紙の本
良い本です
2024/02/28 19:50
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読むのに忍耐力のいる作品でした。 正面から向き合って読むと、生きたことのない昭和の世界に行けます。 あとがき含め、作者の客観視できる・できない具合が面白いかったです。
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競輪好きの男性が、度々人違いに合うことで自分とそっくりな顔を持つ男が同じ街にいることを知り、事件に巻き込まれていく話。
昭和のハードボイルド小説感満載の空気感や文体が、最初は読みにくかったけれどだんだん癖になってきました。
事件の話も恋愛も、するりするりと間をぬけていくような展開で、それが好きな人もいるのだろうけれど、もっと盛り上がりが欲しかったなーと思いました。
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1983年の作品らしい。
映画にもなったので当時から作品名は知っていたが、なんとなくロマンチックなおしゃれラブストーリーなんだろうな、と思い込んでいた。自分はと言えば、おしゃれなラブストーリーなんかにはとんと縁のない生活をしていた。つまり、タイトルには惹かれたものの、あまり興味はそそられなかったのだ。僕はひとり、世間から取り残されていた。
そして数十年が経つ。
近年、佐藤さんの小説を読むようになった。
いちばんの魅力は、先が読めないままに流されるように進んでいくそのストーリー展開なのだが、饒舌なまでの風景描写もまた特徴であり、魅力だ。一人称の小説が多いような気もする。人生設計に怠惰な主人公から醸し出される空気感も大好きだ。そして、この小説にはそれがすべて詰まっている。
結論らしい結論が明確には描かれない結末には好みが分かれるところだろうが、その空気感にひたすら浸り、ページをめくる間中幸せな気持ちになれた。
それって、きっと小説にとってはとても大事なことだ。
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無職で野球観戦と競輪が好きで怠惰な日々を送るが、ある日自分とそっくりな男がいることで様々なやっかいごとに振り回される。この男もかなりのダメ男。互いのダメ男が出会うとどうなるのか? 運だけで生きていこうとする男の結末は?結末は語られない。
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「いつもあとから思うんだけど、やっぱり、あなたとのこともどこかで間違ったんだわ。そんな気がすることない?」
「あるかもしれない」
「夜はね、ベッドのなかでは、これでいいと思えるの。このままでもかまわないって。でも朝になると気が変るの。…あなたと同じね」
『喫茶店に入ったのが間違いのもとだと思う。別れ話はコーヒーを飲みながらすべきではない。』
『「あなたは男だから当然と思うかもしれないけど、女がそう決心するのはたいへんなことなのよ」
(君は女だから判らないかもしれないけど男だってたいへんなんだぜ)』
『これはいったい何を意味するのか?…どうやらその辺の事情を汲みとってやるのがぼくの務めで、つまり渋ってみせている女を無遠慮と誠実さとを適当にからませながら口説いてやるのが男の役目で、女はそれを待ち望んでいるのかもしれぬ。』
「ぼくたちはいろんな言い訳を覚えてすぎた…先に近眼になった方が負けね。本なんか読む前に泣き方を習えばよかった」
「惚れっぽいんだな。パチンコ屋で隣り合わせただけでも惚れる。誰とでも寝てしまう」
「ぼくは誰とでも寝ない」
「君のことを言ってるんじゃない」
「誰とでも寝る女なんかいない」
『現実の殺人や暴力にはしばしば納得のいく動機が欠けており、それが小説と違って現実の退屈なゆえんである。新しいガール・フレンドの教えるところでは、そう明言したミステリー作家がイギリスにいるそうだ。が、おそらくこれは、実際には暴力の恐怖を味わったことがない人間の言い草だと思われる。ぼくに言わせれば退屈なのは小説の方である。ミステリーを読むように、実生活の恐怖には栞をはさめないのだから。』
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失業したとたんにツキがまわってきた。婚約相手との関係を年末のたった二時間で清算できたし、趣味の競輪は負け知らずで懐の心配もない。おまけに、色白で脚の長い女をモノにしたのだから、ついてるとしか言いようがない。二十七歳の年が明け、田村宏の生活はツキを頼りに何もかもうまくいくかに思われた。ところがその頃から街でたびたび人違いに遭い、厄介な男にからまれ、ついには不可解な事件に巻き込まれてしまう。自分と瓜二つの男がこの街にいる―。現代作家の中でも群を抜く小説の名手、佐藤正午の不朽のデビュー作。
