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商品説明
天皇の戦争責任を否定する日本の「国民的自己愛」を裁き、アメリカの覇権主義を批判する。その思想的な拠り所としての「普遍」の立場に立って、多文化主義やフェミニズムと対話しつつ、アクチュアルな思想的課題に取り組む。〔2003年刊の再刊〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
井上 達夫
- 略歴
- 〈井上達夫〉1954年生まれ。東京大学法学部卒業。同大学大学院法学政治学研究科教授。専攻、法哲学。著書に「共生の作法」「他者への自由」など。
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紙の本
普遍を「騙る」ことなく、「語る」ための一冊
2022/02/24 17:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あごおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「普遍が壊死しつつある」という書き出しに始まり、「普遍の名を騙りながら、普遍の根幹的規律を侵犯する」と著者が見做す事象を取り上げ、普遍軽視の欺瞞や自壊性を暴き、普遍性追求の復権を説く一冊です。
第1章は戦争責任について。「自己中心的ナショナリズムが新たに高まり、戦争責任論を自虐史観の名の下に一蹴するような論調が跋扈」している我が国の戦争責任論には、「日本軍が侵略したアジア諸国に対する責任の視点がすっぽりと抜けている」と指摘します。これは、戦争被害者としての「敗戦責任」だけが射程とされ、加害者としての「侵略責任」に目を背けていることを意味します。しかし、この「敗戦責任」という言葉には、「戦争に負けたことに対する責任」としての「敗北責任」と、「正当化されない戦争によって、国民に多大の犠牲を強いたことに対する責任」である「不当戦争犠牲責任」という、責任を論じる上での次元が全く異なるものが混在しており、倫理的な責任追及の対象となるのは後者の「不当戦争犠牲責任」のみであるとします(前者は、対抗組織との抗争に敗れた暴力団が「この痛手をどうしてくれる!」と組長に詰め寄るようなもの、とします)。そしてこの「不当戦争犠牲責任」を追及しようとすれば、当然、加害者としての「侵略責任」の存在を前提とせざるを得ません。日本が欧米に対し原爆投下などの戦争責任を追及しようとするのならば、すなわち、「自己の被害者性に対して正当な配慮を要求する」のであれば、「自己の加害者性を仮借なく暴く責務の遂行」を果たすべきだ、という「クリーンハンズの原則」的な普遍的視点が必要とされます。
第2章では、アジアの開発独裁国家が用いる、国家権力の強制力の正当性を「欧米の主権概念」に求めながら、国民の人権尊重の面では「欧米の人権概念」を無視する、というダブルスタンダード、「煩わしい人権尊重要求をはねつける万能の護符として主権を神聖化」する姿勢を告発します。人権と主権の密接な内的連関を踏まえ、「『人権よりも主権』や『主権よりも人権』でなく『人権なくして主権なし』という命題の理解こそが必要」との普遍的原理を説きます。
以下、グローバル化や多文化主義、フェミニズムなどの幅広い分野における普遍の危機が取り上げられていますが、本書の心髄は終章の第7章にあると思います。
米国滞在中、「正義論」の著者ジョン・ロールズとの会席の場にて、ロールズの変節(「哲学的リベラリズム」から「政治的リベラリズム」への転向)を、普遍性追求からの後退とみなす井上氏が、ロールズに毒づいた質問をしたエピソードに始まる本章は、「なぜ現代の知は普遍的なものを語ることにこんなに懐疑的になってしまったのか」という氏の問題意識が切実に語られます。ポストモダン的脱構築やネオプラグマティズムの影響もあり、「普遍的原理としての正義や人権について語ること」は、共同体論や多文化主義、フェミニズムや共和主義など多方面からの批判に晒され、「哲学的普遍主義」は「歴史的文脈主義」の台頭に追いやられてしまっている。しかし著者は、歴史的文脈主義を(プラトン的イデア実在論を「天上の実念論」と称するのに対し)「地下の実念論」と呼び、根底に潜むイデオロギー性を暴きます。そのうえで、「脱覇権」「反同化」「規範的再構成」「対話法的正当化」による「内発的普遍主義」を目指す必要性を説きます。これは、自らの立場を特権化する傲慢を忌避するため、常に足を止めずオープンなローリングを行う普遍主義だと理解しましたが、Convivialityの重要性を訴える井上先生の面目躍如といったところでしょうか。