紙の本
全体的給付の体系
2015/08/10 07:12
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わんこー - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性を交換することによって競合関係にある氏族と友好する。
近親婚からの脱出と家族関係の拡大についても触れられている。
今回の改定で追加された2篇の小論が巻頭に配置されていて、
贈与論を読むうえでの理解に大きく役立っている。
紙の本
他2篇あり
2020/07/02 20:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nami - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちくまと悩みましたが、他2篇が収録されているこちらにしました。
「贈与」についての歴史を知ることができ、新鮮でした。
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個人が個人の利益の追求に走る社会に警鐘を鳴らし、全体に対する意識(全体給付)を向け、円満な社会(アーサー王の円卓[p]のような)を目指そうという論。社会主義的か?成功した富裕層が、被災者に多額の寄付やNPOなどを組織をしたり、匿名で学校などに何かを寄付したりするようなことについての考察。
一方的にお返しもせずに、贈り物をもらうことはどういうことなのか、部族などのトップたるものがなぜ贈り物などを与えなければ威信を保てないのか[※ポトラッチ]というのはおよそ信仰(迷信)と結びついている[p100、p231など]。類似した例が世界各地にみられる。例示内容は興味深い。
個人と個人が契約を履行するとしても、それは個人ではなく集団と集団(の連盟関係(アリアンス))である。集団はクランや部族や家族のこと。過去はいまほど「個人」が際立つことはなかったらしい[p446]。従って、あるまとまった集団のなかで権力を持つには、ポトラッチは欠かせなかったのであり、それが下位集団との信頼関係、自分の身分の明示。
誰かから何かを一方的に貰う(贈与される)、ということは従属である。ただし、例えば、返済能力のない被災者が寄付を受け取るのは、しっかりとした生活を取り戻すということなどによって返済できるといえるだろう。
ポトラッチ(競覇型の全体的給付)[p74]
贈与[p212]
ネクスム(法的な縛り)[p304、307など]
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(01)
最終章では、政治、社会、経済、倫理の各側面から現代における贈与のあり方を示唆しており、著者が過去や他の民族を生きられている世界としてとらえている点は重く受け止める。
贈与は、決して一方的な(*02)ものでもないし、贈与が非対称である場合は、社会全体としてバランス(*03)が図られるように機能することをも示している。物々交換や自然経済といった概念が一般的に流布している未開の単純さといった認識を批判し、贈与や交換が単なる経済の範疇にとどまらない拡散や集中を現象することを捉えている。
(02)
売買がバイバイとして、売ることと買うことが等価というよりも同義であること、担保や保証や分割や賃貸などの現行の制度にも残る物のやりとりをめぐる諸々の契約も贈与が示すある点で統合されることなどは目から鱗の視点かと思う。
語源をあたり語幹を見出すことで贈与の諸関連を暴くという方法論も、まだまだ適用できる範囲が広いように感じた。
(03)
賭けとその賭場、シャーマニックな呪術、名前と言葉、性と結婚といったテーマも贈与をキーとすることで、そこにある問題に新たな視野を開いており、非常に冴えた論考として読める。富の集積や蓄積(*04)といった権力集中にも、権力の停止や廃棄すら予感させるポトラッチというバランサーを与えることで、贈与システム(*05)の有効を説いている。
(04)
考古学的な対象となる、何らかの理由で図るも図らざるも埋設されたモノについてもこの贈与論によることで理解が進む。意図的に壊され埋められたモノ、保存と伝授のために埋められ伝えられたモノ、それらの聖性が拠るところを本書からはうかがい知れよう。
(05)
レヴィ・ブリュルの未開社会の心性との関連、柳田國男が説いた「おつり」との関連も、この贈与論から改めて考えてみたいものである。
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マルセルモース 「 贈与論 」
贈与を 集団間における給付と定義し、お返し(反対給付)を義務としている。集団間の贈与が 集団の規範、宗教儀礼、交換経済に組み込まれている
「贈与により 人、物、霊魂が混じり合う」感覚は 集団の感情を理性的にコントロールする手段だったのではないか?
全体的給付の体系→交換(集団から集団へ)
*法的、政治的、経済的、宗教的な体系
*給付と反対給付を繰り返すことにより 相互に結びつく
*交換するのは 財、ふるまい、饗宴、女性、子供、踊り
ポトラッチ=競覇型全体的給付(相互に対抗し合う)
*お返しは 絶対的な義務
*富によって授けられる名誉、権威→義務を果たさなければ 権威と富を失う〜暴力や敵対関係を生む
3章の古典ヒンドゥー法は 宮沢賢治「なめとこ山の熊」の世界観と同一
*物の真の所有者=死者の霊、神々〜食糧が神格化
*人間と神々との契約、交換→目的は 平和的関係を手に入れること
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たぶん20年ぶりぐらいで買った岩波文庫。
そして相変わらず難しくてよく分からない。
貨幣が登場する前から,人類には贈与というかたちで
モノのやりとりがあり,そこには「贈与する義務」
「受け取る義務」「お返しをする義務」という,通常の
売買とは異なるルールがあって,という話。
分かりやすいのは香典とか,お歳暮とか,冠婚葬祭的なものなんだろうけど,
著者によれば社会保険とか協同組合の考え方にも通じているらしい。
なるほど……?