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月の満ち欠けが面白かったので期待しすぎたようです。もともとギャンブルが嫌いなので、それに関する小説はスルーしたかったのですが・・・。
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佐藤正午さんのデビュー作。
私にとって作家の名前は知らなくても題名は知ってる、部類の本。
BBSで「佐藤正午さんを知ってるか」と聞かれ、知らないから俄然興味が。
やっぱり、みずみずしい感覚あふれる本だった。
ミステリー仕立てで面白かった。
さらりとしているのに緻密。
主人公田村宏の年上の恋人小島良子の描き方も、うなずかせるものある。
同時代の作家の篠田節子さんとは女性の描き方が違うが、物足りなくは思わなかった。
私もこういうみずみずしい小説は好きだ。
例えば
曽野綾子さんの「太郎物語」
森田誠吾さんの「魚河岸ものがたり」
最近読んだ宮城谷昌光さんの「海辺の小さな町」
どれも清新な感覚が、読後にせまる。
私、恥ずかしながら村上春樹さんや北村薫さんの本も読んでない。
食わず嫌いというか、食指が動かなかった。
一冊は読まないといけないなと思ったのであった。
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『月の満ち欠け』が大変面白かった著者のデビュー作にあたるのだが、ここ1年くらいに読んだ小説の中で驚くくらい面白くないし、むしろ極めて不真面目な小説である、と断言しても良い。
不真面目、といったのは、作品を貫く「自分とうり二つの人間が同じ街に暮らしているという謎」を、数百ページの小説全体で引っ張っておきながら、たいした結論、オチを用意していないという1点にある。本作はれっきとしたエンターテイメント小説であり、クリアなオチを用意するのが作家の仕事だろう、と私は強く言いたい。出版社の側も「祝!直木賞受賞」などという帯など付けずに、本作がこれ以上広まらないように、静かに絶版に持ち込むのが良いのではないか。職業倫理を疑う、というのは言い過ぎかもしれないが、そのくらい私は怒り狂っている。
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何が面白かったの?と聞かれると困る。
でもひとつ言えることは、最後まで読ませる不思議なチカラがあるということ。
自分と似た顔の持ち主が、同じ生活圏内でいろんなトラブルを起こし、その皺寄せが自分に来ている。
一体、どんな男なのか。
そんなに似ているのか。
競輪と賭け事が趣味で、ハードボイルドに憧れるどうしよぅもない男の問わず語り。
ものすごく大きな事件が起きるわけでもなく。
登場人物がとびきり魅力的なわけでもなく。
それなのに、最後まで読んでしまう。
放棄しようと思わない。
男のどうしよぅもない思考回路に気がついたら没入している瞬間がある。
全部読み終わった後に、首をひねる。
なんで全部読んだんだろうって。
「たいして面白くなかったのに」と思いかけて、それでもこの分厚さを全部きっちり読ませる作者のチカラに愕然とした。
これが「天才」といわれる人の所業か 笑
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とりとめのない日常がダラダラと続くので、読み進めて行くのが辛かった。
時間がかかった一冊になりました。
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長い530頁だった。半分くらいから、この後何か新たな展開があるかも、いやこのままかも、と思い乍ら、結局無いまま終わった感じ。
これは1983年のデビュー作で、文庫化が2016年。その文庫の後書で、本人が33年ぶりに読んで感じたのが、文章力がある、という事だと。その文章力とは、「うまいとか、こなれているとか、読ませるとか、粋だとか、そういう意味では全然な」く「粘りとか、根気とかの言葉に置き換えられるもの」だと。「真面目、地道、…そして凡庸」「といった要素が…この作者の文章には備わっている」と。
これには同感ですが、競輪好きの27歳の男の、自分と似た男をめぐる1年余りの日々起こる出来事、心に浮かぶ事を細々と綴っただけ、だった。
