紙の本
編者の二人には、「いい加減にしろ、真面目に仕事をやれ」と言いたい!
2009/04/27 15:23
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「講談社メチエ・知の教科書」シリーズは呪われているのだろうか?
いや、あまりにもどの本もまともな評価の上にのらないからである。
「知の教科書」というからには、まず「初級入門者向け」であること、タイトルに沿った内容であることが、最低条件であると思う。しかし、本書もそういった初期条件を軽くすっ飛ばして書かれているのだ。
何のために、新宮一成氏と立木康介氏は編者として名前を連ねているのだろうか。
今現在の日本における「ラカンの精神分析」の状況は、相変らず混乱を極めている。まず、『邦版・エクリ』が相変らず改訳改訂版も出さずに最悪の翻訳状況で書店に放置されているという現実。それでいて本書では「エクリを読め」ということが堂々と書いてある。読めないほど悪列訳の『エクリ』を読むのではなく、仏版の『Ecrits』を読めということであろうか。だとしたら、これだけで「教科書」としては完全に失格であろう。
いわゆる、「日本のラカン派」の現状に対して、私は大きな憤りを隠せない。新宮氏は精神科医であり、京大院教授にしてミレールとも親しい西のラカン派の代表格。そして立木氏はパリ第八大学でミレールの下、精神分析の博士課程を終了している。そんな大専門家達が、いったい何をやっているのだ。公金の無駄であるからとっとと大学から出て行って欲しいものである。
だいぶ怒りをぶちまけたが、こういう気持ちは私だけでは無いことは自明のことであろう。
とにかく、真面目に仕事をして欲しいし、するべきだと思うし、実際にやれ、と言いたい。
ここまで書いてきて、本書のどこが具体的に駄目なのかを書くべきである
が、もう、それはいいだろう。書く気もなくなってしまった・・・。
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「人の欲望は他者の欲望である」 -2005.10.14記
人間の欲望は、内部から自然と湧き上がってくるようなものではなく、常に他者からやってきて、いわば外側から人間を捉える。だがこのことはけっして人間の主体的決定の余地を奪うものではない。人間の主体的決定は、まさに、この他者からやってくる欲望をいかに自分のものにするかということの裡に存するのだ。
フロイトの発見した「無意識」とは、そのような主体的決定の過程において、いいかえれば、他者から受け取った欲望を自分のものに作り替えていく過程において、形成されるものにほかならない。
人が成長してゆくなかで、他者の欲望との出会いは繰り返される。
人が幼少時から重ねてきたさまざまな決断や選択は、どれほどそれを自分自身で行ったと思っていても、実はもともと親や教師や友人といった他者から与えられたもの、あるいは伝達されたものにすぎない。
だが、人はいつしかそれらの出会いを忘れてゆく。出会われた欲望がやがて忘れられてゆくのは、それが他のものに取り換えられるからである。
一つのシニファン-というのも、他者の欲望は常に一つのシニファンのもとに出会われるだろうから-を他のもう一つのシニファンに取り換えること。ラカンは、フロイトの「抑圧」をこのようなシニファンの「置き換え」のメカニズムとして捉え直すのである。
他者からやってきた欲望を抑圧することで、人はその上に自分の欲望を築いてゆくのであり、抑圧された他者の欲望は「無意識」を構成し、無意識において存続する。
このように、精神分析における「無意識」とは厳密には他者の欲望の場である。それは他者の止むことなき「語らいの場」である。先述のように、欲望はシニファンの連鎖によって運ばれるが、その連鎖が形作るものを名指すのに「語らい」ほど適した言葉はない。それゆえラカンは、「無意識は他者の語らいである」と繰り返す。
主体が生まれる前から常にそこにおいて語らっていた「大文字の他者」は、この語らいが運んでいる欲望が主体のうちで抑圧され、無意識を構成するようになった後も、けっして語らうことをやめない。私たちに毎夜夢を紡がせるのは、まさにこの「他者の語らい」にほかならないのである。
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福原先生のテキストでだいぶラカンに接近できたとタカをくくっていたが、まだまだである。本書は複数著者による共同執筆で、雑誌特集号的な読みをしたほうがよいのかもしれず、そのぶんどうしてもメッセージが分散されラカンの難解さがズシンときてしまったのかもしれない。
精神分析は心理療法の一つではない。神が死んで、神の場所が「無意識」として存在しているという発見ののち、不完全な自らの思考と言語で生に耐えること、これが「フロイト以来の理性」であり精神分析の核心である。
まあこういう気負った考え方をどう消化するかも大変なのだが、まずは『エクリ』をどうするか?というところが最大の難問かも知れない。
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精神分析の入門書とは言い難い。
「狼男」の症例や現実界・象徴界・想像界の相互関係を表す「ボロメオの輪」が説明無しに持ち出される辺り、フロイト・ラカンに対する多少の前提知識を仮定しているものと思われる。
一読で精神分析の全体像を掴むのはかなり困難ではなかろうか。