紙の本
主人公の「僕」が学校に行くのをやめた親友に会いにいった一日を描いた奥の深い一冊です!
2019/01/26 13:30
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、主人公の「僕」が、学校にいくのをやめた親友に会いに行った一日を描いた小説です。この一日は、主人公にとって、親友によって大きな一日となります。一体、何があったのでしょうか。この小説には「生きる」ということを中心に据え、その奥深い意味が隠されているのような気がしてなりません。読み始めると、一気に内容に引かれてしまいますが、その中には読者に考えさせてくれるものがあります。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたい一冊です。
紙の本
人が生きていく上で大切なことが得られる
2022/07/14 23:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:りら - この投稿者のレビュー一覧を見る
コペルくんのある一日の出来事を通じて、人が生きていく上で大切な気づきをいくつか得る過程の物語。
人は一人では生きていけないけれど、だからといって、大多数が正しいのかといえばそうではないこともある。
そうとわかっていても、流されたり、のまれたり、あるいは判断するための情報が足りずに巻き込まれたり…。
集団の中にあっても、自分の頭で考え、判断するためには、静かな心を保てる場も大事だ。
そういうことを他人に対しても配慮できることも大事。
ほかにも色々示唆に富む。
今どきの中学生以上の若い人に繰り返し読んでもらいたい本だと思った。
紙の本
これから社会に出ていく人へ
2024/03/15 06:36
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまの日本では空気を読むことが生活において大切とされているが、この作品を手にして考えさせられた。集団の中でブレずに自分の考えを押し通して生きることは難しいが、大切なことだと思う。
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何かを目指して利害の一致した人が集まるチームとか、他の人と自分たちは違うのだと主張しているようなグループとは違って、本当に人がひとりで生きていこうとするときに必要な「群れ」のあり方。社会とか帰属とかの概念語に規定されるようなものでも、地縁血縁のような息苦しい繋がりによるものでもない、正しいあり方の群れ。
こんなふうに生きていける世界、ずっと探してた。自分の言葉では表せなかったこと、梨木さんに見せてもらった。
群れは人を傷つけず。離れて一人になりたい人の気持ちを拒まず。
傷ついた人の心に響く知恵ややわらかな気持ちをさらりと言葉にする人が集ったり集わなかったり。
離れたとしても戻りたいと思えば、自分の席を空けて手招きしてくれる。
こんな群れがあるとわかっていれば、ひとりでも生きていける。
ひとつひとつの言葉にうなずくしかないくらい、心が透き通るような気がした。
こんな健やかな人たちの群れなら、人はすくすくと成長できるかもしれないね。
たった一日の出来事が綴られていただけなのに、私は私の半生を救われたような思いでした。
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まさしくコペルくんの考えそうなことを著者は見事に再現したと思う。しかも、ユージンとニワトリの話には胸を締め付けられ、そしてコペルくんが自分の内面に気付くくだりはぞわぞわする。恐ろしい、そしてそういうことなんだ。
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主人公の男の子二人のぐるぐるぶりが、ああうん、あるよねという感じ。
ユージンの苦悩はわかるし、コペルに対する怒りや落胆もわかる。
コペルが己を恥じる気持ち、おかしいと思っているのに多数の意見に飲み込まれ、それに反対を唱えることで受ける攻撃を本能的に避けて、気付かないふりをしていた自分に気づく恥ずかしさは誰でも一度は経験したことがあると思う。
リーダー格に飲み込まれて友達を無視したり、差別を区別と嘯いたり、いろいろ。
確かにこれは卑怯なことで、ユージンがコペルを貶めるのも正論なんだけれどもやもやする。
本気で自分を心配している友人に対して「コペルは幸せなやつすぎるからいえなかった」って、平たく言えば「おめでたい頭のてめーに言うだけ俺のエネルギーが無駄」って意味とほとんど同意で、じゃあ、ユージンは彼を下に見ていいって根拠はなにかと言う気がする。
あのこっこちゃん事件、確かにわかっているくせにわからない方向へ進んだコペルは卑怯だが、ユージンも意見と空気に飲み込まれやめてくれとは言えなかった。
もし、そういったなら少なくともコペルか、コペルから話を聞くことになったであろう彼の母親なら一緒に担任と戦ってくれたことは間違いない。
ユージンと同じような目にあったことがある。
「皆のための教育」に私の大事なもの、そのときは自尊心をいけにえにしろと言った教師がいた。
最後に負けたこともユージンと似ている。
その事件を冷静に振り返られるようになっても、やはりあの教師のやったことは間違いだと思うし、傷口はとっくにふさがった。今なら、あなたのやったことは教師としてまちがっていましたと泣きも怒りもせずにはっきり言える。
ショーコが「集団の中にいて言いたいことを言う」という生き方、これは本当に難しい。
梨木果歩は彼女をサバサバ系という安直な書き方をしていない。
彼女がいたらしんどい、というコペルの表現。
彼女のようなタイプをKYとして片づける生き方を今の日本人の多くは選択している。
強い人間と一緒にいると弱い人間はしんどい、だから排除する。彼女をデリカシーがないと落とすことで、自分の弱さを庇護するのだ。
インジャの話も本当の対象年齢層から考えるとぎょっとするエピソードだが、某芸能ニュースで裁判沙汰になった劇の話を思い出す。
これも多数の人間の意見に少数の声なき抗議が飲み込まれていく様に似ている、
梨木果歩の描く『境界線』の物語。
単なる平和の話でも、引きこもりや不良化の話でもない。
どこで線を引くか、自分の線をどうやって守っていくのか、特にいろいろな線を自分でこれから引いていく若いひとたちが読むべき本だと思う。
