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村上春樹さん訳による、フィリップ・マーロウ・シリーズ。
このシリーズは原著が7冊しかありません。長編は。
もう、村上さん訳もこれが6冊目。
アメリカ、ロサンゼルスを主な舞台に、独身中年の私立探偵フィリップ・マーロウの一人称。金持ちの依頼を受けて右往左往する、というミステリー。まあ、簡単に言うと必ず誰かが死にます。必ず読者はマーロウとともに五里霧中にもがき、孤独や悪意や欲望や暴力や犯罪が底流を浸す汚れた街を真相を求めて彷徨います。
と言って実はさほど派手なアクションがあるわけでもなければ、銃撃戦なんてほぼありません。毎度に「ヒロイン」が現れて素敵な恋愛が展開されることも無く。(素敵ぢゃない恋愛ならば、展開されることもありますが)
マーロウさんが色んな人と会う。色んな思索をして、色んな意見を持つ。それをひとりごちる。それが魅力です。
マーロウさんは身長が高くてお金はあまりなくて、無頼漢を装うこともあるけれど随分と教養がある。そして皮肉屋で冷笑的でひねくれていて大変にロマンチストで時折寂しがりやになったりします。物語の都合上、たいてい1冊に1〜2度は殴られたりどつかれたり、徹夜で走り回ったり殺されかかったりします。そしてそんな出来事にぶつぶつと言いながらも金にも安全にもならないのに気の利いた皮肉ばかり呟きながらとぼとぼと危険に近づいていきます。
少なくとも正義とか愛情とか法律という為ではなくて、彼の個人的なこだわりや真相究明衝動とでも言うべき動力で。
このなんともぐだぐだチックでおしゃべりなヒーロー?に堪らない魅力があるんですが、この魅力というのがどうにも一筋縄で行かない。
塗り絵で言うと必ず線をはみ出して迷走してしまう魅力。主人公が、というよりは小説全体として。
小説というのは小説なのであって、物語というのは道具に過ぎなくて目的ではない。とでも言いますか。ぢゃあ、ゲージュツ的でチンプンカンプンで抽象的な本かというと、全くその逆で。
汚れた街の欲と愛にまみれた犯罪事件を、主人公探偵が解きほぐしていく、という、娯楽十分この上ない商品。
なんだけど、だいたいどの事件(作品)も、まずもって主人公は誰のことも具体的現実的に助けられない。救えずに終わります。
それだけなら、実は金田一耕助さんだってそんなもんなので、驚くには値しないんですが。
謎、ミステリーが、スッキリ解明されないまま終わっちゃいます。
いやあ、面白かったなあ、この本好きやなあ、と思って閉じたとして、ふっと考える。あの人が殺されたのはなんでなんだっけ。あそこで逃げ出したのはなぜなんだっけ。エトセトラエトセトラ。
ぢゃあそれが傷であって欠陥であるかというと、そうでもなくて。
ぢぁあそれは作者が意図的に不条理と不可思議を織り交ぜて狙っているのかというとそういう感触もなくて。
なんとなく雰囲気でそうなっちゃって、ああ、まあそのままでいいや。なぜなら、小説としてそれで生きているからええんちゃう、みたいな。そのくらいの感じが面白いでしょう?という感じ。
ひどい場合は、途中からもう、何がなんだかわからなくなってくる混乱と難解。娯���探偵小説なんぢゃないの?と、いう、はみ出し味。
多くがハリウッドでその時代のメジャーな娯楽映画になっています。
撮影現場から映画監督が、作者のレイモンド・チャンドラーに電話して。
「中盤で運転手が殺されるけれど、犯人は結局誰なんですか?」
原作者の答えは明解で。
「私にも分からない」
村上春樹さんが、こよなく愛するわけです。
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「プレイバック」は1958年発表で、完成長編としてはこのシリーズ最後のものになります。
第1作は1939年で、作者は51歳くらい。「プレイバック」のときは69歳くらい。
歳月を感じさせる悠然たる淡く適当で素敵な語り口。どうでもいいことは、もうどうでもいいんだろうなあ、という一種の軽やかさが好きでした。
割りとチャンとした物語でした。
入り口は、隠したい過去を秘めた女性の尾行調査を、弁護士事務所から唐突に命じられたマーロウさん。
大元の依頼主が分からない、という気持ち悪さの中で、途中からはその女性のために動き出すマーロウさん。
とりあえず謎がわかりそうなキナ臭い人間たちの間をいつもどおり右往左往するマーロウさん。
いつも通り不意に現れる死体にやれやれなマーロウさん。
悪人ではなさそうな彼女の側に立って奮闘するマーロウさん。
なんだけど、肝心の彼女の身元もわからないから、よくよく考えるとぜんぜん効果的に貢献できていないマーロウさん。
