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真鶴 みんなのレビュー

第38回講談社出版文化賞 受賞作品 第57回芸術選奨・文部科学大臣賞 受賞作品

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みんなのレビュー110件

みんなの評価3.7

評価内訳

高い評価の役に立ったレビュー

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2007/03/29 23:39

全体を全体として捉える者にしか、この感慨は伝わらないだろう。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

最近つくづく思うのは、人はとかく安易に、全体から特徴的なひとつの要素を抽出して、その抽出した一部分でもって全体を代表してしまいがちだ、ということである。そういう傾向は「なんのかんの言っても要するにこういうことだろ」とか「世の中所詮は金だ」みたいな言い方に表れてくる。
 我々がこの「特異な才能」をどこで身につけてしまったかと言えば、それは小中学校の国語の時間に何度となく繰り返された「作者がこの文章で言いたかったことは何でしょう」「200文字以内にまとめなさい」という問いに答える訓練によるのではないかと思う。しかし、そういう思考回路には明らかに無理があるし害悪がある。
 たとえば、この『真鶴』という小説を読んで、「作者が言いたかったことは何か」「200字以内でまとめろ」と言われても、読者には到底できることではない。そして、恐らく作者にもできないのではないだろうか? これだけのことを言おうとすればこれだけの文章が要るのであり、これだけの文章を読めばそれに相応しい量の化学反応が起きてしまうのである。
 この小説を手短にまとめようとしてそれが果たせないのは、一義的にはこの小説がなんだか解らない小説だからである。でも、ただそれだけに留まらないのは、この小説が「なんだか解らない」と同時に「なんだか解るような気がする」小説だからである。
 主人公の京と2人の男。ひとりは謎の失踪を遂げてしまった夫・礼で、もうひとりはその後に関係ができた妻子のある男・青茲。ひとりは過去の存在でひとりは現在の存在。そこに京の16歳になる娘・百(もも)の若さと、京の実母の老い行く姿が重ねられる。そして、亡霊なのか幻覚なのか定かではない、京に「ついてくるもの」。自分でも理由がはっきりしないのに熱に浮かされたように何度も真鶴を訪れてしまう京。──謎は最後まで解き明かされない。
 ただ、溜息が出るほど豊かな語彙で綴られた、自分では絶対に思いつかないだろうとは思うのだが読めば無性に懐かしく感じてしまう言葉たちに包まれた物語がある。
 京の愛も、嫌悪も、我がままも自制心も、恐怖感も諦念も、どれを取っても短く要約できるものではない。それはこの小説を読んでみないと解らない。全体を全体として捉える者にしか、この感慨は伝わらないだろう。
 現代人はもっとこういう小説を読まなければならないのではないかと思った。ともかく巧い。
by yama-a 賢い言葉のWeb

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低い評価の役に立ったレビュー

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2008/09/05 02:16

ついてくるもの。

投稿者:オレンジマリー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は結構単純な読者だ。読んだもの、そのままを受け止める方だと思う。読解力が高い方ではないので、本書は少し読み辛かった。
 読み終えてまず感じたことは、よく分からなかったということだった。結局主人公の過去に何があったのかは明かされず、だけど物語の最後には何かと決別し、終わる。
 普段、読書をしていると感情の浮き沈みであったり、物語の盛り上がりを感じるものだけれど、本書は一定のテンポで進み、終わる。何かの電波のように途中、少し乱れたりはするけれども、全体的には一定だった。また、平仮名表記が頻出しているので、不思議な感覚に陥る。漢字で表してあれば、また違った雰囲気が漂うだろう事柄が、平仮名で書かれているので主人公は子持ちの立派な大人であるのに、どこか幼さを残しているよう。柔らかいイメージを与えられる。
 ついてくる者の存在は、辻仁成の『ピアニシモ』を思い起こさせてくれた。ピアニシモではちゃんとしたヒトとして主人公と一緒に居た存在があったが、本書では他人には見えない、影のような存在が主人公と対話を成す。薄くなったり、濃くなったり、人の形を成したり成さなかったり、男であったり女であったり子供であったりするようだ。
 誘われるように幾度となく主人公・京は真鶴へ足を運んでいく。そこではお祭りのシーンもあるが、私にはなんとなく違う世界でお祭りがあって、立体的でないように感じた。活字でも、色んな雰囲気が伝わってくるものだけれど、本書ではお祭り独特の活気が感じ取れない。主人公の心が別にあったからかもしれないし、目的がべつにあったからかもしれない。
 幻覚のような現象も、真鶴で主人公の身に起こる。待っても待っても時計の秒針だけが時を刻んで分針が進まく、バスも来なかったり。船が燃えたように見えたけれど、実際は燃えていなかったり。本書を読み進めるにあたって、物の哀れを感じる箇所がいくつかあった。
 実体の無い感覚で、終始物語は展開されていたような気がする。京の娘である百と京の母親は日常を過ごし、ちゃんとこの世界にいる。思春期を迎えて親から離れていこうとする百を寂しい気持ちで見守ったり、いなくなってしまった者を想い続ける京。最後は決意を固めて、前へ進もうとする。
 川上弘美の作品は初めてではないが、装丁があまりに綺麗で手に取った一冊。川上弘美は恩師高評価し、勧めてくれたので印象的だけれど、個人的には本書よりも『光ってみえるもの、あれは』であったり『神様』の方が好きだ。

