紙の本
知らなかったよ
2016/05/15 02:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:TOM - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある日ラジオのブックコーナーで紹介。
関東大震災の時、倒壊した横浜刑務所で典獄(=刑務所所長)の判断で24時間の期限付きで囚人の解放が行われた。被災した隣人の手助けに残る兄の代わりに妹が刑務所に向かう…他の囚人達も果たして果たして時間内に戻るのか?というような案内だったので、それが題名の「メロス」かとおもう興味をいだく。
そして熊本地震があってー――
読んでみました。
関東大震災って、東京育ちに私は「東京の」震災というイメージだったのですが、これを読むと横浜こそ震源に近く、街も港も海も甚大な被害を受けていたんだと初めてしりました。ー津波の被害もあり)、いろんな燃料タンク等の火災もあり、5年前の東日本大地震を経験しているから、当時の横浜の震災の様子がよりリアルに伝わりました。
そんな中で、横浜刑務所の典獄と囚人達が信頼でむずびつきながら被災した人や市の為に出来ることをしていたということを知りました。
横浜刑務所のことだけでなく、被害の状況、物資や行政のサポートとその困難、死体の浮いたままの海、、、etc
人心の不安と動揺、扇動、時に中央省庁からの悪意ある陽動みたいなものもあったりと…
読んでて、引き込まれました。
おりしも熊本の震災のニュースが流れる中でこの本に出会ったのことはなにか意味があるのでしょう。
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明暦の大火の「お解き放し」は有名で何度も映像化、小説化されているが関東大震災直下の横浜刑務所において囚人の解放が行われたことは寡聞であった。
「正史」では解放した囚人は白刃をもって乱暴狼藉を働き、240人が戻らなかったという事になっているという。
しかし、最終的に全ての囚人が遠地の刑務所等に出頭してるのが確認されているという。
30年に渡る取材と巧みな文章力により横浜の震災被害とその救援に助力した囚人たちの姿が見事に描き出されるノンフィクション。
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一行目:「雪か!?」
これは相当に面白かった。ここ2,3年の中では一番だと思う。
関東大震災の時に、刑務所はどうなっていたのかー横浜刑務所で行われていた前代未聞の完全開放。市中で狼藉を繰り返したという記録とは、全く違う囚人の姿があった。
美化されているであろうことは想像にかたくないが、「海賊と呼ばれた男」もそうだったのだし、あの作品と似た、アツイ気持ちにさせてくれる一冊。
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関東大震災で被災し塀も建物も瓦礫と化した横浜刑務所。火災が近づき、刑務所長たる典獄は囚人の解放を決意する。
監獄法に、天災を想定して 24 時間限定で囚人を解放できる規定があることを知らなかったが、それを実行することは司法省には理解されず糾弾される。
実際には、解放された囚人が逃亡することはほとんどなく、地震で崩れた埠頭での危険な荷役に従事するなど、統率の取れた集団として行動し、直接見た市民には大変感謝された。
しかし、囚人が脱走して悪行を働いているという流言蜚語は朝鮮人惨殺にもつなげられる。司法省は典獄にその責任を転嫁し、事実に反する記録を公式に残した。
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明治は遠くなりにけり
このような精神的な支柱を持った人の割合が、現在よりも遥かに多かったのだろう!
教育の大切さを改めて感じる!
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関東大震災で全壊した横浜刑務所典獄椎名通蔵が、24時間囚人たちを釈放し、復旧にあたり獅子奮迅の働きをした刑務所職員や囚人たちの心打つ真実の物語。
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面白いんだけど、作者が取材したのかどうかよくわからないので、ノンフィクションのようにも小説のようにも思えてしまう。実際どうなんだろう。脚色はないの?
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あえて汚名を被った横浜刑務所典獄椎名通蔵.彼の佇まい生き方,こういう立派な良い意味での武士の風格を持った典獄に感動しました.歴史に隠されてしまった真実が坂本氏のこの本によって明らかにされたのも良かったですが,人間の信頼に応える力の素晴らしさに改めて気付かされました.多くの人々にもっと読まれてほしい本です.
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関割れた.東大震災の時横浜刑務所で24時間だけ934人の囚人の解き放ちが行われた.この囚人たちが略奪などを行なったとされていたが著者の30年に及ぶ入念な調査の結果事実は全く異なっていた.兄のために被災地を走り抜ける少女の話などあり感動を呼ぶ.温情は信頼でもって返す.ちょっと道徳の本のようなところが鼻につき☆1つ分.
