紙の本
一〇〇年前に生まれた少女の生涯と暮らしの歳時記
2022/01/28 22:52
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:aki - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治42年に生まれた寺崎テイの生涯を次女が聞き書きしたもの。その次女は雑誌『太陽』の編集長だった船曳由美。母の記憶もすごいがそれを聞いて文章にした娘もすごい。
季節の行事が詳細にかかれており、今はほとんど失われてしまった季節とともに生きる日本人の暮らしの一端が垣間見れて興味深い。
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【各紙誌で絶賛されたロングセラー、待望の文庫化】明治の終りに栃木県の小さな村に生まれ、百年を母恋いと故郷への想いで生きた少女。?新しい「遠野物語」?とも言える珠玉の名作。
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明治42年8月10日生まれの寺崎テイは、平成21年(2009年)に100歳になった。この本は寺崎テイの生まれ故郷である北関東の田舎(高松)の風景や人々の暮らし、昭和初期の東京の様子をまとめたもの。ひとりの女の子の物語である本書が、なぜこんなに驚きに満ち
懐かしく、また切なく心を打つのか。
土地柄こそ違うけれどほぼ同世代である両親の思い出話、聞いた当時は分からなかったいくつかの出来事がありありと目に浮かぶ。
当時の人たちが何を考え、何を大事にしていたか?家族のこと、学ぶこと、働くこと、助け合って生きていくことの意味を考える。同じく、北関東に生まれ育った義母に思い出の話を聞きたくなった。
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100年以上前に生まれた、母を知らぬ一人の女の子が歳を重ね、ふとしたひょうしに過去を口に出したことから始まるこの本は、なんというか、原色のクレヨンで描かれたような色鮮やかさである。
とても強い色でいきいきと、100年前とは思えない鮮やかさの世界で、女の子は生きていたのかと驚く。
ハレとケというものがあるほうが、記憶は鮮やかに残るのかもしれない。
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創作じゃなくて実話で、かつ電気もないガスもない日本の田舎で生きていた人の暮らしがよくわかる話でした。
朝ドラみたいだ。
食べ物の描写は解説の方も書いていた通りとても美味しそうに表現していて、出てくる人物たちもみんな個性的。おばあさんとおっかさんが好きだけど、嫁っていうものを、このおっかさんはきっぱりと言い切っていたけど、私はちょっとそんな風には思えないなーと。すごいいいおばあちゃんだけどね。でもだからこそそう思えるんだよね。
確かに民俗学の本としても価値がありそうだとは思いました。
「母親がいなかった」ということが、最後まで残り続けてたっていうのにはちょっと気持ちが重たくなりました。
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「一〇〇年前の女の子」とは、栃木県足利郡筑波村高松(現在は足利市に編入されてゐます)に生まれた寺崎テイさんのこと。著者・船曳由美氏の実母ださうです。
本書は、このテイさんを主人公にした物語。
なんだ、身内のエッセイか、と侮つてはいけません。
高松とは字名ですが、地元では「高松村」と呼称してゐたやうです。栃木県ですが南端に属し、生活圏としては群馬県館林の方が近いのです。1909(明治42)年8月10日、その高松に生まれたのが寺崎テイさん。
テイさんの母は、実家に帰り出産したのですが、テイさんのみ家(高松)に帰し、自分はそのまま帰らなかつたのです......
しかし乳を与へなければ死んでしまひます。そこで「ヤスおばあさん」が近所に「もらひ乳」をし乍らテイさんに与へます。良い人だ。
そして父は再婚します。イワさんといふよくできた女性ですが、これによりテイさんは里子に出されてしまひ、高松から離れます。当時はかかる理不尽な風習があつたのですね。イワさんは直ぐに第一子をもうけ、この子を後継ぎにすることにします。ますます、テイさんは家に戻れなくなるのです......
と書くと、悲劇の少女物語か、と思はれるかもしれませんが、必ずしもさうではありません。無論辛い体験は山ほどあつたでせうが、毎年行はれる村の行事や風習を愉しむ余裕も見せるやうになります。
しかし常に渇望したのは、何と言つても実母に会ひたいとの思ひ。しかしそれは叶はぬままに、時は過ぎるばかり。一度実母が高松に近い所に嫁いできたといふ。母娘の再会なるかと思はれたのですが、直前に実母が「やはり会はせる顔が無い」と言ひ、イワおつかさんも「当り前だ、何を今さら」と厳しい言葉。で、再会が流れてテイさんの落胆は相当なものでした。
本書は、テイさんの生涯を辿るだけではなく、当時の農村(この頃は、全国で見られた風景)の風景描写を交へ、茶摘、コウシン様、お正月、節分、雛の節句......等等今では薄れかけた風習や行事が活き活きと描写されてゐます。
最終章では、老齢になつたテイさんが娘の曳舟さんに昔の話を、恨みや怒りを込めて話しだす様子が語られます。
特に次の場面では、わたくしも泣きました。
ときには行くなり、私(曳舟さん)に抱きついて泣く。
―わたしにはおっ母さんがいなかった......
