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紙の本
「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む
2011/05/04 12:58
27人中、24人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島第一の「原発事故」の処理に際して、放射能汚染水を地域住民にも国際社会にもいっさい説明することもなく、垂れ流しの決定を行った日本政府。このことを知ってただちに思い出したのは「水俣病」のことであり、『苦海浄土』のことである。
今回の「人災」を機会に、ずいぶん前に買って本棚に入れておきながら、背表紙を眺めるだけで、読まないままになっていた文庫本を読み始めた。
水俣病とは、チッソが海に流した廃液にふくまれたメチル水銀が食物連鎖のなかで魚介類に蓄積し、それを日常的に食べていた漁民を中心に引き起こされた公害病のことである。1956年に公式に確認された水俣の悲劇は世界中に知れ渡り、水俣はミナマタとなった。ネコが踊り狂うモノクロの映像は目に焼き付いている。
この本は、「公害事件」を目の当たりにした、その土地に生まれ育って生きてきた一人の女性で、主婦で、詩人の手になる作品である。「公害」発生前の美しい海と、「公害」発生後の汚れた海から目をそらすことなく、被害にあった漁民たちにきわめて近いところで寄り添い、声になった怒り、声にならぬ魂の叫びを、著者の肉体と精神というフィルターをとおして文字にした文章を集めて一書にしたものだ。
あくまでも私小説なのであり、土地の方言を生かした語り口は、けっして読みやすいものではない。『苦海浄土』の「苦海」(くかい)とは、生き地獄を意味する「苦界」(くがい)に掛けたものだろう。だが、その「苦海」と「浄土」が結びつくとき、いったい何を意味しているのか?
福島に第一原発と第二原発をもつ東京電力と周辺住民の関係は、熊本県水俣に肥料工場を建設したチッソ(=新日本窒素肥料株式会社)と周辺住民の関係とよく似ている。メチル水銀のまじった汚染水と放射能をふくむ汚染水という違いはあるが、漁場が汚染されたという事実だけでなく、致命的な事故が発生するまでは東電もチッソも地域にカネを落とし、雇用を作り出した恩恵者であったことが共通しているのだ。環境汚染企業と周辺地域住民との関係は、アンビバレントなものであり、「企業城下町」や「原発城下町」という性格を知ることなしに、汚染水問題を論じることの難しさもまた知ることになる。
この国は、近代に入ってから足尾銅山、カネミ油症、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件と、枚挙に暇(いとま)のないほど、数々の「公害事件」を引き起こしてきた。いま現在フクシマで起こっているアクチュアルな事件を見つめながら、先行するミナマタを描いた小説を読む。こういう読み方は文学作品の読み方としては邪道かもしれないが、それでもこの『苦海浄土』を読むと、文学のチカラをあらためて感じることもできるのだ。
科学万能神話に疑問符がつきだしたいまこそ、詩人をはじめとする文学者への期待するものは大きい。今回の大地震、大津波、原発事故、風評被害という四重苦から、どんな文学作品が生まれてくることになるのだろうか?
紙の本
地球の呻き声
2016/10/31 20:29
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
水俣病の「公式」確認から60年過ぎた。特措法に基づく患者の認定申請は2012年に行政により締め切られたが、その後も新たな水俣病患者が発見されている。今なお水俣病は社会問題として厳然と存在しているのが現状だ。患者認定に期限を切って平気な人の感覚とは一体何なのか?さらには法的な措置としての金銭的・行政的な補償が、意図せず水俣病に罹った人たちの真の救済になっているのかという根源的な問いは消えることがない。一方、生存している水俣病患者も高齢化している。彼らがこの世から消えるのは時間の問題かもしれない。そして、この世から水俣病と認定されている患者の生存が確認されなくなったら、水俣病は解決した、と胸を張る人たちが現れるかもしれない。しかし、本当にそうなのか?
