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「昭和」という国家 みんなのレビュー

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みんなのレビュー15件

みんなの評価4.2

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15 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

司馬さんの作家としての原点

2007/06/06 23:19

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 司馬遼太郎の本ははじめてかもしれない。「昭和という国家」という題名に惹かれて、読んでみた。NHKの番組を、後に本にしたものだそうな。シーンの中で、ためらったり、しぼり出すようにして発言したり・・・整理し切れていない、でも、今言わなくては、という思いだったのだろう。
 司馬さんの原点は、敗戦のショック。
 「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう」「昔の日本人は、もう少しましだったのではないかということが、のちに私の日本史への関心になったわけですね」
 たくさんの本をお書きになった司馬さん、書きたかったけれど書けなかったのが、ノモンハン事件。
「日本軍の死傷率は75%にものぼりました。引くも進むもなく75%が死に傷つきました。死傷率75%というのは世界の戦史にないのではないでしょうか。よくぞそこまで国民教育をしたものだと思います。ふつうヨーロッパのルールでは、30%の死傷者が出れば、将軍は上の命令なくして退却してもいいようですね。
 そういうこともせずに75%ですから、実感としてはほとんど全滅している感じであります。そういう戦争をやった2年後に太平洋戦争をやった。ちゃんとした常識のある国家運営者の考えることでは全くありません。」
 国というものをバクチ場の賭けの対象にするひとびとが、滑稽な意味での勇ましい人間が愛国者を気取っていた。魔法の森の魔法使いに魔法をかけられてしまったように、と言う司馬さんはその「魔法の杖」を明治憲法の「統帥権」としています。ココまでわかっているのに、天皇の戦争責任は追求しようとはしない。甘いなぁ。人が好き、人がいいのだろう。だから、いい小説が書けたとも言える。
政治家でも、歴史家でもない。右でも左でもない人がこういう番組に出た。昭和を語った、というのは、それなりに危機感を感じたから・・・
 陸軍の用語は数は多いが「空虚」で「リアリズム」が無かったと言っています。そして、今の時代、偏差値だけを問題にする勉強というものに、将来を案じています。
 明治維新は混乱はあったけれど、みんな偉かったと思うよ。武士の総失業。それを乗り越えたのは、「自分たちの国を植民地にしたくない」という一心。それで一生懸命欧米の文化を取り入れた。そして、自分も植民地を造っちゃった。アジア人を蔑視。蔑視をすれば侵略も虐殺も簡単にできちゃう。いけないねぇ。
 司馬さんの「自己解剖の勇気」が日本軍にはなかったという話の中に、孫文の講演があります。西欧の文明は武器であり、東洋の文明は王道だという。王道主義というのはせめぎあわないこと。どっちをとるかは、あなたたち日本人がお決めなさることです、と。
 この本のよさは、司馬さんが日本のおかしなところ、大事にしたいところをとつとつと語っている所。そして、「感想」で田中彰さんが、司馬さんの話を他の本も含め、詳しく解読。さらに「大国主義」「小国主義」を対比させて、明治から戦争、そして憲法改正(悪)が叫ばれている現在まで、客観的に自説を展開。「司馬さんの敗戦体験から発する氏の歴史観の原点を故意に無視し、司馬作品の中の片言隻句を自らの主張の中に拡大し、国民的作家・司馬遼太郎の人気にあやかって自説の正当化を図ろうとする人々と、司馬さんとは全く無関係である。
 本書の司馬さんの「雑談」の復元からもわかるように、ためらいつつ、苦渋に満ち満ちた発言の奥底にある、司馬さんの歴史批判、国家批判の目は、彼らにはまったくないからである。」
 NHKをちょっと見直した。

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紙の本

満州事変以降、日本は占領されていたのではないか。発想された政策、戦略、国内の締めつけなど全部いびつなものだった−−司馬遼太郎が小説で書かなかったかわりに語った昭和という「魔法の森」の時代。

2001/07/30 15:42

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 2001年7月28日の日経新聞にはさまっていた別刷「NIKEIプラス1」の何でもランキングという記事に、<夏休みに読みたい日本の作家>というアンケート結果があった。日経産業消費研究所調べで、首都圏・近畿圏に住む20代〜60代の男女700人が対象。
 2位の松本清張、3位の遠藤周作を押さえて、司馬遼太郎が1位。『坂の上の雲』『竜馬がいく』といった時代小説なのか、『街道をいく』のような紀行エッセイなのか、『この国のかたち』のような文明批評なのか内訳ははっきりしない。

