紙の本
膨大なインタビューによるノンフィクション
2016/12/04 18:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
通算100時間を越えるインタビューによる世界的作曲家武満徹のありのままの姿が見えてくる。700ページを越える厚さであるが、その中身は実に濃厚なものとなっている。今まで武満徹氏は「弦楽のためのレクイエム」「ノヴェンバー・ステップス」など代表的な限られた作品しか知らなかったが、これを契機に彼の作品をもっと知りたくなる内容である。
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篠田正浩の初回監督作品、乾いた花 (主演、池辺良、加賀まりこ)の映画音楽は、武満徹との紹介あり。早速、ネット経由、この映画を鑑賞しました。賭場で花札が繰られるシーンに流れるタップダンスの音、確かに効果的であります。
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単行本化されたこのインタビューは『文學界』に連載されていたときの強烈なインパクトは薄れたが、そのかわりに分りやすくなっているように思うのは、気のせいなのだろうか。いずれにしても微妙なテクスチャーにきわめて敏感で、それにとことんこだわる立花隆氏であるからこそ、音を削りに削って無音のなかに音を聴かせようとする作曲家武満徹からこれだけの細部にわたる話が引き出せたのだろう。
武満徹が悪戦苦闘してデビューし、<音楽以前>という酷評を浴びせられた時代は大ヒットした映画<Always 三丁目の夕日>の時代であり、またグレン・グールドが大旋風を巻き起こしていた時代でもあることを思うと、50年代、60年代という時代の持つ熱気の激しさには驚くばかりである。
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新聞の書評欄を読み、買い求める。帯に没後二十年とある。もうそんなになるのか。
「僕はこんな本を読んできた」で読んだと記憶するが、著者は作曲した作品を楽譜に書き上げ、友人を驚かせたエピソードがあった。音楽の才能という訳でなく、あくまで作曲の技法を習得しただけとあったが。そんな著者だからこそ、武満音楽の深くまで聞き進めていけたと思う。長期に至るインタビューの追加取材を重ね、家族や周囲への裏付け取材に当時の記録まで漁り、この稀有な作曲者の秘密に迫っている。
例えば、十二音技法は本やレコードやのCDのライナーノーツには全ての音を等価に扱う技法とある。素人にはさっぱり判らない。本書では、数学的にテクニカルな作曲技法と説明されている。他にも、セリーやクラスターについても同様。ジャズのリディア概念からの影響は著者だからこそ聞き出せた話と思う。本当に、立花さんのインタビュ時の反応の速さは驚かされる。
黒沢映画の作曲者、早坂文雄のこと、浪人姿の三船敏夫がノシノシ歩くシーンで流れる能天気な音楽。そして、シュールリアリストの瀧口修造からの影響。いずれも昔から不思議だった。読後は先人からの賦与が武満の肥やしになっていったことを知る。若き日の武満は風来坊。本来、生活実感から浮遊した感覚の人と知る。瀧口が若き芸術家の中心にあり、中でも武満とは父子のようであったことも。
武満が生きた時代の記録としても貴重な証言集と思う。
作曲者として世に知られた後も意外なエピソードは多い。ノベンバー・ステップスの初演のニューヨークフィルの演奏は必ずしも名演ではない。武満はオーケストラ団員一人一人に楽譜を書いている。レコードやCDでは判らないが、舞台の一部から音が広がっていったり、ある場所から別に音が流れたりするらしい。ああ、生で武満の作品を良い演奏で聴いたみたい。
プレイヤーにCDを置くといつものように厳しい音が流れるが、改めて確かに哀しいような美しい芯があることを聴き取る。そして作曲者はそれを時に意志を持って、断ち切っている。
個人的な話を少々。
高校生の頃にFMからテープに収録した「グリーン」。ロックの楽曲に間でもナガラ勉強の邪魔にならず、かえって頭が冴えるような気がした。ダラけてベッドで横になり聴いたりもしたが、不思議に耳に馴染んでいった。「オーケストラってこんな凄い音がするんだ」と思いつつ浸っていた。
大学からクラシックも聴くようになったが、最初は長調単調がはっきりしているロマン派は不自然に感じていた。
今はクラシックも愛聴している。現代音楽も聴くけど、武満徹とその他の現代音楽と個人的な括り方をしている。
この本が今後の武満研究の豊かな基礎となることを願う。そして、もっと武満作品をステージに掛けて欲しい。
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いゃあ 読んでいる間 ずっと大興奮でしたね
武満さんの歩んで来られた一歩一歩が実に緻密に
再現されていることに驚きます
「聞き書き」という手法ならではの労作ですね
770ページを超える厚さ、しかも二段組み。
それが、残り少なくなっていくのが惜しいと思うのですから…
友人の琵琶奏者から「ノヴェンバー・ステップス」のことと
谷川さんの「死んだ男の残したモノは」の歌ぐらいのこと
ぐらいしか武満さんに関してのことは知りませんでした
「音楽」はやはりとてつもなく奥が深く、宇宙規模での
広がりを持つものだということを
武満徹さんという一人の稀有な音楽家を通して
