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紙の本
汚れちまった悲しみに
2012/01/07 08:59
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「純」という漢字の持つ清潔感が好きだ。
純白、清純、純粋。純情・・・。いずれも何も混じりこまない、汚れていない感じ。
それが、いい。
「純」という「百年文庫」96巻めに収められた短編三作のうち、高村光太郎が人生の後半期に居住した岩手の山の中の暮らしを綴った随筆『山の雪』に書きとめられているように、「雪がつもるとどちらも見てもまっしろな雪ばかりになり、人っこひとり見えない」、そんな世界が「純」にはある。
それがいつのまにか社会の垢に汚れていく。それはそれで仕方がないのだが、「純」にあこがれる気持ちは誰にもある。そのことを、いつまでも大切にしたい。
この巻には高村光太郎の作品のほかに、武者小路実篤の『馬鹿一』、宇野千代の『八重山の雪』の三作が収められている。
武者小路実篤の『馬鹿一』は、有名な短編だ。以前は教科書や副本で紹介されていたのではないだろうか。中学生ぐらいの頃読んだことがあるが、こんなにも短い作品だったのか。
草や石の絵や詩を書いて周囲から馬鹿にされる一人の青年。周りの人々は彼に自分の馬鹿ぶりを認めさせようとするのだが、純粋な馬鹿一は馬鹿にされていることにも気づかない。どころか、自分を馬鹿にする周囲の人間こそ「自己に徹していない」という。
これは、有名なソクラテスの「無知の知」と同じだ。
つまり、「人は真理のすべてを知らないということを知っている」ということだ。だから、馬鹿一のいうように「世間の人は自分の馬鹿に気がついていない」ということになる。
短いながらも、深く考えさせられる物語だ。
高村光太郎の『山の雪』はページ数にしてわずか11ページの文章。それでいて山の冬の生活を見事に描写している。文章を書く訓練になるような一篇である。
最後は、宇野千代の『八重山の雪』。宇野千代は晩年多くのファンをひきつけてやまない作家となったが、この作品は1975年の作品。
時代は戦後。偶然に英国兵と出逢ったはる子という女性の数奇な運命を描く作品。はる子に想いを寄せる駐屯兵のジョージは誘拐するように彼女をうばいさる。そんなジョージにひきずられるようにはる子は山間の家に隠れ住むのだが、やがて見つかり、親元に連れ戻されてしまう。それでも、未練の尽きないジョージは隊を脱走してまで、はる子のもとへ。
この作品の「純」なのは、はる子を恋い慕うジョージなのか、それとも彼を愛し、子供までもうけたはる子なのか。
人の心を信じること、それを「純」というのだろうか。