石牟礼道子は、代償としての「救済」から落ちこぼれてしまうものがあるのをみた。それが彼女を執筆に駆り立てている。陸に打ち上げられた一根の流木のようなぐあいで病院ベッドわきの床の上に仰向けに転がって、形容しがたいおめき声しか上げられない人たちに対して、どのようにコミュニケーションがとれるのか、と私などは途方に暮れるだろう。しかし、彼女は、本能あるいは脳の奥深くの古層で振動している部分で、彼らの言葉がわかるような気がした。例えば、漁婦・坂上ゆきのきき書きからは、石牟礼道子の筆から我々現代人にもわかる言葉として、それも詩のようなリズムのある日本語として、ゆき女の言葉を立ち上がらせた。ゆき女の言いたかったことは「(昔の)海の上はほんによかった」ということである。
ゆき女は、三つ子の頃から船の上で育ったので、誰よりも豊饒な漁場を知っていた。夫の茂平よりも、である。だから「うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で」の夫婦船。「エベスさまは女ごを乗せとる舟にゃ情けの深かちゅうでしょ」。タコ漁の情景はまるで遊びである。タコの入っている壺を舟に揚げ籠に収めると、タコは急いで逃げようとする。舟がひっくり返るくらいにバタバタと追いかけて再び籠に収めて、もうお前はうちの家の者だから、ちゃんと入っとれ、と諭すと、タコはよそむく目つきして、すねてあまえる。「わが食う魚にも海のものには煩悩のわく」。
入院してから、ゆき女は堕胎させられた。そのときの病院食には「お膳に、魚の一匹ついてきとったもん」。(本当のことだったかどうかわからない。しかし、石牟礼は、その言葉を聞きとった。)
石牟礼は、大学病院である患者の死亡解剖にたちあった。そのとき、ゆき女の声が聞こえてくる。「大学病院の医学部はおとろしか。ふとかマナ板のあるとじゃもん。人間ばこさえるマナ板のあっとばい」。「死ねばうちも解剖さすとよ」。「うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる」。
ゆき女が昔の海はよかった、と懐かしむ漁村風景を、我々も想像してみるがいい。小魚が網にかかったら、海にお返しする。魚は天のくれらすもので、人間の好きにしてよいものではない。真っ先に症状のあらわれた猫たちは、そんな漁村の港でおこぼれを待っていた共同体の一員だった。猫たちに救済措置はない。水俣病は人間だけの問題ではないのに。すべての生き物が連関している地球上で、その連環を迷うことなく断ち切る人間に対して、人間を生んだ地球自身がおめいている。石牟礼はそのおめき声をじっと聞いている。改稿版のあとがきに、この作品を誰よりも自分自身に語り聞かせる浄瑠璃ごときもの、と位置付けていることを告白している。地球の呻き声が再び高まれば、彼女は「決定稿」にも筆を入れるだろう。
紙の本
現実と幻想の間で
2016/06/04 23:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つよし - この投稿者のレビュー一覧を見る
傑作である。魂の奥深くから発せられる言葉、情念が絶妙な語りとともに紡ぎ出される。不知火海の幻想的な風景と、人々の素朴で豊かな暮らし。それが資本主義の象徴ともいうべき工場廃液によって残酷なまでに破壊され、凌辱されるだけに、なお一層、かけがえのない美しさ、はかなさを際立たせる。本作がフィクションなのか、ノンフィクションなのかはあまり問題ではない。水俣病に材を取った世界文学である。
紙の本
今も同じようなことが・・・
2015/12/19 21:13
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森のくまさんか? - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校の頃にも 本書を読書感想文で提出した記憶がある。
何か事件や事故に対する国等の態度は
今もほとんど変わっていないと思う。
当時も今も なぜか産業を優先する。
人々には それぞれの場所で 泣いたり笑ったり 楽しんだりする
権利があると思う。
しかし、現実には そうはいかない人たちもまだまだいる。
いつ読んでも 頭の中が真剣モードになります。
現在進行形の課題であると思います。
重い内容です。
でも もっとたくさんの人に読まれて欲しいです。
ページは分厚いが、文章は 比較的平易に書かれていて
分かりやすいと思います。
紙の本
公害病
2018/11/30 06:14
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高度成長とされる時代に切り捨てられた人々の問題を深く寄り添って描いた名作。この教訓は後々の世まで語り継がなければならない。