歳をとったせいか(作者が)、ハードボイルドではあるのだけど、孤独だったり愛しあいたかったりっていう体温が割りとしっとりと文章から浮き出てくるマーロウさん。
いつも通り「○○みたいな」という喩えに超絶なセンスを発揮するマーロウさん。
なんとなく解決っぽいことになったけれど、よく考えると君はいなくても結果は変わらなかったんぢゃなかろうかマーロウさん。
(※一つくらい備忘しておくと、ヒロインは別の街で悪い夫を殺害したという嫌疑をかけられた。濡れ衣で無罪だった。でも夫の父が有力者で、どこまで逃げても悪い噂を流して破滅させてやると脅されていた)
へろへろに疲れて帰ってきた最終盤、シリーズの前作のヒロインから電話で唐突にプロポーズされるマーロウさん。
この「プレイバック」にはそこまで登場していない女性で、事件とも関わりがないから、前作を読んでなかったら、あるいは覚えてなかったら、読者は何がなんだかサッパリなのに、プロポーズにOKするマーロウさん。
いやあ、今作も実に面白かった。最高です。
お疲れ様でした、マーロウさん。
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マーロウさんのシリーズは二十歳前後くらいに清水俊二さんという方の翻訳で全部一度読んでいるので、翻訳は違いますが再読になります。そして、再読するたびに思うのですが、面白かった記憶があるのに、物語は念入りに洗車されたボディのようにきれいに忘れ去っています。今回も、再読とは思えない愉しみでした。
面白い小説、好みの翻訳。パチパチ。
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村上春樹によるレイモンド・チャンドラーの「私立探偵フィリップ・マーロウ」シリーズの翻訳第6弾。
ある女の尾行を依頼されたフィリップ・マーロウは、女を追って列車で富裕層の住む町へたどり着くが、女の正体はよくわからず、女をゆすっていたと思われる謎の男など、次第に死人が発生する。依頼人の意に背き、女を新たな依頼人として、彼女を助けようとするマーロウだが、依然としてそこには謎が多く、死人は増えるばかり。
今作は世間的な評価はあまり高くないようだが、マーロウのシニカルなユーモアは他作品に比べてかなり饒舌に描かれている気がする。チャンドラーの作品の魅力はもちろんミステリーとしてのプロットのスリリングさや、多面性を持つ登場人物の造形などもそうだが、やはり極めて魅力的な主人公フィリップ・マーロウの語り口が大きいと感じる。
”「ねえ、よくお聞きなさい。あなたは仕事をするために雇われているのよ。うまく仕事を片づけた方がいいわよ。クライド・アムニーはこの街にたくさんの水脈を持っているんだから」
「いったい誰が水なんてものを必要とするんだい、ビューティフル?私はストレートでやるし、チェイサーはビールで済ませる。そしてその気にさせてくれれば、もっと美しい音楽を奏でるかもしれない」”
(本書p23より引用)
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朝の六時半、男の家に電話がかかってくる。男は私立探偵。弁護士から仕事の依頼だった。八時に到着する列車から女を探し、宿泊先を突き止め、報告せよというのだ。ディオールで身を固めた秘書から小切手と女の写真その他を受け取り、駅に向かう。女は駅で別の男と待ち合わせをしていた。探偵の眼には女は男に強請られているように見えた。何かを書いた紙を手渡すと男は車で去り、女は列車に乗った。探偵は終着駅で降りた女の後をつける。
おとなしく依頼人のいうことを聞いていればいいのに、いつもの詮索好きが高じてトラブルの渦中に巻き込まれるのが、この探偵の悪い癖。金のためだけに探偵稼業をやっているわけではないからだ。男の名はフィリップ・マーロウ。女は何か訳ありの様子。困っているなら力になるが、訳を聞きたい、と自分の身許を明かしてしまう。深夜、その女ベティがマーロウの部屋を訪れ、自分の部屋のバルコニーに男の死体がある。始末してくれたら金を払うと持ち出す。
現場に行ってみると、死体は影も形もなくなっている。睡眠薬で眠ってしまったベティを部屋に残し、マーロウは聞き込みに回る。夜間の駐車係が、その男ならホテルの支払いを済ませて出ていったと証言する。消えた死体の代わりにマーロウが見つけたのは、自分の家で首を吊って死んでいる駐車係の死体だった。マーロウとベティの周りには、消えた男の後を追う、カンザスから来た私立探偵が煩くつきまとい、謎は深まるばかり。大金を所持した女は何者で、消えた男の握る女の秘密とはいったい何なのか?
