紙の本
うーん……。
2019/11/12 16:36
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投稿者:しろもふ - この投稿者のレビュー一覧を見る
完全に個人の見解ですけど、私はあまり好きではなかったです。
同じ著者で別の本も読んだことがありますが、それも「うーん……。」といった感じ。
何というか…… 共鳴しないんです。
想像を掻き立てる文が無いというか、全て著者の頭の中の映像をそっくりそのまま、なぞらされている気がしてしまう。
例えると漫画を読んでいるような感覚ですね。
既に出来上がっている世界をなぞっている。
私にも想像させてよって思ってしまいます。
読者に自由に想像させる部分のある小説が好きなので。
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昔大学生協で定価で購入後、妹に譲渡。
幸運にも、20歳の頃に初読。
数年後にもう一度再読しました。
二度目に読むと印象が違いました。
この話がすごいのか、自分が変わったのか。
また読もうかと思います。いや、そろそろ読む時期が巡ってきたのかな。
私にとってリトマス試験紙見たいな本です。
ほら、たまたま本の色も赤とミドリだし。
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明らかに恋愛小説ではない。少なくとも、恋愛がメインテーマではない。「何もかもが死を中心にして回転していた」(p49)。
そのなかで、最も気になるのが直子の父親の言葉。
「やはり血筋なのかなあ、俺の方の」(p265)
直子はそれを立ち聞きしている。その前に、彼女の姉が首を吊って死んでいて、それをじかにみている。そのあと、キズキが死ぬ。発狂しないのが不自然な流れだ。
村上春樹は巧みに、時系列をモザイクにする(これは得意な文章と構成のリズムか)ので、読み手はこの小説と十分に距離を置かないと何もことばにできない。とくに、自分の恋愛体験やら理想やらに重ねると作者の思う壺。このことは物語中でも言及されていて、「僕は直子について書いてみようと試みたことが何度かある」(p20)が、そのときは「一行たりとも書くことができなかっ」た。その書き手(語り手)であるワタナベは直子の思い出が他の物事と同じように消え去っていくまえに、物事をうまく理解するために、この物語を書いて、更には彼女を含めたその記憶全体を理解しようとしている(p12)。記憶が消え去っていこうとするまでそれについて書けないということは何を意味するのだろうか
※(村上春樹自身、創作について、「「俺はこれこれこういうものをこういう具合に書きたいのだ」という気持ちが強いと、いざ机に向かうと文章はなかなかうまく出てこないものである。それはあまりにも鮮やかでリアルな夢を、思い出しながら他人に説明するときの苛立ちに似ている。」と述べている(『やがて哀しき外国語』))。
だから、「こんな長いフレーズで会話しないよ」「スチュワーデス(CA)がこんなに都合よく話しかけてこないよ」ぐらいの距離を保ちながら、たとえばひとつの方法として、語り手でもあるワタナベという人物を比定しようとする方が、正確にこの物語を読めるはず。
「お前は俺がこれまで会った人間の中でいちばんまともな人間だよ」(p106)と永沢がワタナベを評する。語り手でもある"ワタナベ"は一体どんな人物か。「 東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと――それだけだった。」(p47)
ミドリやレイコに喋り方を指摘される(「きれいに壁土を塗ってるみたい」(p99)このときのミドリの指摘がはじめてだという(p101)。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」(p184))のを読み飛ばしがちだが、キーではないか。
また、中途挿入される永沢とガールハントするエピソードで、朝寮に帰るときに「自己嫌悪と幻滅を感じ」ながら、「頭はなんだか他の誰かの頭みたいに感じられる」…そうなのだ。ずっとワタナベは物語中、「他の誰か」でありつづけて、他者によって同定されるのだ。
別のエピソードでは、質問ばかりする女にうんざりして適当に答えてあしらう(「またそのうちどこかで会えるよ」(p81))見方によれば彼女は好意を抱いていたかもしれない(「「ねえ、もう会えないの?」と彼女は淋しそうに言った。」(p81))。彼女は実は最もワタナベに接近した女性ではないか。「あなたは誰なの?」と問うが、ワタナベはわからないし、わかろうとしない。わかりたくないのだ。それは、東京に出てきたときの彼の決心なのだ。そうしないと、彼は自分がキズキと同じ世界に引きずりこまれると感じていた。
それはあたかも、20歳の誕生日を直子の部屋で祝った時(p71)に直子がしゃべり続けた仕方に似ている。彼女は何かに触れるのを避けてしゃべり続ける。ここは具体的には描写されない。ここでワタナベが抽象的に指摘した直子の喋り方こそ、ワタナベ自身が含まれている物語の構図に近いのではないか。
「ふと気がついたとき、直子の話は既に終っていた。言葉のきれはしが、もぎとられたような格好で空中に浮かんでいた。精確に言えば彼女の話は終わったわけではなかった。どこかでふっときえてしまったのだ。」そして、「彼女はなんとか話しつづけようとしたが、そこにはもうなにもなかった。何かが損なわれてしまったのだ。」(p74)。これがこの物語の終わり方にもなるだろう。
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限りない喪失と再生を描く究極の恋愛小説!