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「関東大震災と第二次世界大戦中の記録すべてがなくなっている。
戦争関係のものは、本省の行刑局長ら高官が戦犯としてGHQから
逮捕されるのを免れるために、全刑務所に焼却等の処分を命じて
証拠を隠滅したものだ。戦争の記録がないのはわかるが、関東大
震災当時の記録がないのは合点がいかない。一人職員を紹介す
るから話を聞いてみるか」
昭和46年、当時の横浜刑務所長の言葉がきっかけとなって、刑務官
でもあった著者は横浜拘置支所の女性刑務官に会い、彼女の母の
体験を聞いたことから驚愕の事実を知ることになる。
関東大震災はその名の通り、関東一円に大きな被害をもたらした。
震源に近い横浜市も例に漏れない。その横浜にあった横浜刑務所
では外塀は全壊、獄舎・工場の損壊も甚だしい。
加えて地震の影響で発生した火災が横浜刑務所にも迫る。典獄
(刑務所長)・椎名通蔵は決断を迫られる。このまま受刑者たちを
敷地内に留まらせて迫る火災の犠牲には出来ない。
決断は早かった。旧監獄法にあった規定に基づき囚人たちを解放
する。だが、24時間以内にこの場所に戻って来い…と。
この時に解放された囚人の妹が、著者が話を聞いた女性刑務官の
母である。少女だった彼女は、実家に辿り着いた兄が隣家の手伝い
の為に時間通りに刑務所へ戻れなくなった身代わりとして40キロの
悪路を駆け抜けた。
解放を機に、脱走を考えても当然だろうと思う。確かに時間内に戻れ
なかった囚人もいる。しかし、決められた時間は過ぎてしまっても典獄と
の約束を果たそうと他の刑務所へ出頭した者も含め、解放された全員
が「メロス」となって信頼に応えた。
本書は小説仕立てになっているので、ある程度の創作部分は入ってい
るかとは思う。だが、それを差し引いても典獄・椎名と囚人たちの間に
結ばれていた絆には感動さえ覚える。
それは椎名が囚人には厳罰で臨むより教育的な更生が必要であると
考えていたことと、所内を巡回し囚人の名前と顔を覚えていたことが
囚人たちに椎名への信頼を芽生えさせたのだろう。
ただ、椎名の決断が流言飛語の原因にもなったのは致し方ないのか。
「横浜刑務所から解放された朝鮮人が悪さを働いている」。一連の
朝鮮虐殺事件に通じる流言飛語でもあるんだよな。
この責任をかぶってくれとの法務大臣・平沼騏一郎と椎名の面会場面
は少々格好良過ぎで気になるけれど。
横浜市が作成した公的記録にも関東大震災時の横浜刑務所での出来
事は正確には記されていないそうだ。椎名との約束を果たして後、囚人
たちは各地から届く救援物資の荷揚げ作業の為に港でも秩序正しく
働いているのにね。
ふと思った。流言飛語の標的にされた朝鮮人や囚人たちよりも、自警と
いう名の下に暴徒と化した人々や、大災害を金儲けと考える人々の方
がどれだけ怖いかだろうか…と。
脚色・創作部分はあるにしても、埋もれた歴��を掘り起した良書だ。
椎名通蔵。小菅刑務所や大阪刑務所の所長を歴任し、敗戦後は戦犯
とされ巣鴨プリズンに収容される。釈放後は故郷・山形県に戻る。生涯
を通じて横浜刑務所での出来事を記録として残さずに世を去った。
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関東大震災で、関東一帯が大きな被害を受けた、ということは情報として走っていましたが、具体的に横浜がどれほどの被害を受けたのか、また「脱獄囚が略奪や暴行などをして治安を紊乱した」という流言については承知していませんでした。関東大震災のデマ被害としては朝鮮人への虐殺行為が大きく取り上げられますが、脱獄囚に関する流言飛語の裏側に、どのようなドラマがあったのか、ということがつまびらかにされた作品です。
昨今のコロナ騒動もそうですが、非常時にこそ人間としての在り方(「品性」や「人格」ということでしょうか)が問われることになります。命令によって動くのではなく、人道にのっとって行動することの価値を改めて感じることができました。震災の被害を受け、壁が崩壊した刑務所において、囚人をどのように扱うか。力で押さえつけることは反発しか生まず、彼らを信じ、人として尊重して扱うことを通して囚人と看守の間に信頼関係が生まれ、秩序ある救助行動が展開されました。
