、すごくすごく不安になる本。
なんでもかんでも成長するのがいいわけではないと思う。「成長」とはちがう価値観を、どうか見つけてほしいと願いたいですね。
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http://staygold1979.blog.fc2.com/blog-entry-643.html
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政治の質が劣化していることは、我々の政治に対するコミットが真剣さに欠け、人任せにしていることが一因していると反省しなければならないのでしょう。ですから昨今あらゆるところで暴言を吐いている作家H氏の作品は私にとって読むに値する対象としては『永遠に0』となるでしょう。この行為も間接的ながら政治にコミットしていると想いたいです。一市民の小さなコミットメントが政治を変えると信じたいです。 そうそう、「ネトウヨ」という言葉を初めて知りました。ほんと、イヤな言葉ですね。
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興味深い顔ぶれである。興味深い内容である。安倍政権のl国家主義的政策、考え方の批判には全面的に賛成だ。しかしその経済政策と国家主義的政策をパッケージで批判することには賛成できない。安倍政権の経済政策に賛同する立場としては、筆者の中に、経済成長そのものが不要であるかの意見を書いている人もあるが、これは到底理解できない。経済政策と右翼的政策に必然的な結びつきはない。民主的政策と安倍政権が掲げるような経済政策は両立できるはずだ。今の日本でそういった路線で力のある政治家なり力のある政党が存在しないことが課題だと思う。そういう人たちが現れるのを待ちたい。
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面白くて、一気に読んでしまった。
出版は今年5月。安倍政権による「集団的自衛権行使容認の閣議決定」少し前である。
政権に対して批判的な立場の、国内のいろんな論者が、小文を寄せている。
巻頭の内田樹さんの文章の主旨は、『街場の憂国論』からあまり変わっておらず、現在の日本が国民国家という「維持」の装置をことどく破壊して、国家をまるごと「株式会社」にする方向に向かっている、というもの。最後の方の「経済成長率」と国民の「生活の良さ」との間には全く相関がない、とする指摘は、本当にそのとおりだと思う。
ただし内田さんは安倍政権が倒れたとしてもこの路線がずっと続くだろうと読んでいるし、「株式会社化」というキーワードだけでは、今ひとつ現在の政治の危機を表現し切れていないような気がした。
自分が現政権に対して抱く嫌悪感は、想田和弘さんによる自民党改憲案分析の章により近いかもしれない。いずれにしても自民党が民主主義を破壊しようとしつつある点、内田さんとも一致するし、この本の論者にほぼ共有された問題意識であるようだ。
安倍政権の支持者のコア部分に群がる「ネトウヨ」の幼稚さを軽やかに分析した小田嶋隆さんの論も痛快だし、高橋源一郎氏が「複雑なものを複雑なままで理解しようとする」文学の立場から語られていることにも感銘を受けた。
「わたしは、わたしと意見が異なる人と同じ世界に住むことに異論を唱えるつもりは毛頭ない。比喩的にいうなら、抱きしめることだってやぶさかではない。・・・それこそが、「国民国家」を永続させる唯一の道なのではあるまいか。」(P138)
そうなのだ、怒りに駆られ呪詛の言葉を他者に叩きつけてはいけないのだ。私も短気だからすぐそっちに傾きかねないのだが。偏った主張を強権的に押しつけてくる権力者には反抗しなければならないが、だからといって、「左派」が一体の群衆と化してヒステリックにネトウヨを攻撃し、しまいにはそれ自体が凶暴な権力になってしまっては、元も子もない。冷静な形でのデモ活動には賛成だが、それはあくまで「連帯=他者同士の互いの差異をわきまえた上での連携的な力の結集」でなくてはならず、「同一性=われわれが正義である。われわれは全面的に一致しており、そこからはみだす逸脱者は外部である。」の罠に集団が落ち込んでしまったら、ウヨクと変わりなくなってしまう。個人間の差異だけは、どうしても最後まで確保しなければならない。
そういう冷静な知が、ネットの世界にはしばしば欠如してしまう。
集団的自衛権行使容認という問題について集中的に論じられているのが本書だが、福島原発事故に関わる原発問題に関しては、あまり中心的には出てこない(ときどき、何人かの論者が触れているが)。内田樹さんあたり、この問題をどう思っているのだろう。放射能被害の実態が完全に明るみに出なければ、やはり明言することは難しいのだろうか。