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110 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

全体を全体として捉える者にしか、この感慨は伝わらないだろう。

2007/03/29 23:39

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

最近つくづく思うのは、人はとかく安易に、全体から特徴的なひとつの要素を抽出して、その抽出した一部分でもって全体を代表してしまいがちだ、ということである。そういう傾向は「なんのかんの言っても要するにこういうことだろ」とか「世の中所詮は金だ」みたいな言い方に表れてくる。
 我々がこの「特異な才能」をどこで身につけてしまったかと言えば、それは小中学校の国語の時間に何度となく繰り返された「作者がこの文章で言いたかったことは何でしょう」「200文字以内にまとめなさい」という問いに答える訓練によるのではないかと思う。しかし、そういう思考回路には明らかに無理があるし害悪がある。
 たとえば、この『真鶴』という小説を読んで、「作者が言いたかったことは何か」「200字以内でまとめろ」と言われても、読者には到底できることではない。そして、恐らく作者にもできないのではないだろうか? これだけのことを言おうとすればこれだけの文章が要るのであり、これだけの文章を読めばそれに相応しい量の化学反応が起きてしまうのである。
 この小説を手短にまとめようとしてそれが果たせないのは、一義的にはこの小説がなんだか解らない小説だからである。でも、ただそれだけに留まらないのは、この小説が「なんだか解らない」と同時に「なんだか解るような気がする」小説だからである。
 主人公の京と2人の男。ひとりは謎の失踪を遂げてしまった夫・礼で、もうひとりはその後に関係ができた妻子のある男・青茲。ひとりは過去の存在でひとりは現在の存在。そこに京の16歳になる娘・百(もも)の若さと、京の実母の老い行く姿が重ねられる。そして、亡霊なのか幻覚なのか定かではない、京に「ついてくるもの」。自分でも理由がはっきりしないのに熱に浮かされたように何度も真鶴を訪れてしまう京。──謎は最後まで解き明かされない。
 ただ、溜息が出るほど豊かな語彙で綴られた、自分では絶対に思いつかないだろうとは思うのだが読めば無性に懐かしく感じてしまう言葉たちに包まれた物語がある。
 京の愛も、嫌悪も、我がままも自制心も、恐怖感も諦念も、どれを取っても短く要約できるものではない。それはこの小説を読んでみないと解らない。全体を全体として捉える者にしか、この感慨は伝わらないだろう。
 現代人はもっとこういう小説を読まなければならないのではないかと思った。ともかく巧い。
by yama-a 賢い言葉のWeb