私立探偵フィリップ・マーロウの活躍を描くシリーズ第六作。次作の『プードル・スプリングス物語』は未完(続きを書いたのはロバート・B・パーカー)に終わったから、チャンドラーによるマーロウ物としては遺作になる。その割には評価は低い。たしかに、事件自体が地味で、舞台となる土地もロサンジェルスではなく、南に百六十キロほど離れたサン・ディエゴ市の一部、エスメラルダという富裕層が暮らす海辺の町。
引退した老人たちが、持て余した老後の日々を暮らす海浜ホテルが舞台とあっては、緊迫感が薄く、おまけに首つり死体はあるが、事件の鍵を握る肝心の強請り屋の死体がいつまでたっても出てこない。それに、相変わらず後頭部をしたたかに殴られたりはするものの、地元警察はやけに協力的で署長もなかなかの人物と来ては、さしものマーロウも突っ張りようがない。海岸の保養地には土地開発をたくらむ悪人やギャングたちの陰もなく、マーロウが対峙する巨悪というものが存在しない。
これが出版された時、チャンドラーは七十歳。愛妻シシーを亡くし、さすがのチャンドラーも気落ちし、酒浸りであったらしい。そのせいか、最初からマーロウは「お若いの」と呼びかける依頼人に、電話口で「すみませんね、ミスタ・アムニー。しかし私はもう若くはありません。年を取っていて、疲れていて、コーヒーもまだ飲んでいない」とぼやく始末。青年期のマーロウの突っ張りを懐かしく思っても、無理というもの。どんなヒーローだって年を取る。それは仕方のないことだと思う。
でもあろうが、相変わらず減らず口をきき、突拍子もない比喩��まき散らすマーロウの口ばっかりは達者なものだが、肝心の気構えのほうはどこへやってしまったのか。訳者もあとがきで書いているように、この作品には、人口に膾炙した、あの有名な「タフでなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない」という決め台詞があるというのに。いつになく、マーロウは女に対してガードが低い。ディオールを着た秘書とベッドインしたり、依頼人となったベティと関係を持ったり、その辺にごろごろしているハード・ボイルド小説の探偵みたいなやわな身振りを露呈する。
例の台詞、原文は<If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.>。訳者による直訳は「冷徹な心なくしては生きてこられなかっただろう。(しかし時に応じて)優しくなれないようなら、生きるには値しない」となる。それなのに、今回のマーロウは、なぜか惰弱な心を相手に見せる。一度しか相手にしない女と寝ることが「優しい」ことだとでも思っているのだろうか。そこを厳しく律してこその「優しさ」ではないのか。少なくとも、これまでのマーロウなら、瘦せ我慢していたところだ。
これが年をとるということなら、やはりヒーローには年をとってほしくなかった。体力的に衰えるのは仕方がない。推理力や直観力に若い時ほどの冴えがなくても我慢する。それでも、こんなに自分の欲望にやすやす屈するマーロウは、やはり「らしく」ない。映画のシナリオとして書かれた同名の作品を小説化したもので、もともとのシナリオはマーロウが主人公ではなかった。それが原因なのかもしれない。あるいは、次作『プードル・スプリングス物語』で、あの『ロング・グッドバイ』のリンダ・ローリングと結婚させる布石だったのだろうか。
そういえば、マーロウに親切なロッジで働く恋人たちは作品の中で愛を育み、見事ゴールインするし、探偵顔負けの観察力を見せる上流階級出身の老人も、同じホテルに住む女性との結婚を見越している。かつては汚れた街を行く孤独な騎士だったマーロウも、とうとう年貢の納め時が来たのか。年をとり、疲れた騎士は馬を下り、想い人の胸にやすらいを求めるのか。プロットはいささか弱く、ひねりもない。けれども、地味で小粒ながらチャンドラー流の文章は充分味わうことができる。これで村上訳のマーロウもすでに六作。後は『湖中の女』を残すのみだ。愉しみはまだ残されていると思うことでよしとしよう。
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If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
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ハルキはハルキでも、私はハルキ訳の方。
レイモンド・チャンドラーの「プレイバック」です。
昨年12月に出ていたのですね。
たまたま紹介されて知り、久々にマーロウ節に浸ろうかと購入した次第。