 でも、バタバタとした日常を送っているから、まとまって休めるときぐらい、長いスパン、広い視野で大きく物を考えてみたいという気持ちがそこにあるのではないか。としたとき、司馬遼太郎のダイナミックな視座で書かれた著作を手にしたいというという心の流れはよくわかる気がする。私も同感だからだ。
 おびただしい司馬遼太郎の著作のなかで何を読むべきか−−人それぞれに求めるジャンルが違うと思うけれど、大作と一緒に本書を併せ読むといいのではないかと思う。
 1986年5月、7月、10月と1987年2月の計12回にわたってNHKで放映された<雑談「昭和」への道>の講演の単行本化。最初の章に、司馬さんの歴史の興味の原点が明らかにされている。

 いったい日本とは何だろうということを最初に考えさせられたのは、ノモンハン事件だったという。こんなばかな戦争をする国は世界中にもないと、中学生だった司馬さんは思った。
 ふつう30パーセントの死傷者が出れば、将軍は上の命令なくして退却可というのがヨーロッパのルール。時代遅れの古い兵器しか持たず、あるのは大和魂だけだった日本軍はノモンハンで75パーセントの死傷者を出したという。
 そのあとに続いたのが太平洋戦争だったのだ。ちゃんとした常識のある国家運営者の考えることではないと言う司馬さんは、満州の関東軍で戦車隊に参加した。敗戦の年、22歳。

 日本という国の森に、大正末年、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいて、その森全体を魔法の森にしてしまったのではないかという指摘が印象強い。
 この魔法の森の謎を解く鍵をつくりたいと40年間昭和について考え、それを小説家として小説の形で書くべきと思ったが、小説という風呂敷で包めるテーマではないと判断した。

 福沢諭吉の「脱亜入欧」をひいて、司馬さんなりのアジア論も展開されている。中国のことを考えるときは中国人になったつもり、朝鮮が対象なら朝鮮人になったつもりで物を見ていた司馬さんは、外国人の友人に<トランス・ネーション>と言われていたことを喜んでいる。
 今の教科書問題を、この方ならどう捉えたであろうか。

 人間の命とも言える言語を、実感や実体がないまま空疎に使って軍が日本を支配したことの功罪、江戸時代から職人の技術を尊ぶ国であったはずの日本が日露戦争以後、技術崇拝をどこかに置いたまま帝国主義に走ったことの不思議、ヨーロッパの近代を買い続けて江戸期の合理主義思想を捨てたことの不幸、明治憲法の上に作り上げられてしまった<統帥権>というものの招いた悲惨な結果などが次々に語られる。
 他人事としてではなく、自分の痛みを伴いながら、この国の行く末を最期まで心配していた美しい人の思索の記録である。

