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紙の本
大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験 (講談社選書メチエ)
著者 河西 晃祐 (著)
1940年8月1日、外務大臣・松岡洋右によって公表された「大東亜共栄圏」構想。200万超の日本人は異文化とどう接触し、東南アジアの人に「共栄圏」はどう映ったのか。特異な歴...
大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験 (講談社選書メチエ)
大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験
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商品説明
1940年8月1日、外務大臣・松岡洋右によって公表された「大東亜共栄圏」構想。200万超の日本人は異文化とどう接触し、東南アジアの人に「共栄圏」はどう映ったのか。特異な歴史的運動を多角的に検証する。【「TRC MARC」の商品解説】
1940年8月1日、「大東亜共栄圏」という言葉が外務大臣・松岡洋右によって初めて公表された。新秩序構想を支えるスローガン「八紘一宇」はどのような思想的・歴史的背景から出てきたのか。やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦に至る日本の針路はこの構想で想定されていたのか。200万以上の日本人に「南方」での生活を強い、東南アジアの人々に日本と日本人を目撃させた「外交政策」を検証する。
「大東亜共栄圏」という言葉が当時の外務大臣・松岡洋右によって初めて公表されたのは1940年8月1日であった。その用語は当時のどのような国際情勢をふまえ、いかなる意図を持って掲げられたのか。
やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦へと突き進むことになる日本の方向は、この構想が想定する道だったのか。また、この構想を支えるようになる「八紘一宇」というスローガンは、そもそもどんな思想的出自をもつのか。
対米外交の行き詰まりと東南アジア情勢への介入が拡がるなか、これらの言葉は日本人の目を「南方」異文化へと開き、「共栄圏」への志向を強めていく。
結果的には3年半余りしか続かなかった「大東亜共栄圏期」。その間200万人を超える日本人に東南アジアでの生活を強い、数千万人の東南アジアの人々に「日本文化」を目撃させた特異な時代は、どんな状況に生まれてきたのか、何か明確な理念を持っていたのか。
本書は1940年代前半の日本全体を覆った歴史的運動を多角的に検証する。【商品解説】
目次
- 第一章 大東亜共栄圏の誕生
- 一 ドイツ勝利への危機感
- 二 松岡洋右の登場と大東亜共栄圏構想
- 三 動き出した東南アジア情勢
- 四 日米・日独・日ソ交渉と大東亜共栄圏構想
- 第二章 大東亜共栄圏構想と対米開戦
- 一 松岡の帰国と大東亜共栄圏構想の停滞
- 二 選択された日米開戦
- 三 開戦前「独立」構想
- 四 「八紘一宇」と「亜細亜の解放」
著者紹介
河西 晃祐
- 略歴
- 〈河西晃祐〉1972年東京都生まれ。上智大学文学研究科史学専攻博士後期課程修了。文学博士。東北学院大学文学部歴史学科教授。専攻は日本−東南アジア国際関係史。著書に「帝国日本の拡張と崩壊」など。
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