さ再認識させてもらえました
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久し振りに、あまりの内容の濃さに感動を覚えた本。やっぱり立花隆さんってすごい。こう濃厚なことを、音楽専門の研究者ではない人が書けるってすごい。アクティブな脳細胞の個数の桁が凡人とは違うのか? 4000円もする分厚い本(781ページ)だけど、1ページ当たりの情報の濃度もかなりのものだと思う。
武満徹の音楽について、そして現代音楽について、いろいろこの本で初めてリアルに"当時を生きていた人の実感"(肌感覚)として理解できる部分がたくさんある。結局のところ、こういう背景を知らないと楽しめないのが「ゲンダイ音楽」、なのかもしれないなぁ。
武満徹の何がすごいのか今ひとつわからないまま来てしまった私のような者が一気に理解を深められる、これ以上ないタケミツガイドです。
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目を凝らし,耳を澄ませば,私たちは自然のハーモニーに共振して,まだ,うたうことが可能なはずだ(「生命連鎖の宇宙的構造)
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本書は100時間を超えるインタビューに基づき、781ページ、上下2段組という圧倒的な量をもって、武満徹の人生のほとんどを描いた。さらに言えば、本書は、立花が自身の人生では時間を配分できなかった現代芸術への憧れを、武満を通して生き直そうとした作品なのであろう。そう考えると、連載終了後18年目、武満没後20年目にして本書を世に問う意義が理解できると同時に、少し切なくなる。(岡ノ谷一夫)
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上下2段組、あとがきを含めると781頁もの大著であるが、いささかもそのボリュームを感じさせないのは、偏に立花隆のインタビュアーとしての卓越した手腕と、それを少しでも多くの読者に知ってもらおうとする彼の筆力に負うこと大である。
武満徹自身が著した著作も含めて、武満徹という人間と、その作曲・創造の原点に迫るものは、この著作の前にすべて色褪せてしまうのではないか。それほどに、この著作は武満徹の人となり、そしてその作曲への姿勢・その根底に流れるコンセプトに迫ろうとしている。
何より、武満徹が自らにストイックとも呼ぶべき厳しい自己規制を課しつつ作曲に向かい合っていたということが心を打つ。それは、武満が専門的な音楽教育を受けていないことを多少なりとも負い目と感じていたことから生まれてきた態度なのかもしれないが、それよりも「音」そのものの中に何とか輻輳する音を聴こうとする作曲者自身が、自分のエモーションに陥らないよう自分自身に課した構造であった。
あとがきには、この本がどうして出版までに18年の歳月を要したかということについて立花隆の説明が綴られている。これは、涙なしには読めない。それほどの思いが籠められたこの著作が、読む人の心を打たないはずがない。
武満徹その人、そしてその音楽を愛する人、さらには現代音楽を愛する人、いや現代音楽を含めたクラシック音楽をあまり聴かない人にも、ぜひ読んでほしい。人が生きるということはどういうことか、ということがこの本には書いてある。
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発売すぐ購入、放ったらかして早2年。
なぜもっと早く読まなかったのだという濃密体験。
西洋でも東洋でもなく、そのどちらも、すべてを、ただ音楽のみを探求した武満徹。
周辺人物も、早坂文雄、瀧口修造、黛敏郎、一柳慧、湯浅譲二、谷川俊太郎、横山勝也、鶴田錦史、ジョンケージ、オリヴィエメシアン、ジャスパージョーンズ・・・
立花隆にしか成し得なかった、日本の、いや世界音楽史に誇る大傑作。
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第一人者の筆による渾身のルポ。二段組770頁はさすがの読み応え。筆者が現代音楽好きで武満の音楽を初期から聴いてきて、相当、熱を入れて書いている。これだけのボリュームで抽象的な材料を扱っていて、いろいろな人物が登場するのに、一箇所も不明な文章がない!流石。
武満が亡くなって出版する機を失ってから18年後の出版になったことについて、邦楽をするがん友の女性の死が関係したことに触れていて、人を動かすのは情であることを実感。
武満の音楽家としての特異性は、一般的な西洋音楽の基本を学ぶことを殆どせず、映画の音響、生活音の音楽への組み込みなど、音そのものの探求から進んだことで、従来パターンにとらわれない音づくりになったのではないか。また詩人とのつきあいなど多くの文化人との濃い交流が成長に大きく影響している。現代詩人の瀧口とスケッチブックを交換しあう挿話など人間味溢れていて素晴らしい。
戦後の何もない時代からのスタートで、みんなが試行錯誤しながら新しいものを求めていく熱気が伝わる。翻って今は既に何でも揃っているような気持ちから「求めていく」力が弱まっているなあと思う。
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なんの折だったか、ふと立花隆氏って最近見ないけど(例によってオレが見ないだけの話だけど)、どうしてるのかしらと思って調べてみたら、思いがけず武満徹氏の本を出していることを知った。
