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商品説明
王室の祖先神を祀る霊廟、宗廟。韓国の世界遺産・宗廟について、朝鮮王朝と宗廟、さまざまな廟の創設、王位継承の現実、礼論と廟制などを取り上げ、その歴史を読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
ユネスコ世界文化遺産「宗廟」の歴史を読み解き、五百年におよんだ朝鮮王朝の実像をあぶりだす。歴史にたち現れる朝鮮民族の姿とは。
1995年、優れた歴史性と独特の建築様式からユネスコ世界文化遺産に登録された韓国の宗廟。宗廟とは、歴代の王および王妃の位牌をまつる霊廟であり、その変遷は朝鮮王朝の歴史そのものともいえる。当時の儒教知識人たちが繰り広げた宗廟の祭祀をめぐる議論を紹介しながら、その背景にある儒教思想の本質にせまり、王位継承者の選定から知識人の党争まで――あらまし五百年におよぶ王朝国家の実像をあぶりだす。歴史にたち現れる朝鮮民族の姿とは。
【目次】
第一章 朝鮮王朝と宗廟
第一節 宗廟の沿革――いつ建てられたのか / 第二節 宗廟の祭祀――なにを祀るのか / 第三節 宗廟と王陵――お墓との違い / 附 漢陽都城
第二章 さまざまな廟の創設
第一節 宗廟(太廟)――宗廟の本殿 / 第二節 永寧殿(祧廟)――宗廟の別殿 / 第三節 文昭殿(原廟)――もう一つの宗廟 / 附 士大夫の宗廟
第三章 昭穆をめぐる論争
第一節 昭穆のシステム――世代間の秩序 / 第二節 本生父の扱い――「父」か「おじ」か / 第三節 先儒の定論――朱子のおしえ
第四章 王位継承の現実
第一節 太祖から睿宗まで――初期のゴタゴタ / 第二節 成宗と燕山君――名君か暴君か / 第三節 中宗から宣祖まで――士林派の成長 / 附 朝鮮時代の党争
第五章 礼論と廟制
第一節 宗廟再建の議論――理想の宗廟をめざして / 第二節 礼訟の時代――理想の先鋭化 / 第三節 宋時烈の廟制改革論――朝鮮随一の朱子学者 / 附 朝鮮後期の国際環境
第六章 再び、王位継承の現実
第一節 某年義理――朝鮮王室の悲劇 / 第二節 正祖の後裔たち――王室の衰退 / 第三節 廟制の乱脈――形式だけが完備される
第七章 大韓帝国と宗廟
第一節 大院君と高宗――王朝支配の再建をめざして / 第二節 宗廟のその後――国破れて宗廟あり
終章 民族の「正体性」を求めて――その「正しいあり方」とは?【商品解説】
目次
- 第一章 朝鮮王朝と宗廟
- 第一節 宗廟の沿革――いつ建てられたのか / 第二節 宗廟の祭祀――なにを祀るのか / 第三節 宗廟と王陵――お墓との違い / 附 漢陽都城
- 第二章 さまざまな廟の創設
- 第一節 宗廟(太廟)――宗廟の本殿 / 第二節 永寧殿(祧廟)――宗廟の別殿 / 第三節 文昭殿(原廟)――もう一つの宗廟 / 附 士大夫の宗廟
- 第三章 昭穆をめぐる論争
- 第一節 昭穆のシステム――世代間の秩序 / 第二節 本生父の扱い――「父」か「おじ」か / 第三節 先儒の定論――朱子のおしえ
- 第四章 王位継承の現実
著者紹介
矢木 毅
- 略歴
- 〈矢木毅〉1964年富山県生まれ。京都大学文学部卒業。同大学博士(文学)。同大学人文科学研究所教授。専攻は朝鮮中世近世史、特に政治史・政治制度史の研究。著書に「高麗官僚制度研究」がある。
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朝鮮・旧韓国の君主にとっての正統性を示すとは?
2016/11/23 20:23
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝鮮・旧韓国の君主(高宗は「朝鮮国王殿下、朝鮮国大君主陛下、大韓国皇帝陛下」〈「李王宮秘史」168頁〉と在位中だけでも称号が変わっている)にとって宗廟に歴代の君主の中で誰を祀り、誰を宗廟から永寧殿に祀るか、が当代の君主の正統性を証明する為の目に見える証明だったのは初めて知った。廃位された王でも端宗のように王位が認められた場合と燕山君と光海君のように歴代には数えられても廟号が奉られない場合では、また違う。没後に廟号を奉られた人々も単に廟号を奉られただけではなく、その当時の君主にとって正統性を証明する存在だった。
歴代の君主及び現在の宗廟と永寧殿の図や写真も多く掲載されているので分かりやすい。
ただし、歴代の正室も宗廟に祀られるが、ここにも触れてほしかったし、君主(及び英親王)を産んだ側室達を祀った七宮も書いてほしいところだ。
「昭和天皇実録」昭和7年8月14日条に「なお十月十日、李沖は賢所、皇霊殿、神殿に初めて参拝」とあるように朝鮮公族の李鍵公の第一公子が宮中三殿に参拝したが、高宗と純宗は薨去してから祀られるのは従来通り、京城の宗廟であって皇霊殿ではない。高宗と純宗の国葬を日本式に行うか、それとも従来の朝鮮式に準じて行うか、高宗の墓碑に称号として何を刻むか、問題になったが、宗廟に関しては特に問題にならなかったらしい。
英親王は薨去後、永寧殿に祀られたのは「そこでたまたま空き室になっていた」からとある。「英親王李垠伝」には王世子李玖が「父の神位も朴大統領の特別のご配慮で、宗廟の永寧殿にお祀りされております」と書いているので、全州李氏ではない朴正煕大統領によって祀られた事になる。
こう見てくると、平壌にある金日成・正日親子を葬っている偶像化施設も本来なら朝鮮労働党が否定した封建王朝の支配者を祀った施設である宗廟の延長線上にある建物である事が分かってくる。さて、この施設は将来、どうなるのだろうか?