史実をもとにした、とはいえ「美談」に仕上げようと捜索しているところも多々あるでしょうし、男同士の「ねたみ」に端を発する対立などドロドロした社会ドラマのようなシーンもあります。しかしこれらの点が作品の”味”となり、小説としての「読みやすさ」を作り出していることは確かです。
太宰治の「走れメロス」はとても有名な作品ですし、中学・高校の授業でも取り上げられる題材だと思います。それらの話の後に、この作品を(実際にあったこととして)読むことで、「どう生きるべきか」をより深く考えることができるかもしれません。
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よかった。
太宰治の『走れメロス』は有名です。この本によると、934人のメロスがいた。
この本の背景は、関東大震災が発生した1923年9月1日、横浜刑務所。当時そこにいは1131人の囚人が収容されてた。
この大震災で横浜刑務所の外塀は崩壊し、火災も発生。食糧もままならない。囚人の避難も不可能。
横浜刑務所の典獄(現在の刑務所長)、椎名通蔵(当時36歳)は、そういう状況を考え、24時間に限り囚人を解放することにした。この解放は監獄法で定められていた。
かくして、震災による死者と近くに家族のいない者、怪我で動けない者等を除いた934人が解放された。
934人が解放されてから、戻ってくるまで。そして、戻って来てからの事が書かれている。
934人が皆残らず還ってきたのは、ただただ、椎名通蔵に対する信頼故だと思う。
椎名通蔵は「囚人に鎖と縄は必要ない。刑は応報・報復ではなく教育であるべきで、その根底に信頼がなければならないと考え実践してきた。」
信頼すること、そして、信頼されているという事実が如何に人にとって大切なことか、ひしひしと伝わってくる。
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椎名典獄の責任感と深い愛が,囚人との信頼関係を築いていき,それによって起こされた行動一つ一つに深く心打たれました。
その絆は,周りの人々にも好転していき,椎名典獄の人柄が周りの人の考えをも公明正大へ導いているのだと思った。
椎名典獄は終生寡黙を通し,誤解されたまま,真実が伝えられる事はなかったが,こうして今になって書物に寄って世に出た事も,椎名典獄の人徳によるものかもしれない。
過去を今に正しく伝えられた良い本で,多くの人に知ってもらいたいと思いました。
〈信頼し信じ切ることだ〉
椎名典獄に出会い,心を入れ替えた佐藤部長の言葉
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関東大震災は流言飛語が飛び交った。その最大のものは朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるというものだったが他にもあった。横浜刑務所の典獄(当時は刑務所長をこういった)椎名は法律に則り、震災の日に24時間を限度に囚人たちを解放した。囚人たちはその24時間である者は街に出たり、ある者は実家に帰ったりと思い思いの行動を取りつつ、犯罪は侵さず皆24時間後には戻るべく集合を努力したが、彼らが婦女子を犯したり強盗をしているというような流言もまたあった。その流言が現在も信じられていたりもするのだが、著者によってそれは否定される。どころか本当に皆頑張ったのだ。主人公の囚人はそもそもが無実のものだが、40km離れた自宅の様子を見に行く。そしてそこで震災で倒れた近所宅の手伝いをするために残る決心をするのだが、それだと24時間後の集合に間に合わない。そこで妹が手紙を携え、横浜刑務所に向かうのである。14の子だ。危ないようと読んでてほんとにハラハラするのだが、なんとか近くまで行ったところで男たちにレイプされそうになる。しかしそこを囚人たちによって救われるのである。いや事実ですよみんな。囚人たちはその後も、椎名典獄の指示で、船から救援物資の荷揚げで大活躍をした。そんな話があったなんて、とほんとに驚きとともに感動必至のノンフィクションである。
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関東大震災の発生で横浜刑務所から一時的に囚人解放を決断した椎名典獄と囚人達。人として扱われると心が育つのだろうか。30年調べ続けた筆者のおかげで当時を知る事が出来た。映像化してもらいたい