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著名なフランス人社会学者マルセル・モースにより100年ほど前に書かれた著作を現代語訳したもの。贈与や交換について、ポリネシア、北米、ヨーロッパ、インド等の当時の事象や歴史的考察、宗教的考察を行い、意見を述べている。研究が深く、脚注が充実している。訳もわかりやすく読みやすい。
「友に対しては、こちらも友であらねばならない。贈り物をもらったら贈り物でお返しせねばならない。笑いに対しては、笑いを返さねばならない」p56
「贈り物は、建前上は自発的に贈られるけれども、実際上はそれを贈り、またそれを返すことが義務として課されているのである」p58
「首長の個人的な威信や、その首長のクランの威信が、自分が受け取った贈り物以上の物をきちんとお返しすることに結びついている。自分が受け取った以上の物をお返しすることによって、自分に返礼の義務を負わせた当の相手が、今度は逆に自分に対する返礼の義務を負うようになる」p213
「その場でただちに利益をあげることを目論むというのは心得違いであって、そのようなやり方をしようものなら、きわめて強い侮辱を浴びせられるのである」p215
「贈り物なら人はいつでも受け取るし、その物を褒め称えさえする。自分のために用意された食べ物を、人は声を大にして褒めなくてはならない。だが、それを受け取ることによって、自分が義務を負う立場に立つということも心得ている。贈り物を背中にしょい込むのだ。物や祭宴でもてなしを受けるというのは、たんにもてなしを受ける以上のことである。挑戦を受け入れたということなのだ」p247
「贈り物というのは、与えなくてはならないものであり、受け取らなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである」p369
「贈り物を受け取ったにもかかわらずお返しをしないでいれば、その人が劣位に置かれるということは昔とかわりない」p394
「招待というのは、されればお返しをしなくてはならないものである。それは礼に対して礼を返すのと同じである」p395
「借りを返さないままでいる、というのは、こうした表現が今なお使われていることから分かるように、許容されえないことなのだ」p395
「与えるということ、それは自らの優位を表明することである。それは、より大きくあることであり、より高くあることであり、マギステル(人主)であることである。これに対して、受け取っても何もお返しをしないということ、もしくは、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属的な立場に身を置くということである。それは、相手の子分、従僕になることであり、より小さくなることであり、より低い地位に身を落とすことなのである」p425
「富というのはもっぱら他人を動かすための手段である」p427
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前半は贈与が歴史的にどうのように変遷をしてきたかをまとめてくれている。
贈与が人類にどのような影響や意味があるのかを第4章の結論でまとめてくれている。
忙しい方は第4章のみを読めば良いと思う。それでもこの本の価値は、極めて高いと思う。
贈与=契約▶贈与=交換、義務、かけ、礼を礼で返すもの
贈与は他者を支配する志向のもとにある≒相手を自分の意のままに操る
社会システム(政治・経済)=お互いに贈与をしあっている社会形態
有機的連帯(統一性と統合性が備わっている)=社会の発展に与え、受け取り、お返しをする。
幸せ、平和を定立させるために、労働として適切に秩序づけられたものがある。富として蓄積され、次いで再分配されたものがある。互いに尊重し合い、互いに寛容になり合うこととして、教育が教えるものがある。善も幸福もそこにある。
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読了。
注書きのとても多い本。注書きをほぼ飛ばして、本文を読んだ。ポトラッチは体に染み込んでいると実感。
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お金にならない価値の「価値」を言語化したくて読んだ。
読後の結論は、
お金にならない価値の「価値」は、人と人との繋がりを生む、という価値である。金銭での等価交換は、一回きりであり、繋がりや関係性を関係性を生むことはない。
という点に収まった。納得。
***
贈与と返礼は、人間社会の特徴の一つ。
人間は、贈与を受けると、お返ししなければ、という気持ちになる。(なぜそうなるのか本書では明かされていないが、人間の特性として備わっているようである。)そして、この贈与とお返しは、お返しに対するお返し、そしてさらにそのお返しに対するお返し、というように、やりとりに連続性が生まれ、贈与者と被贈与者を結びつける。従って、贈与(と返礼)には、紐帯を生む力がある。金銭での等価交換のやり取りは都度都度一回切りの交換であり、繋がりはうまない。
一方で、贈与は、相手が「受け取らない」(=つながりの拒否)態度をとる場合は、争いの元になったり、過度な贈与・お返し合戦という競争や争いも生んだりもする。贈与は、連繫と一体化を生む可能性も、一方で争いを生む可能性も、両方を内包している。
現代の市場経済(贈与ではなく、商人の購入売却)、契約社会(倫理的な義務感ではなく契約的な義務)においても、人間にインストールされた贈与経済的な倫理観は顔を出したりする。
「今日では、古いさまざまな原理が抵抗を起こし、現代の私たちの法規範が持つ冷厳さや非人間性に抗している」
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何もかもが独立、分裂している今日の西洋的な社会とは対称的に、このような何もかもがつながり、循環している社会もあるのだ知ることができたのが、この本を読んでのなによりの収穫だった。