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルク空港に着陸すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの『ノルウェイの森』が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳になろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱し、動揺していた。限りない喪失と再生を描き新境地を拓いた長編小説。
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初心者の私には難しかったのでしょうか。。。なんだか気持が沈んでいきそうな、哀しい気持ちになりました。
もう少し時間をおいてから読み返してみたいと思います。
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自分が小説を読むようになったきっかけとなった本。友達に薦められて購入し、以来村上春樹好きに。上下巻になっていて量が多い気がするけど、読みやすいのでそこまで長さを感じることはないと思う。この本を中心に卒論書く予定です。
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評価は高いですが、自殺の斡旋本であるような気が・・・。
とにかく自殺の描写が美しく描かれています。
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村上春樹氏のベストセラーの1つである長編小説です。私自身、高校時代に読んで深く感銘を受け、今でも大切な作品です。
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以前,大切な人が 目の前に見えてる死に向かって生きるなんてほんと信じられない状況だった。私にとってその年月は忘れることのできない時間だと思う。よい意味でも悪い意味でも。でも、いろんな形で成長できたかもしれない。
「あなたがもし直子の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。そしてもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい」
これは本の言葉だけど、私にとって勇気づけられるものになった。
そして、子供な私が少しだけ大人になるきっかけになれる気がした。
生と死は、ほんとに背中合わせの状態にある。
生きているから死があるわけで。
なにはともあれ、今日を元気に今を大切に過ごそうと思った。
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突然この本を読みたくなる時が一年に一度はある。回を重ねる毎にその時の自分の心理状況等が反映されてか異なる感想を抱く問題作。
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今更、ノルウェイ。最初は村上春樹調が読みづらかったが、慣れればなんとか、夜中に一気に読んだ。ってことは面白いって事なんだろうな。下巻に続く。
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主人公が過去を振り返る。20歳までの自分と、20歳以降の自分。大人になるといこと。生きるということ。『死』とはもともと自分の内側に存在しているのだということ。
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高校生の頃読んで途方もない気分になった本。でも、冷静に考えてみるとよくある恋愛話のひとつに過ぎない。景色や人物の描写が驚くほど巧い。
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有名すぎて手が出なかった。でも、流石にそろそろ、ねぇ。って訳で読んでみたのですが、あぁ、なるほど。
ちょっと読むの遅かったかも。もっと若い頃読んでたら、もっと中に入り込めたのかも。
なんかちょっともう今の私には入り込めない感覚があった。
いや、面白いよ。
でも、いまいち…言うほど?ってね。
もう少し自分の中の価値観がかちんこちんに固まる前であったら、それだとしたら、良かったかもしれない。
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真ん中を持たない僕(ワタナベ)と真ん中を失った直子の物語。
永沢さん/地理マニアの隣人など濃い人が脇を固める。