紙の本
沙漠に花が咲くかぎり
2006/07/29 18:09
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1941年。交通事故で両親を亡くした12歳の日系少女スミコは、弟のタカオとともに叔父夫婦の花農場に引き取られていた。日本からの移民である祖父と、叔父夫婦の息子で三世のイチローとブルも一緒に暮らしていた。いつか自分の花屋を持つ夢を抱いていたスミコの日常は、12月6日を境に一変する。祖父や叔父と離ればなれになり、収容所で暮らすスミコは、ネイティヴアメリカンの少年フランクと知り合う。
著者がニューベリー賞を受賞した前作『きらきら』では、1950年-60年が舞台だった。その時点でも日系人に対する差別はあったが、今回は太平洋戦争真っただ中。差別の厳しさは段違いだ。ナチスドイツのユダヤ人差別が槍玉に挙げられるが、自由と平等の国アメリカにも恥部はある。イタリア系移民もドイツ系移民もいたのに、財産を没収され収容所に入れられたのは、日系移民だけだった。「良い行いこそが悪いことをたくらんでいる証拠として受けとられる」視線を浴びていきる生活は、決して心安らぐものではなかった。
「みんなががんばりとおせたのは、『アメリカ』という一語のためだったそうだ。その言葉こそ、家族のもっともたいせつなものであり、ただひとつの財産だった」
これは、日系一世であるスミコの祖父の言葉だ。自分達はアメリカこそ祖国で、アメリカ国民だと思っていたのに、当の祖国が拒絶し、「敵性市民」と呼ぶ。祖父達が本当にショックだったのは、家や財産の強奪より、「ただひとつの財産」=アメリカへの信頼が無惨に裏切られた事だったのではないか。どんな葛藤があったか知らないが、やがて祖父は一つの日本語を手紙に書いてくる。「シカタガナイ」-諦めること。だが怒りや不安を抱えた諦念は、やがて自分のコントロールが不能になる瞬間-『究極のたいくつ』へと、少しずつ人々を追い込む。
スミコの閉塞を解いたのは、花を育てる事。過酷な環境の中で、種が芽を出し根を張ってゆくように、スミコは互いに少数派であるネイティヴアメリカンの少年・フランクと新たな縁を築く。マイノリティ同士に共同戦線を張らせたくない米国側の事情があったのか、迫害された者同士というより、「自分の居場所を奪う者」として出会ったネイティヴアメリカンと日本人。「おれの未来はここにある。おまえの未来は、べつの場所にあるんだ」と泣きながらスミコを促すフランク。
国の思惑により生じた溝を、一人の少女と少年は強い絆で乗り越えた。この可能性がある限り、砂漠に花が咲く限り、国際協調への希望は捨ててはならない。
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読後感が爽やかな良書だった。
アメリカ移民のイッセイたちの生き方に襟を正される思いがした。収容所に移ってからモラルがくずれていくさま、そのなかでもまた暮らしをたてなおしていく人間というもの。こういう思いをさせられ、また他国の人にはさせてきた私たちの過去を戦争を知らない我が家の子どもたちにも読ませたい。スミコのかわいらしさはどうだ。
作成日時 2007年01月09日 07:16
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両親を亡くし、ジイチャンとおじさん、おばさん、
いとこ2人と暮らす日系の少女とその弟。
おじさんはアメリカのカリフォルニア州で花農家をしていて
少女は多少ジャップとして差別を受けながらも家族と幸せに暮らしていた。
そこへ日本軍の真珠湾攻撃によって押し寄せる戦争の波。
ジイチャンとおじさんは強制収容所へ連行され、少女を含む残った家族も
日本人を隔離する収容所へ移される。
花農家の土地も家も財産も少女が大切に育ててきた花々も全部手放して。
少女を含む日系人の状況はどんどん悪くなるものの、
悪くなった状況に日常として段々慣れはじめる。
血なまぐさく戦争のことを書いている訳ではないけれど
日本にもアメリカにも正式に属する事の出来ない日系人の
苦しみがわかりやすく書かれていて、その当時の人々の
憤りや悔しさを感じる。
また先住民のインディアンと少女の交流によって
インディアン達の悩みや苦しみも伝わってくる。
差別というのは絶対に誰にもしてはいけないし、
誰もされるべきではないんだと思う。
戦争のこと、理不尽な差別のこと、
どんな状況でも自分に出来る何かを見つけて一生懸命生きること、
大事なことがたくさん書いてある本だった。
重い題材だけど暗く悲しい本ではなく、
少女の明るさや子供ながらに感じる怒りが