訳者あとがきで村上春樹は拘泥することをいましめていましたが、やはり、あの名台詞を春樹がどう訳したのかは気になるところ。
「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」
チャンドラーを知らなくても、この台詞は知っているという人は多いに違いない。
で、春樹訳はというと…。
ご自身の目でお確かめください。
まあ、無難に訳したかな、という感じです。
「プレイバック」は、いわゆるマーロウものの長篇で、チャンドラーの遺作となった作品。
話の筋は、それほど複雑ではありません。
弁護士から依頼を受けたマーロウが女を尾行しますが、女の周りには不審な男が付きまとっています。
不審な男はホテルのバルコニーで死んでいると女が言うので、マーロウが見に行きますが、そこに死体はない。
そこから話は展開し…と、まあ、そんなお話(どんな話や)。
たしかにストーリーも重要ですが、やっぱり機知に富む会話というか、マーロウの減らず口が楽しい。
たとえば、私立探偵のゴーブルとのやり取り。
ゴーブルが言います。
「なめた口をきくんじゃないよ。おれはけっこういらつきやすいんでね」
これに対してマーロウはこう反応します。
「面白い。いらついたところを見たいものだ。いったい何をするのかな。髭でも噛むのかい?」
「髭なんてはやしちゃいないぜ、この間抜け」
「はやせばいいじゃないか。待っててやるから」
思わず口笛が出そうになりますね。
先に触れた不審な男がホテルのバルコニーで死んでいると、尾行対象の女が告げるシーン。
女が言います。
「ええ、そう、彼は左利きだったわ。あなたの言うとおりよ。でも自殺であるわけはない。あのにやにや笑いの、自己満足の男に限ってはね」
これに対してマーロウはこう言います。
「ときとして人は自分がもっとも愛するものを殺すものだ。そう言われている。それが自分自身であるということはないだろうか?」
このアイロニーの利いた言い回し、村上春樹もよく使いますよね。
全篇、こんな気の利いた会話が散りばめられているのですから、面白くないわけはありません。
個人的には、後半の方にちょっとだけ登場する老紳士クラレンドンの哲学的な話が気に入りました。
あそこはこの作品のポイントのひとつと勝手に思っていますが、例によって誤読かもしれません。
あ、あと「常識」についてマーロウが独りごちた次の箇所。
これは「常識」について語っているようでいながら、実は、卑小な人間について語っています。
最後にこの箇所を引用して、筆を置きたいとぞ思ふ。
「しかし常識の声はいつもあとになってから届く。常識というのは、今週車をどこかにぶっつけた人に向かって『君は先週のうちにブレーキの調整をしておくべきだったね』と忠告するようなやつだ。常識というのは、自分がチームに加わ��ていたら、週末のゲームなんて楽勝だったのにと言う、月曜日のクォーターバックのようなやつだ。しかし彼がゲームに加わることは決してない。そいつはいつもポケットにウィスキー瓶を入れ、スタンドの高いところに陣取っている。常識というのは、決して計算間違いなぞしない、グレーの背広を着たちっぽけな男だ。しかしその男が計算しているのは常に他人の金だ」
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少しハード感がかけたマーロウのような気がするが、相変わらずセリフの端々がかっこいい。登場人物も一癖も二癖もある人ばかりだ。
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シブい大人の世界。
照明を落とした柔らかい光の中で、お酒を飲みながらゆったりと読むと、入り込んじゃう感じですね。
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久しぶりのレイモンド・チャンドラー。そしてフィリップ・マーロウの村上春樹訳。やっぱり甘いが、いつもより手こずっているマーロウは、良かった。知りたいことを知ることの楽しさを、手の届かないことで表現してあって、意外と惹きこまれた。
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村上春樹訳の6冊目。
軽んじられて、擁護されて。それは月日を経てきたものにしか与えられないことだな、と思う。
むかしのミステリーに求められないものがある、そんなことは関係ないという人もいる。
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今回の依頼は、ある女性が汽車から降りてどこに消えるか報告するもの。何故尾行するのか知らされない。そこで依頼以上に女性に接近するマーロウ。今回は、かの有名なセリフといい、やけにすんなり関係を持つね。
