紙の本
ありのままの私を生きるということ
2021/06/23 14:57
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投稿者:ひさ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の本は、これまで数冊読んだことがあるが
どれも、読み進めるのにかなりの時間を要した。
おまけに、一度読んだだけでは、なかなか理解できなかった。
そんな著者の本の中でこの「ありのままの私」は圧倒的に読みやすかった。
本の装丁、平易な言葉による説明は
まるでどこかのタレント本のようでもあった。
興味深い内容で、すらすらと読め、楽しめたが
中身はと言えば、やはり著者のエッセンスがふんだんに詰まった
命を張った学問本であることに変わりはなかった。
この本には、玉田兵吾という詩人の詩がいくつかのせられている。
その中に「わたしの好きなこと」という詩がある。
この詩には、雷に打たれたようなショックを受けた。
けれど、そのショックを受け止めることから
ありのままの私を生きることが始まるのかもしれない。
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ファッションは女物が好きで、女性装が落ち着く。自意識は女性で、昔から女性の友達の方がしっくりくる。
恋愛の対象は女性で、性器を女性化したいと思ったことはない。オネエ言葉は使わないという著者。
性同一性障害の障害という言葉が、男性の体を持ったまま女性装で暮らしたい人、身体的性別を変えずに同性を愛する人を圧迫するという指摘には、その通りだと思います。
生まれ持った体のまま、同性のパートナーを持つことは許さない。体にメスを入れるなら許す、というのは非道でしょう。
それにしても、『異性装は本人の自由』で通る東京大学という職場の、揺るぎない学問への信頼よ。真理は我らを自由にする、ということですかね。
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安冨さんって、これまでけっこう堅めなことを書いているイメージしかなかったので、この本が出たときは驚きでした。こういう本を出すことができるのは、編集者の力なんやと思う。「自分自身でないもののフリ」をしてしまうと、人間はつらくなる。これはその通りで、女装とかに限る話ではない。読んだ瞬間、胸をつかれる思いやった。確かに、人間そういうときって誰にでもあるなぁと。
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最初に『生きるための経済学』を読んで、その巻末の写真ではフツーのオッサンだったのに。
数年後には、こうなってた、という・・・・・。
変化の大きさにノケゾったわ。
トランスジェンダーでいると、TVの世界においてさえ、いろいろと不愉快なめに会うんだね。TV局の悪口をいろいろ書いてて、その通りだと共感した。
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先日、「性同一性障害」の方の講演を聞いた後、facebookだったか、この本を知り、読んでみた。
読んでみて、自分が「人」に思ってきたこと、自分が「自分」に思ってきたことが自然な見方だということの手応えを得た。人はその人のみの固有の存在なのだ。理屈抜きに宇宙にたった一つの存在、それが「人」であり、「自分」なのだ。
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我慢してるから、我慢してないひとがムカつくんだよね
我慢すべき社会とか、人生は修行とか、そういうのやっぱり止めたい
自分を洗脳して、嫌なことを好きなふりしてやるからストレスがたまって人にぶつけてしまう
カテゴライズできない人を、カテゴリーのなかに押し込めようとすることも、偏見のひとつなのか
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これを単なるエッセイと言ってしまうのは、あまりにも軽すぎて失礼かもしれない。
著者は、40代半ばまでは、通常の男性として、大学に勤めていたが、故あって、レディースの服を着始める。そこで自分の外観や内面に起こった前向きで自然な変化を経て、「立場」という「フリ」を捨てて、素のままの自分で居ることの大切さに気付く。
また、「フリ」をした結果、フィジカル、メンタルでの暴力的なものに支配されてしまっている他人や、現在の社会そのものにも警鐘を鳴らしている。
この本を、「今、オネエがトレンドだから出したんでしょ」と思わないで欲しい。どんな人でも、日本の社会から課せられたいろんな枠(「母親」「父親」「部長」「女性」「男性」「社会人」など)に、不自由や疑問を抱いたことがあると思う。そして、それを人に強要してしまうのも理解できると思う。それらから、少しづつ自由になっていく著者の過程には、非常に深いところで共感した。そして、この人が同じ日本にいることをとても心強く感じた。