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「心境小説」のような境地

2007/01/01 16:53

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

かつて(あるいは今も)、近代日本文学史には「心境小説」という一種のジャンル(あるいは態度)があって、それは基本的に作家が自分自身の身辺を素材にとりながら深く内省したものを「そのまま」小説に書いたものをひとまず「私小説」と呼び、中でもそこに書かれた作家精神が崇高で透徹された精神であるものを「心境小説」と呼ぶ。ずいぶん前に流行り、叩かれ、そして(一般的には)廃れたものなのだけれど、川上弘美の『真鶴』とは、紛れもなく現代小説でありながら、あるいは「心境小説」の境地に到達してしまったかのような稀有な達成に思われる。
確かに『真鶴』と題されてもいるように、小説内の「真鶴」は現実と非現実、あるいは過去と現在の混じり合うような境界としてのトポスをなし、そこへの往還を通してイニシエーションを経るかのような主人公「京」は、冒頭で抱えていた問題をクリアして結末に至るかのようにみえる。しかし、『真鶴』という小説は、こうした物語を主線とした要約によってはおよそ読めたとは言えず、その網目からこぼれ落ちるものばかりがページを満たしている。
ページを満たしているものはといえば、さしあたり、被修飾語との安定した関係がわずかずつズラされた形容詞の数々──こい、うすい、つよい、よわい、やさしい、こわい、おもい、…──であり、やはりスムースな文章を断ち切り別の何かと接続していく俳諧を思わせる、助詞を強引に排して多用される句読点であり、そこにまぶされるのは、やわらかさの裏に残酷な陰翳を隠し持ったかのようなひらがな、である。こうした文体で描かれていく『真鶴』に配置された、喪失感や失踪や疑念や謎の女などプロットになりそうなもろもろは、どこかを目指すこともなければ何かを招き寄せることもなく、文体はただ「京」のまわりを漂い、そこにまとう何かを描き出す鏡のような役割をただただ果たしていくことで、リアルといえばあまりにも生々しい仕方で「京」の心境ばかりが差し迫ったもののように浮き彫りにされていく。
こうした相貌をとらえて川上弘美の『真鶴』を季節はずれの「心境小説」と呼んでみたのだが、もちろん『真鶴』は「心境小説」の最も重要にして不可欠の条件である「作家=主人公」という等式を内蔵していない純然たるフィクションであるには違いなく、にもかかわらずこうした世界を描き切ってしまったことを思うとき、読者もまた「思い出せるけれど、でも、思い出せないの。」と「京」に倣って嘯くしかないような小説として、『真鶴』はある、しかも確かなものとして。

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雨だれ

2006/11/18 22:11

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 もう何年も雨だれの音を聴いていない。雨のなか、軒下から雫れる、静かなおと。てん、てん、ててん。あるいは、とん、と、ととんん。今は町の喧騒に消されているのだろうか。なにか大事な音を奪って、私たちは生きているのだろうか。切ないもの、願うもの、ふりかえるもの、そんな壊れそうな大切なものを私たちは忘れているのだろうか。川上弘美の「真鶴」はそんなことを考えさせてくれる、愛の物語だ。
 雨だれの音を連想したのは、作品につらぬかれている文体のせいだ。てん、てん、ててん。開いた頁に書かれた文章。「一緒にいても、たりないの。一緒にいても、せつないの」(222頁)。そんな雨だれの区切るような音の文体が、あまりにも切なく、忘れていた恋の感情を思い出させてくれる。ちょうど雨だれの音がそうだったと思い出すぐらいに。主人公は中年の女性文筆家。彼女には母と思春期を迎える娘がいる。夫は十数年前に理由もなく失踪した。その間彼女は妻子のある男性にひかれているのだが、いなくなった夫のことを忘れきれないでいる。どうして夫はいなくなったのか。未練が雨だれのように彼女の心を打ち続ける。
 書名の「真鶴」はそんな夫が残した日記に残された記号。そして、彼女はそれに魅かれるようにして真鶴へと向かう。彼女はひとりではない。「ついてくるもの」として書かれた女霊が主人公とからんでいく。そのことに違和感はない。過去の作品で何度も川上弘美は異界を描いてきた。この作品でも、潮がゆるやかに満ちるように主人公は女霊と会話している。もしかすると、川上がいくつかの作品で描いてきた異界とは女性特有の、月の性の周期かもしれないと漠として思う。その時、女性たちは男たちが理解できない異界にいるのだろうか。書き手である川上が異界にさまようから、描く女性たちも異界に近づく。それはあまりに大胆な発想だろうか。
 「遠いいつか、あなたとも、会えるのね」(266頁)。そうつぶやく主人公はやがて女という性(さが)を終えようとしている。異界を抜け出た母と、いま異界を抜け出ようとする彼女、そしてそれを受け継ぐものとしての娘を描くことで、男たちが知ることのない女性の世界が重層に描かれている。そして、それに寄り添う形で男と女の恋の物語が濃厚に薫りたつ。
 てん、てん、ててん。雨だれの音はどうしてあんなにも澄んでいたのだろう。まわりの音をすべて凝縮して、雨だれは空が明るむまで続いたものだ。川上が描いた長編小説は、そんな忘れていた雨だれのような恋の物語だ。ひざをかかえて静かに聴いている。

