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紙の本

デカルトがほんとうに考えていたこと

2003/06/08 19:14

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 序章でいきなり、本書はデカルトと私(齋藤)が交わした対話の記録だ、対話とは「死んだあなた」と「死んだ私」の間に交わされるもので、「死んだもの」が再び、いやはじめて姿を現わすこと(主題の復活)でもって対話の空間は開かれるのだ、と書いてある。これはデカルトが書き残した書物を読むこと、いや書かれたものを読むこと一般の比喩のように見えるが、そうではない。実はそれこそが、方法的懐疑の極点に立ったデカルトがほんとうに考えていたこと、「私」と「神」が一つに収斂していく次元を証しする言葉なのである。

 まず、「絶対に疑いえないもの」としてデカルトが見いだした「私」について(第一章)。デカルトの「思考する私」とは、それを通して、そこにおいて、ものが見える「媒体」として機能するもの、すなわち「「見えること」そのことであるような何か、それ自身が「思考すること」そのことであるような事態」を言うものであった。しかし、方法的懐疑の極限においては、そのような「思考=私」そのものもまた欺かれている可能性がある。だがそれがどういう事態なのかは、もはや「私=思考」には理解できない。そうした思考不可能なものに直面した「私」、つまり思考の限界に立ち尽くす「思考」が紡ぐ言葉は祈りの言葉に似ている、と斎藤氏は言う。

 次に、「思われたもの」(観念)の起源、つまり「思うこと」の外部の可能性について(第二章)。斎藤氏は、デカルトが与えた三つの神の存在証明のうち、神の無限性に基づくもの──「私」という有限性の内に「無限」なる神の観念が与えられているとすれば、そのような無限は有限な「私」のどこを探しても見当たらない以上、「私」の外にその「起源」を有することは明らかであり、したがって「無限」なるもの(「神」)が「私」の外に存在する──に着目して、次のように書いている。

《ここでデカルトは、観念から外部を推論しているのではない。そうではなく、「思うこと」が一個の全体として存立していることを見て取ることそのことが、「無限」が痕跡としてその「思うこと」に「触れて」いることなのだ。「思うこと」の端的な存立(これが第一章で明らかにした「われ思う」の「われ」すなわち「私」の内実だった)と、そこに「無限」が「触れて」いることとは、コインの両面のように切り離しえないのであり、両者は同じひとつのことなのである。》

 こうして「私」と「神」は一つの主題となった。斎藤氏によれば、それは「よき生」をめざす徹底したエゴイスト(私)のみが世界の外部という絶対的な他者(神)に直面する次元を開いていくことと重なっている。そこにおいて「思うこと」は、死んだもの=ありえないもの=存在ですらないものへ向けて祈りの言葉を差し出すこと(死者との対話)、つまり「愛すること」と同義であると斎藤氏は結論づけるのだが、この「エゴイストの愛」をめぐるデカルト=齋藤の思考が十全に展開されることはない。

 ──本書では示唆されるにとどまった主題について、たとえば永井均著『倫理とは何か』で展開される「エゴイストの愛」をめぐる議論と接続させてみると面白い。永井氏はそこで、デカルトに由来する「私」の二つの存在様態(独我論者とエゴイスト)に即した「語り方」の構造上の同型性(独我論やエゴイズムが真理であるとしても、だれもが独我論者やエゴイストであるべきだと主張することはできない)は世界の存在構造に基づくものであるとした上で、語りえぬこと(思考の限界)については黙ってやるしかないと、猫のアインジヒトに言わせている(ここには「神」も「祈り」も出てこない)。

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2006/02/03 16:29

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