近いうちに、著者の他の著作も読んでみたいし、講演会があればぜひ行ってみたい。
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東大教授が50代になってから、「女性装」をするようになった過程。「女装」と呼ばないのは、オカマでもオネエでもなく、女そのものになりたいわけではないから。身体は男性で、恋愛対象は女性で(性認識は男性)、ただ、身なりは女性ものを着るととても安心して心地よいということ。だから、性同一性障害ではない。自称「狭義のトランスジェンダー」。LGBTもいろいろと深い。
前半のファッション関係の章は、読んでいて改めて「女性って男性よりもコーディネイトや自分をどう見せるかの選択肢が多く、選択も自由で毎日が楽しいはずなんだ」ってことに気付けて、なんだか嬉しくなってしまった。
後半は、マスコミや社会や政治や宗教と話を拡大されていて、「男性でも女性でもない人達」の扱いがどういう風に位置づけられているのか、とても興味深かった。
私は恥ずかしながら、オネエがテレビで頻繁に取り沙汰されるようになり、昔よりLGBTが許容され生きやすい国になっていると勘違いしていた。「差別されているがゆえに自由である(無縁の原理)」が、働いているとは。マイノリティな人間は、やはり完全に線引きされて「無縁」とされているのだな。「無縁だから無害」「無縁だから敵でも味方でもない存在」そんな真理が隠れていただなんて。
最終章の「美人」の定義が新鮮だった。「美人」とはオトコっぽい女性。背が高い、手足が長い、肩幅が広い、細い、面長、鼻が高い、顎がスッキリしているなど、男性の特徴に沿っている。女性らしくて魅力的な人は、美人ではなく「かわいい」と区別される。
でも、本当は、自分らしく生きていける選択をしていくことが、その人本来の美しさなのだと。
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「差別されているがゆえに自由である」という「無縁の原理」が重要な役割を果たす。
無縁者は、無縁者であるがゆえに敵対心を抱かれないのであって、有縁世界に受け入れられてしまうと、普通のルールが当てはめられて「敵」ということになるわけです。
婚姻の男女別姓すら認めないのに、なぜか性同一性障害による戸籍の変更は認めた。
性同一性障害という概念は実に便利で、男女の帰属を乱す者はかわいそうな障害を持っている異常者だから、そういう障害のある人は、手術を受けて本人が帰属したいと思っている集団にふさわしい身体に変造してしまえと。
女っぽい身体に変造して、女の身体で女の心という秩序状態を回復することができる。
男女別々の姓を名乗ったら、社会が崩壊する。
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トランスジェンダーである東大教授のこれまでの歩み。
美しくあること、洋服への思いを久しぶりにゆっくり考えた。
私ではない私っぽい何か、にならないようにしたい。
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トランスジェンダーの安富さんの書いた本。東大教授が女性装をしていることで話題になりましたが、どうして女性装をするようになったかわかりました。素直な生き方でありトランスジェンダーに対する偏見がなくなる本です。こういった方は、内省力と自分を客観視して社会における自分の立ち位置を考える力があるなあと思います。
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トランスジェンダーの東大教授が語る、トランスジェンダーの話。日本のテレビ界における差別や、マツコデラックスの立ち位置に関する無縁の話もが興味深い。真にありのままでいるということの難しさを改めて考えさせられた。
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「本書はセクシュアリティを切り口とした社会学の本なのだ。いや、そもそもセクシュアリティ自体が人間の一部であり、社会の一部であり、何か特殊に切り離されて存在しているわけではない。そんなことを読後に感じさせる1冊である。セクシュアリティに関心がない人も、特に「ありのまま」という言葉にシンパシーを感じる人は、ぜひ手にとっていただきたい。」
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ありのままに生きること、私にとっては、母のようにいろいろな服を短期的に買って着ることではなく、ずっと着られるシンプルな服を長く着ることだったみたいです。
みんながありのままに生きられるといいですね。
安富さんの原点が分かる本で、読みやすかったです。
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2018年にYouTubeで公開されていた2013年ごろの授業を観て内容が衝撃的に面白く、今どんなことをしてみえるのだろうと、調べた結果出たのがこの本。
2度衝撃を受ける。。。
今じゃすっかり、彼のファンです。