しぼり出すように、呻くようにいう。
泣かないで、というと、
―ちょっと、このまま、泣かせてください
といって私の胸をぬらす。
最後まで、実母に会ひたい気持ちは無くしてゐませんでした。如何に無念だつたか。時代に、因習に翻弄された「一〇〇年前の女の子」の生涯を見事に再現した一冊と申せませう。
それから、著者の文章が良いですね。流石に雑誌社を歴任し、編集者として名文家の文章に触れてゐただけありますなあ。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-778.html
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著者の明治生まれの実母・テイが米寿を過ぎて語り始めた話を聞書きした女の一代記。
養女に出され労働力として働かされた辛い幼少期からのおよそ100年間を、1人の少女の目線で当時の農家の生活や四季折々の涎の出そうな手の込んだ伝統食や風景が鮮やかに描かれた歳時記。
これ、実録版「おしん」ですよ。
かつ文章は松本清張や土門拳と仕事し、プルースト「失われた時を求めて」を担当した名編集者と名高い著者の、まざまざと頭にイメージが浮かぶ流麗な名文!
後年成長し勉強がしたい、と働きながら苦学し就職もするテイ。
学校に行き知識を得る、
そんなことが女にはとんでもなくハードルの高い時代。女は労働力としてしか扱われず、更に家事育児が重くのしかかる生活。
それでも季節の自然の恵みに感謝し、日々の労働の中にも小さな楽しみを見出し、自力で活路を見出していく彼女には涙が出そうになります。
恥ずかしながら全然知らなかったけど
後世に読み継がれるべき名作です。
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明治42(1909)年生まれの女性・テイの生涯。明治になって40年以上が経つにも関わらず、今から100年前の農村部には良くも悪くも江戸時代の匂いを感じる。農家としての歳時記は、いろいろな神様への感謝と、過酷な労働の繰り返しだ。農家へ嫁いだテイの母が、婚家と馴染めずに生んだ子を手放してから、テイには生家を継ぐこともできない運命が待ち受けていた。しかし、天は彼女に勉学の才能を授けた。読んでいてこちらも救われる思いだ。コロナ禍が過ぎたら「高松村」を訪ねてみたい。
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大正から昭和にかけての1人の少女の田舎歳時記かつ半生の記。単行本は昨年のMy Best3ノンフィクションの一冊に入れさせてもらった。手元に置いておきたくて、買い求めた。
文庫発刊を機に、表紙を描いた安野光雄と著者船曳由美との対談記事がある。それを読んで、新たに知ったことも多かった。
「一〇〇年前の女の子が見た日本(前編)安野光雅×船曳由美」
https://books.bunshun.jp/articles/-/3596
「(記録を始めたのは)母が語りだした日から十年たっていました。」
←私は民俗学のフィールドワークの経験があるからイメージできるけれども、あの事細かに豊かに記録されるお母さんの物語は、何度も何度も同じことを聴いて綴られた結果なんだと思う。お母さんの脅威的な記憶力と、娘の学者はだしの構成力・表現力・そして質問力があってのことだったはずだ(もちろん元「太陽」編集長だったからではある)。
「安野 「筑波村大字高松」と書いてあったので、筑波山を目指して行けばなんとかなるだろうと……。あのとき電話したら、あなたが必死になって「違います、筑波山は茨城県です」と止めてくれた。」
←安野光雄さんが表紙を描くために行った「女の子」の栃木県の実家は、はたと気がついたのですが、今年2月「あの」大規模な山火事があったところでした。すわ、危ないのか?とスマホで地図を見れば火事延焼の危険はないところでしたが、利根川近くの今でも田舎の感じがするところでした。安野光雄さんの表紙は悲しいことが多かった5歳の女の子を明るいイチョウの木の上に登らせて、銀杏取りの合間にバンザイをさせた絵でした。
「安野光雄 お盆に墓参りをして、ご先祖さまをおんぶするようにして帰るとは、はじめて知りました。
船曳由美 お墓の前でお線香を手向けたあと、墓石に背を向けてしゃがむ。すると、ご先祖さまが墓石の中からするするっと出てきて、めいめいの背中に乗られるんです。子どもたちは三歩も歩くと、背をのばし手を振って歩いてしまうんですが、ご先祖さまは自力でしっかりとしがみついているそうです。ヤスおばあさんは家に着くまで、決して手を後ろから離しませんでした。」