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ついてくるもの

2008/05/03 10:52

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

「親愛なるM君へ」
 あなたに薦められた『真鶴』今、読み終わりました。
「川上弘美作品を読むのなら始めは『センセイの鞄』がいいよ。」って薦めてくれた。ツキコさんとセンセイの会話「センセイ」「はい」「センセイ」「はい」と音符のようなことばが心地よかった。そして川上弘美作品にはまってしまいました。『真鶴』は7作品目です。6作品目の『風花』から心地よさが変わってきました。川上弘美作品はことばが歌うように軽やかだったり、胸にずんときたりします。『真鶴』は書き出しは「歩いていると、ついてくるものがあった。」です。『蛇を踏む』にも「ついてくる女」がでてきました。その女は蛇の顔になったり人間の顔になったりするのです。蛇の顔をした女が目に浮かびぞっとしました。作者は人物描写が巧みです。『真鶴』は日記の最後に真鶴と書き残して失踪した夫を主人公の妻が「ついてくるもの」と真鶴に探していく話です。そして妻から夫の存在が消えたとき「ついてくるもの」も消えた。
「ふつうであることは、難い。ふつうでないことは、いくらもある。けれど、ふつうでないことは、たいがい持ちこたえることができない。いずれ、壊れる。壊れに向かうことは、易い。ふつうのことを持ちこたえることが、いちばん難いのだ。」胸にずんときた。私は恋をしています。ふつうでない私の恋はいずれ壊れるのでしょうか。愛する人を思うとせつない。しかし作者は私をすぐに現実と戻れない世界に引き込む。交錯していく。完全に私の思考能力を超えてしまった。めまいがする。息苦しい。主人公京の母と娘の百 女三人の会話になると息がつける。それは母と百がふつうであるからだろう。失踪した夫を探しに『真鶴』を行く娘を母は何も言わずに見送る。母はひたすら子を待っている。最後に百のやわらかい声が公園にひびいて『真鶴』は終わる。
 ことばに言いあらわせない余韻が今も残っています。

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ついてくるもの。

2008/09/05 02:16

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オレンジマリー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は結構単純な読者だ。読んだもの、そのままを受け止める方だと思う。読解力が高い方ではないので、本書は少し読み辛かった。
 読み終えてまず感じたことは、よく分からなかったということだった。結局主人公の過去に何があったのかは明かされず、だけど物語の最後には何かと決別し、終わる。
 普段、読書をしていると感情の浮き沈みであったり、物語の盛り上がりを感じるものだけれど、本書は一定のテンポで進み、終わる。何かの電波のように途中、少し乱れたりはするけれども、全体的には一定だった。また、平仮名表記が頻出しているので、不思議な感覚に陥る。漢字で表してあれば、また違った雰囲気が漂うだろう事柄が、平仮名で書かれているので主人公は子持ちの立派な大人であるのに、どこか幼さを残しているよう。柔らかいイメージを与えられる。
 ついてくる者の存在は、辻仁成の『ピアニシモ』を思い起こさせてくれた。ピアニシモではちゃんとしたヒトとして主人公と一緒に居た存在があったが、本書では他人には見えない、影のような存在が主人公と対話を成す。薄くなったり、濃くなったり、人の形を成したり成さなかったり、男であったり女であったり子供であったりするようだ。
 誘われるように幾度となく主人公・京は真鶴へ足を運んでいく。そこではお祭りのシーンもあるが、私にはなんとなく違う世界でお祭りがあって、立体的でないように感じた。活字でも、色んな雰囲気が伝わってくるものだけれど、本書ではお祭り独特の活気が感じ取れない。主人公の心が別にあったからかもしれないし、目的がべつにあったからかもしれない。
 幻覚のような現象も、真鶴で主人公の身に起こる。待っても待っても時計の秒針だけが時を刻んで分針が進まく、バスも来なかったり。船が燃えたように見えたけれど、実際は燃えていなかったり。本書を読み進めるにあたって、物の哀れを感じる箇所がいくつかあった。
 実体の無い感覚で、終始物語は展開されていたような気がする。京の娘である百と京の母親は日常を過ごし、ちゃんとこの世界にいる。思春期を迎えて親から離れていこうとする百を寂しい気持ちで見守ったり、いなくなってしまった者を想い続ける京。最後は決意を固めて、前へ進もうとする。
 川上弘美の作品は初めてではないが、装丁があまりに綺麗で手に取った一冊。川上弘美は恩師高評価し、勧めてくれたので印象的だけれど、個人的には本書よりも『光ってみえるもの、あれは』であったり『神様』の方が好きだ。

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2006/11/12 00:53

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2006/11/15 00:39

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2006/11/28 11:57

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2006/12/20 10:26

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2007/02/18 18:50

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2007/01/18 22:59

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2007/01/22 21:13

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2007/01/24 17:30

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