この社会に住む人々にとって、幸福とは富を限りなく増やしていくことではなく、増やし蓄えた富を皆と分かち合ったその先にあるものなのだ。みんなが自分の一部を誰かに分け与えあい、モノ、ヒト、さらに霊や魂、神までひっくるめて文字通り大きな輪になっているのには感動すら覚えた。
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「贈与」
贈る義務、受け取る義務、返還する義務が存在する。
はるか昔から、人間社会の基底に存在してきた贈与というシステム。
そのシステムは様々な社会関係を安定化させ、発展することに寄与してきた。
確かに、資本主義というシステムが世界中を席巻する現代においても、システムとしての「贈与」は存在しているように思う。
しかし、その存在の仕方は、現代社会のシステム全体においてはあくまで細い支流の1つ程度のもので、贈与というシステム単体で、資本主義そのものを脅かすほどの存在ではないだろう。
ただし、近年は、産業化の過剰がもたらす環境問題やグローバル化による市場のカオス化、格差拡大など既存の資本主義システムが新しい展開を迎えており、人間社会の基底システムとしての贈与に再度着目する意義は大いにあると感じる。
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表題ほか短いふたつの論文を発表順に収録。いずれも「全体的給付」を共通の主要テーマとしている。本編は約440ページ、巻末に訳注と訳者解説あり。論文だけあって原注のボリュームが非常に多く、数ページにわたって注釈がつづく箇所もあり、かなりの紙数を占めている。
三篇の論文に共通して何度も登場するのが、アメリカ北西部とメラネシアにとくに分布する「ポトラッチ」という儀礼・慣習であり、それは競覇的な性格を備えた贈答だという。「ポトラッチ」の大きな特徴としては、「プレゼントを純粋に無償で贈与するという装いをまとっている」にもかかわらず、「さらに何かを上乗せしてお返しすることが義務づけられるようになること」にある。このような贈答の応酬で最終的に返礼できなかった側がヒエラルキーの下位に立つ。かつ、場合によっては破壊にいたるケースもあるという。そういった意味で競覇型の全体的給付とされる「ポトラッチ」が本書内でもっとも重要な鍵として扱われる。
このような贈与のあり方は厳密に「ポトラッチ」が確認される地域に限らなければ、過去において世界各地に見られた風習だとし、いくつかの地域での例を順に確認していく。著者によれば、このような贈与経済に対する価値観が現代の経済であり、それは贈与経済を範経済的だとしたローマ人とギリシア人によって生み出されて現在にいたるとする。
このほか、贈与経済の社会にある特徴として、共同体のあり方がもっと集団的であったことや、物と魂とが融合的に捉えられていたことを挙げて、現代社会との大きな違いとして示唆したうえで、現代のような価値観が浸透したのはそれほど遠い過去ではないことも指摘する。そのうえで、現代の資本主義社会に対して、贈与経済の社会にみることができる「全体的給付」のあり方は振り返って見直されるべきという主張もなされる。政治的には、社会主義的な社会を望ましいとするのが著者の立場のようだ。
原注を省いた、かなりざっくりした読み方になった。「ポトラッチ」の贈答競争のあり方から、「ギフト」という言葉が元来「贈り物」と「毒」という二つの意味をもつことを納得した。人間の価値観としては、古代から名誉が重視されてきたという事実も興味深い。
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リベラルアーツはいつも理解ができず興味を持ちたくてもなかなか持てない分野であるが、今回の贈与論はイメージしやすかったことと、知らなかったことも多くとても興味が湧いた。
自分のできることであれば、何かを与えたいと感じるのは人間の当たり前の感情だと思っていたし、もらったものに対してお礼やお返しをしたいと思うことも当たり前だと思っていた。
ただ古代から近代のいろいろな民族の風習や文化を知ると、贈与とその前後にあたる行為に、何か見えざる力やエネルギーのようなものがあり、それを避けるがために贈与やお返しをすると言う行為があるのだと分かった。
そのような考えが長い年月によって今の私たちのDNAというか、何かに組み込まれ、贈与と言う重いものではなくプレゼントと言うライトな行為にも結びついているのではないかと感じた。
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ジャンル:リベラルアーツ
出版社:筑摩書房
定価:1,320円(税込)
出版日:2009年02月10日
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マルセル・モース(Marcel Mauss)
1872‐1950、フランス・ロレーヌ出身
社会学者、民族学者。ボルドー大学で叔父のデュルケムに哲学を学び、その後高等学術研究院、コレージュ・ド・フランスで教鞭を執る
関心領域は極めて広範で、社会、宗教はもとより経済、呪術、身体論にまで及んだ
「社会学年報」の編集にも携わり、実証的かつ科学的な研究を特徴とするフランス学派の礎を築いた
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flier要約
https://www.flierinc.com/summary/3054
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贈与は資本経済とは違う軸で動く、という新たな視点、そして贈与に係る様々な「なにか」を強く感じられ、とてもよかった。現代でも贈与が残る理由がよくわかり、そして自分たちがとるべき行動や今何も考えずとっている行動について再考する良いきっかけになった。