届いてみてびっくり、ゆうに780ページあり、しかも開いてみたら二段組、活字がページの隅までギッシリという大著であった。
まあ、氏の著作はいずれも大著が多いが、これまでいくつか読んだ限りでは、長くても面白く読み通せるのが常である。テーマというか背骨がビシっと決まっているのと、文体(ロジック)がきれいなせいではないかと思う。
そういうわけで、この本も大変面白く読んだ。
「文學界」という雑誌にかなり前に(武満氏の存命中から)連載されたものだそうだが、綿密な文献検索とインタビュー(武満氏やその周辺の肉声)がほぼ切れ目なく混交した、リズミカルな文章で氏の足跡を追っていく。
作曲家(音楽家)を志すきっかけとなった「蓄音機のシャンソン」のこと、街角でピアノの音が聞こえるたびに、その家に触らせてもらいに行ったこと、病気(結核)のこと、「デビュー作」酷評のこと、「ノヴェンバー・ステップス」の成立過程(と、前にも読んだ名手たちとのやりとり)、幅広い交友関係、音(だけでなくものごとの成り立ち)に対する鋭い感受性と洞察、そして何より「ノヴェンバー」後も含む、人生を通した音楽的な変転など・・・。これまで見聞きした内容がいかに点描に過ぎなかったと思わさる、その深掘りぶりには圧倒された。
しかし本の2/3辺りまで来たところで、突如として武満氏が亡くなってしまう。インタビューが柱の連載ゆえ・・・というか、著者自身これからあれも訊こう、これも訊こうと思っていた矢先のできごとで、相当な衝撃を受けたらしい。一読者としても、その巨大な思索が永遠に喪われてしまったことに改めて思いを致さずにはいられない。
そこから先は遺されたインタビューをテーマ毎に配置した記事になるわけだが、どうしても尻切れの印象は残ってしまった。
ともあれ雑誌の連載は最後(がどこなのかはともかく)まで続けられた。単行本化もゲラ刷りの状態までは進んだらしいが、その後18年も寝かされたままだったのだという。それほど、立花氏のショックが大きかったのである。
後書きに、出版がまた動き出した理由が書いてあった。
ショックから立ち直れないまま長年原稿を寝かせてしまったが、取材の過程で知り合ったパートナーの女性(箏楽家)が2015年に癌で亡くなるのに及び、立花氏に本の完成を望んだというのである。
そこから作業は一気呵成に進み、本は昨年上梓された。これでようやく武満氏と、(癌の戦友でもあった)その女性のもとに届けることができる・・・と結ばれる。
最後に、すっかり泣かされてしまった。
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1996年の逝去から24年、四半世紀が過ぎようとしているが、日本人作曲家として未だに武満徹を凌ぐ名声を獲得した者はいないように思える。残念ながら、クラシック音楽の社会的地位が当時よりも低下していることを考えれば、これはつまり、彼を超える日本人作曲家が今後登場する可能性も低い、ということを示している。
本書は、立花隆が武満徹自身への膨大なインタビューと、関連するドキュメントの徹底的な読み込み、さらには武満徹の関係者へのインタビューも重ね合わせ、「文學界」での6年近い連載をベースに、武満徹の偉業を振り返るという一冊である。徹底的な取材量で知られる立花隆だけに、アウトプットとしての本書は781ページ。参考文献などはないから、この全てが本文であり(写真等のページはあるが10ページ程度に過ぎない)、武満徹という作曲家を知るのに、これより優れた本はないだろう。
本書を読んで最も印象的だったのは、後期の武満徹の作品における”フォーム”の重要性である。
西洋のクラシック音楽で最も利用される”フォーム”の一つはソナタ形式である。これは以下の3つの構造から成り立っている。
・提示部:2つの主題(片方が男性的であればもう片方は女性的、というように対立的な性格付けをされるケースが多い)が提示される
・展開部:主題の変奏、フーガ、転調などの作曲技法を元に、主題が発展していく
・再現部:再度、2つの主題が戻ってくる。そして、対立的な性格を持つ2つの主題は、弁証法的に解決され、クライマックスを迎える
武満徹はソナタ形式に代表される典型的な”フォーム”からの逸脱を志向した。しかし、弁証法という強いカタルシスをもたらす西洋音楽の”フォーム”に抵抗できる音楽世界を作るには、新たな”フォーム”を自ら作り出すしかない。それが後期武満徹の世界観となる。
この初期と後期の間には、もちろん、彼の名声を一気に広げた「ノヴェンヴァー・ステップス」の存在がある。ここでは琵琶と尺八という邦楽器の力を借りることで、新たな音楽世界を作り出すことに成功したわけだが、このような特定の楽器及び奏者を触媒とする手法には限界もある。その思索が様々な”フォーム”に基づき作曲される後期作品へとつながっていく。
例えば後期作品では、「海(SEA)」を題材として、E♭・E・Aの3音を”フォーム”として採用した「遠い呼び声の彼方へ!」などが挙げられる。そして、このような”フォーム”の存在は、リスナーにとってはどうでも良いことであり、ただ美しく強固な音楽世界を作りだすためのツールに過ぎない、という目線も重要であろう。
初期から後期までの作風の変遷を追いながら、武満徹が成し遂げた偉業を理解することができる。お勧めできる人は極めて限られるであろうが、武満徹を知らなかったとしても、音楽の創作に関わる人にはぜひ読んでほしいと切に思う。