紙の本
なんて君たちは幸せ者なのだ
2023/06/01 14:00
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
鷲田清一 哲学教室、長谷部恭男 憲法教室、伊藤比呂美 人生相談教室、こんな講義をゼミで聞けるなんて、なんて君たちは幸せ者なのだ、途中からは、私も学生時代に戻ってゼミ生になった気持ちになって、のめり込んでしまった
紙の本
とても面白いゼミの記録
2022/09/25 13:27
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治学院大学の高橋源一郎ゼミで実施された岩波新書を読むという講義の記録です。三つの新書が取り上げられていて、それぞれの著者を招いて話を聞いたり、質問に答えてもらったりという内容です。高橋源一郎さんの話術もあると思いますが、とても面白かった。こんなゼミなら受けてみたいと思った。
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読んじゃいますよ
2017/07/04 16:40
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投稿者:しらふ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ゼミ生がひたすらうらやましい。タイトル負けせずに自分もゼミに参加しているかのような臨場感のあるつくり。長谷部先生のところが特にお気に入りです。また読み返すと思います。
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いつの時代にも言われてきたのだろうが、大学生ってこんな幼かったっけ、と年増はつい思ってしまう。
こんなゼミだったら今の学生も楽しいだろうなとは思うけれど、そして、戦前戦後の世代のように岩波新書に知の権威の幻想も持ってはいないつもりだが、このくらいの感想文で岩波新書にしてもらえるのはどう考えても高橋源一郎の人徳?ネームバリュー?だよね。。。ゼミの報告レポートのようなもので岩波新書にする必要があったのか、という一抹の疑問は拭い切れない。
伊藤比呂美が私は好きではなかったのだが、ここでの「人生相談教室」は面白かった。
奥付のそのまたあとにおまけとは、画期的。
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著者が大学で岩波新書を読むという課題を出したゼミに新書の著者を3人招いた講義の記録。ゼミ生の私と岩波新書も併録。
最近の岩波新書は、こういうものも出版すのか!
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高橋ゼミに集まった生徒さんたちは、良くも悪くも型にはまらず、日頃のゼミの雰囲気がよく伝わってくる。
のらりくらりしつつ切れ味抜群のコメントをする高橋先生が生徒さんたちの本気を引き出すスパイスとなることで、緊張感のある良い授業が成立していると思う。
他の岩波新書にはない先生たちの人間性、生身の声を読める稀有な一冊。
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編者が大学で教えるようになり、試行錯誤しながらたどり着いた教授法で、一冊の岩波新書を徹底的に読み込み、そしてその著者に来てもらい、議論をする中で、その本の「先の先」まで読もうという企画。著者は三人。鷲田清一、長谷部恭男、伊藤比呂美。それぞれの著者の味も出ながら、その著書の内容も深く掘り下げた議論で、ライブ感のある読み応え。実際に挙げられた本を読んで再読すれば更に深まる可能性大。
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昨年12月11日から、延々読んでいたもの。つまらないと感じていたのかな。岩波新書に著作がある三賢人(鷲田清一さん・長谷部恭男さん・伊藤比呂美さん)に基調となる話をしてもらったあとで、質疑応答が進むという体裁。
鷲田さんでは「アートが、生活が立ち上がるのに際してどうかかわるのかを見ていきたい」、長谷部さんの「戦争は、負けた方の社会契約が破棄されてしまうというもの」が心に残った。
途中で挟まれている、大学生による「私と岩波新書」は、気恥ずかしくて読めなかった。
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まるで、自分もゼミに参加しているかのような臨場感!
三者三様のおもしろさでしたが、特に伊藤比呂美さんには脱帽でした!
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タイトルのつけ方は個人的には気持ち悪い感じはしますが。
内容的にはとても面白い内容だったと思います。
明治学院大の著者のゼミで実施された、岩波新書を読み込み
その著者(鷲田清一氏・長谷部恭男氏・伊藤ひろみ氏
の3人)とQAを実施するという内容。
大学生は書籍を読まないという話があって、それが個人的な
課題にも関連しているのですが、本当に大学生が本を読まないということが一般化されているのか?