←もちろん、地方によって様々な風習はあるけれども、ムラの外れの墓地からおぶって来る「魂」は、この地方で二千年間ぐらいは続いていた風習のような気がする。それは、様々な不幸という「呪い(のろい)」を背負ってきたムラ人たちの、生きていく上で必要不可欠な「お呪い(おまじない)」なのだろう。こんな小さな「知恵」が、この本の中には満載であり、いつまでも大切にしたいと思っている。
上京後の生活は簡単に記しているが、新渡戸稲造校長の女子経済専門学校の講師陣を見ると、その豪華さにクラクラする。吉野作造、我妻栄、古在由重、市川房江‥‥。しかもテイは吉野作造の推薦でYMCAの事務局に就職するのである。ホントは、関東大震災後の東京を舞台に、この辺りを中心にして評伝を書いてもらいたいぐらいだ。もはや無理だけど。
テイさんは、単行本発刊の4ヶ月後、眠るように大往生したという。
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どんなきっかけで知って読もうと思ったのか?も忘れてしまった。
図書館予約して借りて読んだ。
最初はなんだか気持ちも入らなかったが、1909年生まれの栃木県足利郡筑波村での暮らしや日常、そこから100年の生涯を閉じた女性の物語。その幼年期から青春時代までが鮮やかに描かれている。色々辛いことも有ったと思うが、そんなことを悩むより先に行動していったんだろうなあ。久々に心が晴れる物語を読んだ気がする。
作品紹介・あらすじ
「わたしにはおっ母さんがいなかった」米寿を過ぎて、母テイが絞り出すように語り始めた――生後一か月で実母と引き離され、養女に出された辛い日々を。同時に、故郷をいろどった四季おりおりの行事や懐かしい人びとのことも。新緑の茶摘み、赤いタスキの早乙女の田植え、家じゅうで取り組むおカイコ様。お盆様にお月見、栗の山分け、コウシン様のおよばれのご馳走。初風呂と鮒の甘露煮で迎えるお正月様。農閑期の冨山のクスリ売りと寒紅売り、哀愁のごぜ唄。春には雛祭りの哀しみがあり、遊郭での花見には華やかさがあった。語る母、聴き取る娘。母と娘が描きあげた、100年をけなげに生きた少女の物語は、色鮮やかな歳時記ともなった。2010年に刊行以後、さまざまな新聞・雑誌に書評が掲載され、NHKラジオ深夜便での、著者の「母を語る」も評判となった。多くの感動と共感を読んだ物語の待望の文庫化。今回新たに、足利高等女学校の制服姿のテイや家族写真、また新渡戸稲造校長の女子経済専門学校での写真などを掲載。安野光雅のカバー画と挿画3点・解説は中島京子。
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ノンフィクションは納得できて好きだ。
100年前の筑波村高松の生活はとても魅力的だった。
主人公テイの幼少での立場は、必ずしも幸せとは言えないものの、制約あるなかで充実した日々を過ごせたのではないだろうか。
自分が羨ましいと感じたのは、お正月とかお花見とかコウシン様とかの行事だ。
昔の人達が当たり前におこなってきた行事がとてもキラキラ輝いてみえた。
人々との交流も濃厚で面倒くさそうでもあり、羨ましくもある。
電化製品がない(電灯すらない!)時代は不便でつまらなそうに感じるけど、心は想像力に富み、豊かだったかもしれない。
最近ふと思う。ひと昔の生活をすれば色々とうまくいくのではないかと。
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自分の母の生涯をここまで聞き取り、記すことができたことにまず驚いた。
さらに北関東の民俗学的な価値にまで及ぶ食生活、地域行事、田畑の耕作、「家」の風習や慣習…
ただ、自分だけの力や思いだけではどうにもならない、女性にとって決して生きやすい時代ではない中で、強い信念のもと勉学に邁進する姿は、田舎の様々なしがらみを一つずつ解きほぐしていくように感じた。
戦前の女性にとって厳しい時代に、女性のために力を尽くす多くの先人が、多数存在したことを知ったことはとても有益だった。
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第94回アワヒニビブリオバトル「全国大会予選会&通常会」第2ゲーム(フリーテーマ)で紹介された本です。ハイブリッド開催。
2022.12 .30
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明42(1909)8.10、上州の村に生まれ、百寿を越えた寺崎テイ(後の船曳テイ)という母親の記憶を娘が書き留めたノンフィクション。「100年前の女の子」、2016.7発行。