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考えさせられる
2019/08/23 21:11
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投稿者:ゆっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
知識がないと、起きていることがわからない。
大人になってから何が起きていたか理解する。
家庭内で起こることは特になかったことにされやすいのか、読んでいて辛かった。
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~内容~
私は実の父から性虐待を受けて育った。
そのことをこうして告白するには、
長い時間が必要だった。
記憶が意識から切り離され、自分の被害を思い出せなかった時間……。つらすぎる記憶に、恐れ、とまどい、逃げ回り、葛藤した時間……。
それでも私は、私が受けたすさまじい暴力を「なかったこと」にはできなかった。
自分の被害体験を思い出し、性虐待について学んでいくにつれ、近親者による性虐待は、私が想像するよりもずっと多いということを知った。けれど世間は、それを「なかったこと」にしたいのか、その実態にふたをしたままにしている。そんな現状を知ればしるほど、「暴力」と「否認」はとても密接な関係にあると実感するようになった。
この本には、幼い日にお風呂場で奪われた「私の生きる力」を取り戻すために書いたものという側面があるだろう。本を書くことが、私の回復のプロセスのたいせつな一部になるのかもしれない。けれども、それだけでなくもし私のこの告白が、生きづらさを抱えるだれかの胸に届いたとしたら、それは著者としてとてもうれしいことだ。そんな祈りを込めて、私が生きてきたこれまでのことを書いてみたい。
~*~*~
この本は、東さんの正直な気持ちが綴ってあり
好感が持てた
どちらかというと辿ってきた道のり、幼少時代、
宝塚時代 薬漬けでODしていた時代
セクシャルマイノリティについてなど 広く書いてある
性虐待に焦点をあてた本なのかと思っていた私には
正直にいえば 物足りなかった
5章からなるうちの4章のみ
もしも 当事者であれば お風呂場というのは
思い当たるふしがあるだろうし
否認したい気持ちや自分に対して思う気持ちなどは
・・・共感が出来るのではないかと思う。
だからこそ、書く方は大変だと思うけど
もう少し踏み込んだ領域
記憶が挙がってきたときのぶれ 気持ちの揺れ幅
辿ってきた恢復への道・・・が読みたかった
カウンセラーの元 母親に事実を告げた場面
「さもありなん」と父の虐待を認めたはずなのに
帰りの電車から、母親のFBの書き込みを見た時の
ショック
「・・・疲れました。いつか笑って、今日のできごとを
話せる日が来ますように」
母は 私の苦しみを
まったく苦しみを理解していなかった
私の性虐待は、笑って話せるようなことではないの。
私の苦しみ、私の地獄そのものなの。
似たような体験がある方には心が揺さぶられるのではないかと思った
私は、あとがきの心情が とてもよかった
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『ふたりのママから、きみたちへ』や、『レズビアン的結婚生活』の著者のひとり・東小雪さんが書いた本。前の2冊を読んだときに、東さんというのは、なんでこんなうっとうしい感じになるんやろと思った部分があるけど、その裏には心を病み、オーバードーズを繰り返すほどの苦しみがあったことを知る。
サブタイトルに書かれている実の父からの性虐待のことも、かつて属したタカラヅカの中にある暴力のことも、そして自身がレズビアンであることも、そのいずれも「なかったことにしたくない」という東さんの強い思いが感じられる。
タカラヅカ時代、予科生がどんなことをされるのか、どんなことを求められるのかを読むと、これは暴力でありハラスメントなのだと率直に思う。けれど、それはくりかえされてきた。予科生の睡眠時間は一、二時間。ほとんどの子は生理が止まってしまうというが、それさえも誇りに思うような、ヘンな思考に陥ってしまう。タカラヅカは、こんな暴力を「清く正しく美しく」と言っているのだろうか。
▼宝塚音楽学校─そこは予科生が本科生に自分の考えを述べることがいっさい禁じられた、徹底した上意下達の世界だった。
それを象徴するのが通称「予科語」だ。予科生は本科生に対して、原則七つの言葉しか発することを許されない。
「おはようございます」
「おつかれさまでした」
「すみませんでした」
「失礼します」
「はい」
「いいえ」
「ありがとうございます」
ただ、「いいえ」はあまり使うと反抗的と見なされたから、実質六つの言葉しか許されなかったと言ってもいい。
このなかでもっとも頻繁に使われるのが「すみませんでした」だ。そもそも寮内で予科生が本科生と会話をするのは、基本的に「失敗:をして本科生から「ご指導」をいただくときなのだから、よく使われるのも当然だった。(pp.40-41)