確かに読む人が少なくなっているのは、そうなのだろうと
思いますが。もっと、この本のように、本を読むことの
楽しさや、満足感などが、他の人にも伝わるような
取り組みがほかの人たちにも影響して、本を読む人が
増えていくような気がしました。
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一日で一気に読んだ。
いま、本を閉じたところ。
私は、現役の大学生世代の時と
社会人の勤労学生だった時と
そしてもう一度、大学にいた。
前2つは卒業し、最後の一つはこの春退学した。
勉強は相変わらず好きで、でもちょっと
一息入った感じ。
気の向くままに読みたいものを読もうかなと。
で…自分の学校やめたくせに、
他人様のゼミの講義と
聞くと、覗きたくなるのが悪い癖。
しかも担当は高橋源一郎氏だという。
紙上講義、いいじゃないか。
教材は岩波新書だと言うし。
ほくほくと読み始めた。
で…哲学・法学・文学の三分野のトップ講義を
読む。いや、受ける。
自分が知らないことを、一度受けた分野でも
授業でこうして突きつけられたら、私だったら。
いや、もうそんなこと考えてない。
がーっと引き込まれて読んだ。
それに対して何か考えるのはあと。
まずともかく最後までページめくろうよと。
哲学も憲法学も文学も、すでに単位は取ったこと
あっても、時代と自分の環境と、社会と教授が
違ったら、まっさらと思って接する方がいい。
だからもう、夢中で読んだ。
ところでこれは、読書そのものに対する姿勢でも
そうで、屁理屈言うより、一応最後まで食らいついて読むって、大事だと思う。
理解できなくてもいいのだ。刺されば。そして刺さる箇所は、その時で違ったりもするから。
まあ待て。まず読め。
そういう感じ。
岩波新書ってまさに、大学の般教のレベルが本として万人に上梓されてるから、自分の詳しくない分野の本でも、タイトルが興味惹かれたら、読む。
知ってる分野でも、やっぱ読む。
で…刺さる何かを多くする。
もうなんにも刺さらないかしら。私。
なんて思っていたのに。
いやいや、うそうそ。
すごい勢いで読んでる。
で、閉じて思った。
今は単位がとか研究がとか言ってないで
こころの赴くまま読むべき時かも…。
すぱーんって私に風穴が開くように。
そして、また学ぶんだ。
このゼミ、私も出たかったな…うん。
読もう。岩波新書。他の本も。
だって本は待っててくれる。
もう読ませてあげないとは言わないし。
違う世界や考え方が触れて、まだまだ私は変わる。
それって生きてるからだし。
読もう。
あ、ひとつだけ気になったのは。
もう少しものを考え、学ぶ時間が欲しい。
急がせないでと学生さんたちが述べてること。
猶予の時間がない人生は挫折すると
何度も私、ブクログでも書いたけど
現役の学生諸君でもそう思うのね。
猶予と、猶予を生むための労働とお金は。
自分で作って、自分で人生を区切り
自分で責任持って自分に与えるしかないのだ。
大丈夫。
ちゃんとレールに乗っても、乗ってないように
見えても、自分がものすごい不満タラタラで
違和感持ってなかったら、最後はどのルートでも
他人は褒めないかもしれないけど、自分は幸せ。
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志高く、学ぼうと集まった、高橋源一郎のゼミ生達の熱気が凄い。
岩波新書を学生と熟読し、作者と対話するという形式も面白い。
先生として呼んでいる方々がどの方もさすがにオリジナリティーが高い。
ところどころに、私自身が学生時代に感じた、サークル活動等で熱く狂信的な人たちのナルシスティックな雰囲気も思い出してしまった。少し排他的というか、のんびり他者を受け入れられないというか。まあ、志高いとそうなりがちなのかもしれないけど。
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高橋源一郎が、「岩波新書に関する岩波新書を作る」というテーマで岩波新書に持ち込んだ企画本。