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ふたつの佐世保がある。
ひとつは、昭和一桁生まれの私の父が語る、戦前戦後の佐世保のイメージ。炭坑と軍港があり、朝鮮や中国へと頻繁に行き来する人々。戦争が終わり、闇市ができ、混乱の中、米軍基地で必死に働く少年(父)や重い荷物を背負い行商する明るい少女(叔母)の姿。
もうひとつは、昭和30年生まれの作家・佐藤正午が描くイメージ。競輪場、まっすぐなアーケード、その裏手のネオン街。平和な街で淡々と暮らす人々。
父の佐世保は、世界情勢に振り回された地方の街の中で、明日の食料さえ危うい人々の物語。暗く重いが、幼い僕に人生訓めいたことを与えた。
一方、佐藤正午が描く物語は、明るく、テンポよく軽くふわふわしている。鮮烈なデビュー作『永遠の1/2』の冒頭は、「失業したとたんにツキがまわってきた」。昭和58年の作品で、失業保険があり、食うには困らないという前提で物語が始まる。
ちょうどその頃、僕は医学部受験に失敗し、主人公と同様に宙ぶらりんの状況で、この本を手にした。物語の本筋ではない野球(長嶋や江川)や映画(スターウォーズ)や歌(吉田拓郎)の話が登場し、「知ってる、分かる」とニンマリした。作中に戦前戦後の佐世保の話もあり、それは僕の父の物語と重なった。この作品に人生訓や教唆を感じたわけではないが、それから彼の新刊が出ると、すぐに書店へ行くことになった。
平成になり、僕は佐世保の病院で働いた。佐藤正午の本を片手に、佐世保の夜の街に出たこともあった。偶然出会った時にサインをもらおうと本気で思っていたのだが、残念ながら、周りに彼を知る人は皆無だった。
さらに時が流れ、10年ほど前、ちょっとした事件が起こった。僕は佐世保での講演を終え、友人とふらりと飲みに行った。小さなスナックでカウンターに座ると、目の前の棚に『鳩の撃退法』が飾ってあった。
「おー!佐藤正午の新刊!」
僕は興奮し、指さした。
「佐藤正午の知り合い?」
ママはニコリと笑って、「ボトルキープ入れる?」
「もちろん!」
それから時々佐世保に仕事を作り、『鳩の~』の作中にも登場するママの店に寄った。そのつてで、サイン入りの『永遠の1/2』の単行本を頂いた。長年の夢が叶ったわけである(笑)。
しかし、コロナ禍。ママとは音信不通。行商をしていた叔母も亡くなり、僕の中のふたつの物語が薄れ、佐世保は遠い存在となった。
コロナ禍の続いた今年、医療応援で佐世保に行かせてもらう経験をした。帰りの車の中で、本書のページを再び開いた。車窓から見る佐世保の街と『永遠の1/2』が重なり、物語が再び動きだした。永遠に終わらない青春の物語がここにある。夕日を浴びる競輪場の脇を通り、車は高速道路に向かって走っていった。
(2022年11月27日 長崎新聞掲載)
【追伸】
「最も好きな小説家は?」と問われれば(問われたことはありませんが…)、間違いなく僕は「佐藤正午」と答えます。しかし、「どこがいいの?」と聞かれても、その答えは難しい。小説というのはあくまで個人的な体験だから、説明は難しいし、人��分かってもらおうとも思いません。だいたいの場合、「好き」には理由などないですからね。
この記事が新聞に掲載されると、佐世保の友人から、その店はどこだと問い合わせがあったので、教えました。ぜひ行って、今どうなっているのかを知らせて欲しいのですが…、まだ連絡はありません。
さて、この小説にも忘年会や新年会の話題がでてくるのですが、我々医療関係者はここ数年の年の暮れは、「今年は忘年会なかったけど、来年こそはフツーに飲みに行ける日がくればいいね…」という会話をしています。もう何回もそんな話をするので、永遠にそんな日は来ないのでないか…と不安にもなりますね。でも、『2023年、来年は絶対行ける』と断言して、今年の最後の言葉にしますね!
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2.5
まぁまぁ古くに書かれた小説
言い回しがその年代らしくて少し読みにくいし言葉選びが独特
裏をあらすじを見て買いましたが想像してたのと全然違くて考え過ぎたというのもあるが自分の好みではなかった
ラストの方は文章が入ってきた
バックボーンがあるから伝わるものがあった
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まあまあ面白い小説
84年大学卒なのでその時代を思い出す
携帯のない時代、公衆電話
巨人の江川、長嶋監督
佐藤正午のデビュー作
瓜二つの彼の行動に迷惑かけられる
競輪で人生台無ししなくて安心