もっともで興味深く楽しく読めた物語だった。
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第二次大戦火における日系二世の少女のお話。両親をなくし、弟と一緒におじの家で暮らすことになったときのエピソードがいじらしく愛おしい。強制収容所など、苛酷な運命を仕方ないと受け入れつつ、できる範囲で努力しようとする、日本人の底力のようなものに感嘆する。居留地のインディアンの不遇の姿や激しい差別の中にも存在する善意の白人など、作者の視点が公正であるのも好感が持てる。まだその先を想起させつつも途中で終わるような形なのにも色んな感情が喚起される。厳しい状況とは裏腹に、みずみずしく、抒情的ともいえる作品。
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良いYAでした。収容所の暑さや砂っぽさを背景に、盗みを罪と思わなくなってゆく子どもや、怠惰な大人など、大げさでなく描かれていてリアルに感じました。
『きらきら』がよかったので、同じ著者のこの本を読んでみましたが、やっぱり『きらきら』の方がよかったかなあ・・ 。
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戦時中の日系収容所をサンフランシスコの写真展で見たことがある。日系の442部隊の退役軍人のパーティにも参加させてもらった。記念空母ホーネットの艦上だった。彼らは皮肉にも日本軍のに似た突撃戦により勇名を馳せ、アメリカ兵としてようやく認められたという。
私が会ったとき彼らは80歳を越えていたと思う。まだまだ元気な人たちは毎年のように欧州の戦地を訪ね歩くツアーを催し、同行の若い家族をへトへトにさせていた。
パーティの様子、遺品の展示、話し方、どう見ても普通のアメリカ人だった。顔をよくみると日系だとわかるだけで。アメリカで生まれ育った二世の彼らは戦いでアメリカ人としての権利を勝ち取った、輝やかしい人たちだった。
しかし、戦った二世の親である一世や、残された家族の気持ちはどうだったのか? 以前、マザナー収容所を舞台にしたドラマを見たが、ピンとこなかった。その疑問がこの本によっていくらか分かった気がする。少女の視点で周囲をみる。考える。わからない。収容所の毎日。家族関係の変化を感じる。
内気な主人公の少女は物事を理屈で説明したり、声高に出張したりジャッジしたりしない。少女は静かに、ただ描写して、そっと考え、自分の気持ちに気づく。
こういう点で、YA小説の形式をとったことは正解だと思う。大人の視点だとこうシンプルに書けなかっただろう。ひとりの少女の物語として好きになった。
インディアンが日系とクロスしていることを初めて知り、興味を持った。
本書は公民権について歴史を学ぶ若いアメリカ人にとって良い参考になると思う。日本に住む日本人読者にとってはどうなんだろう?
読んだときにわからなくてもいいと思う。物語を楽しみ、あとになって思い出すことがあるかもしれない。そんな正しい児童文学であると思う。
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両親を亡くし、弟、おじ、おば、年上の従兄弟二人、祖父と暮らす日系三世の少女が主人公。
白人ばかりのクラスでたった一人の日本人。誰からも遊ぼうとか、うちにおいで、と誘われたことはない。でも、花を育てて売る家業が大好きだし、おじさん一家も好き、弟を可愛がり、家事も一生懸命やるスミコ。この少女のまっすぐなところを好きにならずにはいられない。それだけに、はじめの誕生会のエピソードが泣ける。
真珠湾攻撃で、日系人が強制収容されることになり、愛する馬と別れるのを嫌がる弟の姿も切ない。
真面目に働き、「ガマン」して、アメリカ社会に懸命に溶け込もうとする日本人の姿。その努力の成果を根こそぎに破壊する戦争。
アリゾナ州ポストンの砂漠に建てられた収容所で、子どもたちがルールをなくして放埓になる様子や、どうにかして畑を作ろうとする日本人の姿が目に見えるようだ。
アメリカに忠誠を誓い、日本を敵として戦うかという問いにほとんどの若者がイエスと答えたのに、ノーと答えた「ノーノーボーイ」など、当時の日系人の姿も丁寧に描かれる。さらに、日系人強制収容所は、もともとネイティブアメリカンの土地であったこと、そこに住んでいた部族だけでなく、他部族まで、自然条件の厳しい土地に押し込まれていることもわかる。主人公スミコと(ちょっと恋も入ってる)友情を深めるフランクというネイティブアメリカンの少年を描くことで、物語は一層深みを増している。
すばらしい小説。中学生以上。大人にも薦めたい。