この本では、まず予科生として「被害者の私」の話が書かれているが、先輩たちにされたのと同じことを自分が後輩たちにまたくりかえしていたこと、後輩を泣かせて服従させる"指導"の快感があったことを書いた「加害者の私」の部分が圧巻だった。
カバー写真は鬼海弘雄によるもの。前に伊丹市美(※)で写真を見て、ぐっと印象に残ってる写真家。
(12/25了)
※鬼海弘雄写真展 PERSONA
http://artmuseum-itami.jp/exhibition/past_exhibition/2012_exhibition/1204/
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被害者である自分と、加害者である自分。どちらも、できることなら記憶から消し去って、永遠に忘れてしまいたくなるような記憶だ。けれど、東さんはそれを許さない。決して忘れない、なかったことにはしないという、著者の強い決意のこもった一冊。すさまじい告白だった。
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TVで見る小雪さんはキラキラしていて、さすが元タカラジェンヌだなという印象でしたが、その裏でこんなにも壮絶な過去があったのか(今も戦っている)と衝撃的でした。周りのバックアップもあったとおもいますが、やはり小雪さんにはどんな困難があっても、それをバネにして行動に変える芯の強さがある女性だと感じました。
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勇気ある一冊。みんな、様々な事情を抱えて生きているけど、それを認めあって、尊重しあって、生きていける社会になればいいと思う。
LGBTについても、詳しく分かってよかった。
いつか、小雪さんと、小雪さんのお母さんが、分かりあえる日が来ますように...。
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「ふたりのママからきみたちへ」http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/4781690629の筆者のひとり、東小雪さんの手記。
ということだけで手に取ったら大変だった。
でも納得もした。
こういう経験をして、乗り越えてきた人だからこれだけ考えられるんだろうとか、そういう部分で。
セクマイの本棚にいれるかそれ以外のほうに入れるかちょっと迷った。
メインは虐待サバイバーの話だけど、あんまり分類に意味はない。
すべて生きづらさをこえて生きていく話。
つらい部分も弱い部分も隠したい部分も加害さえも、真摯に向き合って描こうとしている。
これを正直に書くのはキツかっただろうなって部分がたくさんある。
というかひろこさんとの部分以外はほとんどみんなそうだ。
宝塚の学生時代はほぼ軍隊。
論理も根拠もない精神論がはびこる風土はどうにかならないものか。
精神科病棟の治療効果のない「治療」も多分おなじところに問題がある。
このへんは「精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4000236857や、「こころの医療 宅配便」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4163723102を連想した。
ミルグラム実験やスタンフォード監獄実験のほうが近いかな。
これを書くのは、トラウマ以外の部分でもきつかっただろうと思う。
周囲を気にするタイプの人が、知っている人がたくさんいる中で声を上げるのはものすごく大変なはずだ。
それでも踏み出して変わろうとしていく。
手を差し伸べてくれる人は救いだけど、その手をつかむのは自分の力なんだよね。
私の感覚だと、一昔前の情報がひどいものばかりだったのは同性愛よりもむしろ「人格障害」のほうだ。
こうやってきちんと生きている人が自分の言葉をつづってくれるのは希望を感じられる。
「自傷他害」の説明は違うんじゃないかな。
自分はおろか他人まで害する可能性があるという、自分を一段下においた説明になっていたけど、あれは自傷「や」他害だと思う。
太ったときの話とか、ところどころ無自覚に自分をおとしめているような部分が根深くある。
「ミネハハ」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4898151868の練習風景。
「ポロメリア」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4344018354の妙に冷静な頭でみる景色。
「エリザベート」http://booklog.jp/item/1/B002NUYMCWの鏡越しの対話。
などが浮かんだ。
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借りたもの。
実父からの被性虐待児であった事をカミングアウトした自叙伝。