実際には、明示大学院大学の高橋ゼミで企画を練った結果、一冊の本を読み込み、その著者を招いて白熱教室をやるというものになった。
その三冊は次の通り。
鷲田清一 哲学教室 『哲学の使い方』
長谷部恭男 憲法教室『憲法とは何か』
伊藤比呂美 人生相談教室 『女の一生』
鷲田さんは、哲学は全部わからないところがいいと。当人がわかってなくて、読者もわからない中で読者が先に気付くくらいがちょうどよいとまで。そして学ぶとは何かを失うことだと。村上春樹の小説や、最近はやりの千葉雅也の『勉強の哲学』を思い出す。
長谷部さんは、憲法と憲法典の違い。社会契約という概念とのつながり。憲法も結局は手段ですから、と。また、カントの永遠平和論が出てくるのは驚いた。柄谷行人の問題意識も憲法学者の問題意識も一致するところがあるのだと。
伊藤比呂美さんは「カノコ殺し」という詩に驚き。ああ、詩だと。
どうだろう。ゼミとしてはとても成功したんだと思う。
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(高橋)書いた当人が全部わかっているうちは駄目だって荒川さんは言っていました。書いた当人も分からない。当然読者も分からない。でも、気が付くと読者が先に分かったりする。これが面白いのだと。(p.59)
(鷲田)学長室のドアや机も学内の木を切って作ってくれたし、料理の巧い人も冷蔵庫にあるもので作る。あり合わせのもので作るというのが芸術家はもともと巧いんです。そして、ここで大切なのは勘なんです。普通ならごみ箱行きみたいなものでも、あ、これ使えるって。学問をしている時でも、日常生活をしている時でも、その勘っていうのがすごく大事で、これ行けるとかこれ使えるっていう感覚がないとダメです。(p.66)
(長谷部)憲法学者に良識があるのかというと、私はあるとは断言しにくいのですが(笑)、これは良識があるかないかというのは、事実の問題というよりも、良識って要するに我々人間がいつも一人ひとり日々考え、判断していることです。人間っていうのはそういうもので、どう行動するのか、どう生きていくのか、職業の選択から、例えば今晩の晩ご飯は何を食べようかということに至るまで、理由に照らして考えるものですね。理由に照らして考えるという活動のことです。それが良識に訴える、良識に戻れということです。(p.196)
(伊藤)日本語で詩を書く人たちに、小説でもいいけど、本当に言いたいのはね、現代の同世代の、日本語のものは、あまり読み過ぎるなってこと。そうすると、今やっている表現をスタンダードにしちゃうんですよ。私たちが見ているのは違うの。小説だったら、誰だろう。マルケスとかさ、ギュンター・グラスとかさ、フローベルとかさ、ドストエフスキーが同世代だと思って、それを読みながら、今の時代を感じてそれを表現する。もし才能があれば行けますよ、のし上がれる。才能がなければ駄目だよ。でもそういうものだから。(p.309)
(伊藤)誰でも自分の生活から大きな存在のあったものがいなくなる時には、それを感じる。それは悲しいかもしれない。でも、長い目で見た時に、死というのは、プログレッションの一つだから、生きているところからつながっていくもので、悲しむべきものじゃないと思うんです。
うちの母が死んだ時なんて、ああ、よく生きたって思ったもん。女が一人死んだのを見届けた。次は私だって。(p.329)
(あとがき)高橋ゼミには「ことば」が大好きな人が多い。私もそのうちの一人だ。例えば「街で君に似てる人を見たよ。」は告白だと思うし、「会いたい」といわれるよりも、「こっちの今日の夜ご飯はマグロ丼。」と言われる方が会いたくなったりする。不思議だなぁと思う。私はそういう言葉の力のようなものが本当に好きだ。そしてそんな風に言葉を使うことができれば、それは「よりよく生きる」ことに通ずるのでは、と思っている。(pp.342-343)
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『読んじゃいなよ!』の取扱説明書
鷲田清一哲学教室
長谷部恭男憲法教室
伊藤比呂美人生相談教室
著者:高橋源一郎(1951-、尾道市、小説家)