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理論社から出ていた単行本の文庫化。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』へのオマージュでもある作品で、中高生に読んで考えてもらいたい内容だけれど、岩波は岩波でも、「少年文庫」ではなく「現代文庫」に入ったことに意味を感じる。
解説は澤地久枝。
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前に読んでいたことに途中で気付いた。前に読んだときよりも今回の方が胸にずしっと響いた気がする。それは時局のせいかもしれないし、私があの時よりも人生経験を積んだせいかもしれない。
この本に書かれていることはすごく大切なこと。特に若いうちに読んでほしいこと。
こういうことをきちんと文書にして表現できる梨木さんに感心する。
そして、こういう本を書いたり出版したりが普通にできる世の中でせめてあってほしいと心から思った。
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どこか大人びて生意気な感じのする14歳の少年、コペル君の一日を追う。折り重なる重たい話の中に、植物や虫生命の輝きが映える。
コペル君は優しくなるだろうなぁ、と思った。
そして、これから悩んで生きるだろうなぁ。
激しく動く集団の濁流の中で、個を保つことの難しさ、苦しさ。
その中で、僕、そして僕たちがどう生きるか。
落ち着いた言葉で語られる。
最後の一節が、やけに響いた。
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群れが大きく激しく動く
その一瞬前にも
自分を保っているために
「僕はそして僕たちはどう生きるか」
この言葉を、誰がどのような思いで発したのかは、
伏せておきます。
冒頭にあるように、
流されずに生きていくために
思考停止にならず考え続けること。
意見を常に照らし合わせ、
アップデートすることを欠かさない。
以下引用
大勢の人が声を揃えて一つのことを言っているような時、少しでも違和感があったら、自分は何に引っかかっているのか、意識のライトを当てる。
人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かいきずなの群れが。人が1人になることも了解してくれる、離れて行くことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。
良心的兵役拒否について初めて知った。
今のこの世の中だからこそ、
どんな選択肢を選び取ることができるのか、
考え続けないといけないな。
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平成のコペル君のくだりが気になり、購読。
日常がただただ紡がれていくのかと思うと、
中盤から急に投げかけが深くなってくる。
前作を知った上での読書となると物足りなくなるかもしれないけれど、
小説として読み進める中でこうしたトピックがあると深いかも。
小説をただただ読むだけでは物足りない方にお勧めの一冊。
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初読。私に子供がいたらぜひ一度読んでほしいと思う。梨木さんのこんな話を読むのは初めてだと思うのだが、「そうそう、梨木さんってこういう考え方の人なんだよなあ」と違和感なく受け止められた。繰り返して読んで、大切なことを忘れないようにしたい、味方になる一冊です。
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今の自分にズシリと響く本。
よくも悪くも、自分がコペル的人間であることを痛感。
繰り返し読み返しては、ああここに書いてあったことはこういうことか、とか、これはこう解釈しよう、とか、読むたびにいろいろなことを考えさせられる。
今年の上半期、いやむしろ一生、繰り返し読む本だと思う。
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辛い。
もちろん「文章の質が低くて」という意味ではない。
良い本だと思うし、好きでもあるけれど、ただ、辛い。
特に(というかむしろそこのみだったかも知れないが)主人公コペルの友人のユージンが学校に来なくなった「理由を作った出来事」のシーンが辛すぎる。
「ユージン、それは辛かったね」という意味での辛さと共に、「自分にそういう出来事が迫ってきたらどうしよう」と想像してしまっての辛さ(恐怖のような)、
そしてこれは特異な感じ方かもしれないけれど、その出来事の『主役にされた子』が「いったいどう感じただろうか」「どう思っていたろうか」「どれほどの混乱『なぜ? なぜ?なぜ?』に襲われただろうか」とも私は考えてしまって、それも辛い。
その出来事における自分の行動の意味を知ったコペル(ユージンがコペルにそう伝えたわけではないから「気付いた」が近いか。だがそれも正しい表現ではない)の受けた衝撃もわかる。それも辛い。
私(私達の多く)はコペルに近いタイプの人間だから、わかるし、辛い。
こう書くと、全然人に薦めるべきでない本のようになってしまう。そういう風には思っていないのだけれど。
ただ、友人や同僚に薦めたいか、と言ったらそういう種類の本ではないように思う。
では誰に?
薦めるとすれば……
子供に。子供たちに。教え子(いないけど)に。
若い人に。
コペルに近い性質を持つ、私のような大人たちに。
帯の「今、この時代」という表現の意味が、読み終わった今よく分かる。
ユージンのおばあちゃんの「いつ何時、何がどうなるか全くわからない、気づいたときは遅かった、ってことが、本当に起こるんですよ」という言葉が、読み終わってから心に重く響く。
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この本には、とても大切なことが書いてある。
作者の強い思いが伝わってくる。
それを押し付けがましいとか、誘導的だとか感じる人も中にいるかもしれないけれど、そここそ大切なところで「ひとりになって考える」べきことなのだと思う。
力を持った人がつくる流れを感じとり、自分はどのようにしたいかするべきかを考えることが必要だと気づかせてくれた本。
それにしても解説は本当に澤地久枝さんが書いたの?