被性虐待児の反応は様々で、一般論で言われるような反応(女児の場合、父を嫌うなど)をする訳ではないこと、『ビリー・ミリガン』でも指摘されていた記憶の欠落(解離)など、その傷の深さに戦慄する。
この本はキャリル・マクブライド『毒になる母親』における、“悲嘆のプロセス”“回復のプロセス”にあたるものだろう。
タカラヅカの「暴力」、LBGT(セクシャルマイノリティ)、ネガティブな母娘関係…
そこに‘他者の暴力に否定される自己’を垣間見る。
こうした事に直面している人は多いと思う。
この本は性虐待のみにフォーカスしたものではない。
こうした「暴力」に直面している人々に立ち直るためのロールモデルとして、また、他者を認め、手を差し伸べる勇気を求められている……そうした悲劇を「なかったこと」にしないために。
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東さんの、虐待、摂食障害などの半生を記した本。
実に壮絶。性同一性障害、ということでしかこの方のことを知らなかったので、この本を書店で見たときはびっくりした。
すごく大変な人生やと思うけど、それでも強く生きていっている東さんを応援しています。
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メディアでこんなに明るく笑っている人からは想像できない過去の苦しいことが書かれていた。こんなにどん底になっても将来笑っていられるかもしれないんだから、人生は捨てたものではないと思った
宝塚のくだりは凄まじすぎて、今後宝塚を見ることがあってもどうしても内部のいじめを想像してしまうんだろうと思う
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某所の待合室で待機中に読了。
性虐待については、著者もはっきりとは覚えていないため、描写が曖昧。
ただ、宝塚での経験談は壮絶。イギリス留学時代に元宝ジェンヌの人が私のバイト先に入ってきた時に「もったいない」的なことを言ったら、「あんなとこ…もったいなくないですよ」って返ってきたのも納得。
被害者だった自分だけじゃなく加害者になった自分にも向き合って、書いているのはとても誠実だと思いました。
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LGBTアクティビストの小雪ちゃんの活動を初めて知ったのはtwitterでした。その時、元ジェンヌと公表し、自らLGBTであることをカミングアウトした小雪ちゃん。ヅカファンの私は『この人もビアンなんだー』くらいの軽い興味でしたが、その後性虐待サバイバーであることもカミングアウト、、、。
性虐待、ヅカでのイジメ、摂食障害、ゆがんだ母子関係、、、何とも言えない苦しさの残る読了でしたが、彼女の今ある前向きな力は、さまざまあった、苦しいことから逃げず自身に起きたことを受け入れられたからだと思いました。
そして、ひろこさんの力。愛している人がいるから呼吸ができる安心感、私にもよくわかります。苦しい内容だったけれど苦境に立たされている、生きるのが苦しいと感じている人に読んでもらいたい。
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犬畜生にも劣る父親なのに、あなたはそれでも、死んだ父親に聞く。
お父さん、あなたは末期ガンの病床で、何を思いながら死んでいったのですか?
お父さん、私のこと、本当にどう思っていたのですか?
お父さん、拒食症になってしまった小学生の私を見て、どう思いますか?
このページで、私は慟哭しました。
あなたの血を吐く苦しみが、今もなお、あなたを、そこに留めている気がします。
どうか、小雪さん幸せになって下さい。
もう、あなたは、苦しんではいけません。
私は、毎日、あなたの幸せを祈ります。
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第91期生として宝塚歌劇団に入団。あうら真輝の芸名で男役として花組に配属された東小雪さんの告白本。宝塚音楽学校の予科生・本科生の上意下達の世界、自宅から通えない生徒の入るすみれ寮の実態、「人を思いやる気持ち」の無い伝統、宝塚の卒業生が語らない初舞台までの劣悪な環境…。カウンセラーによる催眠などを用いた回復記憶の手法によって、親の子供に対する性虐待という『事実』をさぐりだす」という手法で、幼い頃からモデルとして育てられながら、家庭内では実の父から性虐待を受けて育ったというのだが…。疑問が多すぎて…。
多くの卒業がいる宝塚音楽学校の実態にも著者の精神状態による記憶から、書かれたとなるとどこまでが真実なのかわからなくなった。実父もこの世におらず真相がつかめない。
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いろいろ大変…
頑張って、って思うけど
頑張れる人だとも思う
前にみたディズニーで式挙げてたレズビアンカップルこの人だったんだね‼︎
綺麗で素敵だった✨