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紙の本

歴史家と小説家

2007/10/27 02:50

9人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

司馬遼太郎は偉大である。とりわけ、坂の上の雲の功績は、日本という国家が永続する限り光沢を失うものではない。全共闘の敗戦史観が闇のようにこの国を覆う中、日露戦争の記憶は昭和に勇気と活力を復活させる大きな要素の一つとなった。
 しかし、小説家としての偉大さは、歴史家としての偉大さを必ずしも意味しない。司馬遼太郎が大嫌いという人がたまにいる。そして、この偉大な作家に何を言うかと思う向きもあろうが、よくよく話を聞くと、原因は本書に見られる司馬先生の無用な主観の介入にあるらしい。特に、ノモンハン事件や太平洋戦争をめぐる著者の意見は、少なくとも史料「分析」という観点からは拙さの極みである。
 また、アジアに対するある種のサウダージ(郷愁)が邪魔をして、当時の時代がいかなるものであったかを見る目を曇らせているように思われる。これは「韓の国」を語るくだりからよく看守できる。また、たとえば、太平洋戦争に突入する暴挙を昭和の闇として陸軍に帰責せしめるわけだが、それは内部的要因としてあったことは間違いない。しかし、上層部はそうであったか、東条英機の思想はどうであったか。まあ、それにしても陸軍の憲法無視の論理は糾弾されて当然過ぎる。
 だが、内部的要因の他に、外部的要因も強く存在したことを忘れた知らぬでは通らない。どう考えても、アメリカは日本との戦争は30年前から綿密に計算していた。日英同盟を破棄させる為に蠢動して回ったのは、英国を敵に回さぬためである。それが結実したのが、1922年。その後さらに20年後に戦争なのであるから、綿密さに念がはいっている。
 アメリカは日本が中国に権益を持つことがハリマンの満鉄共同経営案破棄以来、許せなかったのである。では、日本が中国権益を放棄すべきだったのか。確かにハルノートを見てもわかるとおり、そうすればアメリカは許したかもしれない。しかし、そこで歴史学の基本である「今の価値基準で計ってはいけない」という概念が出てくる。当時、帝国主義時代に、ましてや石油が全くない日本に放棄など絶対に不可能である。下手をすれば、日本人は餓死である。現に食料も燃料も足りなかった。ブラジル移民を見れば雰囲気がわかるだろう。
 要するに、白人は結局、黄色人である日本人が植民地を持つことが我慢ならなかったのである。これに尽きる。それ以外、日本だけを締め出そうとする事実を説明できない。
 また、当時の史料をそのまま信じるのは危険極まる。連合軍の策謀、コミンテルンの策謀、それはもうさまざまな陰謀が日本の知らぬ間に散りばめられていたのである。
 本書から懸念さるべきは、アジア妄信主義が再び台頭するのではないかということである。アジアに頼るべき国があるのか。中国は話にならず、韓国は信用ならない。他の国は同胞としては小さすぎる。結局いま、日本が安全であり続けるには、日米同盟を保持し、何事にも米国とよく協議し、決して日米離間策に乗らぬこと。これに尽きる。昭和が教えてくれた最大の教訓は、「外交の誤りは国を滅ぼす」という戒めである。島国日本は太平洋戦争をみてもわかるとおり、外交失策が最大の滅亡因子なのである。
 そこにサウダージは無用。アジアへの郷愁は危険な因子である。冷徹な論理だけが必要であり、明治時代の偉人陸奥宗光が徹頭徹尾日英同盟締結に動いた哲学を今我々は学ぶべきではないか。福沢諭吉の脱亜論というのは一見暴論に見えるが、諭吉のアジアの「情けなさ」に対する冷徹な判断力がこの国を正しい方向に導いたのである。1万円札に乗るだけの価値があるまさに先生というに足る人といってよい。
 ノモンハン事件の死亡率は恐ろしい。しかし、どうもそういうことを近くで観察していたからこそ若干表現にも精彩を欠くし、何とも眉をひそめる無用な誇大表現も多い。それは小説であって、分析ではない。司馬氏が最も批判する陸軍の報告文書がまさにそれで、状況報告が誇大表現に満ちた小説だったのである。それも国を誤らせる一因であったろう。ならば、国民的小説家の筆が国を誤らせる事もないわけではなかろう。
 歴史家と小説家とはその意味で交わってはいけない水と油なのかもしれない。

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自己を絶対化することで国を誤っていた

2009/10/29 20:04

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る

この秋からNHKテレビで『坂の上の雲』が放映されるそうだ。本書の増刷はこの放映時期にタイミングを合わせたものであろう。司馬遼太郎は生前、『坂の上の雲』を映画とかテレビとかの視覚的なものに翻訳されたくないと言っていた。ミリタリズムを鼓吹しているのではないかという誤解を懸念していたのである。

日本はなぜ「昭和」という破滅への道を歩んだのか、という疑問を司馬遼太郎は戦後40年ずっと考え続けてきたという。最初に考えさせられたのは、昭和14年のノモンハン事件であったという。日本という国を、昭和元年ぐらいから敗戦まで、魔法使いが杖をポンとたたいたように、その国全体を魔法の森にしてしまった。魔法の森からノモンハンが現れ、中国侵略も太平洋戦争も現れた。

参謀本部という組織が国家の中枢に居すわった。この仕組みは、さかのぼれば、日露戦争の勝利が始まりのときであった。ここから日本はいわゆる帝国主義の道を歩み始めたのだ。
日本国民は日露戦争に完全に勝ったと思っていた。だからロシアからたくさん金を取れ領地を取れといった。日比谷公園に集まった群衆はほうぼうに火をつけたりした。この群衆こそが日本を誤らせたのではないかと、司馬は言う。日比谷公園の群衆は日本の近代を大きく曲げていくスタートになったと。

軍部および政府は日比谷公園で沸騰している群衆と同じように――戦争の状況を全部知っているにもかかわらず――不正直に群衆のほうにピントを合わせる。もしそのとき、勇気のあるジャーナリズムが日露戦争の実態を語っていればと思う。満洲の戦場では、砲弾もなくなっていた。これ以上戦争が続けば自滅するだろうという、きわどさだったのだ、と。正直に書かれれば、日本はその程度の国なんだということを、国民は認識しただろう。

日本のジャーナリズムは、自国を解剖する勇気を持っていたか。日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝ったのだということを、冷静に客観視して、自分を絶対化せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思う。そういうレベルの言論があれば、太平洋戦争は起こらなかっただろう。日本軍は満州事変以後、自己を絶対化することによって国を誤っていったのだ。

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2004/10/11 19:04

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