だいぶ修飾的な文にも慣れてきた。読み終えてみればシンプルな事件だ。しかしマーロウの魅力って何なのかな。物語世界は男性視点ではあるのだが・・ マーロウの女性に対する態度が割と同等に見えるからか。
あのセリフはやはり生島治郎のがいいかな。
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列車で到着するという若い女の尾行を依頼された私立探偵フィリップ・マーロウ。依頼主の高圧的な態度に苛立ちながらも駅に出向くと、彼女には不審な男がまとわりつき…。「私立探偵フィリップ・マーロウ」シリーズの新訳。
あの「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ…」を村上春樹がどう訳したかというミーハー的な興味だけで読んでみた。感想は「どうってことないかな」。むしろ村上があとがきに書いたチャンドラー評の方が印象的だった。
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原尞の小説を読み尽くしてしまったので、原尞が影響を受けたというレイモンド・チャンドラーに手を出したという次第だ。はっきり言って、期待外れもいいところだ。物語の作りもつまらないし、惹きつけられる場面もない。拍子抜けの事件だしね。村上春樹の翻訳もなんだか統一感のない分かりにくいこなれていないものだ。「彼女をピックアップして」だって?ちゃんと日本語にしろよな。「タフ」というカタカナも頻発していて、鬱陶しい。あの有名なセリフ「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」も、確かに小説の中では浮いているなあ。出てくるさまざまな人物模様は楽しめるところがあった。原尞の小説のほうがはっきり、きっぱりと言うが、面白い。
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読んだ時間返して感が強い作品。これまでのマーロウらしさがあまりなくなっている。
あのセリフ好きな人が自分の周りに1人いるけれど、この本のこういう場面だったとは知らないだろうな。知っていたら逆に引用するの結構恥ずかしいと思う。
ヘリコプターでも使ったんだろう、て…
ミステリー作家の最後の作品は力なく終わると言うのが定番なのかもしれない。それだけ作品を生み出すのに創作エネルギーや集中力がいると言うことか。
危険な仕事、暴力にさらされてボロボロのマーロウ、このままの生活を続けるのはキツいので、富豪の娘のリンダ・ローリングと結婚、という出口を設定したのかな。彼にはアン・リオーダンが一番ぴったりと思う(短編の最後の作品では彼女が登場する)し、同じ「妹よりましな姉」なら他の2作の方がリンダよりキャラクターが立っていて面白かったのに。
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世間では不人気?なようですが、私は一連のフィリップ・マーロウのシリーズとして楽しめました。
『ロング・グッドバイ』の余韻に浸ったまま読んだので、最後は少し嬉しかった。
『ロング・グッドバイ』ほど長くないので、読みやすいです。
バーやオシャレな図書室とかで読みたいです。
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死ぬ前に読みたいレイモンド・チャンドラーとして作成したブックリストの最後の3冊目『プレイバック』です
結論から言うと読まずに死んでも良かったかなw
むしろ読まずにいたほうがなんか憧れを抱いたままで良かったような
パンドラの箱を開けたら中には特になにも入ってなかった、みたいなね
そして結局フィリップ・マーロウについては頭のおかしい大男としか思えなかった
はたして何がかっこいいんだろう?
もちろんかっこいいと思う方たちを否定はしませんよ
そしてそしてあの超々有名な決めセリフ「タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく資格がない」ももっとかっこいい場面でビシッと決めたのかと思ってたらそうでもないし
しかも村上春樹さんだいぶ違う言い回しで訳してるし(ネタバレ防止)
いいじゃんそこは!そんな自分の色出さなくなくても!もともとの言い回しの方がキャッチーでいいじゃん!(もともとを言ったら原書に近いのは村上訳らしいが)
ということでハードボイルドへの憧れがだいぶ減少傾向のひまわりめろんでした
次のブックリストは江戸川乱歩だ!
これは間違いないので安心だ!